滋賀県立瀬田工業高等学校に入学し、1年夏にチームは第62回全国高等学校野球選手権大会に出場。県大会ではベンチ入りするが、本大会ではメンバー外となっている。3年時に第54回選抜高等学校野球大会に出場し、この大会は背番号10ながらも投手の2本柱としてマウンドを踏んでいる。当初は就職(社会人野球)を希望していたが、愛知工業大学へ進学。当時の愛知大学野球リーグの通算最多勝利(37勝)、シーズン最多奪三振(1986年春季95個)、1試合最多奪三振(1986年春季23個対名院大)などの記録を作る。1985年