ブログ記事200件
明日、80年目の終戦の日を迎えます。今週の「ヨコハマ・ラグーン」では10年間の想いをこめて、「焼き場に立つ少年」の写真と「トランクの中の日本〜戦争、平和、そして仏教〜」展についてお話させていただきました。10年前、私はこの死んだ弟を背負う少年の写真と出会い、体当たりで写真展の開催許可をいただきました。多くのご支援をいただき、この写真をローマ教皇フランシスコに届けたり、サンマリノやイタリアで写真展を開催したり、東京展では上皇后陛下にお手紙をお送りし、映画『火垂るの墓』との共同イベントも開催で
長崎平和公園の平和祈念像右手は原爆を示し、左手は平和を表す。顔は戦争犠牲者の冥福を祈る是人種を超越した人間、時に仏、時に神。長崎への原爆投下のあとアメリカのカメラマンによって撮られた写真。弟の亡骸を火葬する順番を待つ少年。(1945年長崎、ジョー・オダネル撮影)「焼き場に立つ少年」2017年末、ローマ教皇フランシスコはこの写真が印刷されたカードを、教皇の署名と「戦争がもたらすもの」という言葉を添えて、世界の教会に配布するように指示を出した
今日は長崎原爆の日。今日の長崎はあいにくの大雨で平和祈念式典も大変なことでしょう。これは従軍写真家ジョー・オダネル氏によって撮影された「焼き場に立つ少年」をもとに友人の画家河村嚴生氏が描いた油彩画です。「いまなお世界各地で繰り広げられる戦争、不信が募るばかりです。ローマ教皇フランシスコによってこの写真は世界に広められましたが教皇から伝えたかったこと、絵ならもっと伝えられること、来世に残せればと願います」と言っています。この油彩画を掲載し、共に平和と核のない世界を願います。そして多くの人
映画『火垂るの墓』、Netflixで配信が開始されます。イタリアのリミニで、京都佛立ミュージアム「トランクの中の日本〜戦争、平和、そして仏教〜」展と、映画『火垂るの墓』の上映会が同時に開催されました。完璧なイタリア語の吹き替えが入っていました。たくさんの方々が真剣に映画に見入っていました。幼い兄弟と兄妹。どちらもお兄さんがおんぶしています。終戦80年の夏、戦争の悲惨さや非情さを伝える写真展や映画に触れる機会があればありがたいと思います。写真はリミニの街に設置された野外シアターです。
7月9日、FMヨコハマ「横浜ラグーン」を無事放送させていただきました。ありがとうございます。先日、終戦80年特別展示として「焼き場に立つ少年」を中心とした写真展もスタートいたしました。危機の時代にある私たち。油断せず、心して、毎日を大切に過ごしたいものです。この夏、久しぶりに映画『火垂るの墓』が地上波で放送されるそうです。Netflixでは7月15日から視聴できるようになるそうです。目を背けずに見なければならないこと、ありますね。今週はリスナー様からのメッセージにお答えしました。つくづく、
トランクの中の日本~戦争、平和、そして仏教~オープニング映像ナレーション「我々が歴史を勉強すると、我々が歴史から学んでいないことが分かる」ドイツの哲学者、ヘーゲルは言っています。第二次世界大戦当時、イギリスの首相であったチャーチルは、「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ」と述べています。こうした先人の言葉に接する時、先の大戦後、果てしなく争いを繰り返す人間の愚かさに身震いするほどの恐怖を覚えます。フランスの作家、空軍のパイロットでもあったサン
本日より京都佛立ミュージアム終戦80年特別展「トランクの中の日本〜戦争、平和、そして仏教〜」展がスタートいたしました。7月1日から今朝まで、スタッフ一同みんなで力を合わせて無事にスタートを切ることが出来ました。本当に、ありがとうございます。これまでで最も大切で、しかし同時に最も虚しく、開催準備をいたしました。最初にこの写真展を開催したのは2015年、今から10年前です。仏教のミュージアムとして終戦70年の企画展を考えていた時、杉崎さんから『トランクの中の日本』をお預かりしました(この時
日曜日、京都佛立ミュージアム「真説・坂本龍馬展」が無事に終了いたしました。最終日は途切れることなく来館者がお越しくださり、最後まで大変な反響をいただきました。本当に、ありがとうございます。今日はスタッフが集まって撤収作業を進めてくれました。手づくりのミュージアム、献身的なご奉公、心からありがたいです。ありがとうございます。昨日はランドマークタワーにあるFMヨコハマのスタジオで収録でした。開導会の翌日で頭がパンパン。興奮冷めやらず、鈴江ご住職のことや妙現寺さまについてお話しました。毎週リスナー
今日は京都佛立ミュージアムの運営委員会でした。龍馬展ももう少しで終了です。4000名に上る来館者をいただき、さすが龍馬と思いました。6月18日、集大成となる図録が刊行されます。よろしくお願いいたします。みんなで情熱を傾けて、何もなかったところからスタートしたミュージアム。社会性を心がけ、今なお躍動する生きた仏教を、社会へ、世界へお届けしようと企画展を重ねてきました。特に、この誕生したばかりのミュージアムでは社会的な信任を得るために必死でご奉公に努めてきました。月日が経つのは早いです。これま
たんたん評論「屏風歌から写真歌への進化」NHKEテレで放送している「NHK短歌」の2025年5月第2週の放送回におけるテーマは「五月」、じゃなくて「散歩」だった(笑)。さて、第2週の選者である荻原裕幸(1962-)は番組の後半において、ゲストの若い女性写真家に向かって、次のような質問をしていた。「(普段から写真に慣れ親しんで、それを職業としている写真家の立場から)写真で表現できないことは何か?」写真家に向かって写真の限界を問うような質問をするとは、ブロ
2025年4月21日、第266代ローマ教皇・フランシスコの訃報が全世界を駆け巡り、多くの哀悼の言葉が寄せられています。キリスト者でない者も教皇フランシスコの質素で献身的な生涯には敬意を抱きます。南北アメリカ大陸から初めてローマ教皇となった彼は、当初から難しい時代と状況に直面しながら教会を変えようと実際に力を尽くしました。「組織として傷ついていても表に出て病人を助ける教会か、引きこもっている教会か、そのどちらを選ばなくてはならないとしたら、私は前者を選ぶ。」2018年の正月、教皇フランシ
この10年、サンマリノ共和国は私たちに貴重な機会を与えてくれました。その原点は裕子さんで、裕子さんが結んでくださったご縁はバチカンの教皇の心まで動かしました。10年前、終戦70年を迎えるにあたり、私たちは「トランクの中の日本戦争、平和、そして仏教」展を開催し、裕子さんから絶大なご後援をいただきました。サンマリノ共和国との深いご縁は10年に及びます。共和国の世界遺産の議場をお借りして写真展を開催したり、来日したサンマリノ共和国の文化大臣が宗会で感謝の言葉を述べてくださったり、ご講有がサンマリ
戦後70年に少年がおこしたムーブメントのあと世界はどうなったか…2022年2月ロシアのウクライナ侵攻核バクダンをチラつかせる指導者平和のねがいをあざわらうかのようにゆるせません私は「平和祈念像」をみると重苦しくてつらい時期がありました2023年10月ころ祈っても祈ってもいっこうに平和がおとずれない悲しい鉄のカタマリに感じてしまって…ヒロシマのnTecherがいってました「ナガサキが祈りならヒロシマは怒り」たしかに原爆
私の話にもどります2022年5月に「焼き場に立つ少年」にであってから「彼の笑顔をみたい」という想いがはなれなくなりましたでもどうすればいいかわからないし自分のことで忙しくて手いっぱい2023年1月「歓喜祭り」というnTechセミナーをうけました「本当の心の歓喜」「日本文明の歓喜」というテーマ初めてのオフラインセミナーは声をだしたりアクションがあったりでとても楽しかった本当の心が体の自分にはまって人間が「う
私はゲンバク資料館の「焼き場に立つ少年」の前ですぐに写真集をネット注文しましたすぐ先の売店にあると知らずに…トランクの中の日本:米従軍カメラマンの非公式記録Amazon(アマゾン)これは「進駐軍のカメラマンが撮った写真集」著者ジョー・オダネル氏は1945年9月、佐世保に上陸ナガサキ・ヒロシマなどを撮影してまわります少年を撮影したときのようすはリンク先の動画の冒頭部分でごらんください写真集にあるジョーのコトバには心が
このブログのタイトルにある「焼き場に立つ少年」は1945年の9~10月ごろナガサキで撮られた死んだ弟の火葬順をまつ少年のこと私のライフワークになりそうな彼とのであいをふりかえります2022年3月はじめてうけたnTechの1日セミナー2月にロシアのウクライナ侵攻があって核戦争のキンチョーが高まっていましたセミナーでのノォさんのコトバ「核戦争に反対できるのが日本」「自分の絶望が弱い人は日本の涙をみて」がささります「自分の絶望」とは当時の新刊本「
日本のみなさーん早速ですが今年は何の年ですかー?はーい正解でーす「戦後80年」ですねー私お正月からTVの番組表を見てるんですけど…戦争特番が少なーい!てかほとんどなーい!それでいいのか日本!?今年はただの周年じゃないんですよねぇこの5年間に何がおこったか?2022年ロシアのウクライナ侵攻ですよ核バクダンをチラつかせる指導者核戦争の危機それでいいのか日本!?まずはみなさんに「日本の涙」を感じてもらいたい
自問自答をくりかえすなかでふと原爆資料館での涙のワケがわかりました「体が弱くてありのままでは認められない」私の涙「大事な弟をまもれなかった」少年の涙「本当の心に目ざめられなかった」日本の涙無力感でつながった「私」「少年」「日本」の涙があの日、私の体から流れでていたんでした私が「日本の涙」にふれるキッカケは「焼き場に立つ少年」でしたが「特攻隊員の手紙」「ひめゆりの塔」「火垂るの墓」「かわいそうなぞう」などカタチはちがっても戦争のヒゲキに日本
2022年5月私は「日本の涙」をさがしにいった長崎原爆資料館で運命のであいをします「焼き場に立つ少年」1945年終戦後の長崎死んだ弟の火葬順をまつ少年ハダシピンとのびた指かみしめたクチビル無念のコトバがきこえてくるようですずっとたえしのんでたたかったのにセンソウにまけて、おさない弟をまもれなかったかわいそうでたまらないくるしい、かなしい、うしないたくないしっかりしろ、弟をみおくるんだゆるせない、くやしい、やりかえしたいクソ
わたしナガサキのゲンバク資料館(しりょうかん)で「焼き場に立つ少年」にであいました1945年終戦後のナガサキ死んだ弟の火葬(かそう)順をまつ少年ハダシピンとのびたユビかみしめたクチビル無念のコトバがきこえてくるようですずっとたえしのんでたたかったのにセンソウにまけて、おさない弟をまもれなかったかわいそうでたまらないくるしい、かなしい、うしないたくないしっかりしろ、弟をみおくるんだゆるせない、くやしい、やりかえしたいクソー・なにをにくむのかまけたん
嵐FCから会報が届きました。3日には、会員へのプレゼントも頂きました🙏先ずは、遅く為りましたが、「嵐」25周年、おめでとうございます。一緒に祝う推し友?も居無いので、私は特に何も用意もしませんでしたが、せめてお花の写真を載せますね。これは先日、我が家の車を買え代え納車時に、車屋さんで頂いた花束です💐貰ったパンフレットを眺めてたら、珍しく?紫💜のカラーの有る可愛い車種が有ったので、それに乗る松潤でCMを観たいなあ何て妄想してます。最近、花束何て貰う事も無いので嬉しかったです🥰花瓶?
9月16日からNetflixで映画『火垂るの墓』が世界190ヵ国で配信されるようになり、大きな反響を巻き起こしているという。日本では未だ観られないがNetflixの判断に敬意を抱く。ジブリ映画、高畑勲監督作品。ピカソの『ゲルニカ』に匹敵する作品、「二度と観たくない最高傑作」などの評。2003年のイスラエル、パレスチナ。あのとき感じた全てを思い返す。人間の業がいかに深いか思い知る。呪縛。ライフワークとしてジョー・オダネル氏が撮影した「焼き場に立つ少年」を中心に写真展を開催してきたが、今の世界
こんばんは明日もお仕事の方も、お休みの方もお疲れ様です!私は今日、外出が多くて足がいつもよ、らパンパンになりました人と会っている時間が長くて、お水もあまり沢山飲めなかったな〜でも!「解決したい!」と思っていた一つの仕事に光が見えてきました。あと一息、気を抜かずに頑張りますさて!そんな遅くなってしまった日は〜もんじゃ焼きへ行こう!迷わず飲み放題シーフードめんたい餅チーズ!息子が率先して焼いてくれました!夫は「焼き場長交代だな!」と喜んでいましたよ明日も健康で楽しい一日にな
♪8月15日の夜(ジャンニ・モランディ)焼き場に立つ少年(撮影昭和20年)10歳と思われる少年が口を固く結びながら、視線を真っ直ぐに向けて立っている。少年は目を閉じた幼児を背負っている。幼児は少年の弟ですでに息を引き取っており、少年は火葬の順番を待っている。(ウィキペディアより引用)戦争がもたらすものが、この1枚の写真に凝縮されてると思った。ロシア、中国、北朝鮮、シリアの指導者は、この写真を見たら、何を思うだろう・・・平和を願う歌声すら彼ら
休日という事で久しぶりの朝ラン3周~♪昨日11日は山の日・・・で本日12日はその振替休日!あまりにも天気よすぎて3周?9日の原爆投下から3日後・・・11:02は家族は学校に職場に皆それぞれ出かけてバラバラ・・・で、その後行方の分からない家族を探し回る事になる・・・放射能だらけの被爆後の長崎の街に出て・・・(>_<)マスクも手袋もない・・・あるの者は裸足で・・・飲み水も食べ物も乏
「焼き場に立つ少年」というこの写真今年も(これからもずっと)この季節になったらこの写真をあげ続けます彼はどうしてここにいるのか彼はなぜ前を見据えて唇をかんでいるのか彼が背負っている妹(であろう)は眠っているのかそれとも・・・詳しいことはもう何回も書いたのでタイトルでググればすぐに(本当にすぐに)わかります先日もネットの記事でアメリカと日本の原爆に対する考え方の違いについてのあまりにかけ離れた考え方に気持
今日は長崎原爆の日。11時2分黙祷戦争や核のない平和な世界を祈る。米国の従軍写真家ジョー・オダネルの写真を元に作画したかつての同僚で画家の河村嚴生さん作「焼き場に立つ少年」は死んでしまった幼児の弟を背負い火葬の順番を待つ少年を描いている。少年はその後、母親と無事に会うことができたのだろうか・・・ジョー・オダネルは奇しくも2007年の今日長崎原爆の日に亡くなっている。
79年前の今日…長崎…。1945年(昭和20年)8月9日。11時2分…。(渡邉英徳さんがカラー化)もう10年以上前だが長崎の原爆資料館で『焼き場に立つ少年』の写真を観た時はただただ胸が詰まったなあ。少年の凛とした立ち姿が尚更悲しい…。あと個人的には8月6日にこの長崎のキノコ雲の写真をUPする人が多いのがね…。キノコ雲は原爆の象徴…。核の恐ろしさ、悲劇を伝えたいんだろうしそんなに問題にする事ではないのかも知れないが…。やっぱりヒロシマとナガサキのキノコ雲の違いぐら
こんにちは。私は中学3年の時の夏のグループ課題で【原爆】を皆で調べた……中3の夏は、忘れ得ぬ夏になった神も仏もあるものかこのことを、考えたらいけない、考えたらダメ!!考えたら、神様が離れていくかも……神も仏もあるものか!!ここの焦点を置いたら生きる力が激減することを、薄らと解って来ていた年頃だったから、神様も仏様も、いないんじゃないの?と、思っては、ダメ!!イケナイ…しかし……原子爆弾で焼きただれた身体のモノクロ写真を見た時、、神様はいったい何を
長々と3回目となった長崎編ですが、これで最後となります。おまけがあるかもですが・・・・・教科書に必ず載っている出島。この年になるまで一度も見たことありませんでしたので、なんかワクワク<出島外観><出島入口看板>全体図や教科書で見た感じのミニ出島のミニュチュアが展示されていて、大まか全容が確認できます。<ミニ出島>どこでもそうですが、復元建物や遺構の後ろに現代建築が見えるのはちょっと残念<出島内>室内も保存されているものと