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戦後の自虐教育では、大東亜戦争前後の史実や人間的に私たちの規範となる優秀な日本人に関して殆ど教えていません。そしてそれは軍人に限らず民間人に関しても同じこと。今日は、是非皆様から子々孫々にその存在と偉業を語り継いでいただきたい人物をご紹介致しましょう。その方の名は、はったよいち八田與一氏今日は、日本の教科書には載っていなくとも、現在でも台湾の中学生用教科書にその偉業が詳しく記載されており、同国の人々が親日である大きな要因となっている、この土木技師の命日にあ
4月19日の午後、以前より訪ねてみたいと思っていた烏山頭ダムへ、大洞先生の車で向かった。烏山頭ダムは、台湾の教科書にも載っている日本人技師・八田與一(はったよいち)が建設に尽力したダムだ。1930年にダムができるまで、嘉南平原は干ばつ、洪水、塩害に苦しむ不毛の土地だった。金沢市生まれで東京帝国大学土木科を卒業した八田與一は、台湾で数々の水利事業に携わり、約10年で烏山頭ダムや用水路を完成させ、嘉南平原は台湾最大の穀倉地帯に生まれ変わった。地元の方々は、今でも八田與一の
5日目、やや長い距離の予定なので少し早めに起床準備を済ませ7時半頃に出発できました。道のりは殆ど用水路と田舎道サイクリングロードが多かったので台南に予定よりも早く着きゆったりと観光もできた。ひとつ問題発生走っていて足の根元が痛いと思ったら股擦れしているではないか、股擦れクリーム塗ってたのに、ヒリヒリ痛い〜ドラッグストアを探し大判の絆創膏とタイガーバームを買い応急処置、なんとか乗り切れるかな?嘉義ー北回帰線標ー烏山頭水風景区ー安平古堡ー台南駅ーホテル晴れ時々薄曇り朝食は初の台湾
2026年最初の海外旅行が、いよいよ数日後に迫ってきた。成田前泊を入れて6泊の、高雄・台南の旅だ。数回しか台湾に行ったことはないが、台湾の中でも台北より台南が好きになったので、今回は高雄空港往復にした。高雄と台南は近い。なぜ、台南に惹かれるのだろうか?多分、50年以上海外の旅を続けてきた私の旅センサーが、「ここ(台南)だ、ここ(台南)だ」と、激しく反応したせいに違いない。台南は、昭和の香りがして、とても懐かしい気がする。ほっとするのである。そして、ここなら、
🇯🇵国防会臺灣慰霊顕彰研修旅行2日目です。ホテルをチェックアウトして、台湾の靖国神社と言われる新竹市『南天山済化宮』で、泉州磐船神社航空神社の佐藤宮司に依る神式の慰霊顕彰祭事を挙行し、ツアー参加者全員が参列しました。南天山済化宮は「台湾の靖国神社」と呼ばれ、台湾出身日本軍人軍属の戦没者約4万柱をお祀りされている観音廟です。昼食の後、台湾高速鉄道の苗栗駅へ向かい、日本の新幹線技術が導入され、日本の700系車両が台湾仕様で活躍している新幹線で、嘉義駅へ向かいました。最高速度は時
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訪問ありがとうございますこのブログでは「毒親」育ち「宗教二世」のわたしがインナーチャイルドセラピストとして自分の傷を癒やして開放するために氣になることを心の赴くまま書いています。参考記事→わたしの自己卑下は次の目的地は烏山頭(うさんとう)ダムバスの中でウトウトし目が覚めて窓の外を見たら八田路ナントカという交差点お、そろそろ近いのかも…予想通り、ほどなくして到着。ダム建設
ここのところ毎年台湾に行ってます。今回はどうしても行きたかった二つの場所に行ってきました。一つ目は烏山頭ダムです。戦前に日本人技師の八田與一氏が中心となって造られたもので、台湾南部を一大穀倉地帯に変えたダムです。雨季における洪水、乾季における水不足を解消し、農民の生活を飛躍的に向上させた功績により、今でも台湾の人々に愛されています。水をたたえる烏山頭ダム八田與一氏は戦中にフィリピンへ向かう船が米潜水艦に撃沈され死亡。さらに、妻の外代樹さんも、戦後に息子さん
先週、5月8日は八田與一氏の命日ということで台南の烏山頭ダムでは慰霊祭が開催され頼清徳総統も参加されたとのこと八田與一さん、ご存知でしょうか?日本統治時代の水利技師で水不足に悩んでいた南部地域にダムや水路を設けて嘉南平野を穀倉地帯へと変えた台湾の発展に多大な貢献をした人物日本ではそこまで知られていないと思うしなんだったら同姓同名の指名手配犯の方が知られてそうだけど台湾では最も尊敬される日本人とも言われていて教科書にも出てくるし台湾人ならみんな知って
素晴らしい偉業をされた八田與一氏を日本の教科書に載せてもらいたいものです。そして、今も忘れずにいる台湾の人々に感謝します。
長松寺のお総講を終えたら表の台湾展のポスターを見て台湾人のご家族が入ってきてくださいました。英語の話せる若い方々がいて神田さんが丁寧にご案内くださり、みんなで楽しく会話することが出来ました。八田與一さんのことを伝えたり、こちらから今回の企画展の主旨をお話しし、あちらから今回の旅行がお母さんの誕生日の旅行ということをお聞きし、みんなでハッピーバースデーを歌ったりしました。最後には長松寺のご宝前の前で記念写真を撮り、みんなで本当に楽しくつかの間の時間を過ごしました。別れ際、お父さんが名刺をくださ
2024年8月26日~28日の2泊3日で台湾へ当支部のメンバーでもある和田政宗参議院議員、杉田水脈衆議院議員を含め総勢18名で表敬訪問を行いました。26日の到着日の昼には、台湾日本関係協会蘇嘉金会長(元立法院長)の御好意により圓山大飯店の特別室で昼食会にお招きを戴きました。残念ながら、翌日予定しておりました蔡英文前総統との面談は公務多忙に付き、時間の関係上中止となりましたので、日本より御土産として持参しました広島Gサミットで各国首脳に配布されたものと同様の輪島塗ボールペンを頼総統、蔡前総統、
昨晩は熟睡出来ました。早起きして朝サウナ、身体をシャッキとさせて朝ご飯に向かいました。エレベーターの中もイルミネーション?チームラボ、に来た感じでしょうか?ルナウォッチ、全部で250kgもの重量だそうエレベーターを最上階で降りると正面にあります。デザイナーのオラファー・エリアソン氏の2016年の作品です。月の満ち欠けを表現しているそうです。ホテルの最上階は夜はバーですが、ここが朝食会場でした。昨晩、このバーで1杯やれば良かったと後悔したほど格好いい場所ですインテリアが何しろお
お疲れ様です!かつて、日本は台湾を統治していた。そのお陰で、台湾は大いに発展したとの事。民間レベルで八田與一氏が、東洋一のダム(烏山頭ダム)を…参考に台湾には、親日家が多く、先日の能登半島地震でも、多額の寄付金(¥25億6000万)が贈られたそうです!有難い事です!フルーツ天国♪『フルーツ天国』二年前撮影いつも有難うございます。最近のハマりは、台湾産パイナップル🍍これ、芯まで甘く旨いですね。。。中国が、この3月に台湾からの輸入を禁止したそうです。そ…ameblo.jp2
こんばんは😁髪を切ったHickeyです😁僕は髪のカットは友人の美容院へ行っている💇🏻♂️夏は月に2回のペースで行く💇🏻♂️汗っかきだし自転車に乗る時にヘルメットを被るし野球をやる時やランニングでは帽子を被るために基本的には夏は短めにカットする💇🏻♂️ボウズやスキンヘッドにした年もあったが周りの評判があまり良くなくて『ちょっと怖すぎる😱』そう言われてしまったために最近では夏はソフトモヒカンにする事が多い‼️月に2回のペースで通うのは髪を1度カットしたら次はサイドとバ
昨夜、俳優の塩谷瞬くんからお知らせをいただき、驚天動地、びっくり仰天しました。なんと、瞬くんが、八田與一さんの役をやられて、八田與一さんの祥月命日にあたる5月8日に一夜かぎりの舞台をなさいます。是非とも、行っていただきたい!すでに八田修一さんと弥生さんは墓前祭に参列するため台湾に向かわれました。京都佛立ミュージアム「台湾と日本展〜台湾に遺るリップンチェンシン〜」の開催中に、こんな素敵な舞台が日本で行われるなんて、感激です。下記、ご案内メッセージを掲載させていただきます。是非、よろしく
台湾沖地震での被災からの復興を祈願する意味で過去の台湾旅行の記事をリブログする企画を行っていきます。第一弾は烏山頭ダムの記事です。
八田與一(はったよいち)1886・明治19年2月21日~1942・昭和17年5月8日石川県金沢市出身台湾水利の父と呼ばれる水利技術者。台湾では中学の教科書『認識台湾・歴史篇』に八田與一の功績が詳細に載っており、台湾人で八田與一を知らない人はいない。八田與一が赴任した当時の台湾はマラリア等の伝染病が蔓延しており、伝染病予防策が重要だった。八田與一も初めは衛生事業に就き、台南・高雄・嘉義などの上下水道整備に当たり、後に灌漑・発電事業を担当。1918・大正7年台湾南部の嘉南平野
朝5時に起きて、風呂して身支度を整えて、6時過ぎにホテルを出発!コンビニでパンと飲み物を仕込み、バス停へ。バス遅延だって‥タクシーも来ないし‥4分遅れのバスに乗り、シャングリラホテル前で降りて台南駅へ早歩き💦階段登って降りて💦ホームに着いたらもう電車来てる?駅員さんに聞いたら、これだと、早く乗って!ギリセーフでした🥵6:58発の電車で7:20善化駅到着。はぁ〜ドタバタしたわい。やれやれ‥7:50善化駅発のバスに乗り、8:10烏山頭ダムに到着。何やら今日は無料開放だと。イベン
港区の愛宕にある青松寺に散歩がてら行ってきました。青松寺は「せいしょうじ」と読みます。祝田通りにある名刹です。扁額には青松禅寺とあります曹洞宗なので禅寺なのですね。本山は福井県の永平寺と横浜鶴見の総持寺となっていました。萬年山(ばんねんざん)というのが号です江戸を開拓したと言われている太田道灌が作ったそうです。1476年(文明8年)、時代は室町幕府8代将軍足利義政の頃です。最初は現在の千代田区麹町辺りにあったそうですが、徳川家康の江戸開府に先立つ1600年(慶長5年)に江戸城の
烏山頭ダム(八田與一記念公園)の北側に復元された八田與一と同僚幹部職員の居住家屋があります。一瞬見逃しそうになりますが道路を挟んで隣同士といった感じ。昔ながらの日本の伝統家屋で内部見学が可能です。(開放している家屋が毎週変わるらしい)長く台湾にいる人が見ると日本の古き懐かしい雰囲気を感じると思います。こちらは阿部貞寿さんが入居していた家屋。この方は堰堤(えんてい)係長。堰堤は河川の水をせき止めるための構造物のこと。土砂災害を防ぐために作ります
烏山頭ダムには八田技師に関する記念室があります。『KANOに出ていた日本人』以前にも台湾で活躍した日本人について書いたことがあるのですが、(日本人の記事はこちら)今回も映画を見て知った日本人がいます。その人の名前は八田興一(はった…ameblo.jp中はそんなに大きくはないのですが八田興一技師に関する写真や賞状烏山頭ダムについての説明や台南の水利についての情報があります。約5000億円規模の大工事だった烏山頭ダム。川の水は豊富にあるの
台南好きの私何度行ってもいいんです!2回目の烏山頭ダムへ行ってきました。とはいえ今回は軽くお散歩程度に。烏山頭ダム・八田與一さんについては以前にも書いていますのでそちらをご覧いただければと思います。『烏山頭ダム』台湾には日本人が関連するものが数多くあります。学校・鉄道・温泉・病院など、本当にいろいろ。現在台湾で使われているダムの多くは日本人が設計し、現地の人たちと一緒…ameblo.jp『KANOに出ていた日本人』以前にも台湾で活躍した日本
この記事は、5年半ほど前に、台湾の台中市内に住んでいたころに書いた記事である。なぜ、こんなものを、今頃、リブログ(つまり自分の記事を再掲載)しているかというと…。最近、こういう記事が新聞、テレビ、ネットなどに出ているのを記憶されているだろうか?そう、台湾に東洋一のダムを戦前に建設し、その後も、地元の人々からも愛されていた日本人技師と同姓同名で、悪事を働き、重要指名手配をされた若者がいる。その若者は、昨年6月に大学生2人に対し死傷させるようなひき逃げ事件を起こしたのが、その犯
【日本精神Ⅲ】生きるために、必要な物はなんだと思いますか?食べる事ですよね食べないと生きていけない!そして...水です何も食べなくても3週間は生きられますが水を飲まないと、4〜5日で、命がつきますその、食べる事、飲む事に直結するダムを台湾で作った日本人がいます八田與一氏彼は、『ダム』をただ作るのではなくコンクリートで堰き止めるような物ではなくほんのわずかなコンクリートと、ギザのピラミッド2個分の土砂を利用して防波堤を作る『セミハイドリック
戦後の自虐教育では、大東亜戦争前後の史実や人間的に私たちの規範となる優秀な日本人に関して殆ど教えていません。そしてそれは軍人に限らず民間人に関しても同じこと。今日は、是非皆様から子々孫々にその存在と偉業を語り継いでいただきたい人物をご紹介致しましょう。その方の名は、はったよいち八田與一氏今日は、日本の教科書には載っていなくとも、現在でも台湾の中学生用教科書にその偉業が詳しく記載されており、同国の人々が親日である大きな要因となっている、この土木技師の命日にあた
またまた更新が遅くなってしまいました💦10月に講演会を聞きに行って来たときのお話しです。1920年から1930年まで10年の歳月をかけて東洋一の烏山頭ダムを造った八田與一氏は有名ですよね。その八田與一氏のお孫様が講師でした。八田與一氏の偉業は皆さんご周知の事だと思いますが、ダムの工法や八田氏の信念などを詳しく説明されていました。私は八田與一氏についての本を読んで知ってはいましたが、ダム工事中のある日、烏山領トンネルでガス爆発事故が起こってしまい、作業員の方がたくさん亡くなってしま
5月8日は八田与一技師の命日。彼は台湾の烏山頭ダムの建造者、「嘉南大用水路の父(嘉南大圳(かなん・たいしゅう)の父」、「烏山頭ダムの父」と呼ばれている。(大圳(たいしゅう)とは、途方もなく大きな用水路網のこと)それまで荒野だった台湾中部に綿密に計画された巨大水路網を敷設し、それまでは風土病の蔓延地と呼ばれていた地帯に清潔な上下水道を造ると同時に『アジア屈指の穀倉地帯』を作り上げる事に成功した八田技師の功績は誰も忘れる事ができない…仕事に疲れた時、ハ田先生はよくこんな
戦後の自虐教育では、大東亜戦争前後の史実や人間的に私たちの規範となる優秀な日本人に関して殆ど教えていません。そしてそれは軍人に限らず民間人に関しても同じこと。今日は、是非皆様から子々孫々にその存在と偉業を語り継いでいただきたい人物をご紹介致しましょう。その方の名は、はったよいち八田與一氏今日は、日本の教科書には載っていなくとも、現在でも台湾の中学生用教科書にその偉業が詳しく記載されており、同国の人々が親日である大きな要因となっている、この土木技師の命日・没後
上の写真は、パラオかと見間違うほど、美しい景色です。実は、台湾にあるダム湖です。かって、台南の地にあるこの地域は、間伐と洪水を繰り返していた不毛の地でした。この不毛の地に、ダムを作る事を担当したのが、日本統治時代の台湾総督府の日本人土木技師の八田與一さんでした。通常ダム建設には、コンクリートが使われるが、彼は熟考の上、この地の粘土層を活かす事でダムを作ることを考えたのでした。彼の尽力と地域の人々の協力もあって、10年の歳月をかけて、1930年に完成し、上のような美しい湖と森林をもたらした