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昨日の夜、見ながら寝落ちしたyoutube動画。天外伺朗さんのぶっちゃけトーク。今回は「無分別智」医療について。無分別智(むふんべつち)とは、仏教、特に大乗仏教や禅の教えにおいて説かれる智慧で、「良い/悪い」「正しい/間違っている」といった分別(区別)を超えて、物事をあるがままに見る心のあり方を指すそうです。このお話に出てくる「身体知」という概念があるんですけれど、この身体知こそ今、私たちにとても重要な感覚、能力です。最近、体との統合について強く感じています。こ
有と無の間には数えきれない可能性が損か得か良いか悪いかうまいかまずいか生きるか死ぬか白か黒か男か女かできるかできないか陰か陽か伸るか反るかポジティブかネガティブか概ね私たちの頭の中ではそんなことが渦巻いている二者択一それをもとに行動している人も多いのではないかいこれが『
化石さん困りますか?https://www.instagram.com/reel/DUIfFoDk1iq/?igsh=eGUxYTRxY3NqYW00中なか…村(←あれ)神武紀☸法輪2600年ちがい判る?!Deutlichkeitレベチラセタムレベチラセタムは、2010年9月に保険収載された抗てんかん剤で、他のてんかん剤で十分な効果が得られないてんかん患者の部分発作(二次性全般化発作を含む)に…公認心理師は思想弾圧者です。制度を廃止しましょう。《自己の断片化》を強要して
https://youtu.be/JB9uzYVLLIo?si=6HCakozVN9BJm3Qa-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.beptsd.redhttps://ptsd.red新幹線のぞみ無差別殺人事件と『浦島太郎』の『寝覚の床』PTSD解離心理Jun13,2018—ソノ設計[思想]は、gnosisガン無視になっているのでした…orz。h
安談®す-ru活用[事例]研究(福井裕輝)ではなくPTSDの百花繚乱↑↑↑↑↑↑[宇宙災害]と宇宙現象学←gnosishttps://franoma.info/2017forMe尾崎紅葉「金色夜叉」デートDV加害者のPTSD克服物語|翠雨PTSD予防&治療研究所franoma.info2017/08/08—[適時]と[摘示]を足して2で割れば、ちょうど良い時に指摘する…という《新造語》になりますね。ちょうど、女子大の“ドナドナ先生”がアメブロ…http
☸法輪☸26肩かな?差異に天鑑🙏供養ptsd.redhttps://ptsd.red前科は気になるPTSD解離ネットストーカー2023/04/04—“父性を病む”とマズい——という話が何故、家父長制の復活というアナクロニズムに行ってしまうのか⁉️コレガまた変すぎます。ptsd.redhttps://ptsd...ptsd.redhttps://ptsd.red京大霊長類研究センター消滅は臨床心理学の死の兆候2021/10/27—小室真子さん会見【複雑性P
やあやあ(◠‿◠)またきたよ(◠‿◠)久しぶりの僕のメッセージを読んでおや?と気がついた人いたかなー?(◠‿◠)勢至ってやっぱり仏教なんだー!って分かった人いるかなー?(◠‿◠)なんのことかわからないという人に向けてちょっと詳しく話しますね(◠‿◠)僕は昨日不安ちゃんも幸せもエネルギーの質が違うだでベクトルは同じだよと言いました(◠‿◠)つまり、昨日の僕はエネルギーの質が違うと言ったけど、エネルギーが違うとは言ってないんです(◠‿◠)分けてないね(
六波羅蜜多の分析『大乗荘厳経論』「度摂品」第十七『大乗荘厳経論』「度摂品」第十七を、早島理先生の「『六波羅蜜』考―MSAⅩⅥ章を中心に―」において取り上げられているところを中心に少々読んでみます。「度摂品」第十七は、波羅蜜(pāramitā波羅蜜多)に関する十の主題をもって解説しています。それは、1)数(saṃkhyā)の分析(制数)、2)その特質(lakṣaṇa顕相)、3)順序(ānupūrvī次第anukrama)、4)語義解釈(nirukti釈名nirvacana
以前ブログで、『微笑む禅生きる奥義をたずねて』(松居桃樓(楼)(とおる)著)という「天台小止観(てんだいしょうしかん)」について書かれた本をご紹介しました。◆『微笑む禅生きる奥義をたずねて』『◇『微笑む禅生きる奥義をたずねて』松居桃樓(とうる)』「天台小止観(てんだいしょうしかん)」は、座禅を学びたいと思う初心者にとって最上のテキストなのだそうです。…が…本を探してみても、どれも難しそう;;;何…ameblo.jp「天台小止観(てんだいしょうしかん)」は、今
関連コメ:https://ptsd.red/2024/12/27/現代心理療法イメージ表現の実際/#comment-39590現代心理療法イメージ表現の実際|翠雨PTSD予防&治療研究所ptsd.red何か書いたのヨね…https://franoma.info/アングロサクソン側で反日心理戦を展開する日本人専門家ミスターPTSDも日本心理臨床学会退会の2017盛夏?|翠雨PTSD予防&治療研究所franoma.infohttps://www.google.com/search
*このブログの中の各所で釈迦を釈尊と尊称を独断で付けています。人間の心の奥底を科学的に解き明かしたのではないかという意味で勝手に尊を付けていますのでご容赦ください。今回は、~信じるという心の働き~について考えてみます。これについては異論が多いと思います。今回も独断と偏見ですのでご容赦________私は、明確な根拠によって物事の在り様を示す科学が限りなく好きです。世の中には、信じ難い事でも少しの疑いも持たずに信じる人が多くいます。その理由は、まわ
猛暑が去り、ようやく秋めいて来ました。涼しくなり、我々の心も幾分おだやかな気持ちになります。さて今回は、トヨタの考えている“人”についてです。先のブログでも書いていますが、人を信じて任せる(信頼する)だが、人のミスはあるものだから確認する(信用はしない)というのが基本のスタンスです。そして、しくみについては性善説で成り立っています。故意に悪い事をする人はいないということです。モノづくりにおいては、数々の失敗が日々発生しています。事故なども起きます。この“失敗”は
またまた動画のご紹介です何度も何度も繰り返し視聴しております-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be日本人の精神性がどういうものかどこからくるのか鈴木大拙という方が全霊を賭けて残してくださっている西洋は二分性の考え方に立脚しているがそのデメリットを補完する東洋的なものの見方「無分別智」を説く…分別を持ちながらも分別を超え万物を一体とし
今年の木登り大賞💮今のところ…フーローマ―ミ(ささげ)さん✨本命のナーベーラー(へちま)さんが元氣でない間にどんどん登って木の実のように生りました😆🌱🌱🌱子どもの頃から何のために、とか○○すべき、とか多すぎたね大人になってもこうだからこうなる、とかこうしたらこうなる、とか信じすぎたね分別がわるいことのように思えてきてやがて分別は分別のままに木登りして高いところから見たら色即是空で空即是色わからないということがわかったらもうわかることはないんだなあとは地球であ
恐れながら、私がニニギのメッセージ読んで感じたことを書きます。あのメッセージ、ちょっと難しかったかもしれないですよね。その意味でも私視点で書いてみます。ニニギ曰く、感じた時に人は無意識に言語化するけど言語化する前の状態のことを言っててつまり、言語化って地上化することだから分化されてない状態。感じてるけど、それをそのままにしてる状態ね。なんか鈴木大拙の無分別智に似てるなあとも感じました。私も言語化するのをやめるっていうことも書いたことありましたしその辺のことかしら??とはいえ、
今日の一日一読は第四章「現代社会と自己形成ー私たちの社会的役割を考える」の最後までです。本章に書かれていることは、「無分別智」の捉え方を除いて、基本的には賛同できるものばかりでした。2012年時点で若者に見られる「自己実現至上主義」の問題点を提起して「文化を次世代に伝える責任」(226ページ)というところまで踏み込んでいたことも素晴らしいことだと感じました。ただし、せっかくマネジメントの観点で深掘りしてきたことが社会一般の評論で最終章が締め括られていたのは少しもったいないと思いました。現代であ
執着を手放し他人を正しく見るこのことに明け暮れた一週間だった他人になにを期待しても無駄あくまでも他人には他人の考えがある自分と他人とを区別せずきちんと無分別智する区別・差別ではなく・・・・煩悩に頼らずってこと怒り・良い・悪いではない無分別の智慧煩悩にによる差別・区別の分別ではない認識で他人を見ることを大いに学ぶ努力をした。まだ、全然理解できていないけど・・・・煩悩にとらわれず事実・真の姿を見るその上でってことでしょうなかなか、実践は難しい南無
久しぶりに書きます!前に見たこともあったが、たまたま以下を視聴する機会があった。アーカイブ大拙先生とわたし-こころの時代〜宗教・人生〜今年6月に逝去された岡村美穂子さんは、15歳の時、世界的な仏教哲学者、鈴木大拙に出会った。行動を共にしながら聞き取った数々の教えとは。【初回放送2017年5月】鈴木大拙(1870-1966)は、明治初めから戦後まで95年の生涯を生き、一貫して東洋思想、特に大乗仏教や禅を探究した仏教哲学者。第二次世界大戦後、大拙は身心を通して味わった仏教の教えを
「歳を重ねるほどに美しく生きる✨」「あなたが主人公✨の心豊かな人生を応援したい」勇気ナビゲーターRiecoです。紅葉もまだなのに、秋を飛び越えて一気に冬?と感じるように寒くなりましたが、お元気でお過ごしですか?七十二候は「鴻雁来(こうがんきたる)」になりましたね。雁といえば、夕暮れの美しい空を、隊列を組んで飛んでいる姿が思い浮かびます。清少納言の枕草子の「秋の夕暮れ」から始まる歌にその景色が描かれている影響でしょうか。実際に肉眼でそのような景色は見ないなぁと思ったら、
『僧侶への道』(45日目)夏の天気でしょうか。大雨にこそなりませんが、突然の雨がよく降りますね。雨の準備は怠れませんね。人は自分に都合の良い考え方をします。賃貸物件解約についても解釈がそれぞれに都合良いですね。家主さんも退去者さんもそれぞれ自分に都合よくですこの場合、我々不動産屋は基本的に双方の妥協点を探します。本当にそれでいいのだろうか昨日ブログに書いた『無分別智』で物事を見れば現在時点における正しい。に従って判断すべきでしょうね。一般常識ってことですが・
『僧侶への道』(44日目)広陵高校残念ながら負けてしまいました甲子園は広島県代表を応援しますね。負けたら終わり、即引退の夏は特に思いが強いです。私はこれから誰にでも敬称である『さん』づけいたします。誰であろうと、いついかなる場合も私の心がどのような状態であろうとです。昭和の名門高校野球部出身の私には身体に染み込んでしまった悪しき慣習が多々あります。その一つに上級生は神様として敬いますが下級生を奴隷のように扱ってました。言葉で言えば上級生は神様ですから当然
部分が全体を還元出来ないとすると、全体は自分自身で全体を把握するしかない。それが自分自身を入力にする再帰的構造で、自分の立ち位置を他と一緒に入力し、判断、処理する構造であろう。人間の脳で考えるとわかりやすい。人間の行動は、ただ外からの入力に反応するだけでなく、現在の自分の状態と外からの刺激を併せ持って、次の行動を決めている。それはともかく自分の自分自身の把握、すなわち自分の中にある自分モデルと外部からの刺激を入力に行動している。自分モデルは、自分の内部で作るわけではなく、自分自身を入力にする
とても忙しい日々でした。忘れちゃいけない、ちゃんとしなくちゃいけないことがたくさんあって、ああ、あたししっかりして!と自我を立てておかなければ次から次へと記憶が失われていきそうでとても怖かったです。今日、全部終わってもう、覚えていない。次から次へいろんなことが起こっていたけど、いろんな感情に呑まれた時もあったのに何もなかったかのような静寂です。忙しかった理由の一つが子どもの高校進学関係だったんですが、会社の人が「子どもがいるって自
世の中、グルメ全盛である。テレビ番組では食べ物やスイーツを扱う番組がなんとおおいことか?繁盛店では、列をなしなんとか美味しいものを食べようとする。そういう自分もその中に巻き込まれ、それに過分の労力をかけようとしている。でも良く考えれば、人間、栄養が必要な分取れていれば、それ以上は必要ないはずである。現に、動物は必要なものしか食べないし、味覚によって食べるものを左右されるようなことはない。人間は脳で食べる、食べない、食べたい、食べたくないを決めている。食欲がものを食べさそうとしているが、決し
今日の東京は午前中が晴れで、午後からは曇り空の一日でした。銀座と築地が近いせいか、外国の方の姿も多かったですよ今日の御講師は、茨城県ひたちなか市、清心寺の増田廣樹(ますだひろき)師です。切れ味鋭い説法で、私の大好きな御講師さんです。45歳だそうです。※青字が増田師の言葉の要約です。<ご縁>この中で、ご自分の意思で生まれてきた方はいますか?いませんよね。気がついたらこの世にいたんですよね。皆さん、数えられる「縁」しか、見える「縁」しか
われわれがあらゆる事物を精神と物質から合成するのを見て、この混合こそ、われわれにとってきわめて理解しやすいものであろう、とだれが思わないであろう。ところが、これこそ最も理解しにくいものなのである。人間は、自分自身にとって、自然のなかで最も驚異に値する対象なのである。なぜなら、人間は、身体が何であるかを理解できず、なおさらのこと精神が何であるかを理解できない。まして、身体がどういうふうにして精神と結合されうるのかということは、何よりも理解できないのである。そこに、彼の困難の窮みがあり、し
事物を知ることについてのわれわれの無力に止めをさすものは、事物それ自体は単純であるのに、われわれは、霊魂と身体という、相反し、種類の異なる二つの本性から組成されていることである。なぜなら、われわれのうちにあって推理する部分が、精神以外のものであるということは不可能である。またもし、われわれが単に身体的であると主張するならば、それはわれわれを事物の認識からいっそう遠ざけることになるであろう。なぜなら、物質がそれ自身を知るということほど不可能なことはないからである。物質がどうやってそれ自身
もし人間が、まず第一に人間を研究したならば、それ以外に出ることが、どんなに不可能かがわかるだろう。どういうふうにして一部分が全体を知りえようか。だがおそらく彼は、少なくとも自分とのあいだに釣合を保っている部分だけでも知りたいと渇望するだろう。しかし世界の諸部分は、すべて互いにあのようの関係し連絡しているので、他の部分を知らず、そしてまた全体を知らずに、一部分を知ることは不可能であると思う。たとえば人間は、彼の知っているすべてのものと関係を持っている。彼は、彼を入れるための場所、存続す
これがわれわれの真の状態である。そのために、われわれは確実に知ることも、全然無知であることもできないのである。われわれは広漠たる中間に漕(こ)ぎいでているのであって、常に定めなく漂い、一方の端から他方の端へと押しやられている。われわれがどの極限に自分をつないで安定させようとしても、それは揺らめいて、われわれを離れてしまう。そしてもし、われわれがそれ追って行ゆけば、われわれの把握(はあく)からのがれ、われわれから滑(すべ)りだし、永遠の遁走(とんそう)でもって逃げ去ってしまう。何もの
人間の不釣合(ふつりあい)。自然的な認識がわれわれを導いていくところはここまでである。もしそれが真でないならば、人間のうちに真理は存在しない。もしそれが真ならば、人間はそこに卑下すべき大きな理由を見いだし、いずれにしても人間はへりくだらなければならない。そして人間は、それを信じないでは存続できない以上、私のねがうところは、彼が自然のさらに大いなる探求にはいる前に、その自然を一度真剣に、またゆっくり観察し、また自分自身をも見つめることであるそして、彼がそこでどういう釣合になっているかを