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記念に買った複写の原稿を読まなければ気づかなかった事がありましたが、さらに意外だったのは永訣の朝の原稿用紙三枚目には、松の針の冒頭が続けて書かれているのです。出版用に書き並べたのでしょうか。そして出版に際しては、完成原稿と思われるものに消去書き込みと手を入れ、さらに印刷前には改変さえする等を知りました。作家の推敲とは発表する直前まで繰り返されてすさまじいものですね。松の針さつきのみぞれをとつてきたあのきれいな松のえだだよおおおまへはまるでとびつくやうにそのみどりの葉にあつ
はーい。三連ちゃん。春と修羅の中の『無声慟哭』の中の永訣の朝松の針無声慟哭の三作です。むかし。永訣の朝を聴いたとき、読んでみたいと思いながら読んでみる技量がないと自覚していた私はまえにカムパネルラのイメージで書きましたてっちゃんに「読んで!」とリクエストして読んでもらった作品。あれからもう何年・・・・ようやく自分で読んでみました。無声慟哭は5篇の詩で
日曜日に「銀河鉄道の父」を観て以来まぁその前から「読んで」リクエストにお応えしようと『銀河鉄道の夜』を読みためていたのです。で!半分ほど録音できめどがたったので、協会の方に手を挙げてみたらそのとたんランキングから『銀河鉄道の夜』が消えまして・・・・。しっ、しっ、失礼しました~~~~~と、あげた手を引っ込めました。そのすぐ後に、パソコンを新しくし、録音のソフトを変えてみたところじぇんじぇん音が違
チュンセ・ポーセの手紙宮沢賢治とトシ以前に話題にしましたが、宮沢賢治は死んだトシの魂を訪ねて樺太まで行って帰ってきてから、花巻の町に「チュンセ・ポーセの手紙」と呼ばれる文章を配りました。チュンセとポーセは、童話「双子の星」の、主人公の双子の名前です。しかし手紙では、花巻あたりに住んでいるかもしれない、お兄さんと妹の兄妹となっています。手紙にはタイトルも作者も書かれていません。いったい何が言いたいのか、当時の一般の市民が読んでも、唐突でわからないと思います。下に、その手
歌集『ウーシャントンクー』から、何首かご紹介します。水とはいつも扉であれば森のなかで蛇口より水を飲みをりルメは水を飲み水を出入りし他界より降りそそぐひかりの雨浴びるなり水といふ七彩(なないろ)の虹をしたたらせ見上げるルメのぶちが息づく水のにほひにまみれてふいに襲ひくる嗚咽を堪(こら)ふわれは水ゆゑどこまでも落ち葉重なり舟に乗るやうにふたりで森を漕ぎゆく朧(おぼろ)げに風がかたどるかなしみよ落ち葉の海に水脈(みを)をひきつつ
近刊のご案内です。歌集『ウーシャントンクー』の出版準備中です。このタイトルは「無声慟哭」の中国語の発音に似せた言葉です。中国語の自然な表現ですと、「無声痛哭」となるでしょう。いろいろなことに思いを馳せ、心を込めて制作しています。もちろんデザインも編集もすべて私が一人で行っています。どうぞお楽しみに。歌集『ウーシャントンクー』書誌情報著者日置俊次発行日置研究室発行人日置俊次発行年月日202
『宮沢賢治の青春』”ただ一人の友保坂嘉内をめぐって”菅原千恵子/著第一部を読んだあとTV録画した番組を見直ししばらくしてから第二部と、第三部を読みました。保坂嘉内と東京の図書館で再会し別れたあとの宮沢賢治の心の葛藤を賢治の詩を読み解きながら納得のいく流れで、わかりやすくまとめられていました。『春と修羅』は、保坂嘉内へ向けて送り続けたメッセージ。ちいさな自分を割ることのできないこの不可思議な大きな心象宇宙のなかでもしも正しいねがひに燃えて
星の王子さまその3「宮沢賢治その1」【宮沢賢治と妹トシ】銀河鉄道の夜の作者、宮沢賢治には心より愛する妹(トシ)がいたといいます。トシは1922年(大正11年)11月27日に24歳で亡くなっていて、その時の状況は次のようであったといいます(Wikipedia)。結核で病臥中のトシの容態が急変、午後8時30分死去。賢治は押入れに顔を入れて「とし子、とし子」と号泣、亡骸の乱れた髪を火箸で梳いた。賢治はトシの死を悼み、『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』などの詩を書いています。「松の
最後はやっぱり詩集を読もう。宮沢賢治が生前出した唯一の詩集が「春と修羅」で、その後「春と修羅二集、三集」を予定して、果たせずに終わった為現在では生前公刊されたものを「春と修羅・第一集」と呼んでいる。この本は昭和37年初版の古いもので春と修羅1~4と、他未整理のもの、文語詩など、賢治の詩が盛り沢山だけど、、有名な「雨ニモ負ケズ」は、賢治の死後手帳に書き付けてあるのが発見されたので、本人が詩として発表しようとしたかどうか解らないんだそうだ。「春と修羅」おれは一
いま宮沢賢治の「無声慟哭」という詩を読んでいるところです。なぜだかわからないけど急にこの詩が読みたくなりました。詩の内容は以下の通り↓★☆★「無声慟哭」こんなにみんなにみまもられながらおまえはまだここでくるしまなければならないのかああ巨きな信のちからからことさらにはなれまた純粋やちひさな徳性のかずをうしなひわたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるときおまえはじぶんにさだめられたみちをひとりさびしく往かうとするか信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしがあかるくつ
宮澤賢治にはいい詩がいっぱいあります。「無声慟哭」や「永訣の朝」など、妹「とし」の死を詠んだ詩が有名ですが、僕はこの有名すぎる詩よりも「青森挽歌」を一番に挙げますね。感ずることのあまりに新鮮にすぎるときそれを概念化することはきちがひにならないための生物体のひとつの自衛作用だけれどもいつまでもまもってばかりいてはいけない妹の死という現実。これをなんとか概念化する=いったい「死」とはどういうことなのだと説明をする、それはきちがいにならないための自分自身を守る人間にしかできない行為