ブログ記事389件
今年、実父の十七回忌この歳で十七回忌三十三回忌のときは、軽く70歳をこえている私健康な自信は全くないその時は、お婆様も鬼籍に入っているだろう今年で最後かな家族だけで集まり、亡き父の昔話でもして笑いながら過ごしたい。それが一番の供養かな。色々苦労をかけられた父親だったけど、根が悪い父親じゃなかったから、今となってはもう少し生きていて欲しかったと思う。父の最期の言葉「お母さんを頼んどく」ちゃんと守りよるよ安心しぃね
母から聞いた父の最後の話。母と兄が駆けつけると、もうほとんど呼吸がとまっていた父。お父さん!呼びかけると、モニターの数字が復活したそうです。酸素や心拍など。やっぱり聞こえてるんだ。そんなやりとりを4回繰り返した後、もう動かなくなったみたい。これまでの5年間、父の気持ちを聞けなかったから、今までの選択は、家族がしてきた選択。その選択が父を苦しめてるだけだとも思ってきて、辛いよね、どうしたらいいだろう。そんな辛い気持ちだった。それが、最後まで家族に答えてくれた父の話を聞いて、泣
『病院に到着⑥』『病院に到着⑤』『病院に到着④』『病院に到着③』父と2人きりになりました私は次父に会った時には兄の話をしようと思っていましたまさかもう会話ができなくなるとは…ameblo.jp続きです夜中も叔母①と一緒に付き添っていました。叔母①は私の祖母(叔母の母)が亡くなった時、買い物に行く為に病院を離れた時だったらしく、後悔があるそうです。だから今回は病院から離れないし起きておくと決めていたそうです。だんだんと疲れてきて私は病室の長椅子で寝ていました。叔母が◯◯(父の名前)
明日、実家の近くにある小さな診療所の診察があります。診察とはいえ、薬をもらうだけなので、自宅近くの病院でも用は足るのですが、私はその小さな診療所との繋がりを大切にしています。その理由は、この診療所のT医師に父の最期のステージで大変お世話になりました。父は病院ではなく、自宅で自然な形で最期を迎えたいと望んでいましたが、私は人の最期のステージなどの経験がなくて、次々におきる父の体調の異変に対して、病院に連れて行くべきだろうか?と思い惑う事の連続でした。そんな私に対して、T医師は的確なア
2005年3月18日再入院自分で、「病院連れて行ってくれ」と言い、入院しました。病院へは、姉が付き添ってくれて、私は、仕事をしないといけないので毎日会社にでていました。亡くなる少し前に一度だけ行った病院で、薬や治療でしんどくて、話すのも大変だった父が、ほんの少し正気になって、私に、「めーちゃん後は、あんたの好きにしたら良いから。後の事は、お父さんは、もうしらん。まかせたから。」と、言いました。何年かぶり
父は、癌でがんセンターで、手術したので、寿命は2年半は持ちました。しかし、その間、私は父の食事を作ったりしました。弟は料理は全く出来ない人でした。嫁もいないです。父も他人や身内から息子さんの嫁の悪口を散々聞かされ、弟に嫁をもらう気がなくなっていました。弟も嫁に縁のない人でした。最初、私はゆうパックで、作った食事を実家に送っていましたが、そのうち、実家に泊まり込み、食事の支度は全てしました。父は癌が転移してしまいました。父は、がんセンターに再入院しました。いよいよと言うとき、病院は、
こんばんは😊また更新が遅くなってしまいました💦毎年なんですが、夏はダメですね💦なかなか疲れがとれません。この間、ついに病院へ。脱水症状だったみたいです。水、飲んでたんですけどね。久しぶりに点滴して来ました😅今日は今日で、仕事中、いつにも増して腰がヤバくて😱低周波とマッサージしてもらって来ました。今は湿布貼って、コルセット買ってきたので巻いてます😂明日の仕事も、コルセットで乗り切ろう…そしてそして、やっと10ヶ月ぶりに、動画をアップすることができました🤗↓↓↓こ
未婚で生んだ息子が32歳/親孝行息子に感謝/継母のいびりにもめげず紆余曲折しながらやりたいことをして生きてきた背伸びしないカウンセラーふくおかさなえです。社会人の息子と、いい距離感で暮らしています。継母にいびられながら育てられた私はひねくれていた母と私を置いて、駈落ちした父と継母にいびられながら育った私桃を食べて、継母に激怒された!好きなだけ桃が食べたい(笑)父の最期でわかりあえた子供の頃から何度も何度も継母とぶつかってきた。その継母と分
母の葬儀の3日後に倒れた父のことコチラ↓の続きです『父のこと10』母の葬儀の3日後に倒れた父のことコチラ↓の続きです『父のこと9』母の葬儀の3日後に倒れた父のことコチラ↓の続きです『父のこと8』母の葬儀の3日後に倒れた…ameblo.jp2022年10月23日午前、病院から呼び出し一旦帰宅午後4時頃、病院から電話いよいよ危ない状態であると知らされるすぐに病院に向かいました病院までは車で30分病院に着いた時、すでに父の心臓は止まっていました
母の葬儀の3日後に倒れた父のことコチラ↓の続きです『父のこと9』母の葬儀の3日後に倒れた父のことコチラ↓の続きです『父のこと8』母の葬儀の3日後に倒れた父のことコチラ↓の続きです『父のこと7』母の葬儀の3日後に倒れ…ameblo.jp10月22日に大動脈の血栓を取る緊急手術を受けた父その後、一時は危ない時もあったけれど、一応安定翌日、10月23日午前10時前、病院から電話昨晩、容態が変わったことがあるので家族に説明したいとのことその日は日曜日で担当医は休
いつもご訪問いただきありがとうございます♡アラカンKimiです。パーキンソン病8年目です。初めてお越しいただいた方はこちらをご覧ください。【はじめまして!】++++++++++こんにちは!パーキンソン病と診断されてから8年目のアラカンKimiです。先日5月26日2か月振りの脳神経内科・脳神経外科受診をしてきました。調子は悪くないので少しだけ電力調整をしてもらい(ほとんどわからない程度)Dr.からは運動をしっかりして水分補給もたくさんしてね~
今日は午前に眼科の研修午後は四柱推命初回鑑定でした。派遣看護師で電話相談バイトをしていた時の看護師さんとお母様です。お2人でお越し頂きました特にお母様が占い好きだそうで以前、京都まで行き有名な方に見て頂いたこともあるとか鑑定結果に「当たってるね〜」と言われお2人とも大変喜んでお帰りになりました。さて父の最期、最終回です。思い出しながら綴っていますと4年も前なのに正直泣けてしまいます自宅での看取り一日目は父の駄々っ子でどうしようかと思いましたが二日目は日曜日ということ
今日も一日眼科の研修でした。父の最期、今日も続きをご覧ください。『父の最期パート1』今日5月21日は私にとって忘れられない日それは4年前に他界した父の命日です。今日は父の最期について書かせていただきます今から4年前の事です。平成最後の年末にた…ameblo.jp『父の最期パート2』今日からまた眼科の研修でした先週一週間で座学はほぼ終わったので今週は復習しながらスタッフ同士患者役をしながら検査機器の練習でしたさて昨日からの続きです。『父の…ameblo.jp『父の最期パート3』今日も
今日も一日眼科の研修でした!具体的に患者様が来院されてから検査して診察して会計して…という流れをシミュレーションしましたまだまだ改善が必要です今日も父の最期について書かせて頂きます。『父の最期パート1』今日5月21日は私にとって忘れられない日それは4年前に他界した父の命日です。今日は父の最期について書かせていただきます今から4年前の事です。平成最後の年末にた…ameblo.jp『父の最期パート2』今日からまた眼科の研修でした先週一週間で座学はほぼ終わったので今週は復習しながらス
今日からまた眼科の研修でした先週一週間で座学はほぼ終わったので今週は復習しながらスタッフ同士患者役をしながら検査機器の練習でしたさて昨日からの続きです。『父の最期パート1』今日5月21日は私にとって忘れられない日それは4年前に他界した父の命日です。今日は父の最期について書かせていただきます今から4年前の事です。平成最後の年末にた…ameblo.jp4月に入り孫達みんな進級いつも通り私は娘の駅までのお迎えをお願いしたり次男を実家に帰らせたり普段と何も変わらない日々を送りまし
今日5月21日は私にとって忘れられない日それは4年前に他界した父の命日です。今日は父の最期について書かせていただきます今から4年前の事です。平成最後の年末にたまたま検査した血液検査である数値が高いと母から聞きました。母は医師から詳細は聞いておらず年明けに色々検査をして診断が確定したら説明すると言われたようですが看護師の私は採血結果を見てだいたいの病名が脳裏に浮かびました…それは膵臓がんでした膵臓は「沈黙の臓器」と言われるように最後の最後まで自覚症状が乏しいのが特徴
5月12日は父の命日5年が経ちました。廿日市の実家に帰っても父のいないことが当たり前になってきました。5年前の投稿です。青葉薫る5月12日父は旅立ちました。病気でもなんでもなかった父ですが亡くなる一週間前に、母に「ええ人生だった!楽しかった!」と言ったそうです。母も「私も!お父さんでよかったよ。」と言ったら「そう思ってくれるか!そりゃあよかった!」父は、大好きだった鉄道の国鉄に入りました。1945年8月6日、広島原爆8月9日、福山空襲に
昨日の朝と今朝作った、お供えのアレンジ2点。昨日は、少し前に大切な方が急逝された大切なお友達のご実家に、お仏壇参りに行けたので、お悔やみのお花を…そしてこちらは、今日がMJ(父)の命日なので作ったアレンジ。※MJとは、父が亡くなった後、私が父の作品を販売するようになり、便宜上付けた父の作家名。ReoreoFactoryの仲間から「まるじいちゃん」と呼ばれていたのでw2016年に亡くなったので、去年七回忌をやり、今年で丸7年が経ちました。実家の母の具合もずいぶんと良くなり、自
私事となってしまいますが…3/14ホワイトデーの日に父が旅立ちました。葬儀その他が無事終了し臣くんだらけの我が家に帰ってきました。コロナ禍に突入してまもなくの頃突然足の自由を奪われ以降ほぼベッドの上で過ごした父…面会出来たのは1度だけ…手紙と電話で知る近況…余命宣告を受け約2年…こんな仕事をするわたしは何も出来なかったなぁ…。仕事ではたくさんの人を見送ったけど自分の家族のためには無力だったなぁ…。約1週間前、父からの電話その会話を胸にわたしは三代目のライブに行き
こんにちは。アラフィフママの、しゅうです。2017年11月5日の夜に倒れた父は、大学病院へ救急搬送され、翌日転院しました。軽い心筋梗塞ということで、2週間〜1ヶ月後に退院と言われていました。2017年11月8日(水)、いつもと変わらない日常が始まりました。この日の午前中、病院から電話がかかってきて、「15時から医師から今後の治療について説明がある」と言われました。なので、私たちは15時頃、病院に行くつもりでした。電話を受けて、少したってから再び電話がかかってきて、今度は先程とは違っ
ほんとは、全て終わってから気持ちの整理をしてから書こうと思っていたけれど。心の整理の為に始めたブログ。書きたくなった時がタイミング。前日に体調が悪くて、珍しく呑まずに早々に寝てた、日をまたいで11日の未明。薬を飲んでいたのもあって、ぐっすり眠っていたところ、姉からの電話の音で目覚めました。父の、危篤。「来れる人、呼んで下さい」と医者に言われ姉がかけてきたのは私。容態が急変して、母のところに病院から電話は入れていたけれど、出なかったらしく。次に連絡が行ったのが姉。姉が駆けつ
母のことをもう少し。暗い話になってしまったら訪問してくださる方には申し訳ないです。そうはならないつもりなのだけど。母は急死だったと書いた。明け方のお風呂で亡くなった。今まで朝風呂に入ったことはなかったのに、どうしてその日は朝風呂だったのか。冬はお風呂に気をつけること、冬の朝なんかにお風呂に入らないこと、そんなことを話しておけば良かった。離れて暮らしているとそういう日常生活の会話が少なくなる。81歳だったので女性の平均寿命からすると少し早かった。長くリュウマチを患っていたので本人
父が亡くなる前の不思議な出来事。父が脳梗塞で倒れ、危ない状態だからと慌てて病院にかけつけたけれど、しばらく状態は変わらなそうだ…ということで、家族で一旦、実家に帰ることにした。遅い昼食を母と外で食べ、車に乗って自宅に向かった。その車中でのこと。私も母も煙草を吸わないし、車の中で誰かが煙草を吸ったことは一度もないのに、急に車の中が煙草臭くなった。私は、ふと「こういう時って不思議なことが起こるんだな。煙草の臭いがするわけがないここで、こ
父が入院してから和室の端に小さいスーツケースを準備している。突然連絡が来て実家に飛んで帰るために、お泊まり道具など入れて、あとは衣類や普段使いの化粧ポーチなどを入れればいつでも出かけられるようにしてある。こういうことは縁起でもないことなんだけれど、現実には大事な準備だ。実際には飛行機のチケットを取らねばならないので、すぐに飛んで帰ることはできないのだが。いざという時に飛んで帰って私が間に合ったとして、県外からの人は入場禁止になっている病院に入ることができるのか、、、聞いておくと弟は言って
🌸今日は亡くなった父の命日。父が好きだったキリンビールとサラミソーセージを、そして日本酒をお供えする。松本のお客様からいただいた開運堂のお菓子。開運堂は父がよくお土産で買ってきてくれたお店。きっと父も喜んでいると思う。そして父の遺作、「秋の七草」のミニ屏風を飾る。しばらく父と対話する。もう父は生まれ変わったとマリア様からメッセージが届いて、父が遠くで手を振っているような気がする。亡くなる数日前、父がバスに乗って遠くへ行こうとしている夢を見た。そして亡くなる日の朝、父がトンネルの向こう
金曜日予定が飛びましたすこおんと1日空くてのはそうはないことですステイホームなんて必要ないそうだけどどっか行ってみたいとこ・・・・思い浮かびませぬごろごろ寝て過ごそうかしらん僕なにやらこの頃父の最期の直前(95)の状態に似てきた気がしてならない父の食事はファミマの1人用僕も食べますあそうそう父はレタスを欠かすことがなかった何度レタスを買いに行かされたことやら僕は違います僕にはレタスなど必要ありませぬ僕にはこれがある
おはようございます今朝も冷え込んでます10年前の午後3時過ぎ、父が亡くなりました。私は前々日から病院の仮眠室で息子と泊まり込み。息子はずっと意識の無い父(おじいちゃん)の手を摩り、小さい頃からの思い出を話していました。仮眠室にいた私の元へ飛び込んで来て、慌てて病室に行った事も何回かありました。その度に持ち直し…この繰り返し。透析をしていた父。腸からの出血で透析を断念しなければならなくなり、命綱の透析を中止。もって1週間と言われました。救いなのは意識がなかった事です。18日の
新年を迎える事無く、父は静かに眠るように逝きました。ホントに、最後は痛みもなく、すぅ~っと、ロウソクの灯が消えるようでした。年末の慌ただしい中でしたが、望み通りお家で、家族に見守られて幸せだったかなぁ~♡私としては、行き届かない事も多くて充分な100点満点の介護ではなかったけど、父との時間も持てて、父は喜んでくれてたと思います。訪問看護さんや、デイサービスの方々訪問診療の先生や、ケアマネさんには訪問リハビリの先生方。。。自分の至らなさゆえの苛立ちをぶつけてしまった事
こんにちは(^.^)起業して22年多面的思考による心と体の経済の土台作りの大切さを発信しながらあなたらしく輝く♪幸せな人生の土台作りをサポートさせて頂いております司このみです。セラピストさんのビジネスサポートもさせて頂いております★彡ご訪問、読者登録、ありがとうございます。セルフケアコーチング・メタトロンセラピー・足湯デトックス・五行音叉セラピー・数秘カウンセリング仕事の目的活動する理由心と体の土台作り基礎知識