ブログ記事10件
JamesSetouchi2024.8.24藤原俊成の歌藤原俊成は五条三位入道と言われ平安末期に非常に尊敬された歌人。定家の父。『千載集』編者。藤原俊成の歌1駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井出の玉川新古今159(春)馬をとどめて、もっと水を飲ませよう。山吹の花の露までが落ち加わっている井出の玉川であることよ。水かはん:水を飲ませよう。「ん」は意志。「かは」は四段。山吹の花:桜より後。暮春。黄金色。一面に咲いていたに違いない。明るい情景。井出の
逢坂の関の明神と申すは、昔の蝉丸なり。かの藁屋の跡を失はずして、そこに神となりて住み給ふなるべし。今もうち過ぐるたよりに見れば、昔深草の御門の御使にて、和琴習ひに、良岑宗貞、良少将とて通はれけむほどのことまで面影に浮びて、いちじくこそ侍れ。逢坂の関の明神と申す神は、昔の蟬丸のことである。あの蟬丸が住んでいた藁屋の跡を失うことなく、そこに神となって住んでいらっしゃるのであろう。今も関を通り過ぎる時に眺めれば、昔、昔深草の帝仁明天皇の御使として、和琴を習うために良岑宗貞(遍照)が良少将といって
鴨長明の『無名抄』から、上栄町から大谷に鎮座する蟬丸神社を参拝しました😊。蟬丸神社下社蟬丸神社上社旧東海道大谷に鎮座する蟬丸神社。今回も神事に参列するためスーツです🤣。
鴨長明の『無名抄』は、当時の人々の歌に対する考えがよく分かるエピソードが多く、わたしの好きな作品である。今日の授業では、大学入試にも頻出の、静縁法師の歌の評価をめぐる章段を読んだ。こんな話である。静縁法師が鴨長明に、自分の歌に対する評価を聞きに来た。「鹿の音を聞くに我さへ泣かれぬる谷の庵は住み憂かりけり」この歌はどうか、と。長明は、悪くはないが「泣かれぬる」が浅薄すぎる、と答えた。静縁は、この言葉こそがこの歌の要であり、この批判は不本意だ、と言って帰った。十日後、再び長
昨年から今年の5月まで京カレッジ講義の準備で忙しく、やりたくても出来なかったことがいくつかあります。本を数冊Amazonで購入したので、6月は読書月間に充てようと思います😊。まずは、鴨長明『発心集』『無名抄』からですな😊。
5月31日の一読は第三章の続きで「ロ鴨長明と方丈記」です。岡田先生は方丈記に簡素の精神が見られるということで詳しく解説していたのですが、むしろ興味が惹かれたのは、岡田先生が軽く触れていた『方丈記』以外の長明の作品についてでした。「長明には『無名抄』という歌書と、『発心集』という仏教説話集があるが、いずれも日野の草庵でまとめたものであろう。『無名抄』に和歌の最新体として幽玄をとりあげ、これは知識で知るべきものではなく、直観で悟(し)るべきものであると述べている。」(135ページ)これを読んで
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、下鴨神社へお参りした。下鴨神社は、正式には賀茂御祖神社と申し上げる。下鴨神社一の鳥居の先、左手に見えて来たのが河合神社である。下鴨神社で、最初にお参りしたのが河合神社だった。○河合神社は小さな社である。参拝後、すぐに見終えることができる。その河合神社の境内の一角に、「鴨長明の方丈の庵」なるものが存在し、次の案内板が設置してあった。鴨長明久寿二年(一一五五)、下鴨神社禰宜長継の次男として泉の館(現在の京都大学北方一帯)において生ま
おはようございます。日本古代中世史研究の泰斗、トリです(歴史は物語です、繰り返しません)。これまで「ちょい訳」と称して、鴨長明『方丈記』を訳してきた。怠惰な性格から、色々な情報を載せるのをすっ飛ばして、ただ訳文だけ載せていたせいで、よく分からなかった方もおられたかと思う。遅ればせながら、基本情報及び『方丈記』の自分なりに読み方を提示しておきたい。作者の鴨長明(1155~1216)は、平安末、鎌倉時代初期を生きた歌人、音楽家である。加茂御祖神社の禰宜・鴨長継の次男として生ま
生け垣のアカメが鮮やか!もちろんアカメは通称でホントはベニカナメモチとかレッドロビンとかいう植物らしい。去年の今頃森林インストラクターの仲間の案内で仲間たちと鎌倉街歩きをした時にこのアカメと出会って彼からアカメはなぜ赤いのか?という説明を受け初めて知る植物の神秘、アカメの"健気さ"になんだかすごくこころ揺さぶられ少し涙目にまでなった…絶対覚えておこう!と思ったのに…肝心の話の中身はまるで思い出せない。そのあと鎌倉散策は延々と続いてたぶん1万歩以上歩いた
○それでは、藤原俊成が、自ら「自讃歌」とするだけの和歌とは、どんな和歌であるか。誰も書いてくれないので、自分で書くしかない。夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里「夕されば」には、赤く明るい夕方から時間とともに次第に落ちていく光の微妙な経過が明瞭に提示されている。ここには澄んで乾いた高い秋の空があり、それが刻々と時間とともに百変化の呈を見せている。ちょうど一番星が少しずつ姿を見せ始める頃合いである。地上には少しずつ光を失っている夕日に照らし出されて、あちこちに長い影を写
○ここで五条三位入道こと、藤原俊成が自ら「おもて歌」と断じた歌は、夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里であると言う。ちなみに手元にある古語辞典(旺文社版)に記載されているこの歌の通釈を載せると、夕方になると、野辺を吹き渡る秋風が身にしみて感じられ、うずらの鳴くのが聞こえる深草の里よ。とあって、これを読むかぎりではさほどたいした歌ではない気がする。○「無名抄」の中でも、この歌を俊恵が、この歌は、『身にしみて』といふ腰の句のいみじう無念におぼゆるな
○高校の古典の教科書でよく扱われる教材の一つに、『俊成自讃歌事』と言う話がある。鴨長明は随筆「方丈記」の著者として広く知られているし、また歌人としても著名である。その彼が書いた歌論書が「無名抄」である。随筆である「方丈記」ほど読みやすい文章ではないが、この『俊成自讃歌事』は和歌に関する評論文で、会話を中心とした構成もおもしろいし、論理もしっかりしており、高校では古典教材として取り上げられることが多い。その全文を示すと、【原文】「俊成自讃歌事」俊恵いはく、「五条三位入道のも