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こんにちは😃小学校低学年だったわたしにはバイブルがありまして、それが手塚治虫先生の「火の鳥ヤマト編」でございます✨✨詳しく書くと、アニメ映画のほうだったのですが😅今のわたしを作り上げ、のちに長男の名前にもなったくらい、心が震えるような内容だったのです。※火の鳥ヤマト編より出ました、クマソの国のお姫さま、カジカ✨✨この火の鳥ヤマト編は、第12代景行天皇の古墳時代に、皇子ヤマトタケルと九州のクマソの姫カジカが恋に落ちるという、ロマンあふれるにもほどがある内容なのです😅クマソというのは熊
今月の弾丸フェリーの旅は先月と同じ宮崎県。神戸三ノ宮フェリーターミナルも慣れてきて、三ノ宮から歩きました。🚶綺麗な夕日でしたフェリーの朝食は、バイキング登山の前は、シャリバテが怖いのでモリモリ食べます。今回登ったお山は「行縢山」(むかばきやま)。登山口は、行縢神社にあります。こちらも、NHK吉田類さんの「日本100低山」で観て行こうと決めたお山です。いつもは神社でお詣りしてから登るのですが今回のリーダーは、山頂優先のようで…黙々と登山道に進まれました。先ずは、行
葛城襲津彦が繋がってきたのだけれど難しいので、気になる所だけ記録。つまっているので、長いです・・・鯨の櫛羅(くしら)くじらが繋がった話だけを、つらつらと書きます。場所は奈良県。「葛城王朝」というのがあったと聞いたことがあります。専門家が指摘した王朝というのは、代々、天皇家に女性を嫁がせていることで、なんとか八史とかいう時代の・・・蘇我氏、和珥氏(和邇氏)、葛城氏。最近、蛇行剣が発見された雄丸山古墳が気になるところ。葛城山の方に「櫛羅(くじら)」という地名があ
久しぶりに訪れました。※大島の方この日は天気がよく、海がきれいでした~唐桑半島へは名取に熊野三社を勧請した名取老女を調べている研究会のメンバーと2017年6月に訪れていた所です。紀州の熊野から唐桑半島へ数か月かけて上陸した事が室根神社縁起にあり、熊野信仰と鯨信仰は深い関係にあります。駐車場の奥に続く森を歩きます。御崎灯台灯台の手前に鯨塚があります。鯨は御崎神社の御使いの霊魚と言われ、唐桑半島の先にあ
※こちらの記事は、平成21年6月9日に書かれたものです。こんにちは。今回は井上辰雄氏の著書『熊襲(くまそ)と隼人(はやと)』についてです。教育社歴史新書の8ですね。とかいって、僕自身がこの本の内容を全然覚えていなくて、ぱぱっと復習しました。古代史関連の他の記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:林陸朗『古代末期の反乱』同関連記事:松本清張『邪馬台国』同関連記事:安本美典『卑弥呼の謎』題名の通り、古代九州(きゅうしゅう)南部にいて大和(やまと)政権に従わなかった人
2月末の小雨の朝に鹿児島県の霧島市にある熊襲穴を訪れました、小学生の頃に熊襲族(熊のように荒々しく勇ましい民族とも焼き畑耕作を営む静かな民族とも言われていて、古事記や日本書紀にも登場します)の名前を何回か聞いた記憶がありますが、最近は全く耳にしたこともなかった中で、あるホテルのインスタで見つけ是非訪れたいと思い、妙見温泉から山沿いの途中にある少しきつい斜面を滑らないように気をつけて登りました、あたりはとても自然あふれ、道路向かいにはきれいな川が流れる場所で大きな岩が見えてくる場所に入り口が
再びまた唐桑半島の御崎へいくことになるとは。行けたらいいな、くらいで思っていたけれど、今回は、鯨にいろいろ教えてもらった気がする。2月に書いていた唐桑半島のこと。7年前にいった御崎神社のことをまとめていた。『【唐桑半島】十の世界と御崎神社鯨が伝える阿波の世界へ』先にこのことを書いておきたい。どんどん書かないと・・・淡水の淡、泡や安房や阿波・・・いろいろきてる。「十の世界」というタイトルで書いていた過去記事。2017年…ameblo.jpその鯨とは紀州の熊野。長年、東北の熊
古代史にまつわる1テーマを3分でまとめるというコンセプトで始めたYouTube「古代史新説チャンネル」の【3分古代史サーガ】シリーズの第2回目は、古代史最強のヒーローである「日本武尊(やまとたけるのみこと)」についてまとめました。今回も内容をテキストとして本ブログに残しておきます。動画より文字の方がわかりやすいという方は、こちらをご一読いただけますと幸いです。※内容は、本ブログ「邪馬台国と日本書紀の界隈」および「古代史新説チャンネル」で考察した仮説をもとにまとめています。【3分
私が最近なんとなく気になっていた記憶がある動画(仲哀天皇のことを他の動画でも配信されていたのかもしれません)なのですが、13時38分時点でこちらをクリックして聴き始めた時まだ2時間前の配信となっていました。動画の4:37~ゆめラジオ先生の解説で「熊襲」が出てきます。『くまそ』と来た言葉を調べてあったのですが調べた結果をアップしていなかったのですそのままの言葉としてシンクロしたのでその意味をここに記すことにします。熊襲-Wikipedia仲哀天
Hickey超訳・古事記24⬇️Hickey超訳・古事記《上つ巻》⬇️『Hickey超訳・古事記《上つ巻》』Hickey超訳・古事記《上つ巻》まだ【Hickey超訳・古事記トリセツ】を読んでない人は下をクリックして御覧ください⬇️『Hickey超訳・古事記トリセ…ameblo.jpHickey超訳・古事記《中つ巻》⬇️もくじ⬇️『Hickey超訳・古事記《中つ巻》もくじ』Hickey超訳・古事記《中つ巻》もくじまだ【Hickey超訳・古事記トリセツ】を読んでない人は下を
妙見温泉に来た私。温泉に入る前に散策しました。山間の温泉宿らしく、川が綺麗。宿のオーナーさんに途中出会い、川で撮った鮎の写真を見せて頂きました。夏になると鮎釣り客が来るそうです。温泉に入り鮎を食べる。最高ですね!川には大きな鯉もいるそうで、上からも見えました。てくてく歩いて行くと洞窟熊襲隼人とある。何もすることがないので見て見ることに。水綺麗上っていきます山に入るまだ着かないの?もうすぐ?と何度も思いながら登るここで断念しかけましたが、跨いで登りました。最後
旅館の最終日、夜に美味しい物を堪能しました。カンパチがとても美味しく丼ぶりで!たかえびという甘えびの様な甘さの海老も堪能!美味かった!龍宮神社のお土産屋さんで買った地ビールも美味しかった!広島の牡蠣だがフライで!それで私はこんな顔に!さてさて、鹿児島の最終日、今回の神事で同行いたしましたEさん、池さんが鹿児島へ来ることは殆んど無いだろうからと、是非産土神へ行き、神の言葉を聞きたいと、夜の便で帰る事になっていましたので、たっぷり一日色んな所へ連れて行かれました。
神功皇后、羽白熊鷲(熊襲)退治のまとめです。神功皇后の記事、多いので目次を作ります。『神功皇后の伝承地大根地山~砥上岳へ』『ブログマップ』ブログ内の記事のマップです。これを読めばとりあえず分かるという記事をまとめました。まだ、途中ですがアップします。「神社*総まとめ」なども記載(…ameblo.jp『大根地山と大根地神社~神功皇后行軍路1~』『ブログマップ』ブログ内の記事のマップです。これを読めばとりあえず分かるという記事をまとめました。まだ、途中ですがアップします。「神社
本章は、日本武尊[やまとたけるのみこと]、草薙剣[くさなぎのつるぎ]などの話となります。以下、沢史生『閉ざされた神々――黄泉の国の倭人伝』(彩流社、1984)より引用です。ーーー第8章王化[みおもむけ]という名の侵略謀殺されたクマソタケルp.178中国側に、その名を知られていた「ニャンマたい」(邪馬台)、「ニャンマ人[と]」の倭人名は、「ヤマト」の国名として持ち去られ、「ニャンマたい」の邪馬台国は消えた。倭人集合体としての大倭は「大和」に書き変えられ、いつしか大和をヤマトと訓むよ
【重要】宇宙の法則『20の宇宙法則』【重要】宇宙の法則『宇宙の7つの法則』こんにちは。Jasminです。目の前で起こることは、自分の潜在意識が発したことが「1」「·」となり、9に向かいながら10…ameblo.jpホロスコープリーディング『Jasminのホロスコープリーディングについて』【重要】宇宙の法則『20の宇宙法則』【重要】宇宙の法則『宇宙の7つの法則』こんにちは。Jasminです。目の前で起こることは、自分の潜在意識が発したことが「…ameblo.jpアストロマップ『ア
火神子天孫に抗いし者[森山光太郎]楽天市場新しい「ヒミコ」の物語です。どちらかというと血生臭い戦闘のない国を治めていたイメージの卑弥呼。ですが、卑弥呼が現れるまでは戦闘があったのも容易に想像がつきます。最初から託宣によって治めていたのではないという観点から、卑弥呼と大和の物語になっています。しかも、「魏志倭人伝」に記されている以上に大陸との関わりが深い様子。ポッと出てきたわけでないといいますか、空白の部分を埋める物語です。大和が武力で制した世界。ヒミコも
例年通り遅い夏休みを頂き、今年は「神と芸能、芸術の旅」をしてきました♪朝一で飛行機で岩国へ~羽田は雨で霞んでいて天候のせいなのか飛行機が遅延しています・・・結局1時間近くの遅れで到着。岩国空港は自衛隊や米軍との共用と言う事で、着陸時に「写真撮影はしないように」とアナウンスがありました。レンタカーに乗って向かったのは、錦帯橋。写真の右上には岩国城が映っています。時代劇の撮影にはうってつけ!奴の恰好で毛槍を担いで渡ったら様になるかも(笑)その後、移動しフェ
【日本国記】第二章8秦と幡多1・日本とは世界で最も特殊な国である―古くて新しい―土方水月8秦と幡多1663年の白村江の戦いの後、倭は滅んだではないかともいわれる。なぜなら、先に述べた”日本碑”に書かれたように、九州に唐の占領軍のような軍隊がやってきている。その”日本碑”には、「日本は東の扶桑に逃げ罰せられるのを逃れている」と書かれている。どこから逃げたのかといえば韓半島からである。韓半島から当時扶桑の国と呼ばれた日本列島に逃げたのである。つま
「球磨川」*フリー画像より◆「阿蘇ピンク石」~海を渡った棺~(25)少し記事を上げる間隔が開きました。これは確認事項が2点あったため。一つ目は、書籍を購入することで解決しました。もう一つは、ネット検索でいとも簡単に解決できました。数日かけて検索し続けてもなかなか見つからず…。またその書籍には記されているはずだという期待も裏切られ…。ところが先日、やぶれかぶれにもう一度検索するといとも簡単に出てきた。「何でやねんッ!」大声が出ました(笑)…再開します。「過去記
天孫降臨神話、所縁の「笠沙岬」の「屏風岩」。「阿多隼人」の居住地でも。*フリー画像より◆「阿蘇ピンク石」~海を渡った棺~(24)体調を崩したことなどもあり…(大したことではないのですが)記事のUPが遅れました。ちゃんと生きとるんか?そんな声が聞こえてきそうですが(笑)記事作成のために猛勉強しながら、猛スピードで書き上げているつもりです。休憩時間の方が長いとも言えますが…。「過去記事一覧」を作成しました。↓↓↓↓↓~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一
「球磨川」*画像はWikiより◆「阿蘇ピンク石」~海を渡った棺~(23)久米氏のルーツについて触れようなどと、無謀なことをしようとしていますが…やっちまいます(笑)回数が多くなってきたので「過去記事一覧」を作成しました。↓↓↓↓↓~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一覧『◆過去記事一覧/「阿蘇ピンク石」~海を渡った棺~』大和国十市郡の兜塚古墳の石棺(「阿蘇ピンク石」製)。こちらでは過去にUPした、「阿蘇ピンク石」~海を渡った棺~の記事一覧を掲載します
この時期ですから、毎日高校野球を見る時間があります。ただ、真剣に見始めてしまうとキリがなくなるので軽く・・・今日、お昼前は大分県の明豊高校と北海道の北海高校の試合。九州の熊襲のDNAと蝦夷のアイヌのDNAが見られるかも・・・(すごく美形の男子高校生とか応援団の女子高校生とか)という楽しみもあります。途中で用事に行って、昼飯に戻ってきたら九回裏ツーアウト、ランナー一塁、守る明豊が7-5でリード。北海のバッター、凛々しい顔の男子
【これまでのシリーズ記事へのリンク】【第12代景行天皇】推定治世期西暦266年~295年(西暦71年~西暦130年:記紀の記載そのままの場合)熊襲が貢物を奉らなかった翌月に親征軍を起こした裏には、数々のやらかしがそれまでにあった?さて景行天皇に征伐の口実を与えてしまった熊襲ですが、それが以前に触れた通り、景行天皇12年7月(西暦272年?)のことと、日本書紀にあります。そしてその翌月の8月15日には筑紫に親征に向かったというのです。そして9月5日には周芳の国
【これまでのシリーズ記事へのリンク】【第12代景行天皇】推定治世期西暦266年~295年(西暦71年~西暦130年:記紀の記載そのままの場合)それまで版図の治世に力を注いできた大和朝廷が、唐突に九州親征に踏み切った謎に潜む、記紀における九州情勢の不記載と、魏志倭人伝での大和朝廷不記載の奇異ささて私は「大和朝廷と邪馬台国は対立関係にあった」と見ていると、前回記事で言いました。それについて、唐突に感じた方も、いらっしゃるでしょう。その辺の説明が舌足らずだったとも感じ
【これまでのシリーズ記事へのリンク】【第12代景行天皇】推定治世期西暦266年~295年(西暦71年~西暦130年:記紀の記載そのままの場合)臣下の礼を取っていた熊襲が礼を失した事を口実に、九州に親征軍を起こした景行天皇さて父帝垂仁天皇の崩御に伴い即位した景行天皇ですが、景行天皇12年(西暦272年?)に、九州に勢力を拡大していたとみられる熊襲(くまそ)が貢物を贈らなくなったことを口実に、九州に親征することにしました。この事が意味するのは、いくつか考えられます
いよいよ『熊本』にスポットを当てた作品を書くことになりました。われら熊本人。本(もと)が熊だったわれらが祖先。まさか・・熊だなんて、そんな失礼な・・何か・・熊・本って、へん・・いやいや、いろいろ歴史を調べてみると、まさに「熊」だったのです。われらクマ族は、まさに、まつろわぬ民・・弥生時代、卑弥呼の倭国と対立した狗奴国こそ、われらが祖先の輝かしさ。免田(今のあさぎり町)に都があって、前線基地は方保田(山鹿市方保田東原遺跡)にあったであろう。おそらく呉と関係を結び、交易をして、
前回、鹿児島県南さつま巡りをした↓『329.竹屋神社•磐境~日暈•吹上浜*桜島へ祈~鰻を食す』『328.笠狭宮・竹屋神社・宮ヶ池〜蝶は姫様•玉虫•土用丑の日』やけにどこかへ行きたい気満々だった私今回は海の方かなと思っていた主人は阿蘇方面へ行こうかなと考…ameblo.jp↑ここを参ったら鹿児島神宮へ行こうと決めていた主人!導きはほぼ主人にあると信じているので、私は全てお任せです再び鹿児島へ行ってきました霧島へ入りナビ通り鹿児島神宮へ向かうと細い山道へ入って行った?こんな山道?これは何処
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー38Cアジスキタカヒコネの伯父たち(八王子)とその子供たち18オオドシとタケツノミとイワレヒコ9倭(ヤマト)の天照3ひじかたすいげつ神武1(中公文庫コミック版や3-9古事記巻之2)Amazon(アマゾン)246〜4,300円つづき出雲族は紀元前10世紀頃に日本列島にやってきたといわれる。初代王「ヤツミミ」はそのようにして日本列島にやってきた人たちの末裔であった。現在