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友人が行ってみて気に入ったと言うので連れていってくれた高宮庭園茶寮。前から行ってみたいと思っていたので一層嬉しかったです。比較的街中に突如森のような空間。ここが敷地の入り口です。高宮駅から徒歩5分くらいなので駅から歩いて行きました。全体的にはこんな感じで建物も大きいです入り口の目の前にある松も立派でした。ここはそもそも何だったのか、HPから引用します:「旧高宮貝島家住宅」は、麻生・安川とともに「筑豊御三家」と称され、「炭鉱王」と呼ばれるほど隆盛を誇った貝
花嫁の皆様、花嫁のママさま、花嫁の猫ちゃんたち今日は、仲良しカップルがご来店。会場を決めるのに、お悩みのご様子。焦らず、きっとピンとくる会場があるはずなので、頑張って決めてくださいね。そういえば、来月の13日に山の上ホテルが休館するようです。いつ、再館するかは未定なので、このまま廃業される可能性もあり。神田カトリック教会、山の上ホテルでの披露宴の花嫁さんのドレスを30年間の間にたくさん作ったな~。一番納品に行っていた時期は、お髭の稲川神父さまのとき。乳白色のガラスが、
こんばんは〜この日はお天気も良かったので急遽お出掛けすることにここはNHKの朝ドラ『花子とアン』にゆかりのある場所。伊藤伝右衛門邸🏡正直、ここに来るまで伊藤伝右衛門さんの事はよく知らなかったのですが以前TVで白蓮(伝右衛門さんの元妻)さんの歴史?みたいなのをチラッと見て新聞に絶縁状を投稿して(白蓮事件)話題になった人の元旦那さんの家だと知り超絶興味が湧きました。調べれば調べるほどに2人のことが気になって(笑)歴史が1番嫌いだった私が初めて『歴史に興味を持った日』
10月14日(土)に放送されたブラタモリ北九州市2回目のその2である。先ず、タモリがハイジャン男の出身高校である福岡県立筑紫丘高校の7つ先輩であることをお伝えしてなかった。実は、タモリの同級生のMさん。父上が筑紫丘高校の化学の教員で、ハイジャン男の家のそばがお住まいであった。タモリはよくMさん宅に遊びに来ていたらしいので、何処かで遭遇していたかもしれない。さて、2回目の話題は?何のこと??実は、官営製鉄所の誘致であるが、北九州の門司と八幡が争っていたらしいのだ。それで、圧倒的に有力
昨日の夜は、晴れていたので多久市多久町に天の川を撮りに行きました。まず、西渓公園に行って高取伊好(たかとりこれよし)公の像の上の天の川を撮りました。炭鉱王・高取伊好は、多久にたくさんの私財を投じ西渓公園を整備し図書館等を作りました。西渓は、髙取公の号です。次に、多久聖廟に行きました。ここは街灯が明るく、孔子像と天の川を撮りましたが、天の川の露出不足でした。
毎年2月に旅に出ている。お店の周年イベントが終わり、誕生日が来て新しい歳が始まった時に…。今年はひとり旅で、昨日福岡到着。以前から行ってみたかった飯塚市の旧伊藤伝右衛門邸を訪ねました。筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門と、歌人柳原白蓮の住んだ屋敷です。50歳の伝右衛門が、25歳の華族の柳原白蓮を再婚相手として迎え入れたのが明治44年。屋敷は白蓮のために、応接室やトイレ等を一部洋風に建て替えられた。ここが白蓮さんの居室。この屋敷から抜け出すことを考えていた白蓮。想いにふける時は、屋敷の広い庭
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明治時代炭鉱事業で成功した「筑豊の炭鉱王」の豪邸に行って来た自宅から車🚘で1時間の飯塚市にある伊藤伝右衛門邸敷地面積約7570平方メートル、建物延床面積約1020平方メートルの邸内には、ダイヤを象った欄間のステンドグラスや広大な回遊式庭園が広がっており、贅を尽くした建築美が見られる。炭鉱王👑が大金を投じて建てた豪邸と言うより大御殿🕌当時の日本建築の粋を集めた建築物なのです1万体のひな人形が街を彩る「いいづか雛(ひいな)のまつり」旧伊藤伝右衛門邸では、ひな人形など約34
旧高取邸佐賀県唐津市北城内5-40杵島炭鉱などの炭鉱主として知られる高取伊好(たかとりこれよし:1850~1927)の邸宅です。唐津城本丸の西南の海岸沿い、約2,300坪の広大な敷地に、大きく2棟の建物が建っています。平成6年から平成7年にかけて行われた国の近代和風建築総合調査でその重要性が確認され、平成10年12月に国の重要文化財の指定を受けました。和風を基調としながら洋間をあわせ持つという近代和風建築の特色を備える一方、大広間には能舞台を設けるなど独特のつくりになっています。杉戸
『花子とアン/第8週:想像のツバサ?』(第43話~48話)演出/安達もじり【キャスト】安東はな/吉高由里子村岡英治/鈴木亮平醍醐亜矢子/高梨臨宇田川満代(作家)/山田真歩吉太郎(兄)/賀来賢人かよ(長妹)/黒木華もも(末妹)/土屋太鳳母/室井滋祖父/石橋蓮司<郷里の同級生>木場朝市/窪田正孝徳丸武/矢本悠馬<教師>本多校長/マキタスポーツ緑川先生/相島一之【あらすじ】大正2年(1913年)4月、はなは故郷の尋常小学校で代用教員として勤め始める。が、受け持った6
国の名勝に指定されている築上町の旧蔵内邸を訪れました。国の名勝に指定されている旧藏内邸庭園は、明治39年頃に作られた池泉庭園で、池の水は農業用水路から引き込み、敷地内を地下水路で巡らせ池に注がれています。石組の護岸には突出する景石(鶴首石と亀頭石)と、北側に荒々しい二つの枯滝石組を並列させて、主庭の最も重要な景としています。藏内、久良知家は明治16年(1883)頃から炭鉱経営をスタートしましたが、その後、大正時代には錫を主力とした尾平鉱山(大分県緒方町)大串
国の名勝に指定されている築上町の旧蔵内邸を訪れました。旧蔵内邸は明治から昭和初期まで炭鉱や錫、金の鉱山を経営した藏内次郎作、保房、次郎兵衛の藏内家三代の本家住宅です。迎賓館の性格が強い邸宅です。邸宅は明治39年頃に建築され、大正5年の藏内鉱業株式会社設立と同時に大増築されました。隣接する貴船神社と鳥居、参道、石橋なども一体として建設されました。藏内家住宅は2002(平成14)年に国の登録有形文化財に指定されました。住宅は大胆な屋根構成と12畳間の大玄関や
国の名勝に指定されている築上町の旧蔵内邸を訪れました。蔵内家とは久良知家と同族で宇都宮氏家臣を祖にもち、明治になると、石炭採掘事業に進出し、峰地坑(添田町)、大峰坑(大任町・川崎町)、足立坑(小倉北区)、京殿坑(水巻町)など規模を拡大し、大正8年には全国6位の産出高をあげるまでに成長しました。現代でいえば、出光シェル、ENEOS、コスモ石油などの石油大手のような存在です。石炭だけでなく、尾平鉱山(大分県)や大串金山(長崎県)など金属鉱業の経営にも携わりました。藏内次
まだ、山口旅は書き終わってませんが近場遊びのブログお雛様展示は26日に終了。3月中にアップしたいのでこちらを先に前々から一度行ってみたいと思いながら行くチャンスがなくアメ友百花さんが2019年2月2日~2019年3月26日まで、「いいづか雛(ひいな)のまつり」が開催と、ブログに書いてあったので・・触発され行ってきました筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門邸へ福岡県飯塚市幸袋300番地表玄関旧伊藤伝右衛門邸は、筑豊の炭鉱王と呼ばれた伊藤伝右衛門と歌人柳原白蓮が過ごし
アーチ型防潮水門、廃止へ…大阪の街守り半世紀読売新聞半世紀にわたり大阪の街を高潮から守ってきたアーチ型防潮水門(3基)が、廃止されることがわかった。アーチ型は全国でも大阪しかなく、昨年9月に関西国際...【今日の一冊】イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語会計の世界史ニフティニュースここでは15世紀イタリアの「銀行革命」と「簿記革命」、17世紀オランダの「会社革命」が紹介されるのだが、そこに「最後の晩餐」をはじめとした3枚の絵画が巧みに...1968年激動の時
『旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館)と阪神間モダニズム』芦屋市KissPRESS当日は、重要文化財旧山邑家住宅保存修理工事委員会委員長の足立裕司氏による記念講演をはじめ、3つの基調報告が行われる。なお、申し込みは、2次元...「登録有形文化財浪漫の宿めぐり(93)」(佐賀県唐津市)旅館綿屋≪堅牢で凝った造りの建物は炭鉱王...旅行新聞新社登録有形文化財は玄関やロビー回りなどのほか、全12の客室のうちの8室。なかでも建築当初の面影が色濃いのは1階の浦島と1つだけある洋室の赤獅
福岡県築上町築城基地航空祭が有名な町です。小倉から車で1時間自然いっぱい静かな町田園風景に突如現われる、炭鉱王の大邸宅であり迎賓館でもある「藏内邸」明治建てられ大正に大増築されたそうです。表門広い広い庭手入れが行き届いています。松の剪定は見事です。ちょうど梅が咲いていました、。大玄関や、大広間、茶室、天井どこも当時の最高級の建材が使われています。屋久杉も多く見かけました。豪華欄間は組子細工、そうあの「ななつ星」にも使われてますよね。
太宰府天満宮を後にして、大分県の中津に向かいます。その中津へ向かう途中、福岡県飯塚市に立ち寄りました。飯塚市は福岡県№3の市で、過去には炭鉱の町として栄えた街です。その炭鉱の町を象徴する人物の一人が、伊藤伝右衛門。筑豊の炭鉱王と呼ばれた人です。旧伊藤伝右衛門邸へ。筑豊の炭鉱王と聞いてピンときた方もおられるでしょう。そう、「花子とアン」で、吉田鋼太郎が演じる嘉納伝助のモデルになった人が伊藤伝右衛門です。そして嘉納伝助といば仲間由紀恵が演じる奥様の蓮子さま。この方も伊藤伝右
今日は飯塚のおばあちゃんのお見舞いついでに旧伊藤伝右衛門邸で雛人形を見てきました🎎伊藤伝右衛門は炭鉱王で大金持ちになった人ですとにかく凄い数でしたこんな洋風なひな壇があったり…天皇・雅子さまの雛人形があったり…色んなタイプの雛人形がたくさん飾ってありましたそれにしても、邸宅は立派で庭園も素晴らしくてお天気も良く梅も満開で良いタイミングでの見学となりました
【石炭】、と言えば、炭鉱。夕張炭鉱、三池炭鉱あたりかな、聞いたことがあるのは。三池炭鉱なんかは盆踊りの歌詞になってて意味もわからず踊ってたし(盆踊りも大好き!)あの曲調から、楽しげな雰囲気なんだーとしか思わなかったけど、大きくなってTVとかでたまに取り上げられる悲劇も知り、大繁盛した活気をもたらした反面、色んな物語も秘めているんだなあと思った。炭鉱王の屋敷とか邸宅とかその豪勢な生活を知ると単純にワクワクキラキラしちゃうね!羨ましいなあ、1度はこんな暮らしをしてみたいもんだ
先日2016年5月5日の唐津散策レポの続き。「旧高取邸」の続き。旧高取邸(その3)のレポ。http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12183370339.html「貯蔵庫」を過ぎると、「旧高取邸」のお庭の脇を歩くことができます。「旧高取邸」の屋敷が右手に見えて…。お庭もキレイ♪ここは、書斎や中座敷の辺りになります。奥大広間に、2階の大広間。いい眺めが見えたのは、この2階部分になります。1階の大広間の奥に、能舞台があります。
先日2016年5月5日の唐津散策レポの続き。「旧高取邸」の続き。旧高取邸(その2)のレポ。http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12183307147.html「家族湯殿」を別の角度から…。「家族湯殿」の窓から、浴室内を…。タイル張りで見事ですね~。浴室内の窓。昔の銭湯のような雰囲気で、いいな~♪「家族湯殿」の奥にある建屋。こちらは「貯蔵庫」。地下には、ワインセラーがあるとか。冷温貯蔵を目的とする建物のようですね
先日2016年5月5日の唐津散策レポの続き。「旧高取邸」の続き。旧高取邸(その1)のレポ。http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12183297941.html「旧高取邸」の西側には、小さな小屋があります。こちらは「食料庫」。「食料庫」の奥には、更に小さな小屋が!こちらは「西厠」。使用人が使っていたトイレのようです。「食料庫」の隣の建屋。建屋の中を覗くと…。お風呂のようですね。こちらは「使
先日2016年5月5日の唐津散策レポの続き。「二ノ門外堀・北ノ門」を越えて、「旧高取邸」に向かいました。御住居・学問所・二ノ門外堀・北ノ門のレポ。http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12180152299.html「二ノ門外堀」のすぐ西側には、石積みの塀が長く延びている場所がありますので、それに沿って、西に進んで行くと立派な門の前に到着。こちらが次の目的地「旧高取邸」。立派なお屋敷ですね~♪右手の方には、おお~立派な日本家屋が!