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無事葬儀が終わり、火葬も終わり、家路に着く。父の兄弟家族で少しだけの人数で簡単に食事を取り、私の夫は仕事の為そのまますぐに関西に帰った。夫と父は釣りに趣味も合いお酒も呑めるから毎年子供達連れて帰ってくると釣りに行ってお酒も飲んで…と言う仲だった。みんなが帰って、女ばかりの家になった。祭壇の父に話しかける。「今日はいっぱい人が来てくれたね。」四十九日までは家にいると言われていたから、いつも話しかけていた。しかし、どこを探しても父はいない。昼間もきっと何処かへ出掛けているような…そんな錯
父を乗せた霊柩車には母が一緒に乗った。後に娘達の車、妹達の車、親戚の車…一体何台の車が連なって行ったんだろう。父が通い慣れた道を…田んぼや畑の小道をわざわざ通って、霊柩車に続いてそれぞれが40分ほどかけて、メモリアルホールに着いた。相変わらず雨は降り続いていた。祭壇の父の遺影は、私の上の娘の結婚式の時の写真を使った。孫娘に囲まれて幸せそうに笑っている、いい顔の父だった。沢山の供花祭壇の花に囲まれ、とても豪華だった。今まで苦労して働き詰めの父にはピッタリの盛大な葬儀になった。お寺の住
2/21午前4:00まだまだ暗い街を葬儀屋の車に乗って逝ってしまった父とそして母私の3人と運転手さん。高速ではなく下道を病院から遠い実家へと帰る。まだ街灯がオレンジ色に光る道、県庁所在地のあるこの市内を何度私を関西方面に向かう電車に送り迎えしてくれただろう。この街ともお別れだよ。ここはよく来ていたパチンコ屋、ここは私を迎えに来て帰りに買ってくれたお饅頭屋、ここでご飯良く食べに行ったよね。そして、薄明かりな空にぼんやりと風景も見える時間、やっと、父の住む町に戻って来る。ここは私達の卒業し
2/21午前1:44が父の死亡時刻。呼ばれたのは午前2:00を回っていたから、看護師さんはI先生を呼んだり処理したりしていたんだろうか。電話はその前にあったと思うが病院に着いて病室に入った時刻には父はもう息をしていなかったし。それから、妹はすぐに知り合いの葬儀屋の友達に真夜中なのに連絡していた。(顔広いもんだなあ。救急隊員や葬儀屋の知り合いまでおるんか)ある意味感心した。4:00にお迎えが来ると言う。その間2時間弱、一階の自動販売機で帰りに着せる浴衣のような物を買いに行く。湯灌を看護
5ヶ月前の今日の未明、2/21午前1:44父は一人で逝った。実家が病院から2時間、12日間市内でビジネスホテルでの寝泊まり。毎日毎日あれだけそばにいたのに…なんで1人で逝った。どうして待っててくれんかった。妹(次女)に病院から連絡が来ることになっており、毎晩ヒヤヒヤしながら、ろくに眠れず過ごしていた12日間。とうとう呼ばれてしまった。夜中、妹の切羽詰まった声での電話で起こされる。「呼ばれた!私は走って行く!お母ちゃんを頼む。」隣で寝ていた母を起こす。「お母ちゃん、用意して…ホテル出るよ。
父が入院中は私達はずっと病院の中にいた。たまに気分転換に近くの商店街にも行ってみた。花が好きな母に買って行こうかと思った時もあったが、父がこんな時に、呑気に買える事も出来ず。ブラブラして病院に戻ったり。気分転換でもしない限りみんなが長い看病で疲れもピークだった。2/16は滅多に降らない雪が夕方から本降りになっていた。父が家で「冬は雪でも降らんと冬らしくないねえ。」一度私が実家に帰って雪が積もった事があったが、外を見ることもない父だったし、抗がん剤治療の副作用かボケも始まっていた。「降ったや
C病院の近くのビジネスホテルに寝泊まりするようになって何日だろうか。朝は「ああ昨夜も夜中に呼ばれずに済んだ」と安堵し、ホテルで朝食をとって歩いたり、母は足が悪いので、近くても義弟の車で病院に向かう。今日も何事も起きませんように。C病院の入り口で検温…受付では、もう顔も名も知れていた為反対に毎日大変ですねと労ってくれる受付の方もいたりして。父の病棟の7階まで上がって、ナースステーションで挨拶して病院に向かう。これが日課になっていた。個室だったので、このご時世のコロナ禍の面会は他の人は禁止さ
一般病棟の個室に移動した父。この部屋にはバイタルセンサーがなかった。今までICUの個室にあったバイタルセンサーを毎日チェックして、血圧や心拍を見て安心したりしていたのに、これから看護師さんにいちいち聞かなくてはいけなくなった。一般病棟だから、看護師も違う。ちょとやそっとで来てくれる事もない。母と三女、私と次女のペアでの面会がほとんどだった。なんせ、三姉妹実は仲がよろしくないのだ。1番性格キツイ次女に対していつものんびりの長女の私と三女。三女はできる限り次女とは一緒に居たくない。次女もそう
2/9、関西方面から来た父の弟2人。父は7人兄妹の2番目。上の兄とすぐ下の弟が近くにいる。妹が一人その人もすぐ近く。後の3人の弟は関西。一人の弟は後から来る事になっていた。そこからC病院にやってきた。私の娘達も同じく関西。コロナが落ち着いてない最中、病院は全て検温して入らなければならない。大勢で押しかけたような状況だった。コロナの時期でなく、普通の今まで通りなら、きっと全員が父に会えた。なんの支障もなく。もう会えない。娘達は泣いた。ところだったがI先生の計らいで、一人1分顔だけ見て出
パニックになっていた3人、オロオロする母。とにかく次女に電話した。「早く‼️早く来て‼️お父ちゃんが‼️」救急車の手配は次女が…知り合いの方で救急隊員の人もいた為。近所に住んでる父の弟を呼びにいく。昼に来ていた訪問看護師さんも呼んだ。近くだからすぐに来てくれた。が、私はこの看護師には、少し疑問が残る。どうせもう末期の癌なんやから仕方ない的な言葉を発せられたからだった。そんな慌てんでもええとか、お父さんは家で死にたいんやったよね。的な。ソリャ、このまま置いといたら死ぬさ!そんな事さ