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短編小説のようなナンバーが桑田さんには数多くあります。「LiveAffair」、「LonelyWoman」、「SoWhat?」、「栄光の男」などなど。場面、キャラ設定が明確で、聴くと情景が目に浮かび、物語の世界に入り込んだ気分になります。失恋歌、応援歌、風刺歌といった心情を吐露したナンバーではなく、登場人物と距離を取り、神の視点で描く物語です。アルバム「葡萄」(2013)、2曲目に収録された「青春番外地」もその系譜に属するものです。今日も酒場は酔いどれパーティー女たらしでサイテ
おポエム無頼派ゴンタ3号!
「神戸ニニンガ日誌」(第3,086号)○伊集院静が亡くなった。桜木紫乃が直木賞受賞の夜に「神崎武美」名で花が届く。桜木さんが好きな『羊の目』の主人公の名だ。最後の無頼派と呼ばれた男には、「傷つきながら書け」ということを教わったという。「登場人物が負う傷は、すべてお前が引き受けろ、と言われている」と。○私生活では夏目雅子、篠ひろ子と過ごす。作詞した『愚か者』では「失くした時を男は振り向き女は消し去る」と定義した。○読者の悩みに回答する『週刊文春』の「悩むが花」が好きだった。彼女の顔が
ごはん、みそ汁、里芋のゆず味噌がけ、菊の酢の物、ブロッコリーサラダ、鰈の煮つけ“最後の無頼派作家”伊集院静さん無類のギャンブル好き、費やした金額は「数十億円」11/24(金)23:36配信2013年10月27日、天皇賞・秋の表彰式でプレゼンターを務めた伊集院静さん(右)。左は福永祐一騎手小説「機関車先生」やエッセー「大人の流儀」シリーズなどで知られる人気作家の伊集院静(いじゅういん・しずか、本名西山忠来=にしやま・ただき)さんが24日、肝内胆管がんのため死去した。73歳。山口
花嫁の皆様、花嫁のママさま、花嫁の猫ちゃんたち昨日から、寒いですよね~。こんなときは、ガブちゃんを抱っこして寝ると最高!!!絹のようなシルキーな毛並み。ブラネおばさんが、1日2回もブラッシングをしているからだと思います。けっこう、手間暇がかかる猫。ブラネおばさんのドレス屋さんは、ミドルシニアのブラネおばさんと広報担当の愛猫のガブちゃんで運営しております。ガブちゃんいわく、もちまる日記とかすごい猫ブームなんだし、SNSを頑張らないと時代に乗り遅れちゃうニャン🐾しかしです
小説家の伊集院静さんが亡くなられた。昨夜は私は大きなショックを受けた。私が[師匠]だと思っていた方である。お悪いことは知っていたが、またきっと元気になられて復帰されるものとばかり思っていた。昨夜、私が落ち込んでいると、妻が「あなたも早く死なないでね……」と、言ってきた。伊集院静。やっぱり一番の魅力は単に小説、単に作品だけじゃなくて、その生きざまが人に[夢]を与え続けてきたことだろう。小さな頃からずっと野球をやり続けてきた地方の少年がひと
伊集院静先生の訃報が流れました。いや~、ちょっとショックでかいです。動揺。大好きな作家先生でした。小説もエッセイも競輪予想も。静岡県人としては「ごてんばあさん」の歌で楽しませてもらいました。静岡県が独立したら国歌はこの歌ですよ、マジで。山の上ホテルも立て直しで休業みたいだしひとつの時代の節目が来たのかな。私のバイブル。これを読むと強く生きることができます。2000年ケイリングランプリ。児玉―岡部を本線で的中、私に高額払い戻しをプレゼントしていただき
こんにちは🌸アロマとヒーリングのLaLavandのねこです^^ここ20年くらいは、あまり小説は読まなくはなってはいますが、たまに読みます。2011年に芥川賞をとった西村賢太さんの小説は、2冊くらい読んでいました。それは、芥川賞をとった時に、テレビで映し出された風貌と口から出た言葉が強烈だったから。この人、面白い!と思いました。これは読みたい小説家だと。この方の小説は、あくまでも自分を描いています。露骨までに、徹底的に自分の体験や感情をあらわにしている私小説。ここまで書くか!と
東京で編集者をしていた頃、編集長と二人で大阪に出張したことがあった。その編集長は大阪出身の方で、私を大阪のいろんなところに案内してくれた。小説家の織田作之助のお墓だったか碑のあるところにも連れて行ってくれた。(記憶曖昧。笑)それはもちろん私が当時から下手な小説を書いていたからである。織田作之助。私が師と仰ぐ太宰治と同様に[無頼派]の小説家である。私は織田作之助の小説はそんなに読んではいない。でも、ひとつ、織田作之助が猛烈に「うらやましい❗❗」と
サイバラ(西原理恵子)氏は、高校のとき週刊朝日だかに連載されていた「恨ミシュラン」を目にしたのがきっかけでよく読むようになった。ゴチャゴチャした汚い絵柄なのだが読者の涙腺を刺すセンスがあり、毒舌かつ情に厚い人なんだなと思った。この当時から高須院長と友人であったと記憶している。で、そのうちにアル中の写真家とくっついて共依存になったり離婚したり、高須院長とくっついて幸せそうになったり、作家として大成功したりと色々あったのだがダーリンは77歳(ビッグコミックス)Amazo
今日は「桜桃忌🍒」無頼派の作家、太宰治の忌日であり、誕生日でもあります。桜桃を食べながら、太宰治の作品を読みつつ、偲んでおります合掌。
“東京タワー333匹の「鯉のぼり」”イベントを見に行った続きのお話です。浜松町あたりは都市景観撮影の宝庫ですね。さて、東京タワーに到着です。もう何年振りかわからないくらいです。この下に立つのは。展望台に上がったのは確か小学生のころだったかも。総工費約30億円、1年半近く(543日間)の工期で延べ21万9,335人の人員を要して1958年(昭和33年)12月23日に竣工した東京タワー。工事に参加した職人たちの熱気が、この鉄骨から伝わってくるようです。
失意の中、酒と女と薬に溺れ、破滅へと突き進んだデカダン人生1913年(大正2年)生まれの作者は、早稲田大学在学中の32年(昭和8年)19歳でロサンゼルスオリンピックに漕艇選手として出場(予選敗退)するという、文学に携わる者としては異色の経歴を持ちます。その際に出会った女子陸上選手に一目惚れした話を、後の40年(昭和15年)27歳の時に小説にして太宰治に見せ、それが『オリンポスの果実』として「文學界」に掲載され池谷賞を受賞しました。そうした比較的真っ当な作品を書いた時期もあるのですが、49
私は海を抱きしめていたいAmazon(アマゾン)100円この短編小説、とても面白かったです。無頼派の作家、坂口安吾作。私は然しその一瞬の幻覚のあまりの美しさに、さめやらぬ思ひであった。ひろびろと、なんと壮大なたわむれだろうと私は思った。私の肉慾も、あの海のうねりにまかれたい。
花嫁の皆様、花嫁のママさま、花嫁の猫ちゃんたち今日は、ちょっと雨が降っていて残念。でも、とってもかわいいカップルの婚礼があって、とっても幸せそうでよかった!!!ブラネおばさん、スマホを忘れたので写真撮り忘れ。ほんと、長いようで短いような~。準備期間は長いけど、あっという間に終わっちゃう結婚式。でも、思い出もドレスもお写真も残りますからね。今日は、都内で一番古いホテルだと思われる山の上ホテルにお邪魔。フランスのモンマルトルの丘にあるみたいなプチホテルで挙式、披露宴でした。
《毎月一回行っている海馬文学会の読書会です。テーマ本は、近現代の国内外の古典や純文学、中間小説などの中から、同人・会員の推薦で決定(基本は文庫本)。他に芥川賞受賞作を年二回、同人誌「海馬」合評会を年一回実施。自由に感想や意見を述べ合う場ですので、老若男女どなたでもお気軽にご参加ください。丁寧に読むことを通じて、いろんな気付きや新たな発見があると思います。特に、小説を書いている方やこれから書きたいという方の参加は歓迎です》〇テーマ本田中英光『空吹く風暗黒天使と小悪魔愛と憎しみの傷に
世間では、石川淳さんは、太宰治さん、坂口安吾さん、織田作之助さん達とともに「無頼派」と呼ばれているようです(本人達がどう思っていたのかは不明です)。ボクは高校生の時に、坂口安吾さんが大好きでよく読んでいましたが、図書館で借り、今拝読している石川さんの『狂風記』(集英社、1980年)は他の無頼派の作家達が執筆した時代と違うので、ちょっと趣が異なりますね。どなたかが、無頼派の作家はみんな結婚していて、その結婚生活が破綻をきたす寸前で留まっていると書いていましたが、うん、「無頼派」という
写真は福岡ボート数年前に永続勤務した会社を定年退職し、再雇用期間も満了したギャンブル仲間のMさん(65)が、第二の人生をおう歌しているようです。「わびしい年金生活。分相応に」と笑いつつ、お子さんも独立して、自由気ままなMさんは連日、なじみの飲み屋で大好きな酒をひっかけながら、「第二の人生」の青写真を日々、描いているようです。現在は関東近郊で暮らすMさんですが、以前聞いた話しですと、老後はポン友(飲み友達、ギャンブル仲
私が敬愛する作家には、料理作りに傑出した人が何人かいる。立原正秋や檀一雄がその代表選手だ。檀一雄は、女優檀ふみの父親である。最後の無頼派と呼ばれた作家で、太宰治や坂口安吾、織田作之助らと親交があった。それゆえ、生活は破天荒(はてんこう)だった。独身のころ、檀一雄の代表作である『夕日と拳銃』が読みたくて、神田神保町の古本屋街を歩き回ったが、とうとう見つけることができなかった。ほかの著作を何作か見つけたが、いずれも一万円以上の値がついていて、買えなかった。そのうちに全集を扱う店で、檀一
中学2年生の娘ちゃん&ママ子どもと一緒にお勉強がんばる♪はい。本日もワールドカップ無事観戦視聴。モロッコのワンチャンある感に最後まで目が離せない展開でした!おもしろいなー。何かサッカー関連の仕事できるようにがんばろうかな!読書記録です。純文学続きます。純文学・織田作之助「天衣無縫」おださくー!この方も文ストに出てきて知りました。表紙も文ストの織田作之助さんデザインのがありました。「天衣無縫」を含む短編集です。◆天衣無縫わたくし「天衣無縫
タイトルが妙に真面目臭いと読まず嫌いしてしまうものである。例えば石川淳の「普賢」。石川淳は無頼派(この言い方嫌い。新戯作派のがまだ良いが、新をつける意味もわからない)と言われ、格好つけずにありのままの人生を描いた作家なのだが、本のタイトルが真面目であまり魅力がないから、なんとなく敬遠していた。ところが珍しく敬虔な気分になっていたある日、部屋の奥にある新潮社の日本文学全集で見かけた「普賢」を何気なくぱらぱら読み始めたら一気読みしてしまった。全然違う、むしろ逆だ。護国寺で、手を合わせて祈願して菩薩
わたしが「無頼」という言葉を知ったのは、太宰治や坂口安吾などの小説を通してである。彼らは「無頼派」と呼ばれるような生き方をした作家であり、ゆえにわたしにとって「無頼」という言葉は太宰や坂口と対になっている。太宰の最期が愛人との心中であったように、彼らの生き方は往々にして破滅的である。●無頼(ぶらい)定職に就かず、無法な行いをすること。またはその人(無頼漢)→ならず者。辞書にはそのように説明されているが、わたしは最近、「無頼」という言葉を久しぶりに耳にした。先日、急逝された作家の西村賢太さ
安吾忌に一升瓶がからになりねこやなぎ摘むにはあらじ安吾の忌頭垂れ安居の忌に読む「太閤記」安吾忌やおつむの悪い天使来たりぬ降りさうでじき止みさうな雨安吾の忌【笑い仮面】高校時代、太宰治や織田作之助、高見順などの小説を耽読していた。いずれも、無頼派と呼ばれデカダンと呼ばれた、血と喧騒と堕落をミューズとした作家ばかりだ。坂口安吾もその仲間で、ぼくは、図書館の片隅やバスのなかで、ひとの目をさけるかのようにして、これ
明後日17日は、無頼派と呼ばれた作家・坂口安吾の命日。前回の「桐生だより」に書かせていただきましたように、桐生での開催が予定されていた安吾忌は中止となってしまいました。あの独特の安吾熱が懐かしく、ちょっぴり寂しいので、先週から安吾ゆかりの場所をめぐっております。先週ご紹介した書上邸ですが、私が通った北小学校のあたりまで家屋があったようです。書上文左衛門の屋敷は広大だったのですね。そんなわけで、まずは懐かしの北小学校へ。そうそう、学校のプールは道を隔てたところにあり、校舎
2月の桐生は、坂口安吾が盛り上がります。ここで聞く「アンゴさん」の名前は、なにか特別な響きをもっているように感じます。17日は、安吾が桐生で亡くなった日。その前後には、「安吾の集い」が開催されるのが恒例です(主催安吾を語る会)。友人の作家・南川潤を頼って桐生に移住してきたのが1952年(昭和27年)、閏年の閏日=2月29日でした。そのため、4年に一度だけやってくる2月29日には、「安吾引っ越し記念日」というスペシャルイベントが開催されるのです。安吾が桐生にやってくることにな
いやあ、大ショック!芥川賞作家(2011年に「苦役列車」で受賞)の西村賢太(1967.7.12〜2022.2.5)が2月4日の夜に乗車したタクシー内で意識を失い病院に搬送され、5日朝にそのまま死去。54歳だった。2月1日に89歳で逝去した石原慎太郎には、特に感慨も無かったが、西村賢太の急死は大ショックだ。そう言えば、西村は石原慎太郎の死について、2月2日付読売新聞に1500字の寄稿をしていた。2回落選していた西村の芥川賞受賞を後押しした選考委員だったからだ。「石原氏の死で、私が好んだ存命作家は一
昨年の本日の石川淳さんに呼応して、今年は安吾さんです。ともに戦後、無頼派と呼ばれました。(まあ石川淳さんと安吾さんはだいぶ違うと思いますが、、、どちらもアウトサイダー的な面は共通してます。)安吾さんの本日の言葉はまさに安吾さんのエッセンスのような言葉ですね。好きです。白痴(新潮文庫)Amazon(アマゾン)470円※一粒で二度美味しいグリコアーモンドチョコレートのような企画笑昨年の本日の日めくりから石川淳さんでした。
《毎月一回行っている海馬文学会の読書会です。テーマ本は、近現代の国内外の古典や純文学、中間小説などの中から、同人・会員の推薦で決定(基本は文庫本)。他に芥川賞受賞作を年2回、同人誌「海馬」合評会を年1回実施。自由に感想や意見を述べ合う場ですので、老若男女どなたでもお気軽にご参加ください。丁寧に読むことを通じて、いろんな気付きや新たな発見があると思います。特に、小説を書いている方やこれから書きたいという方の参加は歓迎です》〇テーマ本石川淳『紫苑物語』(講談社文芸文庫)〈石川淳〉18
太宰治。ヴィヨンの妻。