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今日は父の葬儀です。父が亡くなってから8日…30日に安置所に会いに行ってから、今日の葬儀まで1度も会っていません。葬儀が終わって明日から色々な行政の手続きに追われる日が待っていて、落ち着くのはいつなのかな〜と不安になります。何もしないやろうともしない母。仕方ないと思うけど、苛々をぶつけて来て当たり散らし「あたしはボケてるからしょうがない。」と開き直るばかりで、それを受け止める優しさや強い心を持ち合わせていない私はメンタルが保てるだろうか。家にいれば主人や娘息子がいる。いつも話を聞いて
昨日、仕事をしていて、、、、お客様の、お見送りでドアを開けたら、、、外に男性が立っていらっしゃいましたよ!(誰だろう?わからないな?)なんと和裁の先生の、息子さんでした。。。(整形外科で、よく会っていましたけどね)なんか以前より、痩せた感じでしたよ。。。『母が大変お世話になりました』と、、、わざわざ、ご挨拶に来てくださいましたそれで(家族葬)ということですが、、、私は、参列しても良いということでしたありがとうございます。。。🙏私にとって、母のような方でしたから、、、是
父の葬儀に参列して下さった皆さんから「お母さんにそっくりやねえ」と声をかけられました何人も、何人も・・・確かに鏡に映った我が姿を見て「お母さんがいる!」とギョッとすることがあります父の悔やみに来てくれた従妹たちを見て叔母にそっくりになっているのにびっくりしました「おばちゃんそっくりになったねえ」と言うと「あんたも、おばちゃんとおんなじ顔タイ!」お互いを指さして大笑いしました
令和6年3月27日父が97歳の人生に幕を引きました急性心不全と病名が付けられましたが老衰による心停止でした亡くなる直前までテレビで高校野球を観戦し介護施設の職員さんと談笑していたそうです私は臨終には間に合わなかったのですが父の穏やかな美しい死顔を見てこれは成仏したなと確信しました父の葬儀では、私が弔辞を読ませてもらいました私しか知らない父の生き方を皆さんに知って欲しかったからです弔辞お父さん、97年の人生本当にお疲れさまでしたお父さんに「この人生、いかがでした
ノリがいい娘は食後に~額に飾られたエリザベートの真似をしてました(笑)そんな母親の姿を見守る孫は苦笑💦
こんばんは!ヤー竜ちゃんのお寺の御住職にお経をあげて頂き、私達親族は、安心して父を送ることが出来ました。通夜の朝、母に写真を出して貰って、パソコンでスライドショーを作成して会場のロビーで流してもらったり出棺の際には、父が好きだった曲を流したいとマネージャー(ぐっさん)に相談したところ、素早く用意してくれて座頭市のテーマ曲で棺にお花や好きだったものを入れることが出来ました。私が子供の頃、父は、酔うと座頭市(勝新太郎さん)の歌を唄ってものま
父が亡くなってから3週間。葬儀の御礼、カード類の手続き、引き落とし口座の変更、名義変更、役所、郵便局、銀行、税理士さん、保険屋さん、ものすごくたくさんの人と出会い、話し、すべてに感謝することばかり。もちろん日々の仕事もあり、深夜に泥のように眠りにつく毎日でした。そんな3週間の間に、身辺の変化や小さな事件もあり。排水管が外れて水浸し(ヘドロ込み)になった。幸い私は留守にしていて、殿がヘドロを全て拭いてくれた😅ごめん。慌てて知り合いの水道屋さんに来てもらったものの、部品取り寄せに時間がか
「父と私達に起こった一連のことはあまりにも異常な出来事だったから、その頃の私達はちゃんと受け止める事が出来なかった。天災とか空襲とか通り魔とかみたいに、起こった事があまりに重大過ぎて失ったものがあまりにも計り知れないから、うまく飲み込む事が誰も出来なかったの。父の親戚とすったもんだしてる時も父がいなくなっても、こんなに異常な事が起こっているのに、その間ずっと母は仕事に行ったし私達は学校に行かないといけなくて、日常の生活は普通に続いてた。父が亡
父が急逝し、あっという間に2週間が経ちます。高齢ではありましたが、1時間前まで普通に会話をしていたので、あまりに急なことでした。葬儀からその後の手続きなどいろいろなことがありすぎて、どう過ごしていたか思い出せない状態です。死後数日経ってようやく、後悔と呵責の念に堪えられず殿に聞いてもらいながら初めて泣きました。その後はただただ忙しくしています。足の悪い母と一緒に過ごすべく実家に泊まりながら、自宅と職場とくるくる回って1日が飛んでいきます。多くの方々への感謝をひたすらに感じた2週間でし
ご無沙汰してますm(__)m先週、1/23ある講座を受講してる時父からの着信が2回ありました。。。その時は急ぎかな?思っていましたが17時前に今度は父の妹の叔母から着信があり何かあった!!?17時の講座終了後直ぐ叔母折り返したところ最初、父から連絡があった頃父は亡くなったそうです。。。奇しくも、1/23ひふみの日は11年前、私が生まれ変わった!っと思った!私のもう1つの誕生日でした💦毎日の日課のお参りで服部天神さんは干支別にお祀りされてますので!家族、両親、兄弟
ラブバトル2015年4月4日公開ジャック・ドワイヨン監督が、セザンヌの名画『愛の闘い』から着想を得て、肉体のぶつかり合いを通じた1組の男女の葛藤と愛の交歓を描いたドラマ。あらすじ彼女が久しぶりに故郷を訪れたのは、父の葬儀のためだった。葬儀を終えた彼女は隣家に足を向ける。その家には、男が1人で住んでいた。彼女は男に“父の遺産整理をするため、姉と共にしばらくこの地に留まる”と告げる。だが、男の態度は冷ややかだった。かつて2人は、男と女の関係になりかけたことがあったのだ。まだこの土地で暮ら
皆さん、こんばんは。色々ご心配をお掛け致しました。父が亡くなり今日で1ヶ月...。正直言うとまだ父が亡くなってしまったと言う実感がありません。我が家に父の写真を飾るスペースが出来そこにお供えする物やお花を買う時これ父が好きだったんだよな〜って手に取ると急にグッと胸が苦しくなり涙が溢れて来てしまいます。あんなに怖くて嫌だったはずの父なのに。父が亡くなり私達は翌日の仮通夜に間に合う様に自宅を出ました。実家に到着したのは午後3時前。仮通夜は午後4時。父の遺体と対面しよう
『見送りました。』本日12月14日に一日葬というカタチで私、主人、息子の3人で父を見送りました。お天気にも恵まれて滞りなく式を終えることが出来てホッとしています。ameblo.jp葬儀を終えて、自宅に戻ってからお花を買いがてら精進落としの食事に行きました。6、7年前のお墓参りの帰りに父も一緒に行った銀座ハゲ天にて店長おすすめグルメコースをいただきました。お造りご飯と赤出汁天ぷら「じいちゃん喜んで食べていたよね…」と話しながら、調子に乗っておかわり〜(おかわりは白ご飯ですがこっ
こんにちはm(__)mAmebaで人気のブログモラハラ夫さんとの闘病生活を書かれた主様この度、モラハラ夫さんが、逝去されました。モラハラ夫さんの御冥福を心よりお祈り申し上げますm(__)mまだまだ葬儀に向けてもモラハラ夫さんのモラハラ親族達と大変そうでございます。お疲れが出ませんように。モラハラ親族さんとのゴタゴタを読んでいたら七年前に亡くなった父の葬儀を思い出しました。我が家も色々あり弟は、暴言吐いて父の骨を拾わず帰ってしまいました。祈りのうちに
usaginobousuさんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me葬儀費用、私には払いたくないなー。家族のみの出席で56万円エーびっくり。喪主の花も出せないよ。世の中の人は、お金あるんだなー。今更ながら気づいた。お父さんの死亡保険、大学費用に使った私がいけないか。母の葬儀はたしか120万だったから、半分におさえたけど。まだ高い。お坊さんに10万くらいかなー。お坊さん優しいから最低5万でいいと言ってた,でもなー。私が一人で出すのかー。まだお父さんの
こんばんわとんちの一休さんは、実在の人物です。1394年に生まれ、1481年に亡くなりました。享年なんと87歳。当時としては大変な長寿でした。あるとき一休禅師は、信徒の方からこう聞かれました。「一休禅師、夕焼けの空を見ると、西のほうが黄金色に染まっていることがあります。ものすごくきれいに映えていることがあります。夕焼けの下のほうを照らしている結果として、下のほうが金色に輝いて見えます。そういうときがあります。西方浄土
父の葬儀は無事終わったものの、手続きはまだ終わらない。まだ四十九日もあるし、遠距離なのでそのときに年金事務所や役所にも行かないと行けないし、荒廃した実家にも寄らなければならない。手続きに必要な書類を郵送で準備したり、やることはなくならない。お香典は辞退したがやはり数名頂いた方がいるのでお香典返しの準備もしなくてはならない。家事も出来ないし。葬儀から帰った日に発覚したのだが愛犬に癌が見つかり、手術をしなければならなくなった。ワンコは至って元気なのだけど、心配だ。気がかりが消えない
葬儀の打合せを終えて、1週間後の葬儀まてにはやることがいっぱい。なんといっても母に聞いたり相談したり出来ないこと、一人っ子で頼る人がいないこと。両親がお金を残してくれなかったことが辛い。主人なんか一切あてにならない。お金を出してくれるのは感謝するけど。親戚に知らせるだけでも大変。手分けできないので、時間がかかる。町内会長さんに知らせてからあっという間に広まったようで(田舎なので)血縁的に近しい方から知らせていったのだけど、少し遠い親戚からは聞いてないとかの声も聞かれて落ち込む。実家方面に向かう
慌ただしい日々が終わり、昨日から鑑定を再開しました。父と母は晩年よく、「人間死んだら3日で片付けられてしまう。だから今のうちに美味いもんを食べとくんだ。」なんて笑っていましたが、水曜日に父が亡くなり、金曜日にお通夜、土曜日に告別式〜納骨まで終わり、本当に3日間でお墓に入ってしまいました。日曜日に横浜に戻ってきて、久しぶりにぐっすり眠りました。明日はまたお寺参りの為、御殿場に行き、四十九日法要の相談などを姉達としてくる予定です。明日は雨の予報ですが、先週はずっと天気が良くて、お
父の葬儀が無事終了した田舎の近所付き合いは両親に任せっきりで近所の人とはほとんど挨拶ていど地域の活動とかにも参加したことがない葬儀の時に弟と並んで前に立ちこぢんまりとした会場を見渡す自分ひとりと思ってきたけれど弟はなんだかんだ動いてくれて障子の張り替えやったりして私より気遣いできるヤツたいして顔を合わせることもないのになんかやなやつ、と思ってたいとこは毎日我が家に来て納棺から納骨まで見届けてくれた親戚の叔父さんも朝早くから手伝いに来てくれて親身になって面
やっと、やっときた休み7時までゆっくり朝寝坊週末掃除して、あれして、これして…と、思って動き出した途端に、階段を5段くらい滑り落ちた右腕、折れたかと思ったわ今日はゆっくりしろ、、、と、父からの天の声だと思うことにして、週末掃除と葬儀時の荷物とか片付けて終わりに朝のコーヒー飲みながらインスタ見てたら⬇今日のあれして、これしては、やらないことを決めたやらないことを決めたら、週末掃除もゆっくりと、丁寧にできたし、お昼ご飯も時間をかけて作れたし、心の余裕があって、穏やかな気
ブログが見れなかった時一つの事件がありました。朝6時半弟から電話姉ちゃん、おじさん来てるわ。父ちゃんが亡くなったと聞いて礼服きて。俺もう少ししたら仕事行くで頼む。すぐに行きました。弟を駅まで送り。叔父さん!父ちゃん元気やでー施設に入ってるけど。。何かあったら連絡するからね。。叔父を隣の駅まで連れて行きました。叔父さん!私も仕事あるから駅まで送るわ。電車は20分後のにのせようかと。切符を買い🎫でもおりてからタクシー拾うの大丈夫かな?駅裏だから歩いて帰
お久しぶりです。とりあえず、体調の波はありますが、まぁまぁなんとか元気にしております交通事故の査定はまだおりず、仕事をし始めたのに、休んでおりまして、いまめちゃめちゃビンボっ!そんな時に、突然もう20年以上顔を合わせていない、静岡の実家から電話がありました。(数年に1度電話はしていましたが…)お父さんが亡くなりまして…。相手は、再婚相手の女性(後妻)。確か、2週間程前にも、父が入院するからって、電話はきてはいました……が💦年なので、そんなこともあるかと思って
こんにちは。今年はすごい勢いで春がやってきていますね。集合意識は、コロナによって行動などが制限されていた蓋が一気に開いてしまっているようで、波動も荒くバァーッツと上昇したり、ワタワタ落ち着かない感じとして、私の中では受け取られています。また、地球の波動上昇もあるからだと思いますが、私自身もうっかり無自覚なままでいるとはまり込みやすくなる大変な時に入っている気がします。多忙だったため、ブログの更新ができずにいました。実は父が3月1日に人生を卒業しました。多くの学びがありましたので、学び
昔の話です。私が26歳くらいの頃、父が亡くなった。脳梗塞で倒れて3回目の時だった。ひと月くらいは皆で代わる替わる病院に寝泊まりして付きっきりで介助していた。「小康状態が続いているので、大丈夫です。一度家に帰ってゆっくりされたらどうですか?」と言われて、母と姉と3人で家に帰ったところで、急変して呼び戻された。「危篤です。」すぐに父の妹たちにも連絡した。一番下のおばは姉をとても可愛がっていて、電話でも葬儀のお金のことは何も心配しなくていいからね、おばもすぐに行くからと言ってくれたので、葬儀屋
父の葬儀もおわり、何もなかったように日常が戻ってまいりました父の葬儀は母の母の里がお寺であることから、母の意向で姫路で執り行いました22日の22時50分に息を引取り、翌日23日、19時に霊柩車を葬儀場にご手配頂き、親族一同揃って、父と一緒に姫路へ向かい、到着したのは21時すぎでした葬儀の朝の風景↓日本列島が寒波でどこも大雪姫路も前の晩から雪が降りだし、朝4時頃には車が通るとバリバリと音がするほど道路は凍っており、葬儀の日には2号線は止まり、JRも運休したりダイヤが乱れたり大変な日となり
もう1週間過ぎたのかあ…。正直そんな気持ちです。もうすぐダンナちゃんの三回忌も迎えます。本当に時が経つ早さに驚くばかりです。父の葬儀のときはまずまずのお天気でした🌤️先日の大雪でなくてよかった…と、正直思いました。空の上はどんなところなの?スターダスト☆レビューの「空の向こうに」を思い出しました。
おはようございます。ただいま実家に帰省中です。人生初の喪主を務めることとなってしまいました。父の余命を聞いてから心のなかでは覚悟はしていたつもりですがそれでもやはり急なことで心が追いついていません。暫くブログをお休みさせていただきます。
先月の父の出棺や葬儀の時には初めて会う人たちもいて、その人たちが息子に「アイドルになれるんじゃないか」「おばちゃんが応募してあげようか」とあれこれ言われて、気を良くしたのかその後、息子が車の中で言ったこと。息子:「ママはさぁ、ホントにオレを産んで良かったね。俺って…こんなにそろってて…1億年に1人の男なんじゃないかな~」すでにオモシロ発言に面白くてニヤニヤしている私だけれどオモシロネタには必ず乗っかるようにしているので、私:「1億年に一人の男なんて
昨日の夕焼け✨綺麗でした😍明日は父の日ですね💖私は子供の頃から父のことが大嫌いでした😖父は昔から飲兵衛で、酔うと短気になり、私が父の言葉に逆らったりすると、直ぐにキレて拳骨が飛んで来たものです😱しかもそれは、私が大人になってからも、身体が不自由になり施設に入所した後も続き、亡くなる少し前まで変わりませんでした😫ところが本日、『父への思い』が一変する気付きがありまして…✨今日は予報より涼しかったので、敷地内(約400坪)の草取りをやっていました。(防草シートを敷いた上に砂利を敷き詰め