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「安珍と清姫」(1960)クソマジメな坊さんと勝ち気なお姫さまの悲恋物語をAmazonプライムビデオで観ました。初見。監督は島耕二。予告編はありません。舞台は紀州。ある日、真砂の里の庄司清継(見明凡太郎)の娘清姫(若尾文子)がキツネ狩りに興じていた時、清姫の弓矢が道成寺への参籠に出かける道中だった修行僧安珍(市川雷蔵)の左腕に命中。清姫は安珍たちを屋敷へ連れて帰ります。安珍と同行していた道覚(小堀阿吉雄)が女中に色目を使う俗物であるのに対して、負傷した安珍は介抱しようと近づ
卒業式の後、吾一(片山明彦)は志望者不足で進学試験がなくなり、麻太郎(三島鉄男)たち数名が進学することを知る。吾一は伊勢屋の小僧になるのだった。涙する吾一。*****奉公を始めた吾一だが、伊勢屋(吉井莞象)に「吾一」では商売人の名らしくなく、呼びにくいと言われ、「五助」と名前を変えられてしまう。進学した麻太郎は洋装の制服が誇らしいが、妹のおぬいには馬鹿にされる。そして、番頭の忠助(見明凡太郎)は麻太郎とおぬい(星美千子)に「五助」を紹介し、もう友だちではないのだと言うのだ。「お坊
「開花どんぶり」。いまでもそう呼んでるんやろか、関東では?*****登校時間になってもやってこない伊勢屋の息子、麻太郎(三島鉄男)を置いて、みんなは走って学校へ行く。彼を迎えに行った栗村鏡造(須田大三)と麻太郎は遅刻である。迎えに行って遅刻したことを次野先生(小杉勇)に話さない鏡造。中学への進学希望を先生にたずねられると、「はい」と答えたのは鏡造だけだった。*****放課後、鏡造は進学しても生意気になるだけで、カネも稼げないし、何の役にも立たないと級友に言われるが、愛川吾一(片山明彦)も
『素浪人罷通る』映画81分トーキー白黒昭和二十二年(1947年)十月二十八日公開製作国日本制作大映京都企画清水龍之介脚本八尋不二撮影川崎新太郎木田平三録音海原幸夫倉嶋暢音楽西梧郎照明島崎壹二中岡源権美術角井平吉編集宮田味津三装置林米松装飾松本春造背景太田君三郎記録小島道子衣装黒沢好子美粧湯本秀夫結髪花井りつ写真斎藤勘一演
『おかあさん』映画トーキー98分白黒昭和二十七年(1952年)六月十二日封切製作国日本国製作言語日本語製作新東宝製作永島一朗脚本水木洋子音楽斎藤一郎原作全国児童綴方集撮影鈴木博美術加藤雅俊録音中井喜八郎照明加藤快哉編集笠間秀俊製作補青山硯助監督石井輝男配役福原正子田中絹代年子香川京子良作三島雅夫栗原則子中北千枝子久子榎並啓子進片山明彦平井信二郎岡田英次木村庄吉加東大介良作の弟
2025年4月19・23日京都文化博物館において『元禄美少年記』が上映される。『元禄美少年記』映画トーキー白黒108分昭和三十年(1955年)十二月二十一日公開製作国日本製作松竹京都脚本八尋不二主演中村賀津雄後の中村嘉葎雄監督伊藤大輔4月19日(土)13:30〜17:00〜4月23日(水)13:30〜18:30〜矢頭右衛門七が主人公である。中村賀津雄後の中村嘉葎雄が右衛門七を体当たりで演じる
十四代目守田勘彌(じゅうしだいめ・もりた・かんや)画像右端秋月大膳役者歌舞伎役者本名守田好之芸名歴四代目坂東玉三郎三代目坂東志うか拝名秀佳明治四十年(1907年)三月八日生まれ。昭和五十年(1975年)三月二十八日死去。六十八歳。十四代目守田勘彌丈の舞台には間に合わなかった。気品豊か粋な二枚目が素晴らしかったという批評を読んだ。多彩な役柄を勤めたことを聞いた。昭和四十九年(1974年)十一
片山明彦(かたやま・あきひこ)本名鹿児島燁彦大正十五年(1926年)十一月十一日生まれ。平成二十六年(2014年)十一月十六日死去。八十八歳。『元禄美少年記(げんろくびしょうねんき)』佐野正平/片山明彦仏像前で中腰の男性。右の少年は矢頭右衛門七役の中村賀津雄。昭和三十年(1955年)俳優片山明彦は伊藤大輔(いとう・だいすけ)監督二作品に出演した。『外郎の首』の結城新太郎と『元禄美少年記』の佐野正平である。偶然にも復讐仇討の課題を荷いな
『四十八人目』(『四十八人目の男』『小平太何処へ行く』)トーキー10巻現存版90分白黒昭和十一年(1936年)七月三十日封切製作国大日本帝国製作言語日本語制作第一映画配給松竹キネマ原作森田草平脚本伊藤大輔撮影吉田清太郎録音映音サウンドシステム出演山田五十鈴(おしの)坂東好太郎(毛利小平太)浅香新八郎(小山田庄左衛門)葛木香一(前原伊助)新妻英助(不破和右衛門)原聖
『大菩薩峠』映画トーキー106分カラー昭和三十五年(1960年)十月十八日公開製作国日本製作言語日本語製作大映京都製作永田雅一企画松山英夫南里金春原作中里介山脚本衣笠貞之助撮影今井ひろし音楽鈴木静一美術内藤昭出演市川雷蔵(机竜之助机龍之助)中村玉緒(お浜お豊)本郷功次郎(宇津木兵馬)菅原謙二(近藤勇)根上淳(芹沢鴨)見明凡太郎(裏宿の七兵衛)島田竜三千葉敏郎丹波又三郎阿井美千
『元禄美少年記』映画トーキー白黒108分昭和三十年(1955年)十二月二十一日公開製作国日本製作松竹京都脚本八尋不二音楽深井史郎撮影長岡博之美術水谷浩録音奥村泰三照明蒲原正二郎出演中村賀津雄(矢頭右衛門七)雪代敬子(シノ)片山明彦(佐野正平)三井弘次(矢頭長助)市川春代(矢頭たか)淡路恵子(きぬ)諸角啓二郎(新見弥七郎)石黒達也(山岡宗人)武田正純(吉田忠左衛門)藤間林太郎(村松三太夫
映画「風の又三郎」を見た事がある方は、さすらいとは同年代、いや先輩たちの世代の方だろうか。小学生の頃、楽しみに見た映画だった。映画館で見た訳ではなく、夜に学校の校庭にスクリーンになる幕を張って、そこに映画を投影して映画会が行われ、そこで見たのが最初だった。その後、学校の校舎が建て増しされて、その中に視聴覚教室と言う教室が出来、授業中に、そこで映画を見る事もあった。そこで再び「風の又三郎」を見た。最初に見た時に好きになっていたので、再び見れた穂は嬉しかった。同じころ、この教室で見た
『素浪人罷通る』映画トーキー81分白黒昭和二十二年(1947年)十月二十八日公開製作国日本制作大映京都主演阪東妻三郎(山内伊賀亮)監督伊藤大輔山内伊賀亮は、優しい天一坊青年に出会います。彼は八代目征夷大将軍徳川吉宗の実子でした。徳川九代将軍を狙う野心は微塵もなく、生まれてから一度も会った事が無い父親に会いたいという無垢な希望に生き甲斐の全てを賭けている。これが天一坊の生き方でした。伊賀亮は、天一坊が江戸城に親子対顔に向かえば、ご落胤
『元禄美少年記』映画トーキー白黒108分昭和三十年(1955年)十二月二十一日公開製作国日本製作松竹京都脚本八尋不二音楽深井史郎撮影長岡博之美術水谷浩録音奥村泰三照明蒲原正二郎出演中村賀津雄(矢頭右衛門七)雪代敬子(シノ)片山明彦(佐野正平)三井弘次(矢頭長助)市川春代(矢頭たか)淡路恵子(きぬ)諸角啓二郎(新見弥七郎)石黒達也(山岡宗人)武田正純(吉田忠左衛門)藤間林太郎(村松三
『素浪人罷通る』映画81分トーキー白黒昭和二十二年(1947年)十月二十八日公開製作国日本制作大映京都企画清水龍之介脚本八尋不二撮影川崎新太郎木田平三録音海原幸夫倉嶋暢音楽西梧郎照明島崎壹二中岡源権美術角井平吉編集宮田味津三装置林米松装飾松本春造背景太田君三郎記録小島道子衣装黒沢好子美粧湯本秀夫結髪花井りつ写真斎藤勘一
『大菩薩峠竜神の巻』映画トーキー106分カラー昭和三十五年(1960年)十二月二十七日公開製作国日本製作言語日本語製作大映京都製作永田雅一企画松山英夫南里金春原作中里介山脚本衣笠貞之助撮影今井ひろし音楽鈴木静一美術内藤昭録音大角正夫照明岡本健一編集菅沼完二スチール小牧照出演市川雷蔵(机竜之助机龍之助)中村玉緒(お豊)本郷功次郎(宇津木兵馬)近藤美恵子(お玉)藤原礼子片山明彦(
阪東妻三郎(ばんどう・つまさぶろう)は明治三十四年(1901年)十二月十四日東京府に生まれた。本名は田村傳吉(たむら・でんきち)である。歌舞伎役者を志し、後に活動大写真の俳優となり、大人気を博し、日本映画の大スタアとなった。役者芸名別名義には沢村紀千助・阪東藤助・阪東要二郎、映画監督名義には岡山俊太郎がある。昭和二十八年(1953年)七月七日満年齢五十二歳で死去した。昭和二十二年(1947年)十月二十八日公開、製作大映京都、監督伊藤大輔の映画『素
片山明彦(かたやま・あきひこ)本名鹿児島燁彦大正十五年(1926年)十一月十一日生まれ。平成二十六年(2014年)十一月十六日死去。八十八歳。片山明彦氏は日本映画の歴史において、子役・美少年役・知的二枚目として活躍されました。『路傍の石』(製作日活多摩川監督田坂具隆昭和十三年九月二十一日公開)では主人公愛川吾一を大熱演されました。『風の又三郎』(製作日活多摩川昭和十五年十月十日公開監督島耕二)では、御父上の監督島耕二氏の
池袋新文芸坐<没後40年>伊藤大輔映画祭より製作:大映監督:伊藤大輔脚本:八尋不二撮影:川崎新太郎美術:角井平吉音楽:西梧郎出演:阪東妻三郎片山明彦喜多川千鶴守田勘彌大友柳太郎小堀誠1947年10月28日公開紀州平野村感応院の若い山伏宝沢(片山明彦)は、時の将軍吉宗(守田勘彌)の落胤と名乗り江戸への旅に出ます。たちまち道中に噂が飛び交い、お世継ぎの実現を夢見る信者たちが江戸への旅に同行します。旅の途中、宝沢は落雷のため気絶し、山寺に住む娘千枝(喜多川千
『必殺仕掛人』「理想に仕掛けろ」テレビ54分トーキーカラー製作国日本昭和四十八年(1973年)一月六日放送老中水野備前守の下屋敷にお抱え学者清沢正堂と門弟風見鳴枝が出仕した。水野は、学問の平等性を説く正堂の主張に興味を覚え、彼が塾長を勤める陽天塾の主題を直截簡明に一言で要約するようにと求める。正堂は「陽天塾」の主張を「一言で言うと」と短刀を抜いて水野の腹に突き刺して刺殺する。家臣達は水野から給金を大きく取られていたことと正堂の迫力の凄まじさもあり、手
『素浪人罷通る』映画トーキー81分白黒昭和二十二年(1947年)十月二十八日公開製作国日本制作大映京都主演阪東妻三郎(山内伊賀亮)監督伊藤大輔山内伊賀亮は、優しい天一坊青年に出会います。彼は八代目征夷大将軍徳川吉宗の実子でした。徳川九代将軍を狙う野心は微塵もなく、生まれてから一度も会った事が無い父親に会いたいという無垢な希望に生き甲斐の全てを賭けている。これが天一坊の生き方でした。伊賀亮は、天一坊が江戸城に親子対顔に向かえば、ご落胤の真
山本有三の代表的な小説「路傍の石」は戦前、戦後で4回映画化されています。昭和13年公開。日活吾一:片山明彦監督:田坂具隆昭和30年公開。松竹吾一:坂東亀三郎監督:原研吉昭和35年公開。東宝吾一:太田博之監督:久松静児昭和39年公開。東映吾一:池田秀一監督:家城巳代治今月(2021年7月)、映画「路傍の石」をアメブロに、池田秀一版、太田博之版の記事を掲載しましたが、まとめとして片山明彦版、坂東亀三郎版を含め、全4作を邂逅します。山本有三の原作は昭和12年(
『元禄美少年記』映画トーキー白黒108分昭和三十年(1955年)十二月二十一日公開製作国日本製作松竹京都脚本八尋不二音楽深井史郎撮影長岡博之美術水谷浩出演中村賀津雄(矢頭右衛門七)雪代敬子(シノ)片山明彦(佐野正平)三井弘次(矢頭長助)市川春代(矢頭たか)淡路恵子(きぬ)諸角啓二郎(新見弥七郎)石黒達也(山岡宗人)武田正純(吉田忠左衛門)藤間林太郎(村松三太夫)北沢彪(神崎与五郎)永田光男
『必殺仕掛人』「理想に仕掛けろ」テレビ54分トーキーカラー製作国日本昭和四十八年(1973年)一月六日放送老中水野備前守の下屋敷にお抱え学者清沢正堂と門弟風見鳴枝が出仕した。水野は、学問の平等性を説く正堂の主張に興味を覚え、彼が塾長を勤める陽天塾の主題を直截簡明に一言で要約するようにと求める。正堂は「陽天塾」の主張を「一言で言うと」と短刀を抜いて水野の腹に突き刺して刺殺する。家臣達は水野から給金を大きく取られていたことと正堂の迫力の凄まじさもあり、手を出
『下郎の首』映画トーキー96分白黒昭和三十年(1955年)七月二十六日公開製作国日本製作新東宝製作津田勝二脚本伊藤大輔撮影平野好美照明佐藤快哉録音根岸寿夫美術松山崇音楽深井史郎助監督山田達雄編集宮田味津三出演田崎潤(下郎訥平)嵯峨美智子(お市)丹波哲郎(石谷)岡譲司(溝呂木)三井弘次(躄勝)舟橋元(千石)鳥羽陽之助(丹波)沢村昌之助(源吾)山本豊三(須藤静馬)倉橋宏明(六助)広瀬康治(
十四代目守田勘彌(じゅうしだいめ・もりた・かんや)画像右端秋月大膳役者歌舞伎役者本名守田好之芸名歴四代目坂東玉三郎三代目坂東志うか拝名秀佳明治四十年(1907年)三月八日生まれ。昭和五十年(1975年)三月二十八日死去。六十八歳。十四代目守田勘彌丈の舞台には間に合いませんでした。気品豊か粋な二枚目が素晴らしかったという批評を読みました。多彩な役柄を勤められたようです。昭和二十二年(1947年)