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愛知県の津島市にある全国天王総本社津島神社に行きました。御祭神建速須佐男之命牛頭天王さんです。(神仏習合のときにお名前が変更になったそうです)こちらの拝殿正面の南門が正門です。すごく立派な楼門と神様の橋があるのですがそちらは脇門です。手水は龍の口というか喉にホースがさされてて苦しそうです。。不思議な顔出しパネルがありました。ゆるキャラかな?正面かはこちらの蕃屛があるので分かりやすいです。*蕃屛・・・神様に正面
人気ブログランキング昨日の記事のつづきです。八坂神社で後日のご祈祷を申し込んだあと、本殿では、牛頭天王にたくさん話をしました。あの西楼門の狛犬が目を閉じていた話もしました。『さよならもうあえない狛犬さん~京都八坂神社~』人気ブログランキング先月の満月の夜、目を閉じているように写っていた京都八坂神社、西楼門の「吽」の狛犬さん。↓↓「いつも目は開いているんだよ。ちゃ…ameblo.jp不思議すぎて、ブログ
長弓寺(ちょうきゅうじ)さんにお参りしました。長久寺さんは、奈良県生駒市上町にある真言律宗のお寺です。前回の記事『長弓寺さん(奈良市)220.7.21①』長弓寺(ちょうきゅうじ)さんにお参りしました。長久寺さんは、奈良県生駒市上町にある真言律宗のお寺です。山号は真引山(まゆみさん)。早朝、この近辺に用事があり、…ameblo.jp「伊弉諾(いざなぎ)神社」。明治の神仏分離以前は「牛頭天王社」と呼ばれていた名残。本堂の東側に鎮座しています。寺伝では聖武天皇が長弓寺の鎮守として建て
2020.8.30日曜日☀️インドア生活ばかりでもなんやし…でも里山低山は超暑いし…🔥ま、ゆっくり神社参拝でもしよかで、愛知県の西端、"津島神社"へ。なんとあの牛頭(ごず)天王さんがいらっしゃるん爽やかな青空涼し気に見えるこの絵も、実際には炎天下の無風猛暑今日は暑さのせいか、凡人には神域の空気を全く感じることがでけんかったコロナ禍の今、津島神社では↓こんなご朱印も。(画像拝借)お婿さんにひとつと孫①②にもそれぞれ↑黄色いお守りを買って、ご祈祷をお願いして、、
somethingnewone2(光と共に…/ルミエール・ラピ)(旧:未来を救う為に何が出るのか!)ブログのsomethingnewone2ブログトップ記事一覧画像一覧”【光の銀河連合からのメッセージ】コロナの裏では金融リセット””歴史はもう繰り返さない~プレアデスからのメッセージ~””スサノオ再びスサノオの出自”2020-08-2923:13:00テーマ:ブログ公式ハッシュタグランキング:子役92位みんな元気ですかスサ
みんな元気ですかスサノオと古代オリエントのつながり・・・スサノオとの関連で先の章で八坂神社の事をお話しました。明治維新の廃仏毀釈の前は祇園神社とも呼ばれていました。その章でもご説明しましたが祇園さんの主祭神牛頭天王はスサノオの事です。その牛頭天王はいかにも日本の神とはイメージがかけ離れています。牛の角を生やし農耕の神・・・これはバール神あるいはマルドゥクという神と似ています。バール神については先の章で触れました。これは古代オリエント
茨城県西地区(常総市)にある歴史ある神社です!平安時代(大同4年)この地に御祭神一言主大神が三岐の霊竹を験(しるし)として御来臨され社が創建されたそうです!後に三岐の竹からこの場所は三竹山と呼ばれるようになったそうです!いくつかの鳥居をくぐり拝殿へ途中気になったので拝殿から左手をくぐり裏手から本殿そして、その後守谷市の八坂神社も寄って来ました!守谷市一帯の氏神さまです!牛頭天王は、素戔嗚尊の別名です!
人気ブログランキング昨日の記事のつづきです。八坂神社(京都)を訪れたのは、今回は目的があって、牛頭天王のおふだを手に入れることそしてできればご祈祷をお願いすることでした。牛頭天王のおふだを家に置いておくと、悪念をはじくために、眷属が見回りに来てくれるのです。これまで、そんな心配とは無縁でのほほんと生きてきた私ですが、旅行の少し前から「これはきちんとしておかなきゃ大変だ」と思うような執拗な攻撃を受けていました
みんな元気ですかスサノオの原点・・・少しだけ「古代ペルシャ王の道」に話を戻します。この王の道「PersianRoyalRoad」は考古学上の調査ではペルシャ帝国の大王ダレイオス1世によって紀元前5世紀に作られたとウィキペディアにはあります。実際にはおそらくそれ以前から利用された古道がありそこに新たに道幅を広くして歩きやすいように、あるいは馬車などが通り安いように整備したものと思われます。現在でもトルコの観光名所ティヤルバクルの橋はいにしえの
今日のお酒も十九十九牛頭天王これまた可愛いラベルです牛頭天王は疫病を防ぐ神らしい早くコロナおさまって欲しいですブルーインパルスより甘めで美味しかった〜
みんな元気ですかスサノオとは・・・地球(テラ)の旅立ちは一休みして続きはまた近いうちに続編を再公開します。今回は未来の時代から日本の黎明期の過去に舞台を移します。時代は大和時代より少し前、日本がまだ統一されていない頃のお話です。西暦100年から200年あたりでしょうか・・・スサノオは黎明期の日本に颯爽と姿を表します。出雲の出身と言われています。龍神のように日本各地を駆け廻りはげ山に植樹を行い、稲作を指導し、先住の民に食料の確保を行い
感謝してます!まるかんのお店美来の中川典子です!昨日、私のお店がある大東市や、寝屋川、門真、交野・・・あたりで、夕方集中豪雨があったみたいで、その時間帯は丁度八尾市にある愛弟子さんの美容室に行っており、豪雨には遭遇しなかったんですが、愛弟子さんからラインで豪雨の後の虹の写真が送られてきました。「見えにくいけど、飯盛山全体を覆うような虹でした」とあり、これを読んだ時に、わぁ・・・白龍さんが暴れてる~~と思ったんです※
晶ちゃんのブログも、違った視点で書かれていて面白いですよー!是非チェックしてみてね!【お友達と参拝】再会の熊野ー那智・熊野古道ー『【お友達と参拝】再会の熊野ー那智・熊野古道ー』ふだんの我が家であれば、あり得ないような不思議な調整がはたらいてふつうの4歳くんよりも、ちっちゃくて幼かったぽよくんの手を引いて家族そろって烏の声がこだ…ameblo.jp【お友達と参拝】再会の熊野─那智大社へ─『【お友達と参拝】再会の熊野─那智大社へ─』楽しかった「熊野詣」から帰宅した翌日。
みんな元気ですか前回の続きだよ・・・その昔(女王卑弥呼より100年くらい前)に日本統一を初めて果たした天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊・・・あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまニギハヤヒのみことという天皇がいました。スサノオの息子です。物部氏の没落と共に二ギハヤヒの痕跡は蘇我氏によってすべて消されてしまいました。だから後世(720年頃)の記紀には登場しません。物部氏と蘇我氏は宿命の勢力争いの対決をしました。古来の神道
✡✨✨『自然に包まれる美しい霊峰・木山寺』「木山寺」は、標高430mの山上にあり、老杉古柏も鬱蒼とした静寂な境内が、情緒ある風情を醸し出しています。また、周辺一帯は郷土自然保護地域に指定され、自然環境の美しい霊峰です。『弘仁6年・弘法大師の開基』「木山寺」の創建は、遠く弘仁6年(815年)の初冬、高祖弘法大師が『美作の地』を訪れた際、木樵姿の翁がこの霊山に大師を導き、仏堂建立にふさわしい地であると説きました。この翁こそ本尊『薬師如来』の仮の姿であり、大師はこの不思議な因
昨日は都心に行ったついでにお酒を購入買ったのはコレ👇大好きな十九の牛頭天王とハリネズミもちろんラベルも可愛いハリネズミは困った顔してますそして川亀のおり酒おりがたっぷり楽しみですね〜
大好きな識子さんがやっと岐阜の神社仏閣を訪れてくれ、そのお話を書籍化してくれましたがブログにも書いてくれてたのでご紹介。こちらは識子さんが紹介した岐阜県の神仏で私も何回か参拝したことがある伊奈波神社⛩嬉しいなー(*´∀`*)やっと自分にも身近な神さま達のお話が読めた♪眷属好きとしては人外の眷属さんがいたかどうか知りたかったけど黒龍さんがいらっしゃることがわかっただけでも幸せや郡上の方にいらっしゃるどでかい緑色の龍さんにも会いたすぎやし、龍好きの方はぜひ岐阜県にもコロナが落ち着いた
『三渓園ぶらりBUS』前回のぶらりバスのルートの続きです。バスは、臨海貨物線の本牧駅を過ぎてすぐ右へ曲がる、とはなしました。その交差点から、やや上り坂を真っすぐに進むと、三溪園の入口になる七差路に行きつきます。その道すがら、またもや面白い看板をみつけました。道路標識に、「八王子道路」とあるのです。「八王子道路」とは横浜、しかも東端の本牧の道路に、なんで「八王子」の名がついているのでしょう。そこは、三溪園好きのわたし、すぐに「絹の道」すなわちシルクロードを思い浮かべました。(エ
✡✨✨「木山寺」(きやまじ)は岡山県真庭市木山に所在する『高野山真言宗別格本山』の寺。【山号】は『医王山』。(詳しくは『医王山感神院木山寺』と号する。)本尊は『薬師瑠璃光如来』。『中国三十三観音霊場第四番札所』『山陽花の寺二十四か寺第十番札所』『高野山真言宗美作八十八箇所霊場第三十四番札所』『百八観音霊場第六番札所』「木山寺」『美作八十八ヶ所霊場』‼✨『鐘楼堂』木山牛頭天王‼木山善覺稲荷‼「木山寺」【所在地】岡山県真庭市木山1212番地【山号】
みんな元気ですか続きだよ・・・京都3大奇祭と言うのをご存じでしょうか。奇祭と言うのは変なお祭りという意味ですがその言われが謎に包まれていてしかもお祭り自体が変わっているのです。その3つのお祭りは鞍馬の火祭今宮神社のやすらい祭それに太秦の牛祭。詳しくはウィキぺディアあたりに内容説明を譲りますがこの中でも秦の始皇帝と縁の深い太秦(うずまさ)の事に触れたいと思います。友達の風さんが教えてくれました。「聖なる牛」と
みんな元気ですか聖徳太子の謎・・・今一度聖徳太子を取り上げます。聖徳太子は彼の正式名称ではありません。歴史の教科書に出てくる名前は厩戸皇子(うまやどのおうじ)です。ほかにも豊聡耳皇子(とよさとみみのおうじ)あるいは厩戸豊聡耳皇子(うまやどとよさとみみのおうじ)などの名前があります。仏教の庇護者として知られていますが仏教では太子の事を南無上宮太子聖徳皇(なむじょうぐうたいししょうとっこう)とお唱えします。聖徳太子と言う名前が付いたのは
✡✨✨「木山寺」、「木山神社」はもとは『神仏習合』で、『木山宮』(きやまぐう)として、多くの人々の信仰を集めてきましたが、明治時代の『神仏分離政策』によって、「木山寺」と「木山神社」に別れました。ご本尊は、『医王の霊薬』をもってあらゆる衆生の病気や迷いを救われる『薬師如来』。鎮守神の『木山牛頭天王』は【薬師如来の化身】で、除災招福の大願を成就されています。『善覺稲荷大明神』は、ご本地【十一面観音の化身】で、正徳年間(1714年)『京都伏見稲荷』より勧請された明神様です。
皆さま、こんにちは🎵7月に行った京都お礼参りの続きです。鴨川いつも写真を撮ります。三十三間堂から歩いて、豊国神社さんへ。前回は、花嫁さんどーんの結婚式の真っ最中でしたが、そうそう毎回見せていただけるものではないと思いつつも、やはりキョロキョロしちゃいます子どもの頃見た大河ドラマの影響で、秀吉さまのことが好きでして。さらに、福岡県が誇る黒田官兵衛さまも好きなんですね。どちらとも、戦国時代の武将ですので、ひどいこともされているのですが、二人に共通する「人たらし」なところが、魅力
本日のお宿は、京都、錦市場にしきいちばのすぐ東にあるホテル。5時過ぎにチェックイン。荷物を置いてホッと一息。きれいな部屋だし、出なさそうでよかった。(出るって何が?…というか、そんなん一度も視たことないし)食事はついてないので、外へ食べに出ることに。前回の伊勢一人旅では、スーパーで買ったコロッケとパンという、のどに詰まりそうな晩御飯だった。河原町の通りは、若者やら若者やら若者でいっぱい。少しばかり孤独感が。歩いているうちに馴染んだが。このあたりのお店はよく知らないので、いつ
✡✨✨『牛頭天王』‼。。。『感神院』。。。「木山神社」(きやまじんじゃ)当社の創建は弘仁7年(816)と伝えられており、古くは『感神院』・『木山牛頭天王』とも言われ、『京都祇園の八坂神社』、『播磨国の広峯神社の牛頭天王』などと並び、【日本最古の天王社】として広く一般庶民の信仰を受けた。平安時代以来『素尊信仰』の上に『京都祇園社』の信仰を導入したため、当社の信仰は一層拡大され、南北朝時代から室町時代にかけては『美作国南三郷』(現在の落合町)の「総社」として崇敬
いつも私のブログを読んでくださり、ありがとうございます京急線大鳥居駅から徒歩5分の羽田神社⛩鳥居をくぐると、大きな青い蝶々🦋が私の目の前を横切りました嬉しくなりますね〜華やかで、ど〜んとした力強い社殿です鎌倉時代に、羽田の領主だった方が牛頭天王をお祀りしたことが神社の始まりだと言われています牛頭天王という神様は、珍しい神様で、非常に大きな力を持つ神様牛頭天王をお祀りしている神社⛩は、今は全国でも数少ないです。。昔、疫病や祟りを恐れた人々が、悪いものを除ける神として