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2026【7月3日金曜日】私の生まれ育った界隈は、今年、大河ドラマ『豊臣兄弟』で盛り上がっています。実家のすぐ近くの中村公園、豊国神社。その中にある、今は『中村公園記念館』と呼ばれている建物で両親は結婚しました。昭和33年3月、かわいらしい母の花嫁姿です。それから58年の時を経て2016年。今から10年前にその懐かしい場所を訪れました。当時、利用のある時以外は閉まっている会館でしたが、たまたまスタッフの方に出会い、昔ここで結婚式を挙げた事を話すと、快く鍵を開けて中に通してくれました
父急逝から葬儀まで(4月30日)1週間あり無事に出棺を終え今日だけは予定を入れていません弔問客で賑わっていたリビングも静で寂しい久しぶりの一人時間です食べることも話すことも笑うことも泣くことも億劫に感じますそんな時私の日常は父の介護で成り立っていたと改めて痛感します今はチェルチの存在に支えて貰ってます昨日霊柩車に乗り自宅を出発した父その時のクラクションの音が耳から離れません私はこれからどんな日々を送るのでしょうか自分
今月上旬に父逝去につき昨日まで帰省していたため今週はブログお休みです。また来週よろしくお願いします。
父との別れの日雨上がりでもないのに虹が出た🌈父から皆んなへの感謝のメッセージこちらこそ、ありがとう享年85才
認知症(アルツと脳血管症の複合)&不安障害を抱えている父(86歳)父のお世話や通いを始めて、今年で10年目を迎えました。2021年2月11日~介護付き有料老人ホームへ入所。施設入所/2025年2月11日で丸4年を迎えた。施設退去申し出:2025年4月19日(土)契約終了。◆2025年4月24日(木)父が86歳にて永眠いたしました。一昨日・・6/11(水)早いもので、父の49日目を迎えました。現実を受けて止めてはいるのですが亡き愛犬も含め、近し
突然ですが、本日に日付が変わる直前に、父が逝去致しました。89歳と3カ月の父の人生に、幕が降りました。17日の23時59分に電話が入ったので、「ついにこの時が来た」と直ぐに分かりました。そこから直ぐに身支度をして病院に向かい、病院に着いたのが0時40分頃、そして病院での手続きが完了し、病院を後にしたのは3時半、帰宅したのは4時少し過ぎでした。帰宅したら、私の帰宅を待っていた母に説明をし、2人でおにぎりを食べて気持ちを落ち着け、床に入ったのは結局5時過ぎになってしまいました。本日は朝8時
ひとりになって、正直寂しいうちのこたちが居なければもっと鬱々として過ごしていたかもしれないレオのこともあり友人たちが以前よりも訪ねてくれるようになって友人『もうひとり暮らしなんだし好きな物で揃えても良いんじゃない?』そう言われてあ、確かにそうかも全て、自分の趣味で揃えてしまっても良いのかもと思った
あっ!という間に年末ですね~。今年はなっちんにとって辛い事が多いく毎月何かしらあった年でしたそんな2024年をサクリと振り返ってみます♪1月瑠璃ちゃんの左目も角膜潰瘍に今回は眼科のある獣医さんにキチンと通いなっちんの執念の点眼で弱視程度には見えるようになりました。※父が誤嚥で救急搬送。処置が早くてすぐ退院出来ました2月すずさんのシッポハゲる。瑠璃ちゃんの点眼を「瑠璃ママばかり構ってる!」と勘違いしてか甘えん坊なすずさんシッポを舐め過ぎてハゲが
昨日は父の命日だったからお墓参りに行った父が亡くなった日の朝は晴天だった事を思い出したあれから3年母はすっかり歳を取った感じがする本人も自覚があるようで口ぐせが『もう、お母さん長くない気がする』(そう言う人程、長生きしそうだが…)来年は90歳…同居の弟のためにも頑張ってね除草剤が恐ろしく効果を発揮してほとんど雑草が生えてなかった彼岸花が咲いてなかった球根はいっぱいあった気がしたのだがダメになってたのか…?また、年末にくるね~と挨拶お父さ
ドキドキわくわくする事があまりなかった今年自分ニュースベスト1は父逝去大きな出来事ではあった父が亡くなり私は両親がいなくなった父は晩年レビー小体型認知症を発症して警察呼んで大事になり精神病院を受診してそのまますんなり入院した不眠でとても辛かったようだ父は自己中で外面がよく見栄っ張りお金もないのに多趣味で母は常に大変な思いをしていたし私もいつも何か起こりそうで不安を抱えながら生きていた無茶苦茶な父の事は大嫌いで理解する事はできなかったそんな私が相手を変える事は難しいと
10月17日(火)この日は父のお通夜で夕方自宅から葬祭場へ家族葬にしていたけど友達も駆けつけてくれて心の支えになり感謝母と叔母と3人で葬祭場に泊まり前日3時間ほどしか眠れてなかったけどこの日もなかなか眠れず遅くまで母と思い出話をしていました10月18日(水)この日は父の葬儀で10時からおときのあと12時から葬儀お通夜のトキもでしたが喪主の挨拶があるので涙を堪えて終わって13時に出棺15時頃に火葬が終わって小さくなってしまった父を連れて帰宅叔母を送ってウチに戻
父が亡くなり実家の土地と建物の相続をすすめている今日法務局から建物の登記簿謄本が届いたやっと申請に必要な書類が手元に揃った定額19,800円の安いネット相続に登録してすすめてきた安さの理由は指示された事をほとんど自分でやるからで質問に答える形でシートに入力すると法務局に出す申請書や委任状遺産分割協議書(相続権のある人で話し合って決めたと言う証明書)などを作る事ができる全て終わると申請に必要な書類がPDFかWordの文章が送られてくる今日PDFをダウンロードするところ
父の死後弟の忌引休暇のうちに銀行口座の解約手続きや公共料金の引き落とし変更を行いこれで全てを終わらせたと思っていた勉強不足だったようで今頃手続きが完了してないものもが見つかった一つは電気料金契約者変更私も弟も引き落としの変更手続きで全てできると思い込んでいた実際は引き落としをする通帳だけが弟の名義になり肝心の契約者は父のまま解決するには契約者名義変更をする簡単だけど仕事で日中の連絡ができず代理ではダメという事で弟任せにするしか無いおそらくまだやってないと思うわからん
母親が逝去してから約2年、今度は父が・・・母親の時は、コロナに阻まれ帰国すらできず、結局最後の挨拶はタブレットごしのみで非常に悔やまれる形になった。今回はなんとか俺は帰国でき、間に合った。それでもうちの家族はVIsa取得に時間がなく帰国できなかった。帰国して、二日後、父はなくなった。最後の挨拶ができたのは、本当によかった。にしても、喪主ともなると、やることが多すぎて悲しむ暇はないというのは、本当だった。泣くこともなかった。前夜に、亡骸と一緒に一晩自分のみで付き添え、悲し
父が亡くなった後の実家を片付けている今は外回り敷地内の草抜きと納屋の片付けがメイン目標は1年で家の内外の大まかな整理を終える納屋の片付けに入って3日目写真をみると凹みそうだから撮らないでいる納屋は雨漏りして中にある物が水浸しそれなのに納屋の基礎はしっかりしたコンクリートの打ちっぱなしその上に絨毯を敷いていた絨毯は水浸しで場所によっては朽ち手で引っ張ると簡単に千切れてしまうゴミ袋に濡れた絨毯を千切っていれる匂いこそないけど濡れている物を触るのは気持ちが悪い濡れた
はなでつ。お空の上からこんばんわん🌟今日は、はなの大好きなSたんが、息子くんとお別れの挨拶に来てくれまちたの。はな、たくさん遊びに連れてってもらったんでつ。かあたんから『明日はSさんとお出かけするよ~』と聞いたら、ドキドキ嬉ちくって、お首傾けてかわいいポーズちて、早く早くと前足でかあたんを急かしては『まだ、明日!』といつも言われてまちた。次の日は朝からかあたんを見張って、かあたんがちょっと動こうもんなら、ダッシュで玄関に走って、置いてかれないように気をもんだもんでつ。お出かけバッグに
皆様またまた大変ご無沙汰しています😄この間、年が明けたと思ったのにもう2月も終わろうとしてるなんて、時間の経過が早すぎて実は。。1月14日に父が逝去しました😌年末に入院してから、少しは覚悟もしていたところもあるけれど。。元気になって家に帰れる日が来るんじゃないかと思って実家を片付けたりしてました検査の結果、内蔵に悪いとこは沢山あるし、特に心臓疾患があったので、手術の話しもあったのだけど、手術するはずの2日前の夜中に脳出血をお越し、帰らぬ人になってしまいました夜中に意識レベ
こんばんは~、天草美咲めだかです❗今年初の投稿になります。昨年(2022年)も色々ありました。仲が良いと思ってた人に裏切られたり、陰口たたかれたり😂メダカがもちろんメインですが、人間関係で上手くいかず人間不信になるような事が多々ありました💦もちろんそんな輩とは今後一切付き合う気もなく、やられたらやり返せの昭和気質のクソ親父なんで別にエエんですが😆一番堪えた極めつけは、今年(2023)元旦に天草の義父が逝去したことです。享年79才、良くも悪くも私がメダカ屋になるきっかけをくれた方で
渡辺徹さん、ご逝去されましたねまだ61歳…私とあまり変わらない年齢太陽にほえろを観ていた世代としてはとても残念です。心よりご冥福をお祈りいたします================『敗血症』って父の担当の医師から何度も聞かされた手術中の状況説明の時も手術後の一番心配な病気だと『抵抗力が弱っている時に感染症になったら敗血症になります』『敗血症になったら多臓器不全になります』どんな症状なのか、よくわからなくてそれが大変なことの実感もなくて「そうな
父の1周忌も済んだタイミングでお洋服を少しずつ処分することにした母の希望なんだけど…父は背丈があまり高くないのにお腹が大きかったので…『お太鼓腹』っての?洋服選びがホントに大変だったお腹周りだとLLサイズなのに着丈とか袖丈はSサイズバランス悪…(笑)ステロイドのおかげ?で顔は真ん丸だし(これは余談だわ)弟が着られそうなセーターやベストを捨てずに残したけど全部着られるはずもなく…誰も着られないハーフコートやシャツをトシ叔父さん(父の弟)に貰ってもらうこと
こんにちは~少しだけ空きました…1週間前に父が逝ってしまいました無事に通夜、葬儀、七日法要を終え今日はいつもの生活に落ち着きました激動の1週間でした…わからない事や新しく知る事が多くて親戚と実家のご近所さんにいっぱい助けていただきました人の温かみを沢山感じました♡同時に無責任さも感じました…笑実家のご近所さんは家族以上に残った家の心配をしてくださいました本当に有り難い事です弟も私も遠方なので今後の処理には時間がかかりますがひとつずつ潰していきたいと思っています
命日とは言っても何も変わらない朝起きてお弁当作って仕事に行っていつもの日常生活でも、ふと思い出すのは『危篤状態』と連絡を受けて病室に入った時の苦しそうな父の顔とかす~っと息が止まった父の姿とか大学病院を出る父の車を見送った時地下通路から見える夜空の風景とか断片的に思い出すブログに書いているからあ~そうだった…と思い返せるうん、ブログはありがたい(話がそれた…)後悔という訳じゃないんだけど叶うなら、手術後の父と話がしたい「痛い」とか「キツ
命日より早いけど日曜日に一周忌法要をした思い出すことも色々あるけどまずは無事に済んでよかったお弁当は恒例の『梅の花』安定の美味しさお父さん、どこかで見てるのかな?
毎年、会社の健康診断が8月の第3金曜日にあって問診票を受け取った日あたりからなんだか心がざわつく様になった理由はわかっているこの日を思い出すからどうしても心がざわつくんだよね母は『検査はしなくていいです』と言って病院から家に連れて帰ればよかったとずっと言っていてもちろん、それは無理な話なんだけど…退院なんてさせてくれるはずがないのにね私と弟は『検査入院なんてさせなければよかった』とずっと後悔してるどっちみち父の寿命は変わらなかったと思うでも、
24日は父の誕生日だった生きてたら90歳だった去年は入院中で退院したらお祝いすればいいやと思っていたのだが…父は家に帰ることができず89歳のお祝いはできなかった今年は去年の分も併せてお祝いしたご本人もいないし奥様もいないけど…奥様…緊急入院してしまいましたこれは後ほど更新しま~すお話がてんこ盛りです(笑)子供たち3人で焼き肉してケーキを食べたよ『お父さん、お誕生日おめでとう』大好きなチョコレートケーキにしたよビールお供えするの忘れてた~ごめ
いつからか、母の口癖が『な~んもしょうごとないと』すごい博多弁ですな…訳しますと…(笑)な~んもする気にならないのという意味です暑さのせいか体力が落ちているせいかはたまたただ年齢的なものなのか父がいなくてハリがないのか?よくわからない…「そんな時もあるよ~」とか「涼しくなってからでいいよ~」とか適当に答えているしたくないものを無理にさせてもね~そうは言っても毎日の夕飯は弟の分もちゃんと作ってるし下手したら私より夕飯作ってる87歳…頑張ってます
今日が修行の終わる日、父の四十九日。仏陀が悟りに至るまでの修行を77日間行ったので7X7で49日になるのだそう。世の中たくさん方便があるものだ。ともかくは、お疲れ様でございました。こちらはツツジが満開でございます。にほんブログ村ヨガ・ピラティスランキングオキシャンティのサイトHPはこちらから。
先々週の日曜日闘病生活一年間の末、静かに伯父が旅立った父が亡くなってまだ5ヶ月しか経っていないのに私とケーちゃんは同じ年齢で父親を亡くした元気いっぱい伯父だったから心臓が悪くなって寝たきりになってしまってから「何のために生きているのか?」なんて言ってケーちゃんに怒られてたけどきっと今はペースメーカーも杖も使わずに動き回れてるよね。ウチのお父さんに会えたかな?お父さんが亡くなったこと内緒にしてたからきっとびっくりしてるに違いない「なんでおると?」って言ってるはず(
父が逝ったと妹から真夜中に連絡を受け、同日のフライトで東京入り。それから葬儀までの九日間、父と過ごしました。両親の家のある地域は火葬場が少なく、コロナの影響が出る前から遺体衛生保全/エンバーミングという処理を行い、荼毘に付すまでの時間が長くとられるようです。父の最後の1年半を毎日介護した母と妹には、私とは別の想いがあるでしょう。納棺のため葬儀前日の午後に連れていかれる際には、普段あまり涙を見せない母も声を出して泣いていました。私はと言えば、父を失った自分の悲しみというよ