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全身をほぐしてあなた本来を蘇らせるボディマインドケア師心葉です.*✿ぼのぼのちゃんと𓂃𓂂𖡼.𖤣𖥧𓈒◌܀加美町のお祭り🎋火伏の虎舞🎋で町中が活気づいていました!13年前から加美町とご縁を繋げてもらって今年🐯初観覧!!お客様のところ2件梯子・・祭りに出会いにラッキーデーでした❣お客様宅でバーズをしていると虎舞さんがやってきて!ご利益いただきつぎのお客様に向かう途中染織工房藍學舎さんで可愛い虎さんに齧ってもらって
今朝、夢を見ました。所用があって車で駅に向かう。路地を経由して向かっていたところ、突然前の車が路肩に止めました。路地は2台の交互通行が出来る程度の幅員なので「めんどくさいなぁ」などと思いながら避けていくと、更にその前にも路肩に止めた車がある。更にその車を避けて前に出ると、空が真っ黒。その下の街区が一面の火災で、空は黒煙で黒くなっていたのである。範囲は広く、空襲でも受けたかのよう。その先ですぐに右折、更に右折して街区から離れようとしましたが、引き返す方向に曲がる道路には中央分離帯があ
秋葉講大祭石浜増福寺で開催秋葉堂で実施2023/12/10昨日12月10日(日)、東浦町石浜地区の秋葉講大祭が増福寺で開かれ、百人を超える人々が参拝しました。コロナが沈静化して、今まで通りの秋葉堂で実施されました。人々の生活にとって火ほどありがたいものはありません。また、火ほど恐ろしいものはありません。火を大切に使い利用していくことを考える1日となりました。
11月はお茶の世界では、炉開きといって、お正月のようなおめでたい日で、昔から炉開きは、旧暦10月(亥の月)の最初の亥(い)の日に開けると良いとされていて、それは陰陽五行の思想から、亥が水を意味していることから、「火伏せ」の意味があるという。炉開きでは、亥の子餅(いのこもち)をいただくのが恒例で、この習慣は、もとは古代中国で、無病息災を願う宮廷儀式である「亥子祝(いのこいわい)」から始まり、それが平安時代に、我が国の宮中にも伝わり、亥の月、亥の日、亥の刻に大
みなさんこんばんは~ようこそこちらにお越しいただきありがとうございます。初めての方もよろしくお願いいたします。さて今回は、前々回・前回記事に続きまして、2022年4月~6月に春季大祭(2日目)・庚龍神社大祭・椿立雲龍神社大祭など、幾度か伊勢国一之宮猿田彦大本宮椿大神社へと参りましたシリーズの【その3】となります。(神集愛宕社)猿田彦大本宮椿大神社●【その1】はこちらです。👇『➀椿大神社に御参拝しました。【その1】(2022年4-6月)』み
秋葉神社秋葉原の名称の由来となる秋葉神社火の神火産霊大神水の神水波能売神土の神埴山比売神鎮火の三神が祀られています入谷から路地裏を歩きたどり着いた秋葉神社前回もそのようにしてのお詣りだったので正解のアクセス方法は未だに分からず…それでも久しぶりのお詣りで有り難い歩き回ってのランチは塩味がほしい入谷交差点にある中華そばアッサリだけどコクのある塩ラーメン細身の麺、とろけるチャーシュー美味しゅうご
春到来は季節に先立って咲き誇る花々で感じることgから始まりますが、春を決定つけると言えばこの音色とともにやってくるのが加美郡加美町中新田の虎舞でないでしょうか!お祭りにはそれぞれの音色がありますが春を感じさせるのがこの虎舞の音色でないでしょうか?今回はちょっとさかのぼった2007年の中新田の虎舞を掲載しました。なおアルバムや映像等は【春を決定つける虎舞加美郡加美町中新田2007年4月】を参照願います。大崎バックグランドメニュー歴史家庭菜園大崎検定
養蚕神と火伏せ信仰の青面金剛吾妻へ相撲巡業のチケットを買いに行った帰りに祖母島(うばしま)という所で前に発見した好きな神像と個性的な青面金剛様が忘れられずまた立ち寄らせていただきましたちょっとわかりにくい敷地の隅に建っています桑の葉を持ち女神の左の袖が垂れていて優しい雰囲気です元治二乙とあるようです。1865年、幕末頃です道なりに坂道を下っていくとカーブの所にあります青面金剛、馬頭観音、地蔵菩薩。馬頭観音は宝暦十二年と読めましたこの年は午年、17
王子稲荷の凧市に行ってきましたよ。『熱風は大火事につながることから、風を切って揚がる凧を火事除けのお守りとして、奴凧を祀ると火伏せにご利益がある』んだそうです。王子稲荷は大晦日の狐の行列は知ってましたけど“凧市”知りませんでした。お稲荷さんの狐に金網がかけられてるのを見かけるんですけど、これは何か意味があるんですかね??ふでDEまんねんで描いてみたよ。☆2月19日(日)【下北落語会】ぜしお越しください!会場:シモキタオープンイノベーション(東京都世田谷区北沢2-3
令和4(2022)年1月3日参拝秋葉山舘山寺あきはさんかんざんじ御本尊福一万願虚空蔵菩薩秋葉三尺坊大権現由緒平安時代・弘仁元(810)年、弘法大師が高野山より仏道行脚の際に館山を訪れ当地において修行。その際に開創された。館山(たてやま)に開かれた寺であることから舘山寺(かんざんじ)。鎌倉時代・文治3(1187)年兵火により焼失。源頼朝公が道中安全・武運長久の祈願寺として再建。元中元(1384)年再び兵火により焼失。南北朝時代・定治年間(1362年)、堀江城(ホテル九重、遊園地
十二月大歌舞伎昼の部公演鑑賞後、歌舞伎座タワー5Fにある歌舞伎座ギャラリーへ。十三代目市川團十郎白猿襲名披露八代目市川新之助初舞台記念展―歴史の継承そして歌舞伎の未来―十三代目團十郎白猿と、八代目新之助の舞台写真のほか、歴代の團十郎の系譜など興味深いパネルが展示されていました。歴代の市川團十郎市川團十郎家系図かつて、朝日新聞で宮尾登美子/著『きのね-柝の音』という現團十郎のお祖父さま十一代目市川團十郎のご内儀が
あーあれね。見た事あるで。
秋葉講大祭石浜増福寺で開催コロナ対策で広い本堂で実施2022/12/11昨日12月11日(日)、東浦町石浜地区の秋葉講大祭が増福寺で開かれ、百人を超える人々が参拝しました。コロナの感染防止のため、今まで秋葉堂で行っていましたが、本堂の広いスペースで開催されました。人々の生活にとって火ほどありがたいものはありません。また、火ほど恐ろしいものはありません。火を大切に使い利用していくことを考える1日となりました。
みなさんこんばんは~お忙しいところ、こちらにご訪問くださりありがとうございます。初めてお越しのお方も、どうぞよろしくです。さて、今回は、2022年3月に、四日市市内に御鎮座の愛宕神社〔野田愛宕社〕に御参拝しましたので、掲載させていただくことにしました。それでは、御参拝を振り返ってみたいと思います。なお、一部に過去のご参拝時のお写真も交えて載せております。☆で示します。●社号愛宕神社(野田愛宕社)(椿大神社別宮)●鎮座地三重県四日市市水沢野田町
みなさんこんばんは~!お忙しいところ、こちらにご訪問くださりありがとうございます。初めてお越しのお方も、どうぞよろしくです。さて今回は、2022年11月に、四日市市内に御鎮座の愛宕神社〔野田愛宕社〕へ御参拝しましたので、載せてみました。それでは、御参拝を振り返ってみたいと思います。なお、一部に過去御参拝時のお写真も充てて載せております。☆で示します。社号碑には愛宕神社とありました。●社号愛宕神社(野田愛宕社)椿大神社別宮●鎮座地三重県四日市
愛宕神社(あたごじんじゃ)毎月1日・15日・24日の月次祭には正面の御扉が開きます11月より、茶室の「炉」に火を入れています赤くなった炭とゆらめく炎に火の力を感じます火伏せ(防火)を願い陰陽五行の「水」にあたる「亥」の月に炉を開くことなど昔から火を恐れ、防火を願う江戸時代、徳川家康によって建立された「愛宕神社」は火伏(防火)の神様をお祀りしています穏やかな茶の湯のひとときが過ごせますようにお札は水屋にお祀りしました『結庵よりご案内』「結庵」
リアルで本音で喋れる友達はいない年を重ねるほどどんどん価値観の乖離がおきるでもひねもす“のらりくらり”と生きていけるいろんな意味で日本に生まれて良かったと思う今日この頃昼前からヘリの音が続いています。近くにドクターヘリが来る病院があり、ホバリングして順番待ち?と思っていたら火事でした。京都・西本願寺前の仏具店で火災のメールが流れて来て、台所の窓を開けると気のせいか煙の臭いもしています。直線距離でほぼほぼ2kmです。今年は近辺で火事の多い年でした。
一生火事にあわないと京都の家庭や飲食店でどこでも見かける「火迺要慎」(ひのようじん)と書かれたお札。大阪育ちの私には全く馴染みがないですが、一旦そんなご利益があると知ってしまうと・・・9月27日、トンネルとトンネルの間に流れる保津川(?)の上に設けられたJR山陰本線(嵯峨野線)の保津峡駅で下車し、目の前から運行している京都府右京区の水尾自治会が運営しているマイクロバスで愛宕山の登山口に運んでもらいます。両親に連れられる孫の2歳11か月の長男と、4か月になる次男の愛宕神社へのお参
秋葉社(大和高田市内本町)大和国葛下郡奈良県大和高田市内本町(「内本町7-32」の「北村歯科医院」の北すぐ、太神宮と民家一軒、駐車場を隔てた北側)■祭神(不明)寺内町、後に門前町として発展した旧「高田村」。その門前に近郊から商人を集めて商業の街として発展させ、繰綿(綿花から種子を取り除いただけのもの)の集積地となっていたのが当地。その寺内町の仏教施設があるのが「内本町」。また社前通り(市町通り)は商業の中心地でした。当社はその商業密集地の火伏せの神として祀られたのではないかと思わ
秋葉神社(大垣市赤坂町、「金生山」南麓)美濃国不破郡岐阜県大垣市赤坂町(詳細住所不明、道路を挟んだ西向かいの子安神社は「赤坂町字羽根4026」)(P無し、駐車場のある「金生山化石館」や子安神社と合わせて参拝か)■祭神(不明)「金生山(かなぶやま)」の南側裾の丘陵地の斜面に鎮座する社。同じ「赤坂町」内には少なくとももう一社、秋葉神社が鎮座します。◎隣接して丘陵上方に金生山神社、当社と横並びに子安神社、さらにその向こうに八王子神社(未参拝)など、社寺が密集するエリア。◎岐阜県は愛
秋葉神社(揖斐郡池田町)美濃国池田郡岐阜県揖斐郡池田町藤代(「伊吹ばら街道」沿い、「池田山」山頂までの中間くらい)(車は社前に停め置きました)■祭神火之迦具土神「伊吹山地」の東部、「池田山」(標高923.85m)の中腹、標高530mほどの山中に鎮座する社。山頂へ向かう「伊吹ばら街道」沿い、大きく弧を描く場所に建てられています。◎創建は天正三年(1575年)と新しいもの。かつてあった善南寺という仏教施設が戦国の兵火で炎上、「片山村」の一番高い当地を「権現山」と称して火伏せの神を祀っ
2008年6月8日秋葉原連続殺傷事件から14年、事件が風化されつつあるが僕は忘れることができない。あの日僕は静岡県浜松市の秋葉山本宮秋葉神社にお参りしていた。秋葉山本宮秋葉神社詣でを決めたのはその三日前のことだった。なんだか胸騒ぎがして突然決めたのである。このお参りを決める前から自身の周りでボヤ騒ぎなどがあり、ある友人から火に気を付けるように言われていたこともあってその友人から貰ったフランス・ルルドの泉の水を持参して火伏せの秋葉山にお参りすることを決めたのである。お参り当日の朝はとにかく
おかげさまでたくさんの御縁をいただくようになりました。仏事に関することは誰にでも相談できないので、よく私に相談をいただくことがあります。御縁のある方が新しく中古住宅を購入され、先日引き渡しが終わったそうです。以前は別の方が住んでいたため、一度お祓いをお願いしたいとのことでした。お祓いとなれば神道の儀式ですが、日本は神仏習合の国なので仏教でも同じような儀式を行うことができます。私が色々と調べた結果、火伏せの方が良いだろうという結論になりました。新しく家を建てるとき、柱だけの
愛宕神社(榛原内牧)大和国宇陀郡奈良県宇陀市榛原内牧(詳細住所不明、法人登記無し)(アクセス、駐車は下部写真参照)■祭神(不明)「内牧川」南岸、丘陵頂に鎮座する社。「榛原内牧」集落は川北に当社は川南に。創建由緒はもとより当社に関する資料は見当たらず、一切が不明。詫びしげな麓の鳥居や参道に比して、頂の姿は立派なもの。村人たちにより火伏せの神として、古くから崇敬されてきたことが窺えます。国道369号線沿い、県道218号線(菟田野内牧線)に分岐する(写真に写る標識)南方すぐの丘陵に
3月4日金曜日、南海電車で和歌山市駅にやってきました。キーノ和歌山にあります、和歌山市図書館を見たかったからなんですけど。図書館だけでは、交通費がもったいないですから。9時45分、ハリキッて、和歌山市駅をスタートしていくのです。バスが出てしもたからやろっみ、見てたんですか。今回、走りますのは、和歌山市内の里山、秋葉山です。昨夏も走ったのですが、蜘蛛の巣攻撃で、狭いトレイルに入れませんでしたから。で、和歌山城の横を、通過していきまして。登山口の手前まで、来たのですけど。たまたま
水天宮前交差点から・・・少し奥まったところの大きなマンションその敷地入口付近に鎮座している茶の木神社場所は、日本橋人形町1-12-10茶の木神社は、もともと下総佐倉藩堀田家の中屋敷にあった守護神として祀られていたそうです社の周囲にめぐらされた茶の木が見事だったことから「お茶ノ木様」と呼ばれたそうです屋敷内だけでなく周囲の町方にも永年火災が起こらなかったため、火伏の神と崇められました通常、町人が大名屋敷に立ち入ることは禁止されていたが佐倉藩は特例として年1
秋葉神社(斑鳩町幸前)大和国平群郡奈良県生駒郡斑鳩町幸前6-1(すぐ側の幸前神社の前に停め置きました)■祭神火産霊神かつて中宮寺という仏教施設があったとされる鬼門位置に鎮座する社。火伏せの神として勧請されたものとみられています。「幸前(こうぜん)」という地名はその施設によるものか。「岡本」へ向かう道の東側、「宮さん池」の南側に鎮座しています。創建時期は伝わっていないようです。この道が「岡本」へ抜ける道。左手の奥に見える樹叢は幸前神社(幸前)。ガードレールのもう少し右側からも進入
<亥の子の日>今年は11月11日が旧暦10月(亥の月)の最初の亥の日で亥の子の日。亥の子の日の亥の刻(現在の午後9時〜11時)に「亥の子餅」を食べると万病や火難から逃れられ、子孫が繁栄すると伝わる。亥は中国の陰陽五行説で水性にあたることから、火災を逃れるという考えがあり、この日に炉開きや囲炉裏開きが行われてきた。京都伊勢丹地下1階では和菓子店各店で「亥の子餅」が販売されている。【亀屋良長】秋の上生菓子<亥の子餅>亥の月(旧暦十月)
異空間の豊岩稲荷神社を詣でた後、中央区役所で用事を済ませ、ちょっとスッキリ時間を気にしなくて良くなったけど、夕方🌆迄には帰宅しなきゃいけないから、有楽町駅に戻りながら、あと一社立ち寄ろう通りに面した分かりやすいお社はと…着いた場所は、東稲荷神社三原小路の入った所に有りますこちらも小さなお稲荷さん🦊戦後、三原小路界隈は再三火事に見舞われ、何かおかしいと言うことで調べるとその昔に稲荷神社が祀られていたとの事京都の伏見稲荷より勧請して、お祀りした所、火事は起こることがなくなりました青々
八日市場愛宕神社明治維新まで、社号は「愛宕山大権現」。明治元年に神仏を分離して愛宕神社となりました。祭神は異色です。愛宕社であるにもかかわらず、勝軍地蔵orカグツチ神ではありません。◇鎮座地:千葉県匝瑳市八日市場ロ(ろ)398◇最寄駅:JR総武線・八日市場駅~1.5km◇御祭神:「神代七代」(日本書紀)の神々・天照大神①国之常立神、②国狭土神(くにのさづち)、③豊斟渟尊(とよくむぬ)、④宇比地邇尊(うひじに)&須比智邇尊(すひじに)、⑤大戸道尊(おおとのじ)&大苫辺尊(おお