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旧瀬棚線の瀬棚駅跡に9月14日に行きました駅名標とキロポストがあります駅名標キロポスト国縫からの距離でしょうか?記念の石像もありゃまました駅名の書いてる下の方にいろいろ書いてるんですが見えないですよね?駅名標を裏から撮ったらこんな感じでした廃線からしばらく経ってますが鉄路かあった事が残してくれて感謝です
昨日「③胆振線廃線跡巡りの旅」に行ったばかりですが、今日は道南エリアのリベンジチャレンジです。やっぱりらくちん今日の旅は函館空港まで飛行機で行って、現地でレンタカーを借り、それで旅するというものです。前回の道南エリアの廃線跡巡りをやった際、木古内駅から札幌までバイクで帰ってきて、あまりに辛かったからです。今回も木古内駅で終わりますしね。予定しているスケジュールはでは早速、瀬棚線編を始めます。昨日の疲れが残りながらも早起きして、6:00過ぎに自宅を出発。
恐らく日本最東端の廃線跡であろう「標津線支線」から帰ってきたばかりですが、今週末は「道南エリア廃線跡巡りの旅Part2」を実施します。リベンジ!この旅は以前道南エリアの廃線跡巡りをした際、予定には組み込んでいたのですが、天候不順とスケジュール作成の甘さから、途中で断念した路線を巡ります。巡る路線は、国鉄瀬棚線JR江差線の2路線。場所的にはこの辺です予定しているスケジュールはこの通り。前回の道南エリア廃線跡巡りと同じく、最後は「木古内駅」で終
なんちゃってDLもおか復路上り列車の1箇所目風に撮影しましたが、実際は往路下り列車のラストを後追いで撮っています。それらしく見えますかね。伊許山の緑はだいぶ色濃くなってきました。2025年6月8日真岡鐵道SLもおか後補機蒸機の思い出今日の1枚は、1973年の函館本線倶知安駅。C623が牽引する132レ長万部行きが発車した後、小沢から重連となった貨物列車が到着しました。二つ目の79613が先頭です。
先日国道130号線花石道路の新・弓道を自転車で走ってきました。ここをめぐっての新旧の交通路について考察してみまたいと思います。ここは、後志利別川が南大きく湾曲し、交通の隘路でした。図1.松浦武四郎東西蝦夷山川地理取調図に加筆①アイヌ時代、交通の主は主に後志利別川の舟運でしたが、曲流が激しく瀬と淵(ハッタリhattar)は続く難しい水路だったと思われます。しかし、山側にバイパス山道もありました。それが花石峠(A)です。武四郎たちもそちらを通ったようです。②明治の開拓
ここからは復路の上り列車です。先ずは道の駅の正面狙いで。予想外の黒煙を上げてやってきました。ヤマボウシのあるところで追いつきました。停車駅の手前で。柿の新緑が綺麗です。水鏡と早苗ちゃん。復路の終盤は八木岡の麦畑で。田んぼにいた鴨が飛び立ちました。こちらの麦畑は刈り取り間近です。SLもおかは無情にも無煙で通過していきました。ラストは中舘でプチ流しです。返しの6103レを撮って帰路につきました。2025年5月24日真岡鐵道SLもおか蒸機の思い出今日の1枚は、瀬棚線の北檜山駅
5月24日の真岡鐵道SLもおかです。朝の送り込み回送列車は満開の蕎麦畑で撮影しました。追いかけて2箇所目は麦と早苗ちゃんのコラボ。刈り取り間近の麦畑。ここからはSLもおかの往路下り列車です。早苗ちゃんは日に日に大きくなっています。こちらは色づき始めた麦畑。往路の3箇所目は八木岡です。水田と麦畑のコラボレーション。麦畑の奥の方はトウモロコシ畑です。無煙で通過していきました。次は北真岡の五行川。アイリスは終盤です。可愛らしいピンクの花を見つけました。緑が深まってきた伊許山です。
回送列車の2箇所、こちらの桜は咲き始めでした。2025年4月5日真岡鐵道SLもおか回送列車今日の1枚は1974年1月に長万部機関区で撮影したC11176号機です。同年6月の瀬棚線無煙化まで貨物列車の牽引にあたっていました。
SLばんえつ物語の試運転です。本日から5回に分けてアップしていきます。1箇所目は爆煙を期待して大関踏切へ行ってみましたが既に満員御礼、仕方がなくその先のアウトカーブで撮影することにしました。橋梁を渡り踏切辺りまでは爆煙だったようですが、残念ながらここまでは続きませんでした。2箇所目は築堤に僅かに残る雪を入れて。試運転なのでヘッドマークはありません。貴重な正面狙いでこちらに立ち寄ってみました。バクバクの黒煙ではありませんでしたが、迫力満点モクモクの白煙を上げて通過していきました。ん⁈蒸気漏れ
3月20日、C57180の試運転を撮影するため未明に自宅を出発。日の出を迎える頃には会津若松辺りを走っていました。すると朝日が雪山を赤く照らすモルゲンロートを見ることができました。最初の撮影地へ向かう前に時間があったので1箇所だけ只見線に寄り道しました。現着したときには雪が降っていたのですが、列車通過の直前に止んでしまったのがちょっと残念でした。この後はSLばんえつ物語の試運転に向かいました。明日からアップいたしますのでご笑覧頂けたら幸いです。2025年3月20日只見線1974年1月に長
3月20日に磐越西線で行われたC57180の試運転に行ってきました。取り急ぎ2カットほどのアップです。本編は26日からアップする予定です。2025年3月20日磐越西線SLばんえつ物語試運転蒸機の思い出今日の1枚は、瀬棚線北檜山駅で撮影したC11180号機。1973年の撮影です。
復路も終盤です。ここにも白梅がありました。この日のラスト。白煙を靡かせてやってきました。2025年3月15日真岡鐵道SLもおか1973年に瀬棚線北檜山駅で撮影したC11234号機です。長万部機関区のC11が貨物列車の牽引にあたっていました。私は小学校低学年までこの町に住んでいましたが殆ど記憶がありません(汗)
前回載せたのは、現在は廃止された旧今金駅でした。逆光が眩しく、上手く写せませんでした。風車のような形が判るでしょうか?駅の前には、100年記念碑。現在名は「デ・モーレンいまかね」です。旧駅看板。今金の他に種川北住吉花石美利河と続いていました。廃線の駅標識。北に見える法林寺宿泊場所は、せたな町の温泉施設兼ホテルの「温泉ホテルきたひやま」で、そこで食べた夕飯。翌日のホテルから見た光景。洋風に見える建物は、せたな町役場後ろに見える山は、標高1147mのメップ岳。こ
炭鉄港ガイドのブログと同文。国縫駅を通過。かつての瀬棚線(1929-1987)の跡がわずかに確認できた。道路を横切る踏切があったところには線路敷地を示す杭、そして一瞬国縫川の方にも向かって曲がる線路の盛土。夏なら確認できなかっただろう。
国縫駅を通過。かつての瀬棚線(1929-1987)の跡がわずかに確認できた。道路を横切る踏切があったところには線路敷地を示す杭、そして一瞬国縫川の方にも向かって曲がる線路の盛土。夏なら確認できなかっただろう。
今回の『駅【超簡易版】』シリーズは、北海道長万部町南部、内浦湾(噴火湾)沿いに広がる漁村集落に位置する函館本線の駅で、かつては渡島半島西海岸へ延びていた瀬棚線との接続駅だった難読駅、国縫駅(くんぬいえき。KunnuiStation)です。隣の駅函館方……黒岩駅旭川方……長万部駅撮影時2015年6月、9月国縫駅は無人駅で、東側(海側)には、古い木造駅舎が残っています。バリアフリー非対応です。ICカードは利用できませ
ここもずっと降りてみたかった国縫駅かの宮脇先生が当時の北海道で最後に乗られたのが昭和62年に廃線となった国鉄瀬棚線。その起点がここ国縫駅なのです。松潤のピリカー!やポテチの今金を通る路線反対側ホームから駅舎を跨線橋は板張りの階段赤熊が通り過ぎるこの貨車にはどれだけ美味しいものが入っているのだろう?見てるだけでお腹空いてきた駅舎内。こんだけ椅子あるのにぽつんとひとり。新しい運賃表にはこの春廃駅になった中丿沢駅が消えて余白が寂しい。時刻表海近いのでね。昔ながらの乗り降りボ
木古内駅に展示しています。なぜか広尾線のもの。このタイプのサボ。ホッとしますね。NO58は北海道の保存SLです。nostalgia製作委員会作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com
昭和62年廃線の瀬棚線「瀬棚駅」跡。こんなモニュメントも。シンプルですがとても素敵な残し方。nostalgia製作委員会作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com
引き続いて4月25日~5月4日に行ってきた、松前江差道南旅についてですコンバン波動砲!!(。・ェ・)ノノ^\/\/\/\/\☆)゚д゚||)グハ丹羽駅と北檜山駅の駅名看板。種川駅と今金駅の駅名看板。北住吉駅と花石駅の駅名看板。茶屋川駅の駅名看板。さよなら列車の乗車記念とフリーきっぷ。元函館バスのバス停ですかね?廃止路線のやつとか?元高校だなと実感しますね。せたな町生涯学習センターから北檜山にあるせたな町情報センターへ。しかしながら、訪問日の数日前に営業時間が変更となり展示
引き続いて4月25日~5月4日に行ってきた、松前江差道南旅についてですコンバン波動砲!!(。・ェ・)ノノ^\/\/\/\/\☆)゚д゚||)グハかつて瀬棚線が走っていた位置にレールがあるとそれらしさを感じますね。今金町の風車展望台、この位置に駅があったとかそうでないとか。観光協会も入居しているみたいですね。桜は葉桜になりつつありましたが、少しだけ見れました。チューリップが綺麗に咲いていました。瀬棚線神丘駅跡、右側の木々が当時からある?みたいです。ここが線路の跡で今は農業用の道
引き続いて4月25日~5月4日に行ってきた、松前江差道南旅についてですコンバン波動砲!!(。・ェ・)ノノ^\/\/\/\/\☆)゚д゚||)グハ美利河駅跡周辺をちょいと歩きましたが、駅らしき名残は見当たらず…。花石バス停に到着。花石郵便局があります。このあたりに花石駅があったみたいですが、こちらもあまり詳しく見つけられず…。北住吉バス停に到着。ここらへんに駅があったみたいですが…。この構造物が北住吉駅と関連するのかな?裏に回りましたが特に何も見当たらず…。続いて種川駅があ
引き続いて4月25日~5月4日に行ってきた、松前江差道南旅についてですコンバン波動砲!!(。・ェ・)ノノ^\/\/\/\/\☆)゚д゚||)グハかにめし本舗かなやでごはんを食べた後、長万部町民センターへ。D51-367号機関連のものがありました。北斗星やノースレインボーエクスプレスが描かれています。鉄道村改札口。蕨岱駅廃止の新聞記事。瀬棚線のサヨナラグッズ。北豊津駅の時刻表。蕨岱駅の駅名看板。旭浜駅の駅名看板。国縫駅の駅名看板。中ノ沢駅の駅名看板、最近廃止になったとこ
1995年、訪れた時は大成町だった。北海道なら明治期の命名でありえそうな地名だと思ったが、戦後の合併地名と後から知った。1995年道の駅てっくいランド大成向かいの海岸瀬棚の直前だったから〝瀬棚線跡〟関連!とツイ誘い込まれたが、特に関係はなかったようだ。写真撮ったり中を覗いてたりしたら、地元のオッサンが随分前から営業してない〝ラブホ〟だと教えてくれた。嘘かホントかは知らないが、スキンの自販機はあった。
一昨年夏に出かけてきた北海道の旅函館本線の駅を訪問しました今回はこちらの駅です【長万部町にある国縫駅】1903(明治36年)開業の駅1987(昭和62年)に廃止になった国鉄瀬棚線の始発駅でした駅舎は武骨な木造です【分岐駅だった名残で広い駅構内】単式ホーム・島式ホーム混合の2面3線の駅瀬棚線は3番線から出発かつては急行ニセコも停車しました【長万部方面は跨線橋で】北海道特有の武骨な木造跨線橋道央道国縫ICがすぐ近くに…瀬棚方面は国道230号・渡島半島横断道路の完成
国縫(くんぬい)と瀬棚を結んでいた鉄道路線が1987年(昭和62年)に廃止となった国鉄瀬棚線昨年夏北海道を旅した時に廃線跡散策してきました【今金町にあった種川駅】単式ホーム1面の業務委託駅駅跡は材木置き場に国道230号に通じる駅前通りが残ります【今金町にあった美利河駅】単式ホーム1面の無人駅美利河ダムが近くにあり〼ダムは廃線後に建造駅跡は空き地になってますが…雑草で入ることできず駅周辺はだいぶ変わっています【長万部町にあった茶屋川駅】単式ホーム1面の無人駅茶屋
国縫(くんぬい)と瀬棚を結んでいた鉄道路線が1987年(昭和62年)に廃止となった国鉄瀬棚線昨年夏北海道を旅した時に廃線跡散策してきました【今金町の玄関口・今金駅】1930(昭和5)年開業の駅沿線最大の駅で有人でした廃線跡を活用した施設があり〼駅跡は函館バス停に【駅名標のモニュメントが】レプリカで展示されています「いま金になる」という縁起駅で入場券が評判に線路も残されています終点側の今金駅~瀬棚駅間に区間列車が設定珍しい路線でしたね【駅は相対式ホーム2面2線
国縫(くんぬい)と瀬棚を結んでいた鉄道路線が1987年(昭和62年)に廃止となった国鉄瀬棚線昨年夏北海道を旅した時に廃線跡散策してきました【今金町にあった・神丘駅】1961(昭和36)年開業の駅この道が旧瀬棚線の跡ですホーム跡が土盛りとして残存ホームに植えられていた樹木あります【かつての踏切の跡がここですな】単式ホーム1面の無人駅でした瀬棚方向は築堤が残存神丘の地名の由来は神のいる丘からきていますここを列車が走っていたことを想像してみるだから廃線跡散策はやめら
国縫(くんぬい)と瀬棚を結んでいた鉄道路線が1987年(昭和62年)に廃止となった国鉄瀬棚線昨年夏北海道を旅した時に廃線跡散策してきました【旧北檜山町の玄関口・北檜山駅】1932(昭和7)年開業の駅駅は函館バス北檜山ターミナルに赤い屋根の鉄筋コンクリート造です駅舎内は出札口や切符売場が残ってます駅前玄関は防寒のため二重構造になってますね待合室にいると列車が来る雰囲気【単式ホーム1面の有人駅でした】バス乗り場がホーム跡に農業倉庫も残ってます駅前通りは商店街が列
国縫(くんぬい)と瀬棚を結んでいた鉄道路線が1987年(昭和62年)に廃止となった国鉄瀬棚線昨年夏北海道を旅した時に廃線跡散策してきました【終点の瀬棚駅】1932(昭和7)年開業の駅旧瀬棚町の玄関口でした。駅跡は保健センター等の公共施設に…。旧国鉄瀬棚駅跡地記念碑と駅名標が残ってます。かつては単式ホーム1面の有人駅でした【せっかくなのでこちらの施設へ】せたな町生涯学習センターへここにある施設が瀬棚線資料展示室です【展示資料が充実~】北海道最西端の駅でかつては