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無意識的に目が奪われる瞬間がある。そう、無意識的に。あなたは何に、そしてどこに目や目線を奪われるだろうか?私は自分の無意識的な行動に"意識を"向けるための行住坐臥として"無意識的に"目を奪われた対象が何であるか。なぜ自分がそこに目を奪われたのかを余裕がある時には考えるようにしています。例えば、スポーツ現場などではなんか気になるけどまあいいやと思った選手の仕草や表情がその後の怪我やパフォーマンスへ影響する要因
《心のストレッチ》ブログをお読みいただき、ありがとうございます。後藤隆志です。私の人生は24年を経過し、あと数ヶ月で25年を経とうとしています。短い人生の中でもタイトルにあるようにいくつかの決断をしてきたことは間違いありません。決断とはどういう意味でしょうか。一言で言うと「物事をきっぱり決めること」です。また、この決断という言葉の語源はどういうところにあるのでしょうか。村上龍さんの著書にある一部から抜粋すると、「大昔、川が氾濫した際に
今日は11月11日。一年で一番カレンダーに1が並ぶ日だ。昨年の今日はサポートチームの県大会の決勝戦だった。準決勝の時から選手たちには11月11日は1番になる日!!!と何度も叫ばせてきた。結果1番になることができた。あれから1年。この1年はこれまでの人生のなかで1番を意識してきた。サポートチームや選手達が県大会優勝四国大会優勝全国優勝アジア制覇世界一と間違いなくこれまでの人生で一番、1番になれた。
約5年ほど前からお金をいただいて何かを伝えるという仕事をさせてもらっている。いわゆる講師という類だ。月に多いと10回程度はそういったspeakerをしているので年間100回程度はしていることになる。単純計算で5年で500回くらい行っているのだろうかこうやって自分を振り返りながらブログを書き始めてもうすぐ1年。知れば知るほど、この世界や社会において自分が知らないことの広さ。知っていることの狭さを痛感する日々を
謙虚でいたいそう思い行動しながらもふとした時に相手の揚げ足をとるように発言をしたり無下に扱うような行動を取ってしまう時がある。なぜそうなってしまうのか俯瞰して考えたときに今一度"謙虚"の意味を調べて見た。<謙虚の意味>これは、「言葉や行動をつつしみ、相手を敬い素直な態度で接するさま」という意味になります。「偉そうな態度をせず、相手を敬う」という意味もわかりやすいと思います。相手を敬う気持ちがあれば、自然と謙虚になります。素直な気持ち
今日はスタッフの勧めで紅葉を見に四国八十八番札所の大窪寺へ行ってきた。目的は今年も残すところ2ヶ月を切り怒涛のように過ぎる日々の中で2018年という恐らく一生忘れない1年の秋というものを心に刻めるよう五感で味わってきた。色鮮やかな木々と山に入ると鳥の声。そして大窪寺から少し、いやまあまあ歩いて奥の院まで行ってきた。軽く考えていたが片道30分の山道はまあまあハードでした。その分景色は最高でしたが
今日は立冬らしい。暦上は冬の入り口。二十四節気のひとつ。立冬は二十四節気の19番目の節気です。二十四節気を簡単に説明すると、1年を24に分け、それぞれに季節の節目となる言葉をあてはめたものです。これを節気というのですが、節気は約15日となっており、半月ごとに季節の変化を表していることから特に農業に携わる方の目安として重宝されてきました。とは言え、二十四節気は元は中国の黄河地方で発案されたものなので、気候が日本と異なることから、節気と実際の季節感に違いを感じることもあるよう
目下自身の課題は体力と英語力体力については夏場より負荷をかけて早朝の農業を今も毎日とはいかないが継続している。トレーニング指導の日には今年の下半期からは必要以上に一緒に実施しており多少なりとも体力がついてきている自覚はある。しかし年齢とともに勝手に低下する体力との戦いは想像以上に残酷だ。少しサボるとすぐに体力不足が露呈される。夏場は朝の5時から農業をしていたのだが日照時間と朝露の関係で今は7時半からなので
日々成長。といきたいところだが実際は1歩進んで2歩下がる週間もある。でもそんな時に下がっていることを自覚できることが重要だと最近は感じている。前に進み続けることよりも時々は下がっても一休みしてもいいから今の自分を認めてあげることが大事なんじゃないかと。この1年間で過去の自分について必死で調べて、考えて、人に聞いて色々な場所に行って来た。そのおかげで、どうして今の自分がこのような思考や状況にあるか
スポーツにおいて試合の勝敗を左右する要素は数限りなくあるが誰しもが感じる後悔や失敗として"準備不足"があげられる。その時はベストの準備をしているつもりでも勝利に向けてやっておいた方が良いことは無限にあるので振り返るとできた準備に意識が向くのだ。私自身もサポートチームの悔しい敗戦を数多く目の前で経験し自分の準備不足や,たらればで後悔をしてきた。取り返しのつかない失敗も恥ずかしながら何度もしている。ただ、その時点
今日は1が3つ並ぶ日。1も3も好きな数字で。今日はラジオでワンワンワンだから戌の日なんて言ってたから今日はすごくいいことがありそうだなと朝から思っていた。ちなみに今朝は目覚ましに気づかず寝坊した。汗1を意識する重要性や意味については過去にブログで触れているのでよければご覧ください。(一番になりたいなら1も位置も市も意識しよう!!!)パッと時計を見たときに11時11分だったらラッキーと思う。そん
今日、来年の帯同スケジュールがコーチから送られてきた。経験したことのない、期間の帯同が待ち構えている。大事な試合が終われば10月なので今からあっという間に1年が経つことになる。2018年は本当に色々あって長かったが。2019年はうかうかしているとあっという間に過ぎそうだ。月曜日から不思議な心の静けさが自分の心を支配しているがその静けさゆえに些細な感情の変化も感じ取ることができる今日、来年のスケジュールを見渡して世界大会の光景
つくづく時間とは不思議なものだと思う。過去に時間についての記事はいくつかアップされているのでよければご覧ください。・時間とは?《プロローグ》・時間の概念がかわる準備・時間との約束昨日からまた少しだけほんの少しだけだが時の流れが変わった。正確にいうと変わったのは私自身の感覚。時計の針が進むスピードはきっと一定だ。でも時計をみていない状況で時の流れを感じるには自分の中にある感覚に委ねるしかない。自分の中で時間を計
今日から始まる自分は昨日までの自分とは明らかに違うそう感じれる日はそうあるわけではないがこの1年はそのように感じる日を沢山経験できた。必死で1年間走り続けて課題を解決しにトレーナー合宿を週末神戸で過ごしてきた。間違いなくこれまでの人生で一番、濃い1年を過ごせたのも1年前の同合宿で自分の限界に挑戦し覚悟を表明し、仲間が同志になりfamilyが増えたから。神戸でやり残した大きな課題をトレーナー団体を利用する形で解決すること
日々どれだけの"ことば"や"文字"に私たちは出会うのだろうか呼吸数は一日2万回以上と言われるが。いま、ブログを書きながらひと呼吸する間にパッと周りを見渡すと軽く10〜20以上の言葉や文字が目に入る。これが読書やテレビをみたりネットサーフィンをしたり、人ごみのなかにいるともっと多くの"ことば"や"文字"に遭遇すると思う。ちなみに"ことば"や”文字"に対する私の認識については過去のブログでも触れているのでよければご覧ください。(誤字脱字
少し前に流行ったホリエモンさまの『想定の範囲内』という言葉。先見の明があり、多角的に物事を捉えていると様々な出来事が目の前で発生しても上記のように言えるのだと思う。しかし普通の凡人にとって日常は想定外だらけだ。急に手が当たってお茶をこぼすこともあれば道に迷うことだってある。想定外理論とは全てを意識して世に起きる現象を全て想定範囲内に留めること。このように解釈しがちだが実際は違う。
人の記憶とは曖昧だ。都合のいいように解釈して記憶に留めることも都合の悪いことは忘れることもある。怒涛のように過ぎていく日々の中で年々、忘れたくない記憶に留めておきたい出来事が増えてきた。どうすればそれを深く心に刻み忘れないようにできるのだろうか。自分にとっては非常に重要な課題であった。様々な策を講じてきたが其の中でも効果的であった手法を今回は紹介したい。ひとつはSNSを誰かに何かを発信する為ではなく
今月も彼に会うことができた。《心のストレッチ》のことを私は擬人化し、敬意を表して”彼”と呼んでいる。《心のストレッチ》とは自分自身に向き合い伸び代に向き合い自分の中の弱い自分や至らぬ点と向き合う時間であり機会、そして自分の”kokoro”を成長させてくれる本当に大事な場所。彼に会うということはそれだけ自分に向き合える時間がとれたということ。彼に会えれば会えるほど前に進んでいると実感できるし自分の未熟さにも向
こんばんは。後藤隆志です。突然ですが、皆さま。自分の携帯電話のホーム画面が何か分かりますか?「当たり前じゃん。いつも見ているから分かるよ。」「うーん。自信はないけど、なんとなくは分かる気がする。」では、実際にホーム画面を見てみてください。どうでしょうか。思っていた通りでしたか?合っていましたか?一般的に、人は1日150回も携帯を見るそうです。この数字を多いと思うか少ないと思うかは人それぞれだと思い
如何に、結果から逆算して必要な行動をとるか。どういった競技でもきっとビジネスでも必要な視点だと思う。今日は朝の農業でまんば(讃岐高菜が起源の野菜)の苗を植えるためにひたすら穴を掘った。均等な間隔で、苗と苗の間にゆくゆく必要な農機具が通るスペースを確保して端によりすぎて、葉が後で通り道にはみ出ないように。無心になってやっていたがやりながら本当に色々なことを考えていた。何かを行動する前にすで
しばらくブロブの更新ができておりませんでした。やはり大会帯同も日が重なってくるとブログを書くどころではなくなります。汗さて、先日のブログでもご紹介をしておりましたが昨日まで空手道の香川県チームへ帯同して国体に行っておりました。中心選手はみな、昨年からトレーニングサポートをしている高校の選手やOBで昨年のインターハイでは初めて団体優勝を成し遂げたメンバーになります。今回は国体という舞台で成年少年男女混成で行われる団体での優勝
選手から素晴らしい気づきの共有をもらった。ある競技で余計な力を抜く方が動きやすいと感じる場面があったそうなのだが脱力しすぎると動けずに立てない。その丁度いい程度がただ"歩くこと"だと気づいたのだそう。歩くときには力を入れようとも抜こうとも思っていないでも崩れてしまうこともなく力んで疲れることもない。ただの脱力ではなく丁度いい程度を模索する選手達にとって”歩くこと”が丁度いい脱力具合であることを気づけたのはすごく
五感を最大限に活用するとまだまだ自分の伸び代を伸ばせそうだ。目が大きいからか鼻や耳が子供の時から悪かったからかはわからないがどうやら目から入ってくる情報に対する意識が濃いようだ。振り返ってみると小学校の低学年から視力は悪く1.0を切っていた。中学校からメガネを使いバスケ部での試合に出るようになってからはコンタクトを着用するようになった。はじめてコンタクトを着用してバスケをした時にはみんなはこんなにはっきり
必死に毎日を過ごしていると自分が今、どのような位置にいてどうやってここまで来たのかわからなくなる時がある。以前はそういった時には漠然とした不安に苛まれて自分のダメな部分や出来ていない部分に目が行きがっかりしていた。それがいつの日からか定点観測をできる手段がいくつか出来てある程度だが、自分の"いま”を俯瞰して捉えることができるようになってきた。今日はそういった定点観測の方法をいくつかご提示したい。
出張等でしばらくいけていなかった農業へ今朝久しぶりに行ってきた。熱中して写真は撮り忘れたが台風の影響で胡瓜が全てダメになってしまい。予定ではあと1ヶ月程度は収穫可能であったそうなのだが今日は撤去作業を行ってきた。先日まで胡瓜がたくさん実っていた畑が荒れ果てた姿をみると苗の時から育ててみていたのでものすごく悲しい気持ちになった。一つの苗から100本程度は取れると聞いていた胡瓜。自然の猛威には勝てない。これも意味があ
何も手がつけられないそんな数日を過ごしていた。理由は明確で意識の数を圧倒的に増やして過ごす期間が自分の器量を越えようとする時脳疲労が限界に達して何も考えられない何も意識できない何も出来ない状態になってしまう。まだまだ修行中の身なのでそうなる自分を許容してはいるが実際にそうなると結構がっかりはする。まさしく"腑抜け"みたいな状態だった。"腑"とは胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦を指す。これだけ抜けると・・
昨日は自分の心の弱さに嫌気がさすような1日だった。自分に甘い人間にとって人に厳しく接したり、伝えることは難しい。自分に甘く、人にも心の底から厳しく接することができている人がいるのだとしたら今すぐ会ってその構造を説明してもらいたい。私はまだそうのような人には出会ったことがない。人にそれなりのことを伝え行動変容を与えられるような存在の人はやはり自分に厳しく何かを課している方ばかりだ。本当に尊敬するほど他者から
こんばんは。後藤隆志です。先日、サポートさせてもらっている高校野球部が県大会初戦でした。相手は、私立の強豪校。試合後、監督から試合結果の連絡が来ました。結果は惜敗。こちらのミスが多く目立ったとのことでした。私は、ほぼ毎回試合結果よりもなぜそのような結果になったかを考え整理します。それは、勝った試合も負けた試合もそのような結果に至った要因があるからです。そして、それらを整理することで次の試合に向けての準備が出来るから
やっと《心のストレッチ》ブログへ帰ってきました。1週間前から帯同で山籠りしておりました。睡眠時間以外は何かしらやるべきことがあった合宿期間中には流石にブログ更新はできませんでした。汗大自然と選手とスタッフと全力で向き合い続けた7日間自分の限界も知れ、足りない部分も伝える為に必要な要素も洗い出された濃密な時間でした。時間の感覚とは不思議なもので、終わってしまうとあっという間に感じるのですが。毎日怒涛のように様々な出来事がありすぎて
昨日からソワソワしている。自分の周りで同時多発的に色々動きが活発になっている。昨日のブログで大変だと嘆いたが大変さでいっぱいいっぱいの時期にはそんなことをブログで書く余裕すらないので大変さを楽しめるようにはなってきている。ちょっと俯瞰して今の状況を顧みると本当に幸せな日々を送らせてもらっているなと感じる。自分が10代から思い描いていた夢の向こう側を歩いて中高生達に夢や目標を語ったりしているのだから。今日は雨で高校サッ