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先回の続きですが、瀬田掃部の茶杓に関しては、「南方録」にこんな逸話があります。瀬田掃部が、高麗茶碗を持っていた。平たくて大きく、直径が畳十五目(21cm強ほど)もある品で、掃部は利休に、これに銘をつけてほしいと願い、利休は「水海(湖)」という銘を付けて、その茶碗に載るような長い茶杓を削り、「瀬多」という銘をつけて与えた。茶碗の銘は琵琶湖を意味し、茶杓の銘は湖の傍の名所「瀬田(勢多)の唐橋」と、所有者掃部の姓を掛けたものです。喜んだ掃部は、この茶碗に晒し茶巾を仕込み、茶を点てて、利休からそ
利休七哲と呼ばれる利休の弟子は、皆様ご存知でしょう。その中に、瀬田正忠がいます。従五位下掃部頭に叙任したので、通常、瀬田掃部と呼ばれます。「茶道美談」には、次のような逸話が載っています。利休の茶の湯に招かれた掃部が、棚に飾ってある柄杓を見て、盛んに感心するので、利休が何を感心しているかと訊くと、今日の柄杓は、柄がいつもより五厘(1cm5mm強)ほど短いのが、至極格好よく見える、こういう風にありたいものだ、と言って帰宅した。その後、利休が掃部の茶の湯に招かれ、茶会が終わった時、利休が「今日の
京都弘道館の月釜へ。弘道館な和菓子屋老松さんが中心となって日本文化、芸術のサロンとして、茶事や講座などの事業をされています。この日は炉開き。粟善哉と薄茶をいただきました。とても美味しい善哉でした。「本当は濃茶をお出ししたいところですが‥。各服点で薄い濃茶より、濃い薄茶で」だそうです。廻し飲みはもう無いのでしょうね。お茶杓は利休七哲とされる瀬田掃部の「くりから」初めてみました。どっしりとしたお茶杓でした。木曽義仲の倶利伽羅峠とは結びつかなかったですけど‥。牛の角に松明
肥田式強健術案内108今回も、著作『実験根本的健脳法』に説かれる「天真療法」について見ていきます。前回は、身体の慣れ、鈍感などにより病気を放置して慢性化する危険性を春充が指摘している部分を見てきました。これら慢性的な病気に対して春充は、次のような見解を示しています。ただ自然的合理的生活に改めて、心身の安静を図り、体内に存する生理的療能を、盛んにするのが第一である。すなわち一面には、肉体及び精神の休養によって、新たなる障碍の発生を防止し、他面には、衛生及び栄養によって、身体
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瀬田掃部(せたかもん)という利休七哲に数えられる茶人がおりました。この掃部、大きく平らな高麗茶碗を所持していたのですが、たいそう使いづらいかったそうで。しかし、あまりにも素晴らしい茶碗であったために、利休に銘をつけてもらうことにしました。その銘は…『水海』そこで掃部はその茶碗に水を張り琵琶湖に、茶碗に合う長い茶杓を利休に削ってもらい、瀬田の唐橋にみたてて茶碗にかけました。そして茶巾をさらして、客の前で水音を滴らす演出を。これには利休もたいそう感心なされたそうな。これが洗い茶巾の始まり
茶杓師・安住樂風氏に作っていただいている瀬田掃部作『石原休伯様』写の石原休伯という人物について調査中。添状によれば、『石原休伯様』は松浦鎮信公が持っていたもので、金森宗和が一目見て美しいと称えたとのこと。鎮信公より石原休伯へ遺され、石原休伯より大庭慶閑へと伝わり、大庭慶閑より穂時筑前に与えられた。しかしながら、予が持っている(予は誰か不明)……という由緒になります。この中で一番先に解ったのは大庭慶閑です。大庭慶閑というのは、細川綱利公に仕えた医師で、寛文九年(1669)に幕府の
今月もあとわずかで終わりですね。今日は直木賞候補作を取り上げたいと思います。まずは、伊東潤氏「天下人の茶」伊東潤氏はこれまでも何回か候補になっておられる時代小説を主とされるすでにベテランの作家さん。実は同い年なので個人的には早く取って頂きたいと願っているのですが。。。今回の作品、もう表題ですぐに利休を扱っている作品だなと思われると思います。確かに利休が中心に置かれていますが、実は利休の死の謎解きのため、利休の弟子と言われる人たちから利休を眺めている短編集です。ネタバレになっちゃいます