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特別展「没後70年坂口安吾展あちらこちら命がけ」豪放な生きざまの無頼派作家として、不動の人気を誇る坂口安吾(1906~1955)。その自由で大きな精神は、今なお人々の心をとらえ続けています。若き日の安吾は、小説「風博士」などで注目されますが、その後、長い放浪時代を送りました。敗戦後まもなく、エッセイ「堕落論」や小説『白痴』を発表し、混迷の時代におけるカリスマ的存在となります。以後、「桜の森の満開の下」「不連続殺人事件」「青鬼の褌ふんどしを洗う女」
先週の日曜日、坂口安吾(以下安吾)の展覧会を「港の見える丘公園」横の文学館へ見に行った。「没後70年坂口安吾展あちらこちら命がけ」父の葬式後、偶然この会を知った。学生の頃に先輩に教えてもらってから今に至るまで、安吾は好きな作家だ。それが横浜で展覧会をしているのだから見に行かない手はない。蒲田の自宅で執筆中の有名な写真(40才の頃)人生どんなに散らかっていても良いのだ安吾といえばこの写真、といのが蒲田(矢口)の自宅で撮られた、というのは蒲田っ子として嬉
織田作之助5織田作は大阪府立高津中学から、京都の三高(現京都大学教養部)に進んだ。彼は最初、劇作家を目指した。それも純粋戯曲で、校内誌・嶽水会雑誌に戯曲や演劇評論を発表している。戯曲は、「落ちる」「饒舌」「朝」「モダンランプ」「初姿」などである。演劇についての評論は、「シング劇に関する雑稿」「戯曲論序説」「戯曲と新劇に就いて」「現代劇の一方向」などである。改めて読んでみたが、これという作品はない。つぶさに読めば織田作の戯曲、戯曲論の良さがわかるかも知れないが、文学散歩には現
太宰治とは歳も近く、盟友の間柄であった檀一雄。坂口安吾とも親しかった。無頼派の一人とされる壇の作品は、自由奔放、アナーキーである。一雄が晩年過ごした、博多湾に浮かぶ能古島には、一雄の文学碑が立っている。私も一度立ち寄ったことがある。文学碑も好きだ。本作は1955年から20年に亘り執筆、1975年に単行本として刊行され、150万部のミリオンセラーとなった。いわば壇のライフワークであり、「檀一雄」が「桂一雄」と姓を違えただけの私小説であるといわれる。これが事実であれば、
石川淳さん石川淳(いしかわじゅん)本名:淳(きよし)1899年3月7日生まれ、1987年12月29日、満88歳没。東京市浅草区浅草三好町(現在の東京都台東区蔵前)生まれの小説家。無頼派、独自孤高の作家とも呼ばれ、エッセイでは夷斎と号し親しまれた。。日本芸術院会員。1937年、『普賢』で第4回芥川賞を受賞。普賢(集英社文庫)Kindle版石川淳(著)集英社(1977/5/25)Amazon.co.jp普賢・佳人(講談社文芸文庫いA11)文庫
月刊誌「俳句」(角川書店)の24年6月号の副題は、「鑑賞という創作」でした。そこでここは、この雑誌に並ぶ幾多の俳句の中から、私でも気持ちの分かる句あるいは目に留まった句を、いくつか紹介していきます。・初蝶の速さ杖にて行く速さ(ハツチョウノハヤサツエニテイクハヤサ)季語は初蝶で春。「速さ」をわずか17文字に2回入れている。重なりは普通忌避されるのだが、あえて破っているところに、老人である作者の、杖とは言え歩けたうれしさが伝わってくる。実際蝶の舞は普通、「遅い」はずだ。・
お外で振る舞うように。うちでも振る舞おう!どーでもいいけどアナタ!そこのアナタ!実は味方だといく姿勢がいまいち私に伝わってございませんでした…!ちょっと、自己表現、頑張ろう!(ああ苛つく💢なんか苛つく!)ちなみに、我が家の状況が、周りにつぶさに伝わったらどうしようと思ってるそこのアナタ!言っとくけど、視聴者、読者、精神患者、ありとあらゆる、精神的な表現(まあ、精神的は、表現は…当たり前か)における、そのファンは!お見通しです…!(考えても無駄)無頼派を読みたくて、ネットを調
【Q20731】富山県の氷見市役所、大阪の門真市役所、熊本県の「道の駅宮地岳かかしの里」、秋田県の体験学習施設「釣りキチ三平の里」、福島県の文化施設「西会津国際芸術村」、神戸の「みなとやま水族館」、新宿の「東京おもちゃ美術館」、吉本興業東京本社といえば、共通点は何?【廃校を再利用】【Q20732】切手・はがきの発行日のみに使用される特別な消印「初日用通信日付印」のことを、ある鳥のマークが描かれていることから通称「何印」という?【ハト印】【Q20733】太宰治が終戦直後に発表した小説『パ
秋惜しむ無頼派(ぶらいは)ぶりし男こそ明弘無頼派とは不良みたいなもの。太宰治や坂口安吾などは無頼派とも呼ばれた。無頼派ぶっている男は格好はつけて、季節の移り変わりなど無頓着に見えるが、本当は心の襞があると言うような句。悲しい男の性(さが)か。
内容(ブックデータベースより)江戸の大火で別れて暮らすことになった髪結いの伊三次と芸者のお文。仲の言い夫婦をめぐる騒動を夜空にかかる月が見守っている。伊三次の色恋沙汰。お文の父親のこと、八丁堀純情派に屈した本所無頼派のその後・・・・。長女・お吉が誕生する頃の、語られることのなかった十年を描く傑作長編。大人気シリーズ、初の書き下ろし!令和6年10月11日~14日
ハイボールブームよりはるか以前、40年前、大学生の頃からバーボンやウイスキーのソーダ(炭酸水)割りを好んで飲んでいました。今日はサントリーの角瓶(サントリーウイスキー12年)が発売された日です(1937年10月8日)今でも角瓶のハイボールを飲んでいます。角瓶は生活必需品です。欠かせません。長い間飲んでいませんが、印象に残っているウイスキーが、ポケット瓶仕様のサントリーの『無頼派』です。パッケージに書かれたキャッチコピーが魅力的でした。安易な生き方は蹴っ
内容(ブックデータベースより)伊三次とお文は伊与太の成長が一番の楽しみ。不破の息子、龍之進は同心見習いとして無頼派の調べに奔走。令和6年9月27日~30日
一昨日の夜ご飯ですお腹が空いて無かったので軽くウイスキーロックで🥃とんがりコーンのわさび醤油味こんなん食べたの何年ぶりやろ?デザートヨーグルトビヒダスざく盛り10種フルーツパインでかい以上、ご馳走さまでした※上記、味などへのコメントは違いの判らない爺ぃ、個人の感想です
一昨日の夜ご飯です※この記事は単なる爺ぃの備忘録であり、内容は毎回代り映えしませんので、ササーッと読み飛ばして下さいませ、m(__)mまた、ウイスキー!笑肴は、メンチカツ2個入り立ったけど、めちゃデカかった正直、食べるのに四苦八苦!笑ウイスキーもロックはシンドくて途中から、水割りに!メンチカツは、キャベツの食感が残ってて、まあまあいけた以上※上記、味などへのコメントは違いの判らない爺ぃ、個人の感想です
一昨日の夜ご飯ですSUNTORYWHISKY無頼派バターのコクとベーコンのうまみバター醤油大盛りレンチンパスタ味はイイうまい以上、美味しく頂きました、ご馳走さまでした※上記、味などへのコメントは違いの判らない、爺ぃ個人の感想です
一昨日の夜ご飯です※この記事は単なる爺ぃの備忘録であり、内容は毎回代り映えしませんので、ササーッと読み飛ばして下さいませ、m(__)mSUNTORYWHISKY無頼派冷凍庫の奥に古い氷が残ってたのでウイスキーって、少量でも酔うよねそれも、気持ち良く酔える!笑メインは、カップラーメン味のマルタイマルタイラーメン以上、ご馳走さまでした※上記、味などへのコメントは違いの判らない爺ぃ、個人の感想です
一昨日の夜ご飯です※この記事は単なる爺ぃの備忘録であり、内容は毎回代り映えしませんので、ササーッと読み飛ばして下さいませ、m(__)mSUNTORYWHISKY無頼派最近はハイボールばかり飲んてる爺ぃですが、棚をみるとウイスキーが鎮座し続けてるし、いっちょ飲んでみるか?となったけど、氷がないあるのは、IceBOXまあ、これも氷だからイイか、って!笑ウイスキーをトプトプトプと注いだら、氷の下に沈んで見えなくなったこのまま口にすると、めちゃくちゃ濃いし、こりゃ悪酔いするよね水
今日は劇団サラダの稽古へ☆2024年2月に東文化小劇場さんの企画公演【ききものがたり】コチラの企画で作った無頼派・坂口安吾の【桜の森の満開の下】を劇団本公演として再演します☆来年は劇団サラダ30周年!竹原は今年で所属10周年!名古屋市北区ユースクエアにて。アクセス|名古屋市青少年交流プラザ名古屋市青少年交流プラザは、青少年の「成長したい」思いを応援する施設です。様々な体験プログラムや、「やってみたい」ことを実現させるプロセスを通して、仲間とのつながりを深めたり、自分の新たな
2024年-令和6年6月25日シネ・ヌーヴォ昭和49年作品中島貞夫監督特集、初見。ポスターに有る梶芽衣子が出ています。偶然事故った全く他人の男女が、何故か逃避行の展開へ、、、タイトルに有るような明日なき無頼派の様と成る。中島貞夫監督、この様な八方塞がりな展開が特徴だなぁ!監督の心情なのだろう。ジーンズ・ブルース明日なき無頼派[DVD]Amazon(アマゾン)
短編小説のようなナンバーが桑田さんには数多くあります。「LiveAffair」、「LonelyWoman」、「SoWhat?」、「栄光の男」などなど。場面、キャラ設定が明確で、聴くと情景が目に浮かび、物語の世界に入り込んだ気分になります。失恋歌、応援歌、風刺歌といった心情を吐露したナンバーではなく、登場人物と距離を取り、神の視点で描く物語です。アルバム「葡萄」(2013)、2曲目に収録された「青春番外地」もその系譜に属するものです。今日も酒場は酔いどれパーティー女たらしでサイテ
おポエム無頼派ゴンタ3号!
「神戸ニニンガ日誌」(第3,086号)○伊集院静が亡くなった。桜木紫乃が直木賞受賞の夜に「神崎武美」名で花が届く。桜木さんが好きな『羊の目』の主人公の名だ。最後の無頼派と呼ばれた男には、「傷つきながら書け」ということを教わったという。「登場人物が負う傷は、すべてお前が引き受けろ、と言われている」と。○私生活では夏目雅子、篠ひろ子と過ごす。作詞した『愚か者』では「失くした時を男は振り向き女は消し去る」と定義した。○読者の悩みに回答する『週刊文春』の「悩むが花」が好きだった。彼女の顔が
ごはん、みそ汁、里芋のゆず味噌がけ、菊の酢の物、ブロッコリーサラダ、鰈の煮つけ“最後の無頼派作家”伊集院静さん無類のギャンブル好き、費やした金額は「数十億円」11/24(金)23:36配信2013年10月27日、天皇賞・秋の表彰式でプレゼンターを務めた伊集院静さん(右)。左は福永祐一騎手小説「機関車先生」やエッセー「大人の流儀」シリーズなどで知られる人気作家の伊集院静(いじゅういん・しずか、本名西山忠来=にしやま・ただき)さんが24日、肝内胆管がんのため死去した。73歳。山口
花嫁の皆様、花嫁のママさま、花嫁の猫ちゃんたち昨日から、寒いですよね~。こんなときは、ガブちゃんを抱っこして寝ると最高!!!絹のようなシルキーな毛並み。ブラネおばさんが、1日2回もブラッシングをしているからだと思います。けっこう、手間暇がかかる猫。ブラネおばさんのドレス屋さんは、ミドルシニアのブラネおばさんと広報担当の愛猫のガブちゃんで運営しております。ガブちゃんいわく、もちまる日記とかすごい猫ブームなんだし、SNSを頑張らないと時代に乗り遅れちゃうニャン🐾しかしです
小説家の伊集院静さんが亡くなられた。昨夜は私は大きなショックを受けた。私が[師匠]だと思っていた方である。お悪いことは知っていたが、またきっと元気になられて復帰されるものとばかり思っていた。昨夜、私が落ち込んでいると、妻が「あなたも早く死なないでね……」と、言ってきた。伊集院静。やっぱり一番の魅力は単に小説、単に作品だけじゃなくて、その生きざまが人に[夢]を与え続けてきたことだろう。小さな頃からずっと野球をやり続けてきた地方の少年がひと
伊集院静先生の訃報が流れました。いや~、ちょっとショックでかいです。動揺。大好きな作家先生でした。小説もエッセイも競輪予想も。静岡県人としては「ごてんばあさん」の歌で楽しませてもらいました。静岡県が独立したら国歌はこの歌ですよ、マジで。山の上ホテルも立て直しで休業みたいだしひとつの時代の節目が来たのかな。私のバイブル。これを読むと強く生きることができます。2000年ケイリングランプリ。児玉―岡部を本線で的中、私に高額払い戻しをプレゼントしていただき
こんにちは🌸アロマとヒーリングのLaLavandのねこです^^ここ20年くらいは、あまり小説は読まなくはなってはいますが、たまに読みます。2011年に芥川賞をとった西村賢太さんの小説は、2冊くらい読んでいました。それは、芥川賞をとった時に、テレビで映し出された風貌と口から出た言葉が強烈だったから。この人、面白い!と思いました。これは読みたい小説家だと。この方の小説は、あくまでも自分を描いています。露骨までに、徹底的に自分の体験や感情をあらわにしている私小説。ここまで書くか!と
東京で編集者をしていた頃、編集長と二人で大阪に出張したことがあった。その編集長は大阪出身の方で、私を大阪のいろんなところに案内してくれた。小説家の織田作之助のお墓だったか碑のあるところにも連れて行ってくれた。(記憶曖昧。笑)それはもちろん私が当時から下手な小説を書いていたからである。織田作之助。私が師と仰ぐ太宰治と同様に[無頼派]の小説家である。私は織田作之助の小説はそんなに読んではいない。でも、ひとつ、織田作之助が猛烈に「うらやましい❗❗」と
サイバラ(西原理恵子)氏は、高校のとき週刊朝日だかに連載されていた「恨ミシュラン」を目にしたのがきっかけでよく読むようになった。ゴチャゴチャした汚い絵柄なのだが読者の涙腺を刺すセンスがあり、毒舌かつ情に厚い人なんだなと思った。この当時から高須院長と友人であったと記憶している。で、そのうちにアル中の写真家とくっついて共依存になったり離婚したり、高須院長とくっついて幸せそうになったり、作家として大成功したりと色々あったのだがダーリンは77歳(ビッグコミックス)Amazo
今日は「桜桃忌🍒」無頼派の作家、太宰治の忌日であり、誕生日でもあります。桜桃を食べながら、太宰治の作品を読みつつ、偲んでおります合掌。