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とりあえず1話でがっかりしなかった。野武士が襲ってくるのは麒麟がくるや「武蔵2003年」と同じ感じ。当時の農地周辺の治安の悪さを印象づける狙いかと思います。でも麒麟がくるでは初回登場の野武士が火縄銃を持っていたのに今回の野武士はただのなまくら刀でだいぶ戦力としては違うなと感じました。麒麟が来るでの初回の部隊が1547年くらいで今回が1559年で今回の方が時代は後ろなのに火縄銃を持っていない。信長よりも齋藤道三の方が先進的で美濃には鉄砲が広まる要素があった
諏訪SAから伊那IC経由で約1時間で中山道木曽福島宿に到着できました。ここの上の段というところに、僅かながら旧中山道の街並みが残されており、現在は飲食店やらが営業しております。標高860mなので気温は平地より低めなのと霧が出やすい地域のようです。旧中山道高札台今時では掲示板と言ったところでしょうか。山村代官屋敷跡地。説明書きは下記の通りとなります。木曽福島宿は天竜川上流河川の護岸に位置しているために、建物は崖に面した場所に建てられているか、山
大型客船バイキング・エデンが12月は3回も寄港しています。私もバスガイドとして出動🚍エデンが入港するときはなぜかほとんど大雨どしゃぶりなんですよね〜😅ですが珍しく先週は晴れました!!やっぱり種子島は晴れが似合う😊🌞✨港の広場には島の特産品がならび出航前には火縄銃の試射が行われました👏島を離れる夕暮れ時には船に明かりがつき暗闇の中を進む様はとても美しいのです。今週も寄港するようなので楽しみ。ご来島ありがとうございました!🌺現在募集中の種子島ツアー&体験🌺〈
12/7は、土岐市総合射撃場にて鉄砲隊の訓練会でした。愛知県の射撃場が改修中で使えないので、岐阜県の土岐市の「土岐市総合射撃場」施設を利用。近所の明智光秀の奥さんの煕子さんの実家の妻木氏の居城、妻木城をすぐ近くにあります。いつも城を訪れると銃の音がよく聞こえるので気になっていましたが、同地で撃てて納得。熊がいそうな山深い中に開放的な空間があり、秘密基地のような場所でした。参加者でいろんな撃ち方を議論して考証して、なかなか勉強になりました。
クマと人間を分けてきたもの江戸時代から眺めると:朝日新聞■連載コラム「日曜に想う」記者・有田哲文江戸時代、とりわけ前期は大規模な農地開発が進んだ。山野が切り開かれ、耕地面積はほぼ倍増した。日本近世史が専門の武井弘一・金沢大学教授によると「戦乱から自分の…www.asahi.comクマと人間を分けてきたもの──江戸時代から考える境界線江戸時代、とりわけ前期は、日本の風景を大きく変えた時代でした。戦国の混乱が終わり、平和が訪れると、人々の関心は「生き延びる」ことから「開発」へと
言われるままに運転して到着したのは、多分「真田本城」そんなレベルです。訂正正しくは『上田城』敷地内に歴史ある野球場のある城はここだったか?記憶が曖昧になっています。こんな場所にもあるのですね300円払って城内の資料館へ入りました。これに乗っての長距離移動は、乗り手も担ぎ手も辛かっただろうな。この手の物が好きです火縄銃体験があったので、備え付けの衣装を纏いポージングふと、この柵は史実に基づいてないねと先輩方。本物は柵の柱は菱形になっており、敵の銃弾の弾道を変化させることで、被弾
歴史学者の磯田道史先生が、本能寺の変以降の明智光秀の行方を現地取材しました。アシスタントに女優に一級建築士でもある田中道子さん。▼写真AC:ジュンPさん提供のフリー素材先日はNHKで『決戦・アフター本能寺:秀吉vs.光秀天下人への道』という番組があったばかりですが、内容もかぶることなく、歴史の奥深さを感じました。1.本能寺の変:光秀の抹消された痕跡をたどる山崎の戦いは、1582年(天正10年)6月13日明智光秀と羽柴秀吉が天下をかけて争った合戦。勝利した秀吉は天下人への階段
【台湾•嘉義県-東石郷-副瀬村『富安宮』義愛公として祀られる『森川清治郎』巡査】9年2か月ぶりの訪問。親日家が非常に多い台湾。そんな台湾で尊敬される日本人の1人が森川清治郎巡査です。嘉義県東石郷副瀬村。村の中心にある富安宮は、森川巡査が亡くなった後に巡査を慕う地元の人々により建てられ、巡査は土地神として祀られています。日本統治時代1897年(明治30年)に台湾に渡り、嘉義県東石郷副瀬村の派出所勤務となった森川巡査は、当時治安が悪かった村の治安改善に尽力しました。また、識字率が非常に低
丸弾のスムーズボア小銃である火縄銃。作るには高度な鍛冶技術が必要だ。種子島に鉄砲が伝来してから、戦国時代末期には日本は世界一の銃器保有国になっていた。つまり、地球上で一番日本人が銃器を多用、量も保有していた。戦国時代の日本は世界一の軍事大国だった。銃器の保有数は50万丁を超え、これは世界規模でも突出した異常な量だった。戦国期から江戸幕末明治初頭まで、日本国内での戦争は銃器こそが雌雄を決するという歴史があった。戦争での第一の有力武器は火器である、という
鉄砲まつり2日目です、朝方わずかにお湿りがありましたが午後は晴れてお祭り日和でした。小鹿野町の鉄砲まつりは、江戸時代畑などを荒らす獣除けあたりが起源と文献にありました。画がお祭りですね~(^^♪小鹿野と言えば歌舞伎、役者はもちろん裏方さん等すべて自前でこなします。お立ちの神事の前に火縄銃の演舞が披露されました。さあ、お立ちの神事です先頭は高張、先導的な一陣です。田之頭・中郷・下郷等は神社近くの耕地名です久月も見えますね、ここは尾ノ内に次ぐ氷柱が見られます。
翁長雄志知事の「琉球と冊封体制」発言を、硫黄資源を巡る明王朝の軍事戦略、薩摩藩の琉球進出、明清交代、進貢貿易の実態から検証し、明と清では冊封体制の本質が全く異なること、現代沖縄論が歴史認識を誤っている危険性を鋭く指摘する論考。2017-02-24以下は前章の続きである翁長雄志知事は、李克強首相と会えたことに感激の「言葉」を口にして、「沖縄はかつて琉球王国として中国をはじめ広くアジア諸国との交流の中で栄えてきた歴史がある。中国とは冊封制度をしてきた」と、冊封体制に言及したここで翁長雄志知事
秩父地方には、1年の日数に当たるように沢山のお祭りがあります。12月31日まで小さな祭りがありますが、年の瀬も迫った13・14日に「飯田の鉄砲まつり」があります。場所は、国道299号線を小鹿野の街を抜けた所です。やはり、小規模ながら笠鉾の引き回しや三番叟・歌舞伎の上演それに大名行列神輿の渡御や神幸祭などが、盛り沢山おこなわれます。もちろん「鉄砲まつり」ですから、火縄銃の演舞などがあります。参道の両側に鉄砲隊が並び、発砲する中を
石垣の間の階段を登りに昇って、遂に天守閣に入れました。……が、暗い!!!どうやらまず最初に入れたのは「地下1階」な模様。お城としては珍しく「石垣の内側」にあるスペースとなりまして、ある意味「外からは攻めれない」場所なんだとか。そしてそんな地下では「厠」が発見されまして。どうやら使用された形跡は無いとの事ですが、結構長い間見つかってなかったそうですよこの厠。そして逆の端には「流し」がありまして。これは一見平坦に見えますが、この板の下は角度がついた斜面になっていて、水が城外に排水できるよう
2025年11月21日(金)、「軽食喫茶ドルチェ」で「日替わりランチ」を頂いた後は、散歩してから一関図書館へ。パソコンコーナーでちょっとブログ作成などしての帰り際、イベントポスターが掲示されているコーナーを覗くと「登米市歴史博物館」で「火縄銃の魅力」という企画展だって。入館無料だし、行ってみようか。。。ということで11月26日(水)、「ラーメンショップ太田家本店」でねぎらーめんを頂いた後に訪問。桜の名所、鹿ヶ城公園に隣接している。「登米市歴史博物館」館内は
松本市にある国宝「松本城」。本来の登城は「太鼓門」を通るルートだったとのこと。直進110m、徒歩1分とのことなので「太鼓門」へ行ってみました。耐震工事中で一部シートがかかっています。1999(平成11)年に復元された、太鼓門の一の門(櫓門)。22.5tの巨大な「玄番石」があります。こちらは、太鼓門の二の門(高麗門)。太鼓門も桝形になっています。続いて「二の丸御殿跡」へ。現在は「松本城二の丸御殿史跡公園」になっています。
根来寺~壮絶な歴史~開山・覚鑁(かくばん)上人(撮影日2025・11・27)※長くなりますので、興味のない方はスルーして下さいね・・😅※案内文はネットより引用・参照しております・・壮絶な歴史に残された・・・開山・覚鑁上人と根来寺歴史創建・1130年(大治5年)当時の根来寺が壮大な大寺院だった!平安時代後期の高野山の僧・覚鑁が・・1130年(大治5年)に高野山内に小伝法院を創建したことに始まる!覚鑁上人とは・高野山中興の祖1134年(長承3年)に覚鑁は金剛峯寺座主に
圧倒的な存在!日本最大~国宝大塔!~根来寺~大塔が真言密教の教主・・・大日如来の姿を現している・・(撮影日2025・11・27)大伝法堂の次にお参りしたのは・・大塔手前・大師堂中・・大塔奥・・大伝法堂大伝法堂前から大塔を見る・・圧倒的存在!!日本最大の多宝塔・・国宝・・・大塔(大毘廬遮那法界体性塔)本尊・胎蔵大日如来。高さ40メートル、幅15メートルの木造では日本最大の「多宝塔」。人が小さく見えています・・比較すると大きさがよく分かります・・堂内に入っ
10月19日、松本市にある「松本城」へ行きました。現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。昼過ぎに行くと、天守入城までの待ち時間が「20分」とありました。もっと待つことを覚悟していたので、迷うことなく“入城”しました。観覧券売り場を抜けて最初にあるのが「黒門(一の門)」です。1960(昭和35)年に復興した門です。かつてはこの門を入ると本丸御殿があったそうです。格調高い正式な門で、当時の最高の色調である黒の名を冠したと考えられています。
根来寺の紅葉本尊・三尊・・大日如来・金剛薩埵・尊勝仏頂●勝手は72万石の大寺院、一大勢力であった!!ブロ友kenjiさん作(撮影日2025・11・2)この日は御三尊さんに会いたくてお参りしたのですが・・根来寺は紅葉の名所でもあります・・・紅葉谷も見ごろでした・・紅葉鑑賞を満喫して・・・平日にも関わらず駐車場はいっぱいでした・・大伝法堂(本堂)に向かいます・・大伝法堂(本堂)の案内根来寺(ねごろじ)和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山の寺院。山号は一乗山。本尊
(クロ)です。妻の(シロ)さんと仲良し夫婦で楽しく過ごしています。長女の(ぴょん)と長男の(くま)も含めて仲良し家族です。アメンバー申請についてはこちらのブロガーズショップに、過去色々とピックした商品を掲載してみました〜楽しく家族旅行の計画を練り、宿を予約、旅行少し前になるとさんが観光先の調査、目的地間の時間等をまとめて、家族旅行のしおり的なものを作ります。さん、計画性があるというのもありますが、単純にそういうのをつくるのも好きみたいで
関西文化の日の無料施設公開を利用して堺を散策した時のブログの続きです。前回のブログ『堺清学院・鉄砲鍛冶屋敷と昆虫食』先週の日曜日、関西文化の日の無料施設公開を利用して、堺の清学院と鉄砲鍛冶屋敷に行ってきました。まずは清学院。清学院とはHPより清学院は、元禄2年(168…ameblo.jp昆虫食自販機を通り越したら山口家住宅。建物配置図はHPよりお借りしました。とにかく広い・・・・HPでは桁行13.8メートル梁間9.4メートル一重一部二階
今日は、池田知事の妻ならぬ戦国武将の妻でございます11月23日(日)第5回十河戦国お城まつりが開催されました県外の方へ「十河」は「そごう」と読みます!知事も甲冑を身に着け(強そうではないですが…)戦国武将となって「皆のもの!出陣じゃ!」「えい、えい、おー!」と鬨(とき)の声をあげました!崎山美幸高松市議、天雲千恵美香川県議、平井卓也衆議院議員と知事の「いざ、出陣!」で甲冑隊は十河を練り歩きました!
(」´□`)」コンニチワ!前に茅ヶ崎道の駅へ行ったときにもらってきたパンフレットにあった大名行列のイベントへ行ってきました。当日は交通規制やらあるので電車で箱根湯本駅到着!行きの電車には外国人が多く乗ってて、ここは日本?って感じでした笑駅周辺はお土産屋さんだったり、買い食いできるお店だったりが多くあり、賑やかでしたその中でも気になったのは入れ墨キューピーちゃんこのストラップキューピーちゃんかわいいな~って思ったけど、般若は売り切れてたのでまた来た時にかなお待ちかねの大名
古都の空からごきげんよう愛犬家ゲイことMA⭐CHARUです。イイねやフォローありがとうございます。フォロー様優先にて前日のイイねより訪問&イイね返しさせて頂いております。友人の住む町で友人が主催する大人気のマルシェに行ってきました。『マルシェの告知~ゲストは仲野太賀~』古都の空からごきげんよう愛犬家ゲイことMA⭐CHARUです。イイねやフォローありがとうございます。フォロー様優先にて前日のイイねより訪問&イイね返しさ…ameblo.jp
三連休、自宅から1時間の高取城で時代祭があると知って行ってみた。奈良大和でもそんなに大きな町ではないので、大きな期待はしていなかったが、色々な演目があって、十分楽しめた。中でも、初めて観る火縄銃の実演は、各地の火縄隊が集結して、15名以上の規模でその轟音と共に迫力満点。「高取火縄銃隊」は今年結隊されたばかりで隊員を募集しているとの広報。参加してみようかと調べたが、情報見つからず残念。10:00和太鼓の演武で幕開く南京玉すだれヨサコイ踊り火縄銃の実演玉
R7年新古美術展の紹介呉美術同好会の新古美術展が11月14日(土)・15日(日)の2日間呉市広多賀谷(中国労災病院の裏)の虹村共同福祉会館で開催されましたこの新古美術展は毎回開催されており今年で20回になります会員が自慢の古美術品・骨董などを持寄っての展覧会です日本刀、絵画、陶器、茶道具、木彫りなどいろいろな新古美術品が展示されます古美術品・骨董などに興味のお方にはとても参考になったと思います美術品の主な魅力は何と
今回はこういうお題でいきます。まず戦国の合戦ですが。意外に戦死者というのは少なかったんです。敵味方合わせて数%のものでした。例えば3万人の合戦であれば死者は数百人。では、どうやって勝敗は決まったのか。まず、合戦はそれほど時間はかかりません。勝負がつくまで何時間も戦い続けるということはまずなかったでしょう。合戦の勝敗は、主に「敵軍の敗走」によって決まりました。大将の討死や軍勢の殲滅もありましたが、実際には稀なケースでした。相手が逃げ始めると、騎馬武者がそれを追いかけて、敵
昨日👇の続きです🥜千葉県佐倉市にある国立歴史民族博物館。後半部です。おさらいを兼ねて、分裂した中世日本を再び統一に導いた力の一つ、火縄銃の展示👆南蛮銃とはいうものの、その形態はヨーロッパではなく東南アジア系のそれに酷似しているそう。そして江戸時代、道祖神。庚申塔と併用されることも多かったと。て、ことは、こちら👆は青面金剛ってことでいいのかな🐒圧巻は第四展示室「民俗」でしょう。ここに集められた全国の「まつり」。みんな大好き妖怪の世界。日本を代表する妖怪「河童」👇👇むしろ鬼に見えますね
昨夜、泊まった道の駅もっくる新城施設は申し分ないが、夜半過ぎ、何時頃やろう?車中泊禁止やぞ!ってのを遠回しに言う、みたいな放送が頻繁に流れていた🤨眠れないので、再訪無しで…どこも清潔でよい。ゴミ箱も設置してある👍8時からのモーニングが好評みたいなので行ってみた☝️ごはんは炊きたてで、つやつやしてて本当に美味しい😋薬味もいろいろな種類があって飽きさせない。お味噌は赤だし。朝から3杯も食ってしまった😅浜松は道の駅不毛地帯やったので仕方なく、ここまで来たのだが
今回はこういうお題でいきます。さて、鉄砲は1543年、ポルトガル人が種子島に漂着して伝えた」という説が教科書で教えられてきましたが、近年は「倭寇や中国商人を介して日本に入った」という異説も注目されています。近年の研究では、鉄砲が必ずしも「漂着」という偶然で伝わったのではなく、倭寇や福建商人の交易ネットワークを通じて日本に持ち込まれた可能性が指摘されているんです。倭寇はたんなる海賊ではなく、密貿易を担った多国籍の交易集団であり、中国人主体の後期倭寇が鉄砲を扱っていたことが分か