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今日で3月も終わり。3月は業者もびっくりするくらいの異常な仕事量で😱父親の死を寂しがるどころではなかったけど…今日までと期限が決められてた大きめの仕事もひとつ終わりとっても疲れたので久しぶりにお一人様映画🎥もちろんナイトショー😆久しぶりのプペルは、前回のプペルの内容をほぼ覚えてなかったんだけどw関係無しに楽しく見れました😊なんかディズニーを意識してる感じもあったし、千と千尋の神隠しの要素もあったと思います。凄いエンターテインメントでした。めっちゃリフレッシュ出来ました!
まだまだ寒いわ。身体の調子が非常に悪い。ブログの更新も頻度を減らそうか考えている。まぁ、ただでさえ週一更新になっているからこれ以上減らしたらどうなるのか。父親の死から一年経ちました。いまだに精神的やられている。何もならない雰囲気。しばらくゆっくり休みたい。衆議院選挙は自民党の圧勝。高市総理の有能さを感じさせる選挙。強い日本は作ろうとしているからな。阪神は練習試合は不調の模様。若い選手主体とはいえ大丈夫なのか。今年は中日が台風の目になりそう。
えっ?サナギがいなくなってる。どこ?なんで?風?風で…切れた?そんなわけないよね。ショック。救ったつもりでいたサナギも不意の事故で中が空っぽだったことが判明。いなくなったサナギも中は空だったのかな??せっかく怖々幼虫を見守り育ててきたのにそんなぁ。。*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。..。.:*・゜゚・*先週から体調が悪くて。めまいが酷い。土曜日は一日中クラクラ。なんだろっ。冷静に考えるとこの時期こんな事が多いだったわ。ここ何年か大丈夫だったの
父が亡くなって2年が経つとにかく健康で、自営業であったため健康診断もほとんど受けていなかった父が69歳を過ぎてから、病院通いの日々に…81歳で亡くなるまでたくさんの病気や怪我と闘っていたなぁ大腸がん心筋梗塞脳梗塞眼窩底骨折腰部脊柱管狭窄症手術、抗がん剤など頑張って治療して驚くほどの回復力で元気いっぱいに過ごしていたのに膵臓がん、ステージ4余命半年の宣告3ヶ月後には天国に行ってしまった最期はホスピスに入り家族で看取れたこと葬儀、お墓選び、ブログの情報にもと
今日は全国的に成人式。うちの次女もその一人だ。私は仕事だったので、出勤前の7:50ごろ次女が着付けをしてもらっている美容院へ立ち寄り。ちょうどヘアメイクをしていた。「じゃいってくるから。終わったら会社来て記念撮影しよ」と、振り袖姿の次女が、私の会社に行くプラン笑その後、長女の運転で次女が私の職場へ到着。その後、別事業所に入居している私の母の元へ移動。
今日は今年のまとめでも。ことしも受難は続きました。両腕骨折はなかなか良くなりませんでした。2月に父親の死があり経済的にも精神的にも苦しくなり趣味活動がほぼ出来なくなりました。撮り鉄にも模型にも取り組めなくなりました。そして就活も相次ぐ不採用でした。ほぼ何も出来ず家で横になりスマホばかり見ていました。体力も仕事の水準も落ちたままでした。それでも事業所で受付作業や電話対応の実習や両腕骨折の保険が入り実りもありました。漫画も色々と読みました。これで価値観が広が
私は、愛と安心の中にいますいつも、守られています父親の死から、わたしは、いろいろあったし、沢山の考えと思いが積もっていたんだ父親の記憶は、棺桶の中なんでこんな面白いテレビの番組と同じところにいるのだろう。と4歳の私は思った。そして、大泣きしている母親を見て、悟った私は、ハンカチを渡した。「泣かないで。わたしがいるから、大丈夫だよ」と。母は、私を抱きしめ、その日から私のまえで泣くことはなかった。
7年程前に急死した父私の中で父の存在は余りに希薄なもので、実父でありながら、他界してから何年経つのか、亡くなった日付も正確に思い出せない元々アルコールへ依存傾向があり、退職後摂取量が増え、それに伴い体調の悪化を自覚していたはずだが、通院することもなく、ある晩自宅で倒れた救急搬送された時には手の施しようがない状態で日付が変わり朝を迎える前に息を引きとった他県に住んでいた私が連絡を受けたのは早朝のことだった連絡を後回しにした理由を母はあれこれ説明していたが、よく覚えていない
令和7年9月3日(水曜日)今日は父親の祥月命日です昭和42年9月3日享年29歳私との写真は七五三の時のしか残ってませんがバイクの後ろに乗せて親戚の家に行ったりして凄く可愛がってくれました遺影はその時のを使われてましたありがとう先日お墓参りに行った時に母はあと20年待ってねと言ってきたそうです
そこから、人生が崩れていく感覚を味わっていった。涙って無くならないんだと知った。思春期の父親の死。しかも自死。大事に大事にされてきた私。「結婚するときは、一度目の挨拶では絶対に許さない」ずっとずっと言われて育ててもらってた。私がお父さんのこと、嫌がってなければ死ななかったかもしれない。私が殺したんだ。この思いがここからずっとずっと何年も続いていった。
みなさん、こんにちは。ムシムシと暑い8月☀️テレビでは広島・長崎の原爆投下の番組特集が組まれる時期。外は蝉の大合唱。7年前の同じ時期。半年の闘病の末、1番の友人でもあった父が他界した。あのとき火葬場の広場では悲しさが紛れるほどの蝉の大合唱が行われていた。今でも蝉の合唱をきくと、当時の情景が鮮明に思い出される。今も私の夢に時々現れる亡き父へ。これからもどうか見守っていてください
弟は弟姉貴大丈夫?私うんお父さんは?弟家に帰ってきたよ私え?大丈夫なの?弟え?姉貴知らないの?私何が?弟9:44に天国に行って今家に帰って来たんだよ私え?お父さん死んだの?弟(嗚咽)弟は母から聞いていたと思って自分の夫が癌で余命宣告を受けているのに父親の死を聞いて私のことを心配して電話してきたのだったベッドに横になりながら小声で話していたけどロビーへと移動した弟は術後のコータンのこともあるし私の動ける時に合わせて通夜と葬儀を決め
今朝は父親の死があった。加瀬亮、早々と退場・・・母親や父親の死は朝ドラに不可欠なフラグだが、まだ始まったばかり、来週はどうなるでしょう🏃♀️#きょうのあんぱん🖌電話を受け、朝田家にやってきた寛。「結太郎さんが、帰りの船の上で…」#江口のりこ#吉田鋼太郎#永瀬ゆずな#竹野内豊#朝ドラあんぱんpic.twitter.com/rnOdje0Uid—朝ドラ「あんぱん」公式(@asadora_nhk)April3,2025
まだまだ寒いわ。父親の死から1週間以上経ちました。なんとか精神的に落ち着きつつあります。いつまでも悲しみ落ち込んでいても父親は生き返らないしお金も戻らないからな。前を向いて行きていかないと。明日は父親の葬式。通夜は家族葬のためない。明日、最後の別れをする。おそらく毎日、線香を上げる事になるだろう。気を持ち直していかないと。
まだまだ精神的に辛いわ。父親の死に関する手続きは弟2人でやっているがこちらも精神的に辛いわ。一応、精神科の主治医や仕事先のスタッフや同僚に話を聞いて貰って多少楽になったが。ほぼ、読書も出来ずにスマホでアメブロとnoteを見てばかり。SHOWROOMの雀荘ハコテンさんで打つのが気休めになっているが本当にしんどい。みんな精神的に辛いが頑張っているから頑張らないと。トランプ大統領がプーチン大統領とウクライナの事で会談している。ウクライナ抜きの会談はありえないと周りでは言
今日は暖かいわ。今の近況でも。金曜日に父親が亡くなりました。土曜日に葬儀会社と打ち合わせをして来週火曜日に葬式になりました。今日は銀行の手続きや親戚への連絡や年金の手続きを弟が行いました。私は取り立ててやる事はないので明日、仕事先に行き給料を貰い話を聞いて貰おうと思います。父親の死に関する手続きは母親と2人の弟でやるみたいなので。私は精神を乱して錯乱状態に陥らないようにすることだけみたいです。やれる事があればやりますが。明後日の通院の日に精神科の主治医と
昨日父親が亡くなったことをブログに出したらアメトピに掲載されましたアクセスが凄いことになっている(私の感覚ですが)ので父親ネタを続けます父親を見送った後、自宅に戻り子どもたちとお酒を飲みました父親(じいじ)との思い出を語り「最後の会話は何だった?」のかと話しました父親は約10年前に3回目の脳梗塞で失語症になり「あー」しか発することが出来ませんでした話せなくなる、その前の会話、、、どんな状況が最後だったのかは3人とも記憶にありませんただ、私には不思議な出来事がありまし
1月28日父親(86才)が亡くなりました母親から最近調子が悪いと聞いていたので12月は2度会いに行きました最初に家族で帰省し、父親の様子を見た時には正直年を越すのは難しいのかなあと思っていたのですがその後少し回復した様子で安心していたところでした亡くなった日は母親が父親を床屋さんに連れて行こうとしていて父親が先に外に出て後から母親が出たら父親が玄関の先で倒れていたそうです父親は心不全心臓にICDが入っています来月電池交換のオペ予定でした脳梗塞3回
父親が亡くなって49日が終わり、2ヶ月近く経ちました。亡くなってすぐの時は、さすがにきつくて、亡くなった当日に長電話をしてきた職場や、亡くなって2日目に沢山笑い話をしてきた弔問客には悪気はなくてもこの状況で笑うのはきついと思いましたでも亡くなってすぐの時に思ったのは、旦那を初め、お父さんを亡くしている人は沢山いたので、みんな先輩で同じ気持ちを経験している、親を亡くすのは誰もが通る道だと思うと心強かったです職場の若い子もお父さんを亡くして、しばらくは鬱っぽかったと言っていたな、お父さんと仲良
昨日は、歯医者に行って、親知らずの抜歯後のチェック。10秒で終了。変わらず穏やかな先生。今度歯の全体のクリーニングをお願いする予定。歯医者から、そのまま中央駅の前を通り、お店で買い物をして、市立図書館へ。1年ぶりの図書館。いつも日曜日に来たいと思いつつもずっとこれずにいた。この市立図書館はとても広いけどいつも混んでいるなーと思う。たくさんの人が勉強したり、本を読んだり。30分だけ大学の教本を読み、娘の小学校へそのまま迎えに行き、ママ友に誘われて、いつもの児童館へ。
去年の今頃、夢の中での亡き父との再会を歌った曲を作っていました。dearfather,あの世とこの世、繋がる世界byK&KaiSaシングル•2024年•1曲•4分linkco.re仕上げに差し掛かっていた頃、母からLINE「今朝、父の声が聞こえた!」と。お墓のことで悩んでいた内容の答えを、父がくれたそうです。「確かに、父の声だった。」「起き抜けに、どこからかともなく聞こえた。」とのこと。ーーーーーーーーーーーーーー柔らかな光が来て急な合
今年の年末年始は今の所大きな事件も事故もなく平和に過ごしている。去年とは大違い笑このまま何事もなく終わってほしい。。我が子達はとても強く父ちゃんが亡くなってからも元気いっぱい。娘に関してはノーダメージ。さすがに将来が心配。苦しくても病気と必死になって戦っている方に対して温かい言葉をかけられないんじゃないか。死に対してあまりにも冷酷すぎてなんなら私が病気になっても「まぁ、人はいつか死ぬものだし」と看病をしてくれないとか笑息子や娘が父親の死に対してあまりダメージを受けてない原因を
裸足のマリー1994年12月17日(土)公開妊娠した少女が、年下の少年と出会い、その少年の母親を探そうとブリュセルからリスボンへ2人きりで旅をし、様々な体験を重ねるうちに成長していく、というロード・ムービー。あらすじマリーはベルギーの田舎町に離婚した母と2人で暮らしている高校生。夏休みを目前に控え、ベンというプレイボーイを相手に彼女は妊娠する。そのことを母親に知られ、一緒に病院へ行く事になる。しかし中絶手術が始まろうとしたときマリーは逃げ出し、ディスコへ。そこでベンと出会い妊娠を告げ
久しぶりの投稿となってしまいました。10月に父を亡くし、なんとなく投稿する気になりませんでしたが2ヶ月経ちやっと投稿する気持ちになりました。義理の母が亡くなった時もとても悲しく、しばらくの間、思い出しては涙してましたが、この度の父の死はそれとは比べ物にならない(義理の母には申し訳ないが)悲しみが襲ってきました。とても不思議な感情で「人って本当に死ぬんだ」とか「親って死ぬの?」とか「本当に死んだの?」とか未だに信じられないような気持です。※なかなかのイケメンじゃないですかぁ〜?私が高校生の
呪われた絵画2024年11月15日公開「テリファー聖夜の悪夢」のローレン・ラヴェラ主演で贈るイタリア製ゴシックホラー。中世の絵画修復の依頼を受けたリサは、美しい女主人エマと娘が暮らす豪邸で、焼けただれた絵画の修復に着手。ところが、次第に悪夢に襲われるように……。あらすじ著名な絵画修復師の父親の死後、イタリアの小さな町で中世の絵画修復の依頼を受けたリサは、その絵画のある豪邸に向かう。道中、出会った生物学者たちと意気投合。辿り着いた屋敷には、美しい母エマと人付き合いの苦手な娘が暮らしていた
第7話を見終えました父親の死さてお話は昨夜の事件は副総理を毒殺し飛鷹(反町隆史)を人質に取った高見を加勢が射殺で処理かそんな加勢が爆発に巻き込まれ殺害された10年前の警官連続殺人事件に酷似10年前仲間の久常が爆発に巻き込まれ死亡当時警官:阿澄から久常の情報久常は誰かにつけられているとの相談オクラの捜査を疎ましく思う者がいるのか結城は倫子(白石麻衣)の為にも捜査を止めようとしたが飛鷹が強引に捜査を進めフルフェイスの犯人を追跡した先で飛鷹
『暫くお休みします…』父親が亡くなったと母親から連絡がありました。90歳まで生きたので十分な人生だったと思います。ameblo.jp『無事に葬儀終わりました…沢山のお悔やみのいいねありがとうございます。』昨日葬儀、火葬終えました。父親は施設に入居して僅か1ヶ月でコロナに罹り救急搬送され病院で2か月過ごし次の転院先も見つかり少し安堵もしていましたが…残念でした……ameblo.jp『父親の葬儀に関する記憶ー①昨日、上京しました①〈(•ˇ‿ˇ•)-→⟵(๑¯◡¯๑)』昨日、上京しました。ブ
ラストホール2024年9月6日公開「退屈な日々にさようならを」「少女邂逅」などインディーズの話題作に出演する俳優・秋葉美希の初長編監督作。父親の死から背を向けて生きてきた娘・暖。6年後のある日、故郷からやってきた壮介によって、父の残した1枚のメモを辿る旅へと連れ出され……。あらすじ"忘れられない"を乗せて走る。父・陽平の死から背を向けて生きてきたダンサーの暖。やがて踊ることを止めてしまった彼女は、故郷からやってきた幼なじみの壮介によって、陽平の残した一枚のメモに記された場所をたどる旅へ
(これは2020年の記事です)海外旅行から戻り、父から連絡が来ました。体調がよくないと。そして、使える抗がん剤をもう使い尽くして、打つ手がないと主治医に言われたというのです。父は癌が見つかってから約10年、色々なことを乗り越えて来ました。それは、本当に色々なことを、です。私は子供の頃から父が大好きでした。いつも好き勝手決めてしまう私をありのまま認めてくれて、私の決断を応援してくれて、私が悲しいときにはさりげなく察して寄り添ってくれる。大きな愛を持つ、優しく穏やかな父
亡くなって2か月目に初めて見た夢は、結婚式場?のような場所でテーブル席に腰掛けて姪っ子と談笑する父の姿でした。目があったりもしませんでしたが、幸せそうにおしゃべりしている姿をみて泣けました。亡くなって5ヶ月目にみた夢では実家の洗面台に現れ、母のお化粧品を頬にパタパタしてふざけて遊ぶ夢でした。その後リビングを一緒に一周しつつ隅になぜか武器を備えていき終始楽しそうな姿でした。亡くなって8か月目の夢①は、父が直接でてきたわけではなく知人がみえるひとで、父がご挨拶に来たよと報