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直美です。実は、先週はじめから気持ちが荒れていました。夜中にも関わらず家中にある食べ物を食べまくる・・・なんて日が何日かあって。こんなことは、母の看病をして虚しくなってひたすらお菓子を食べまくっていたその時以来のことでした。おかしい・・・。と思いながら、自分と向き合うことから逃げたくてやっていることにはうっすら気づいていて。でも止めることをせ
【ERIKONODA公式プロフ】2.5%家主の野田の瑛里子さんですょ?脳内「おら村」空間の2頭身(心)のつれ「ず」れさんのプロフィールページ🍁現在アメブロ総数6700万人?→https://blogger.ameba.jp/ノンプレミアムメンバー(プレミアム:150万人/2024年)です🐹アメブロ無料会員です🐹※途中で投稿をやめることもあります🐹🐹🐹Amebaユーザープレミアム総数150万人、月間7500万人、トップブロガー500名、約2万名が有名人とも。🍁家族のネット上アカ
月曜は大学病院で内分泌科受診。火曜は訪問看護。金曜は精神科受診予定です。今週は日中にたまに晴れるものの、冷たい雨が続き、相変わらず寒さ続きです。火曜に訪問看護前にやたら長い2時間の昼休みで閉まってしまう薬局に横殴りの雨の中薬を受け取り、母用の食料を仕入れにコンビニに行き、傘を刺していたにも関わらずびしょ濡れまたしても風邪なのか?背中の寒気や頭痛や身体の痛みでまたしても不調改善されないままでおります。そして思いがけないまたしても不吉な知らせが。神従姉妹の姉にあたる同じく従姉妹のRちゃ
今月父が亡くなり、葬儀も終わりました。年末の呼吸が苦しくなり緊急入院病院の先生のご配慮で年末年始は家族で自宅で過ごす。それからすぐに入院、1月下旬に退院してからは1ヶ月半くらい在宅医療を受け、自宅で家族に見守られて息を引き取りました。子供はいつまでも親が元気だと思ってしまいます。「あなたは、あと何回親と話せるんだろう?」清水晶子さんの本をこの2ヶ月は線を引きながら読みました。やっておいて良かったこと。*昨年夏の家族での宮崎旅行*お墓・お葬式の話
父の四十九日法要が終わりました。ああ、これでお父さんもあちらの人かあ。あ、ヒトじゃないね、仏様。それにしてもつい悔やんじゃうのはお父さんの入院中に私にもっと何かできることがあったんじゃないかなあってこと。病室にコール音が鳴り響くのを遠慮して父に電話をかけるのをためらっていたけれどそんなのお構いなしにかけ続けて何とか電話でもっと話せればなあ、面会の時にもっと生きたいと思えるような何かをしてあげれたんじゃないかなあ。父が亡くなってから時おり、そう思うことも。なんとい
これは父からのメッセージだなと思いました今では「どうしてその思考回路になったの?」とも思うのですが当時は「チャレンジして」とのメッセージだと受け取ったのです。私は長い間、どこか心の底で「自分なんて」と自信を持てずに生きてきました。でもそんな思いを持つこと自体が「自分自身に失礼だ」と感じるようになったのです。限りある生をご先祖さまからいただいた身体で生きている。そのことがストーンと父の死をきっかけに肚落ちしたのですもう「嫌われて
父の最期の数年間を一緒に過ごせたこと、先ずはその奇跡に最大級のありがとうを込めて。大好きなお父さんへ私達を愛してくれて、育ててくれて、大切にしてくれて、本当にありがとう。そして今も尚、風となり光となり、私達のそばにいてくれて本当にありがとう。・・・・・・・・・・・・・今年一番の寒い日の朝、父は次のステージへと命を進めました。覚悟はしていたものの、その時はやはり突然に訪れました。そして、あの日から2ヶ月が経ち、今ひしひしと感じることがあります。それは、人は死
ずっと気になっていた映画《バケモノの子》初めて観た。今さら、ですけれど…とっても素晴らしかった。どうしてもっと早く観なかったんだろう、って思った。私は2022に父を亡くした。衝撃的だった心ない人々が勝手に葬儀を行い葬式が全て済んだあと父の死を知らされたのだ私の一部が壊れた。今、修復中だ。だから①父が死ぬ前の自分②父が死んだあとの自分明らかに違う。②である今だからこそこの映画を観てよかったのかも、と思った。私は父の最期の言葉を聞けなかった悲しかった。
その日、私の仕事が7連勤を迎えていた。仕事しながら、帰るのは今日ではなく明日にしようか・・・それとも今日の方が良いか・・・と、迷い始めたのである。翌10日は休みではあったけれど、その翌日から、また連勤を控えていたこともあり、心身共に、疲れが増してきていた。母から父の状態についてLINEで報告がきており、「明日は日曜日だけど、日曜日でも対応してくれる病院なので、お父さんが点滴を受けることになっています。飲み薬と点滴で良くなるみたい
去る3月7日(木)父が急に仕事を辞めた。その日、私から父に電話をかけ、父と話したのが最後となった。ここのブログでも綴ってある。「明日の病院は必ずタクシーで行ってよ!絶対、自分の運転で行くんじゃないよ!頼むよ!」力強く言う私に、「分かった。」と父。翌日、私の言うことは聞かず、自分の車で病院に行ったらしい。それが3月8日(金)。兄が東京から帰省する日でもあった。去る3月9日(土)(兄の帰省2日目)
父が亡くなった後、母と兄、私の3人揃って1週間、実家で過ごした。あらゆる手続きに追われながら、悲し嘆く母を支えながら、自分の感情を抑えながら・・・不謹慎だと分かっていても、私は一家の盛り上げ役を貫いた。私が崩れたら、全て崩れ落ちてしまいそうな気がして・・・悲しい時は悲しんで泣きたい時は泣いて良いって分かっていても、母と兄の前で涙を流すことはできなかった。というより、ずっとずっと耐えていた。(耐える必要なん
父が亡くなってから2週間が過ぎた。今日で15日目を迎える。亡くなってからの1週間は、まるで1か月以上あったかのような濃さだった。毎日、毎日、初めての感情が生まれ、毎日、毎日、初めての体験を積み重ねていったような気がする。それは今も尚。感情の起伏と戦い、目の前の仕事をこなすのが精一杯だ。正直辛い。正直しんどい。何もかもを放り出したくなってしまう。だけど・・・良い大人ですから。
『最後の別れ』父と最後の別れ。無宗教で父の希望で家族だけの式に。結果的に家族だけの見送りでよかった。家族だけのとても温かい時間になった。長からず、短からず。今、ただえさ…ameblo.jp父が亡くなり仕事を1週間休んだ。明日から、仕事。自分がどの様な気持ちになるのかわからない。父のことを話したり考えたりすると涙が溢れることはなんとなくわかって来た。実家を引き払って戸籍関係の手続きが終わったらまた何か感じるのかなぁ〜🤔自分の気持ちを大切に過ごしたい。
😃こんにちは😃満開のミモザの季節に、父が永眠しました。素敵な20代・30代・40代の男女が多数在籍💖婚活であなたの幸せを叶える💖愛媛県松山市にある成婚退会者多数の結婚相談所えひめ結婚相談所カメリア婚活カウンラー歴6年目の伏見が親切丁寧にお世話を致します。お父様・お母様とご一緒にご来店も大歓迎です。本日のblogのテーマは📖父の危篤の知らせです私事ではありますが、先日父か永眠しました。死は、誰にでも訪れるもので1ヶ月ほど前に、おそらく末期の癌だろうと言われ、🏥細胞診をするた
今朝、父が亡くなりました。2日前、血圧が50まで下がって、病院に呼ばれたのが最後。今日の明け方、亡くなりました。昨夜は、生理2日目で貧血な上に、風邪気味で、娘を寝かしつけたら、そのまま寝てしまいました。スマホをリビングに置いたまま。お風呂にも入っていなかった。今朝7時半に母からの電話。先に起きた夫が教えてくれました。午前4時半に病院からの着信履歴。その後、母が何度か電話をしたらしい。いつもなら、すぐ出られるように、枕元に置いていたのに…。こんな時に限って。母も、間に合わな
木曜日、今月の句会がありました先月は、父の死とコロナで不参加でした今月は授業時間を変えて、参加出来ました久しぶりの選句今回、1句しか投句出来ず初めて1句勝負でした結果は、やはり1位は取れずでした自句自解をそれぞれしたあとはなんと今月もメンバーの父上が亡くなりその方のエピソードで終始しましたなかなか二タ月連続は珍しいですよねみんな、そんなお年頃なのでしょう来月からは順番が来る、会長となります器では無いですが、風流のために精進します5つの香りを試せる蓋付き横置き香炉
こちら、一昨夜から予報通り雪。降り始めは嵐かと思うくらいの雨と風。二階だから?そのうち雪に変わったようで一日寒かったです。二階に避難中で良かった。暖房全開で文明の利器を実感。おかげで久々ぬくぬく眠って目覚めるとスッカリ夜トイレにトコトコ降りるとダイニングテーブルに大きく広げたメモが。どうやら4/4に納骨する菩提寺の大奥さんがお亡くなりになったようで速達が届いていた模様。お通夜と荼毘式の案内の他に御懇志(御香典含)の案内も。ご丁寧にお参り出来ない時のための振込先も記載。なるほどお寺さ
父の誕生日からちょうど一ヶ月後、父は天に召されました。父はまだ少し若く、気力はありましたが、がんは進行し、最終的に呼吸が浅くなり、そのまま穏やかに息を引き取りました。私は両親と離れて暮らしていたので死に目にはあっていません。当日病院から今日が最期かもしれないと電話があったため母も兄も親戚も、病院にいたそうです。実は父の最期を見届けたのは兄。(母はちょうど親戚を迎えにいくために外出していたらしい)目も見えず、言葉も話すことができない状態になっていた父でしたが、死の直前
前回の記事で、父と私のつながりについてお話しました。『父とのつながり』先日ある方とお話をしていて、「お父さんとのつながりが深かったんですね」という言葉をいただきました。その言葉がなんだか、一日、一週間、一か月と時がたつにつれて「…ameblo.jp今日は、そんな私と父の関係性が、いつの頃からか微妙に変化していったことを振りかえりたいと思います。それは一言で言えば、私の中の私と、父の望む私の間でずれが生じてきた、ということかもしれません。特に中学校に入ってから、自分の世界が少しずつ
こんにちは。ご訪問いただきありがとうございます😊ヒーリングアートで本来の自分に出会うお手伝い~bluestar~岩丸倫子です。自己紹介/体験会MENU/体験者様の声/お問い合わせ/アート一覧🍀今日はどんな顔🍀毎朝両親の写真に手を合わせるのが日課です。母はいつも優しく笑いかけてくれる。気になるのは写真の父の表情。笑ってたり難しい顔をしていたり怒ってる?って顔をしていたり微笑んでいたり。私
3月1日から実家の北海道に滞在していましたが本日大阪に戻ります。もともと3月中旬に帰省予定ではあったので先に予約していた飛行機に合わせての帰省になりました。久しぶりの長滞在。でも父の亡くなった後の手続きたくさんたくさんあったので毎日やること満載でした。今朝は久しぶりに10センチくらい雪が積もったから朝から雪かきほんと最後まで良く働いたー!一人残され疲れも癒えていない母のことが結構心配ではある。これはわたしも自分で意外だった。父が亡くなることは
「私の時間は去年の3月から止まってるんだ…」今日のブログは私のボヤキ全開です。でも人の失敗や不幸って面白いよねそのことに気付いたのは先日。師匠のあやさんのFBの投稿を見て私の中の何かが刺激された。※ちなみに私は昨年受験→不合格でした。ん??なんだこの感じ。快不快で言えば不快な感じ。嫉妬のような怒りのような、羨望のような。自分が置いてけぼりになったような。なんだ?寂しいのか?みんなの仲間に入れなかったと感じてる?ひとりぼっちというよりは異質。
この冬は暖冬と言いながら、なんだか長い気がする今日も雨から明日にかけて雪予報。やはり寒さがストレスになっている気がしたのと、やはりずっとセミダブルベッドに慣れていたので最近シングルな電動ベッドにうんざりしだしたので2階の寝室に避難しています。やはりエアコン暖かいそしてセミダブルは快適(•̀ᴗ•́)و̑̑ただ布団やら薬やらを2階に運んでグッタリですが懸案だった寝室のエアコンも取り替えようと思いつつ、どうせ買うならばずっと壊れた業務用エアコンで夏は汗ダラダラ冬は寒々なダイニングを優先さ
こんにちは^^父が亡くなって2週間。不定期に営業していた整体院、今日から通常営業に戻りました整体師になって12年目。ほんとに大好きなお仕事です自分が勉強してきたことがたくさんの人の元気に繋がっていける事お客さんが元気になると何より私がめちゃくちゃ元気になるほんっとにありがたいです生活も日常に戻りました。そして、日常がどれだけ特別で幸せな事かも実感しています気持ちいい〜風の強さも気持ちいいアナといっぱい歩きました歩こう〜歩こう〜歌いながら〜身体が感じてる今こ
ここからは私の気持ちの変化を書いていきますそうしないと苦しくて仕方ないから3月13日(水)臨終を告げられた後私と弟は父と3人にしてもらえた流れる涙は止まらない胸が苦しい張り裂けそうだ生きている時から私は嫌がられながらもバグしたりほっぺにキスをしていたその都度「気持ち悪いな!欲求不満の変態だなお前は」おちゃめに顔をしかめながら父が言うまだ暖かい父の顔私は唇にキスをしたありがとうと伝えながら他人から見たら気持ち悪いかもしれないけれど私はそれをせずにはいられなか
第19話納屋の火事私の家は専業農家らしく、その敷地は結構広いものがありました。母屋は藁ぶき屋根でしたが、隣には2階建ての瓦屋根の納屋、そして車や耕運機を駐車するプレハブの車庫もありました。その3棟の真ん中に広い庭があって、家の前には道路があり、道路の向こう側にはもう一つ納屋があったのです。この納屋は、畑にまく肥料や田植えに使う苗などの保管場所に使用するものです。あれは、私が小学校6年生の時でした。夜中に眠っていると家の中が騒々しくなっており、そのただなら
ブログを始めた3日後に父が亡くなった。急に。ここにこんなことを書くなんて予想も想像もしてなかった。この先いつかは...と思うことはあったけど、こんなに早く来るとは思わなかった。ブログを始めたキッカケブログで吐き出そうとしていた自分の想いが軸がズレ始めている。書き溜めた記事を読み返しいくつもの記事を削除した。恋愛事に関して多く書きすぎている気がして父のことがあり読み返すとなんだか情けなくもなるからだ。ほんとは削除したりタイトルを変えたりとい
「ノンケにばかり片思い...そして時々オカンのこと」というブログタイトルを改めた。オカンのことだけではなくなったからだ。私の人生においては圧倒的に母親の存在が大きい。だけど、父の存在もあったのは事実で思い出の数だって計り知れない。こんなにあっけなくいなくなるとは思ってなかった。仕事を辞めたと報告を受けた日に、1つ覚悟は増えたと思っていたけれど、こんなにあっけなく早くいなくなるとは思っていなかった。
今日は初七日。仕事は一週間お休みを頂くことができ、ずっと実家にいる。兄もまた、同様に一週間の滞在。兄の存在に助けられている。実家では母と同じ部屋で寝ている。母からの願いだ。今も近くで母が寝ている。そして、そばには額の中で微笑む父がいる。なんで写真になってるんだ?なんで遺影になってるの?数日前までここで生活してたのに...なんで...なんで...1日、1日、初めて味わうことばかり続いている。1日、1日、飲み込んでいくしかない。
こんにちは^^昨日の記事から一夜明けたっぷり眠って、元気復活しました『宮崎から帰宅』こんにちは^^実家の全ての手続きを終えて昨晩宮崎から帰宅しました昨日寝るまではなんてことなかったのですが、今朝起きてから時間が経つごとに疲れがどーっと出てい…ameblo.jpこの1ヶ月で大阪宮崎5往復していました父が3月3日に他界していろんな手続きをするため宮崎へ戻った今週。母と栄養ドリンクを飲みながらレンタカーを走らせ、淡々と一つずつ済ませていく。