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心・・・。怒りを沈める本悲しみを乗り越える本楽に生きれる本・・・などなどの自己啓発本が巷には溢れるようにある。私はこれらの自己啓発本をほとんど読んだことがなかった。それは、怒りを抑える悲しまないなんでも楽しく・・・と心を無理やり矯正する為の本だと思っていたから。身体に合わないコルセットをギューーーーーーーーーーーっと締めて無理やりに怒らない心悲しまない心楽しい心に仕立て上げると思っていました。そんなのは私じゃ
ブログをサボリ過ぎて、気がつけば秋。過ごしやすい季節になりましたね。さて皆さんは「大人になる」と聞いて、どんな事を想像しますか?就職する事?一人暮らしする事?結婚する事?年齢を重ねる事?それぞれ色々な事が浮かぶと思います。私は、「その場その場に応じて、ふさわしい振る舞いができる事」と定義しています。そうなる為に必要な事を、先日の師匠のブログから学びました。それは、『自分の心が動いた時に、そのまま行動してしまうのではなく、その先を考えられるようになる事』です。「私は今、
秋ですね…出かける時に羽織るものを一枚用意したくなります。寒くなってから慌てないように。心にも、そんな支度ができるのかもしれない。瀧本光静先生のブログ「心を育てる、ということ」を読んで、そんなことをふと考えました。ブログには、窃盗を繰り返した女性とのお話が書かれていました。先生が向き合っておられたのは、再び欲しいという気持ちが湧いたときに、どうすれば同じ行動を繰り返さずにすむのか。その場で強く反省していても、また心が動く瞬間はやってくる。だから、そのときの
「人生は苦である」この世の真理を表現した言葉。目にすることもあれば、耳に入ることもあるこの言葉。恥ずかしながら、私はこの言葉の意味を味わい、体験して「その通りだ」と分かったのは、ずいぶん年を取ってからだ。「え?そうなの?では、ずいぶん恵まれて、幸せで、守られて生きてきたんですね」と思われそうだけれどそうではない。そうではなくて、愚かすぎてその真理に気づくことができなかったのだ。おてんばだった幼少期負けず嫌いな思春期我儘な青年期社会の荒波を知
師匠から、真解学を学び、東洋思想の教えを学び、復習をしていても、他人のなんて事ない一言に、『ん???💢』と反応してしまう私。学ぶ前は、その反応した心のままに凄い形相で、一言発射!からの連射!!!でしたが、今は連射はやめられている(ハズ)連射してしまったのは、こうあるべきというべき論と、自分と他人の境界線の取り方を間違ってたから。いらなかったその一言で、失ってしまったものがある。自分で氣づける分はしれてる。氣づかないことの方
心のまま躍動するミー自分の心について考えてみました。私が一番厄介だと思っている「怒り」怒りの感情が湧き上がったら、一旦立ち止まって、その次の行動を選ぶ。これは、私もこれまで何度も体験実践してきたことです。でも、もし自分の身に危険が迫っているような状況だったら、私は本当にそんなに落ち着いて対処できるのかな……。そんなことを考えていたら、昔のことを思い出しました。父は母から「瞬間湯沸かし器」と言われるほど、すぐに怒る人でした。仕事でうまくいかないことがあると、何かの拍子に家で母や私に
「心は育てるもの」光静先生に教えていただくまで、そんな風に思ったことはなかった。私の心の感じ方は、生まれつき。なんなら、父親の欠点をそのまま受け継いでいるから、父のせいにして、うらんでいた。光静先生が、受刑者の方との面談時のお話を、ブログに書かれている。(光静先生は、篤志面接官として受刑者の方への指導をなさっている。)読むと、いつも胸がザワザワする。他人事とは思えないのだ。私は実行に移す縁に巡り合わなかっただけ。そう思う。そして、縁が重なったとき、心に従っ
いつものように、卵を焼き、おかずを詰めて、そのお弁当を子どもに持たせて「いってらっしゃい!」と送り出した。そして午前中、いつも通りの時間(週に一回の早お迎えの日)に園へ到着。先生が私の顔を見るなり、ホッとした表情でこう言った。「お母さん、お迎えに来てくれてよかった〜!今日はお弁当いらない日(午前保育)だけど、お弁当持ってきてたから、いつものお昼があるときの時間まで迎えに来てくれないんじゃないかとヒヤヒヤしてたんですよ〜!」……ん?「あ……たしかにお
お久しぶりです。ミヤコです。先日、瀧本光静先生のブログを読んだ時、ふと「普通ってなんだろう?」って考えさせられました。そのきっかけになった、瀧本先生のブログがこちらです。瀧本光静先生のブログはこちら「普通に暮らしたい」と言った男に私は聞いた|一番短いお説法「普通に暮らしたいです」その男性は言った。声は静かだったけれど、その一言だけは、妙に強く残った。私は少し間を置いてから聞いた。「普通って、どんな暮らしですか?」彼は一瞬、こちらを見て、少し考えるように視線を落とした。「普通は
「普通」私はこの言葉が嫌い人から「普通はこうでしょ。」「どうして普通に出来ないの?」「普通でいいから・・・。」これらの言葉を言われると、胸がギュッと苦しくなる。「普通」と言う名の、窮屈な折に入れられる。そんな感じだった。「常識」といった言葉も、似たような意味で受け取っていたな。だから私は「普通」といった言葉が嫌いだった。けれど、師匠のブログを拝読して今までの私の受け取り方と違う「普通」を教
「普通に暮らしたいです」そう始まる文章を読んで衝撃を受けた。その文章は師匠である瀧本光静先生のブログ:「『普通に暮らしたい』と言った男に私は聞いた」「普通に暮らしたいです」そんな言葉を発するのは震災か何かで避難生活をしている方?最近は地震や水害で水道も電気もガスも止まって「普通」の生活がままならくて避難生活を送っている方がたくさんいる。「普通」の生活が出来なくなって初めて日々のありがたさを知る。水道から水が出ること、電気が通っ
仏教を学んで、わかったことがあります。人は心が何かにとらわれていると、自分の欲求を満たすために、よくないことを考えたり、愚かな行動をしてしまうことがある。大げさに聞こえるけれど、道に落ちているゴミも、そんな心の表れの一つなのかもしれません。たとえば、歩きながらスナック菓子を食べて、その袋をポイ捨てする。もう心は友達との待ち合わせに向かっている。「ゴミを持ったまま友達に会いたくない」「なんかカッコ悪い」そんな些細な気持ちに引っ張られて、善悪の分別があるはずの人が、ポイ捨てをしてしま
朝、目覚めない可能性もあったけど、今日も目が覚めた。道で事故にあう可能性もあったけど、あわずに帰れた。ぎりぎりのラッキーを繋ぎながら今日まで、長いこと生きてこれた。真解学という鑑定学を学んでいます。その師匠である瀧本光静先生のブログで普通に暮らすってどういうことだろう?というお話があった。↓「普通に暮らしたい」と言った男に私は聞いた|一番短いお説法「普通に暮らしたいです」その男性は言った。声は静かだったけれど、その一言だけは、妙に強く残った。私は少し
朝、目が覚める。それだけでありがたいはずなのに、頭の中では、もう今日やることが並び始める。あれを済ませて、これを確認してあの連絡も忘れないように。まだ布団の中なのに、気持ちはもう動いている。一日が始まったばかりなのに、そんなに自分を急かさなくてもいいのに自分でもそう思う。仕事があるのは、ありがたいこと。責任もあるし、きちんとやりたい。そして今の私には、仕事のほかにも大切にしたいことがある。お釈迦様の教えや真解学を学ぶこと大好きなゼンタングル
罪を犯し、拘置所に入れられた男性。彼との仮釈放前の面談でのやり取りを、光静先生がブログに書かれている。その中で彼は、「拘置所を出たら、普通に暮らしたい」と話した。ただ、そう言った彼は、「普通」というものが何なのか、つかめていなかった。ここまで読んで、私も「普通って、なんだろう?」と思い、辞書を引いてみると、こう書かれていた。「いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。」(出典:岩波国語辞典)一応、住むところがあって、一応、仕事があって、贅沢できない
光静先生が、ラジオ体操に行った時に、気づかれたことをブログに書かれている。小さな気づきから、悟りまで行き着くところが、師匠らしい。ブログに出てくるお釈迦様のお弟子、チューラ・パンタカくん。物覚えの悪いパンタカくんに、お釈迦様は、掃き掃除をする修行を与えた。ひたすら掃き続けるうちに、掃いても掃いても無くならない床の塵と同じ様に、自分の心にも、欲や執着や怒りが積み上がっていくことに気づき、ついに掃き掃除から悟りを得た方。ずいぶん前に、このお話を聞いて、よし!とゴミ拾い
昨日は、久しぶりのバイト。私が入るシフトは、大体、朝食からランチの時間帯。色々なお客様が来られます。タクシーの運転手さんサラリーマン風の方工事現場風のおにーさん達学生さん達部活の後の若者(これが凄い!食べはる食べはる)家族老夫婦などなどこちらのお店は、ゆっくり食事をするという空間ではなくて、素早く提供して、食されて帰るというお店。殺伐とした時間ですが、そんな中でも笑顔と笑顔の声に努めております。(今まで自分にとっても欠
めっきり涼しくなってきましたね。秋は、学びの秋!としたいところですが、今日は学びがきちんとできていなくて、落ち込んでしまったことをシェアいたします。私は、瀧本光静先生のもと鑑定学(易学+仏教の学び)を学んでいます。先生がシェアしたブログ『拾う門には福来たる!』を読んで、自分の実践の出来てなさ、に落ち込みました。先生は毎朝、ラジオ体操に行きながら、「ゴミ拾い」をされている。朝から、功徳を積む日常を送っている。このブログでは、そのエピソードを盛り込みながら、大切な以下の
20年ぶりくらい?の人ばかりの学生時代の仲間と集まる機会があった。久しぶり過ぎて、お互い誰かわかるんかなと心配してたけど話せばみなさん、当時と何も変わりなく。だけど、今のそれぞれの状況、場所はみんな違う中、それぞれがみんな、すごくがんばっているんだなぁと感じられて感動、尊敬ばかりだった。ひとりの先輩は、仕事終わりで疲れきった帰り道、挙動の怪しいおじいさんに、自分から声をかけて、家がわからなくなっていたのを警察まで連れていってあげたそうだ。おそらく認知症。
そのタイミングを逃してしまうと、なかなか行動に移せなくなることもある。だから「思ったらすぐ動く」実践力って大事なんだなと思う。今朝起きると、清々しい晴天☀️風も気持ちいい。こんな日は出かけよう!気持ちいいことをいっぱい味わおうと、吉方位を選んで大神神社へ行ってきました。8月末に怪我をしてから、長い距離を歩いていなかったので、今日はリハビリも兼ねてゆっくりゆっくり。参道の砂利を一歩一歩踏みしめながら歩く。右足が地面を離れて、空を通って、かかとから地面に着く。足裏全体に体重が乗ると
瀧本光静先生による、久しぶりの書画教室。教えを聞いて感じたことを書にする時間。あっという間に2時間とか経ってしまう。注意力散漫な私が、集中できる時間。今回のお題は「一葉落知天下秋」いちようおちててんかのあきをしる一枚の葉が落ちるのを見て、天下(この世全体のこと)に秋が来たことを知る。どういうこと?これは、目の前で起きた、たった一枚の落葉から、世界全体が秋へ向かっていることを感じ取る、という言葉。なるほど~。これを味わってみると?
外では人に優しくできるのに、家族には厳しくなる。同じことを言われても、外でよその人に言われたら、にこにこして聞いてたのに身内には「ハァーーン?」と返事。なんならぼーっとして、あんまり内容を聞いてなかったり。お友達にはスタンプいっぱいつけたメール送っても家の人には絵文字なし。業務連絡のみの一行だったり。人による態度の違い。会社の上下関係とかで、それを感じさせる人って演技っぽくてやだなと感じたこともあるけど、自分も、外と家ではえらい違いだった。
お母ちゃんのお味噌はもう無いけど、受け継いで手作り味噌結婚したての頃、主婦同士のたわいもない会話で、「お母ちゃんと旦那さんが同時に溺れていて、一人しか助けられないとしたら、どっちを助ける?」なんて、今思えばちょっとブラックな話で盛り上がったことがありました。みんなが「旦那」と答える中、私は迷わず「お母ちゃん」。みんなが旦那さんを選ぶことが不思議でした。そんな大好きだったお母ちゃんは、15年前、癌の闘病の末に亡くなりました。でも、私はずっと母と仲良しだったわけではありません。若かった
私の本当の顔って、どんな顔だろう?そもそも、本当ってあるのかな?この人にはニコニコできるのに、あの人には、なんだかイラっとしてしまう。同じことをされても。私は、優しそうって言われることがある。でも、実は私は、いじわるだ。よく知ってる。だから、友達は、ほとんどいない。離れていった元とも達は、私のことを、わがままで、キツイ人だと思っているに違いない。さて、どっちが本当の私だろう?光静先生のブログを読んで、ヒリヒリした。先生が初めて入った
昨日の事、いや今朝のことさえ忘れてしまうことがある今日この頃。人生折り返しを過ぎるとこんなにも記憶力が乏しくなるそれなのにあぁ、それなのに。忘れてしまいたいのに忘れられない…今でも胸がぎゅっと痛くなる出来たらあの日に戻ってやり直したいあの悪夢のようなワンシーンから逃げ出したいそんな大失敗、大失態、過去の汚点…ブラックな過去がある。それは岩に刻まれたかのように消したくても消えないし、時々、そのことがふと頭をよぎって落ち込んで、後悔して、嫌
過去に戻ってやり直したいって、あんまり考えたことなかったけど、多分、思い出した瞬間に、あまりにも思い出される映像がひど過ぎて、瞬殺で、フタしていたかもです。瀧本光静先生のブログです。黒歴史軍団が、警備隊になる|一番短いお説法「先生、どうか助けてください!あの時、あの選択さえしなければ…。私、本当に過去に戻りたいんです」。。。。。。。。。。。真に迫る勢いでご相談を受けたけど、いやいやいやいやさすがにそれは…( ̄ー ̄)ノ竹野内豊さん主演の「素敵な選タクシー」ってドblo
ふと心に湧いてきて、胃が重くなる。吐き気がする。顔が熱くなる。過去のやらかしの数々。消したい記憶。今ならもっとうまくやれるのに・・よく思う。今の自分が過去に戻って、過去の自分に、その選択はやめておきなさいとメッセージを送りたくなる。だけど、それによって過去が変わると、今出会えている、好きな人とも出会えなくなったり今気に入っている環境も変わってしまう可能性もあるんだろうな。結婚を阻止したら、子供とも出会えなくなるとかみたいに。そもそも、うちにはバックトゥザフュー
やってもた〜💧テニスレッスンが始まって10分ほどした頃、以前から少し気になっていた右膝に突然激痛が走り、倒れ込んで立ち上がれなくなりました。でも、そこからはみんなが駆け寄ってくれて、両脇を抱えて運んでくれたり、コーチが氷を持ってきて冷やしてくれたり。さらに、自宅近くの友人が土曜日なのに開いていた整形外科まで車で送ってくれました。まるでリレーのように、みんなに助けてもらって無事に診察を受けることができました。しばらく松葉杖生活になったけれど、こんなに周りの人にお世話になって口々に励まし
したこと。しなかったこと。過去に戻ってやり直したいこと。いっぱいある。光静先生ブログに、こうあった。過去は「訂正すべき場所」じゃなく過去は「今から使うもの」なんじゃないかな?過去は今から活用するもの!なるほど〜。もっと早く知りたかった〜。私は、なんにも活用してなかった。だから、何度も同じことを繰り返している。失敗から学べば、糧になる。だけど、放置したら…失敗のままだ。それは
足の裏の氣持ちって考えたことありますか?氣持ちというか、足の裏を意識するという事をしたことがなかったです。以前に、何ヶ月も膝が痛かった時のことを思い出しました。瀧本光静先生のブログです。VIP待遇にご用心!|一番短いお説法病院の待合室で、診察を終えたおじいちゃんが受付にいたの「お大事になさってください」受付の方がそう言うと、おじいちゃんは自分の膝をさすりながら、「大事に大事にしてきたんやけどなぁ」と笑ったね。そして、「雑に扱ってきたわけと違うねん。でも、壊れblog.t