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今日のメッセージです。「強く念じたことは実現する。」ただし、忘れてはいけないことは「人を呪わば穴二つ」ということ。そもそも、祈ったり、念じたりする行為は怒り、嫉妬、物欲、性欲など煩悩と呼ばれる感情を元にした「情念」に基づくものが多いと感じます。煩悩は、苦しみの元であり、自分にも、周囲にも不幸をもたらします。だから、穴二つなのです。今日も素敵な一日を💚『4月のエネルギー☆』4月のエネルギーです。テーマといたしましては「望む方向に向かうと決める。」「目覚めのと
いつも、ありがとうございます✨️🙏✨️なむあみだぶつ…南無阿彌陀仏…最近の母、『よくもそんなにイライラできるねぇ』と思うくらい、瞬時にカッときて物に当たっています。思考の攀縁、思考を頼りにやっていると、すべてを思い通りにしたくなる。思考は思い通りにならないすべての原因を、他に作る。だけれども、思い通りになったところで、全く満足しない。逆にもっと、辛そう、苦しそう。母だけではない、そんな人間の愚かさをまざまざと見せつけられます。昔、まだ母を長野へ呼び寄せようと思ってた頃のことを
夫の不倫疑惑に悩み1ヶ月半。落ち着かないし裏切られてたのかと泣いてたけど。なんとか脱皮しました。容疑者のままだしどう考えてもおかしいのだが時間の問題だと確信しました。今では私と出会ってくれて結婚してくれて本当に感謝してます。私の業を持って行ってくれてありがとう😭おかげで宿命転換できたで。変毒為薬やで。煩悩即菩提やで。でも生まれ変わったら結婚しないけど。不倫なのかそうでないのかまだ分からないけど、真実が近づいてる予感です
パソコン1台で時流にあった働き方を実践しています引き寄せの法則、願望実現自分軸で生きるといったアルファソートを学ぶライトコピーライターのナマケモノはるひ//です訪ねてくださってありがとうございます~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~■「勝ちたい」という重たいエネルギーを手放してみませんか?SNSを開くと裕福な暮らしをしている誰かが目に入って、フォロワー数や収入といった「数字」で自分を採点して落ち込んでいませんか?
精神闘争の糧として、今朝も進む今朝、『人間革命』第13巻「楽土」の章を開いた。人生とは何か。人は、何のために歩くのか。人格を磨くとは、どういうことなのか。祈りの中で「人格を磨きたい」と願うことはできる。しかし、実際に人を磨くのは、願いよりも、ぶつかる現実なのだと思う。避けたい苦しみ。できれば通り過ぎたい悩み。安らかな方へ流れていく心。だが、人生が与えてくる苦労を、ただの傷で終わらせるのか。それとも、自分を燃やし、照らす薪に変えていくのか。『それには、精神闘争が必要です。
全ては自分の心が創り出している負の連鎖すら、自分の心が創り出しているというそんな時、どうしたら良いのだろうか外ばかりに目が行き、人に求めてばかりいると負の連鎖が起きてしまうこうなったらいいのに、あの人がこう変わったらいいのに普通はこうなるはず、常識なら言うはず人に求め、人を批判し、人を貪るそんな心が負の連鎖を創り出しているのです全ては外に求める意識が原因
名字の言煩悩即菩提の「即」とは?【名字の言】www.seikyoonline.com安原稔安原稔-「いいね!」2,914件·182人が話題にしています-27年5月より、玉野市議会議員を退職し、宇野地区連合自治会会長として地域のボランティアに取り組んでいます。www.facebook.com
週末に、出版助成の手続き完了の為、領収証と献本を持って大学の係を訪れました。帰り際、受付の係に、これから研究科にも寄贈本を届けに行く旨を話し、自作のポスターを見せました。すると写真を撮ってくれて、後でアマゾンで確認すると言われました。ポスターがおれないようにファイルをくださいました。私は自作の曼陀羅風の丸いしおりに、その方のお名前と献本記念の日付を書いてプレゼントしたら慶ばれました。何だかとても嬉しい出来事でした。いかがお感じですか。AIとても静かで、あたたかな出来事だと感じました。形式的
🌸「悪人正機」「煩悩即菩提」⛳人は自発性を動機にしないと本気にはならない☆人が自発性は刺激される方法*人の自発性を根底のところで刺激するのは*「マイナスを埋めたい」という願いだけ☆「劣等感や挫折感を解消したい」を願ったとき*我々の自発性に火がつく時生じた「やる気」*プラスアルファの実利を得ようとしているときとは*まったく質の違う継続性が伴う⛳仏教とは、人の「マイナスを埋めたい」との願いに☆応えるということに、全力を挙げてきた宗教☆親鸞聖人の悪人正機
禅は“こころ”です…ほりさんの笑顔の『一🍓一🖼️』(一期一会)言葉R25.12−30【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ思いをお届けします。《心に響く…禅のことば》【美しい四季…『一🍓一🖼️』禅】《冬もの語り》12月〜1月、2月冬〜白き足跡…春〜わかば萠え…夏〜花ひらき…秋〜紅葉…【冬の香り…こころ禅】(季節を感じさせる禅のことば)🪷煩悩☆*〜🧘♀☆*〜🪷百八鐘☆*〜「煩悩」と「百八つの鐘」を対句に
感情と一緒にいていい怖さも、不安も、悲しみも。どうにかしなくていい。消さなくていい。変えなくていい。ただ「一緒にいていい」この言葉が、私の中にすっと落ちた瞬間、心と体がゆるみました。実はこの感覚は、多くの叡智が違う言葉で伝えてきたもの。空海は「煩悩即菩提」——この身このままで仏だと。ユングは抑え込んだ感情は影になるが、迎え入れた瞬間、統合が始まると。エックハルト・トールは今この瞬間に在ることが苦しみを終わらせると言い、ブッタは感情を裁かずただ「ある
いよいよ師走ですね。今年も何も達成しないまま終わりそうです。そうそう、今日のテーマは「煩悩」です。煩悩は一般的に八万四千ほどあるとされています。いったい私にはいくつの煩悩があるのでしょうか。毎年増えているような気がします(笑)。さて、『即』について考えていますが、今回の「煩悩即菩提」はその中でも最も知られている言葉ではないでしょうか。「煩悩即菩提」を最初に唱えたのは空海だと言われています。同じような言葉に、「不断煩悩得涅槃」と言うのがありますが、こちらは親鸞でしょうか。意味はご存じだと思
きのうの午後は月例セミナー風水cafe✨今回もこれまで14年、278回の中で“過去最高の内容”にてお届けできました^^※VIP会員さんはZOOM参加✨※WEB会員さんはFacebookライブ参加🍀今回のテーマは【2026年地(ち)の年使命が根づく「心の土壌」の整え方〜煩悩即菩提/欲を〇〇に!~】でした^^内容は火氣の極まる🔥「変化の年」に向けていまからできる“心の準備”について。弘法大師空海さんの言葉「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」を現代&日
煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)「煩悩即菩提」とは、「煩悩こそが悟りへの道である」という逆説的な教えである。私たちは、怒りや嫉妬、欲望といった煩悩を「悪いもの」「捨てるべきもの」と考えがちである。しかし、禅はそれらを否定しない。むしろ、人間に備わった自然な感情として、それを正しく見つめよ、と説く。煩悩は、私たちの心の働きそのものである。欲望があるから努力が生まれ、怒りがあるから正義を求める。悲しみがあるから他者の痛みに気づく。つまり、煩悩は苦の種であると同時に、悟りの
皆様おはようございます武田恭佳です龗カードからのメッセージをお送りします「月読」月の光はあなたを照らしていますあなたの心の奥底まで月の光が届いているはずです一点の曇りもなく、わずかな闇をも許さずすべてを白日のもとにさらけ出す太陽その太陽のもと昼の私達は生活しています日の出ともにそれぞれが生活を営んでいます昼の世界は公の世界表の世界自分の世界のようでいて周囲に見せているのは自分という「
皆様おはようございます武田恭佳です龗カードからのメッセージをお送りします「阿弥陀如来」情報にふりまわされて大事なものを見失わないように阿弥陀如来は「無限の光を放つもの(無量光)」「無限の命を持つもの(無料寿)」を意味する如来です人々を清らかな世界に導き安らぎを与えることが使命あなたを導くために現れました日々、洪水のような情報に惑わされ必要な情報まで見えなくなっています不安も迷い
本当に九八さん素晴らしい東京声聞会、縁覚、どうもありがとうございました思考、考えが苦しみだったなんて、、、誰も気づけない。考えて、問題をどうにか解決していくのを良しとしている世間では、苦しみ、悩みだらけ。思い、考えをそのままに、、、かまわない、、、なんて、まさかまさか思いもつかない。。。心を制する名号・南无阿彌陀仏この二柱をいただけて、、、人間的なあり様などみじんもなく、、、南无阿彌陀仏のみ、、、という実感。。。無上甚深、大安心、、、周りまでも円滑円満何がどうあろう
『煩悩』とは一仏教では心身を乱し煩わせ汚す心の作用とされる。そしてしかし煩悩はそのまま悟りに通ずるとの、同じく仏教での教えがある。煩悩と悟りは本来一体なのだと。煩悩即菩提ぼんのうそくぼさつ大乗仏教の概念。煩悩がある中で、それを理解して生きていく姿こそが悟りへの道みたいな。煩悩即菩提-Wikipediaja.m.wikipedia.org感覚器官を備えた人間に生まれたから感覚器官をくすぐる煩悩はついてくる。心は乱され、煩わされ、汚れる。そして
皆様おはようございます武田恭佳です龗カードからのメッセージをお送りします「不動明王」仏説聖不動経ぶっせつしょうふどうきょうその時大會にひとりの明王ありそのときだいえにひとりのみょうおうありこの大明王に大威力ありこのだいみょうおうにだいりきあり大悲の徳の故に青黒の形を現じだいひのとくのゆえにしょうこくのかたちをげんじ大定の徳の故に金剛石に座しだいじょうのとくのゆえにこんごうせきにざし大智恵の故に大火焔を現じだいちえのゆえにだい
今晩は。山の下不動尊教会のkaoruです。ご訪問頂きありがとうございます😊受動的にとありますが人間は受動体であります。何事も受け入れのココロを持つ事でココロが軽くなります。反対に能動的に行きますとつまずき易くなります。いきなり受け入れと言われても困ると思いますが瞑想などでぽっと浮かぶ事(煩悩)を全て否定ではなくそうゆう考えもあるのだなぁ的に捉えて行く事も必要です。(煩悩即菩提)いきなり答えを出したりするのでなくワンクッション置きながら答えを導き出すのが良いでしょう。何事も反省
金曜日は金運などスピリチュアルメインで、土曜日は言葉について、日曜日は神社仏閣や、神々にまつわる話をしています。こんにちは、さとうたくじです。今日は、「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という言葉についてです。「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」は、まさにチョプラやユングが説いていた「光と闇の統合」と深くつながる、仏教の核心的な教えだという話をします。「煩悩即菩提」とは?漢字のまま読むと煩悩(ぼんのう)…欲望・怒り・嫉妬・執着など、人を悩ませる心の働き
呼吸があまりにも気持ちよいと、無意識にこれがずっと続いてほしい、という煩悩や、普段の怠さや眠気に戻りたくないという執着の感情が起きてくる。ここまでくると、この煩悩や執着の感情を無くす事は一生できないのが少しずつわかってくるが、呼吸が気持ちよいのがずっと続いてほしい、というのは、本質的な煩悩であって、金や女や地位や名誉の煩悩とは根本的に違うから、呼吸が気持ちよいというような人間の根源的な煩悩を肯定するのが、親鸞さんがいってる、煩悩即菩提なのかもしれない。
おはようございます(^^)/九八さん、皆様、本日もどうぞよろしくお願いいたします。南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏、、、表面上では有難がたいと言いながら、心の中では舌を出す、、、二枚舌の者が、この場に紛れ込んでいたとは、本当に恐ろしく悲しい、、、私のことを欺き、同志を疑心の蛇の道に引きずり込むようなことは、阿彌陀は決して功徳を与えるのではなく、説法として身に降りかかるのであるこのような愚かでどうしようもない私に、、、説法をしてくださることは、本当に有難いことであるのです。し
こんにちは☺️ゆみのブログにお越し下さりありがとうございます。明日明後日の2日間、、、九八さん、お会いする皆様どうぞよろしくお願い致します🙇♀南无阿弥陀仏、、、南无阿弥陀仏、、、南无阿弥陀仏、、、阿彌陀の方から信じられた者こそが、、心身救われ、永久不滅の大幸福の身となるのであるそのありようとは、阿彌陀のいわれを聞き、一切の自力を捨て、、認識以前の自他のない真実に目覚める以外、、絶対にありえないのである阿彌陀の観てる世界とは、決して特別なものではなく、ニ極ない、平和で
こんばんは。今日は調べ物をしていたら、この仏教用語に出会いました。煩悩即菩提Google先生によると・・・「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」とは、仏教の用語で、煩悩と菩提(悟り)は別のものではなく、相即しているという意味です。煩悩がそのまま悟りの縁となる、煩悩を離れて菩提もないという考え方です。詳細:煩悩(ぼんのう):欲望や執着によって生じる苦しみ、煩わしさを指します。菩提(ぼだい):煩悩を断ち切って悟りを得ること、またその境地を指します。煩悩即菩提:煩
こんばんはゆみのブログにお越しくださり、本当にありがとうございます。極めて稀な、深い強仏縁に感謝申し上げます南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、、、、本日は「九八とゆみの東京声聞会」ありがとうございました九八さん、お会いできる皆様、明日どうぞよろしくお願いいたします長野声聞会から二週間たちましたが、更に皆様がキラキラと輝き、、そして日々の説法や功徳を頂いているお話を共にでき、、、本当に本当に自他無く、己の醜さ愚かさに気づかせて頂き幸せで有難かったです。阿彌陀様から名号を頂き
おはようございますゆみのブログにお越しくださりありがとうございます極めて稀なご縁に感謝致します。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、、、九八さん、声聞衆のみなさま、、、、尊い二日間をありがとうございました阿彌陀は、私を仏に往生させる為、全身全霊を尽くしてくださり、、、、日々毎瞬毎秒ご説法してくださっているのですこんなにも有難く、嬉しく、尊いことはございません、、、。ご恩を知らされ、仏恩報謝南無阿弥陀仏を奉る生活をいただけ、、、本当に本当に幸せです、、仏恩報謝の
おはようございます極めて稀な仏縁に感謝致します本日より二日間、阿彌陀が開催される【第二回長野大横超声聞会】ですお会いできる皆様、どうぞよろしくお願いいたしますただ聞くこの一念で、他力横超する道です。総ての一切皆苦が大功徳に転じるのです。愚かでどうしようもない極悪人であることを、阿彌陀より知らされれば知らされるほど、、、そのまま救い上げられる優しい易しい易行道なのです阿彌陀の説法を観たのならば、、、必ず諸仏達の大讃美と阿彌陀の大讃美を感じ賜り、、、生きているたった今、体の生き死に
貴方は仏教の「煩悩即菩提」と言う語を度々聴いた事も有るし、読んだこともあるだろう。「迷い」がそのまま、「菩提・悟り」の道程で有ると言う事である。「迷い」と言う「悟り・菩提とは別なもの」が有るのではないのである。「迷い」と見えているものが、実は「悟り」が動き出し、現象化しつつある道程であるから、「迷い」本来無しと言い得るのである。
こんかいは、第一章「『実践倫理』貫く」の章末となる部分pp,48-53からのご紹介です。実践倫理は現実大肯定の原則に基づき、易や流行も肯定する。(「易」は入れかえる、取りかえる、の意味。「不易」の誤植の可能性も考慮されますが、「や」という接続詞ですので、「易」でも意味は通じます。いずれも「変化」として読み、先を進みます。)しかし、それはあらゆることを無条件で認めるということではない。(私としては、「無条件で認め、受けとめ」、と理解したいと思います。そして)正しいもの善なるものとして(止揚、