ブログ記事156件
鰻を食べた後は印旛沼をぐるっと回って、臼井城址公園に行ってみました。建物などは、なんにもないんですけどね。早咲きの桜は終わりかけ千葉県にはそんなに高さのある山はありませんが、この急斜面は攻め辛そうですね。眼下に印旛沼が見えます。帰りに臼井城の近くの和菓子屋さんで、道明寺とぼたもちを買いました。和菓子屋さんの駐車スペースのすぐ横に、哀愁を帯びたコリーがいたんです。あまりお世話してもらえないらしく、毛がゴワゴワで元気がなく、声をかけても全く反応しませんでした。お
城桜と紅葉映えるね濠この幅は諦めるわ石垣門虎口段野点傘現存天守附櫓
立派な濠水面に映る紅葉泳ぐ鴨石垣と蔦窓の外は秋急な階段怖い怪談白壁甍黄葉チラッと天守
古墳公園を散歩していたら発掘調査をしていました墳丘をユンボで削ります手作業で土を少しずつ削っています画面手前の方は雨が溜まってドロドロですここは濠がめぐっていた辺りなんですねワクワクしますずっと見ていられる((o(^-^)o))価値のあるものが見つかるといいですね
5月下旬頃、富山に行く用事があり、富山駅での乗り継ぎで時間が出来たので、JR富山駅から徒歩10分、富山県富山市本丸にある富山城址公園に行ってきた。富山の中心地にある緑豊かな公園で、約7haの広大な敷地に富山城の城跡が公園として整備され、街中のオアシス的な憩いの場として親しまれているとのこと。現在の富山城は1954年に建設されたもので、城内は郷土博物館になっている。お濠と天守閣が印象的な公園である。旧マルマンコットマン中目230gF6
JR姫路駅から北側を見ると姫路城が見えます。直線距離で約1kmちょっとなので徒歩での所要時間は20分くらいです。その途中に見ておきたいものがあります。道路に横たわる土塁は歩道になにか石垣と土塁があります。実はこれ、姫路城の中ノ門(なかのもん)跡の土塁です。>>姫路城中ノ門跡の場所の地図かつてはここに門があり、四角い入り口(桝形虎口:ますがたこぐち)がありました。その両脇には石垣がズラ~っと伸びており、その一部が残っています。そして石垣門跡を
鑁阿寺から、家富町・雪輪町界隈を歩いてみます。この辺りが私の幼少時の生活圏でした。地理院地図より鑁阿寺周辺拡大図(地理院地図より)鑁阿寺(H)は室町幕府を開いた足利家の氏寺です。四方を堀に囲まれた中世の武士の居城の典型のような形をしています。境内敷地内に入れば、そこにはたくさんの国・県・市の重要文化財があるのですが、鑁阿寺の良いところは、それにもかかわらず、管理はいい加減で境内は無料で市民に開放され、市民の憩いの場どころか我々悪ガキの遊び場となっています(今も多分)。そもそも、か
こんばんは。今日の東京は雲の多い一日でした。☁︎日中は気温も上がり過ごしやすい日になりましたね。★予報では明後日は雪?になるところもありそうです。。❄️寒暖差も激しくなりますので皆様も引き続き体調管理はしっかりとなさってくださいね。★さて少し前の木曜日は主人と一緒にパレスホテル東京へ。。^^この日は鉄板焼き「濠」でランチをいただきました。♥︎当日は地下駐車場から直接6階のレストランに向かいましたが。。いつも私達を担当してくださっているゲストエク
かなり前なのですが、可愛いらしいインパクトがあって、心に残るお食事でした♡パレスホテルの鉄板焼き『濠』ルイナールで乾杯🥂💕コースのオーダーですが、アラカルトからもフォアグラの鉄板焼き赤味噌ソースまったりフォアグラがひときわ濃厚に🧡近江牛の炙り寿司ご飯をお肉で巻くとグッとスペシャル感がトロけました‥焼き野菜のラインナップ🥬アラカルトでこちら
磐之媛陵の壕に浮かぶ睡蓮の葉の上で、アオイトトンボとベニイトトンボが話し中・・・・。ベニサン・・・・・お宅は個体数が少ないようですね。・・・・・そうなんですよアオさん。なんでも絶滅危惧種に指定されているんだって・・・余計なお世話なんだけど。チョット寂しい・・・・・。・・・・・そうだろうね。仲間は多いほどいいからね。..・・・・・皆に早く結婚するように伝えてやれば・・・。ベニイトトンボ(左)とアオイトトンボ(右)の語ら
妻女山のつぎは、武田軍の本陣の海津城へ。こちらは、石垣しか残っていなかったが、近年城門を復元した。地元のボランティアの方の話だと、図面等は残されていないので想像?で作ったらしい。石垣の黒っぽく見える部分は残されていたもので、白っぽいのは、新たに作られたもの。夫と歩く甲冑姿のボランティアの方立派な石垣。濠には鴨黄色いアヤメがたくさん。
残る鴨濠の水面をささ揺らしフーザンボー「残る鴨」・・・鴨は秋に北方から渡ってきて、春先になると北方の地に帰っていくのですが、春が深まっても帰らずにいる鴨がいるのです。この鴨のことを「残り鴨」・「残る鴨」といいます。「春の鴨」も同じ意です。今は北方の地がロシアであれば、帰らない方がよいと思いますが、鴨には分からないでしょうね。その残り鴨ですが、たいていペアで行動していることが多いように思います。「ささ」・・・「さざ波」の「ささ」です。小さい・わずかな・細
花過ぎの濠は深くに澱みをりフーザンボー山形に行ってきました。写真は霞城(かじょう)公園の濠です。満開の桜が散りだしたときは、散って濠にできる花筏も美しかっただろうと思うのですが、このときはほとんど花は散ってしまい、濠に浮かんでいたと思われる花筏は、たぶん濠の深くに沈んでいったと思います。それでも。濠にしだれる桜の枝が美しいと思いました。桜の若葉がでて、それが日に映えてまぶしく感じました。出会ひより別れの多きさくらどき山
燕飛ぶ濠の水面をささ揺らしフーザンボーいつの間にか、燕が川や城の濠などを自由自在に飛んでいます。四月ごろに南方から渡ってきて、人家の軒などに巣をつくり、子育てを勤しむ燕。見るだけで元気をもらえます。ささ・・・「細かい」「小さい」の意です。「さざなみ」などと使います。写真の一枚目は小田原城のお濠です。細波が立っているのがお分かりでしょうか。燕がお濠を低空飛行していました。燕が切る空の十字はみづみづし福永耕二
武田神社境内は石垣や周りに濠があり館があったんだなぁでした。石和から甲府に甲斐武田氏本拠移してたんですね。
・・・・トンネルを出ると江戸時代にスリップと行きたいところですが…そもそもこの位置に櫓はござんせんでしたでもちょっと雰囲気は楽しめました濠の下から見るというのは上から濠を見下ろすのとスケール感がちがいますねこっちの方が石垣も迫力ありますそういえば3月に姫路城に行った時濠の和船が運休だったんです次は乗りに行きたいですこの石垣の積み方大手門前土橋下トンネル
裏門土橋を出て堀の外を通り大手門へ立派な松です松ってまっすぐ伸びなくて同じ形にならなくてどうなるかわからないところがおもしろい昔から人が惹かれた所以かなさて大手門前の濠に降りました大手門前土橋あまり濠に降りれるところは少ないかと今は水がありませんから水を引いていた水路は残ってないようです上から見てて気なってたトンネルもちろん江戸時代にはなかったでしょうけど入口のアーチ部分は
生命を堀に集めて冬景色「方円」2018年1月号円象集掲載。だんだん気温が下がり、冬らしい気候になって来た。冬景色と言えば、草木は枯れ果て、動物は冬眠したり冬ごもりしたり、生命の息吹があまり感じられないというイメージがある。この句で詠まれている堀はどこかの城だったか古墳だったか。とにかく空堀ではなく、水を張った濠。水の中には冬でも鯉や魚が泳ぎ、水草が生い茂り、恐らく魚のえさになるプランクトンも豊富なのだろう。何もない冬景色の中にあって、濠の水の中には様々な生命が集まる。どんな季節になっても
赤楕円が大手門赤⇑左大手門前土橋赤⇑右本丸西方堀外大手門から入った所に現在の二の丸館現在の二の丸館の裏門を出たら鬼門櫓があった付近鬼門櫓東側が濠になっていたようだ土橋付近西方は堀ですね
二の丸館裏門出た所の案内板滝廉太郎像と並びです前が掘なんですが案内板では水色になってるところからすると濠だったのでしょうか…現在はL字に曲がってる裏門側は道路になっていて明らかにその時に石段が設置されたそれに伴っての石垣石段から左側はちょうどL字の角の位置ではないでしょうかとなると案内板正面は元々の石垣?濠の本丸側画面左の積み方が違っているのが石段からの石垣本丸の石
夜景の映る濠沿いを歩いて、弘前城三の丸追手門に戻ってきました。濠に映った木々や夜景がとても綺麗でした。
中濠に映る赤い橋が見えてきたので進んでいくと、二の丸と三の丸に架かる杉の大橋でした。築城当時、スギ材でつくられた橋であったため、杉の大橋という名が付けられたそうです。この橋は、戦になると敵の侵入を防ぐため壊される架け橋であったため、壊すにしても焼き払うにしても、柔らかく燃えやすい性質を持ったスギ材が用いられたそうです。1821年(文政4年)、濠の両側が石垣となるとともに、ヒノキ材の赤い橋に架け替えが行われ、欄干と擬宝珠が付け加えられたとの事です。
ピラミッド?江戸城の天守閣跡だそうです。さて、皇居東御苑を北桔橋(きたはねばし)門から退出します。西には乾濠(いぬいぼり)が。
八王子神社(大和郡山市発志院町)大和国添上郡奈良県大和郡山市発志院町399(P無し、近隣停め置き不可、当日は国道24号線から歩きました)■祭神多紀理毘売命市寸島比売命田寸津比売命速日天之忍穂耳命天之菩卑能命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命大和郡山市東部の低湿地帯、「発志院町(はっしいんちょう)」集落内に鎮座する社。仏教施設を中心に形成された町名かと思われます。当社境内東面と北面を始め村の端は濠で囲われ、環濠集落であったことが分かります。ところが「発志院村」だけで
お早うございますこの前の回は松本でしたね。【ブラタモリ松本】全内容・ルートを写真でまとめと要約!#183|再放送も掲載NHK番組のブラタモリ松本編で、タモリさんが松本の地形・歴史が分かるスポットの紹介しました(9月11日)。このページでは、ブラタモリ松本編が訪ねた場所やアクセス等をご紹介します。service-news.tokyoまたも放映本番をみられず、昨日やっと見逃し配信をみました。番組では以下の流れが紹介されました・城主が代わる毎の増築を経てきた国宝としての松本城・湧き水
つづきです。北桔橋門です。(きたはねばしもん)手前の濠は平川濠中は皇居東御苑で、一般公開されています。天守台も遺っています。月・金曜日が休園日ですが月曜日が祭日の場合は火曜日が休園となります。行事等の関係で、臨時休園もあるのでHPを確認しましょう。各種、注意事項⚠️もあります。乾濠側からこちらは乾門中はガチで皇居なのでお巡りさんがいらっしゃいます。門の向こうは桜並木🌸や紅葉🍁で有名な乾通りです。代官町通りを進むと、道路の反対側にあるのが旧近衛師団司令部庁舎
さてさて…昨日、お城の堀の薬研堀は薬草つくる薬研が由来…ということを書きましたが…お城の堀は濠と書くこともあるけど…濠の方はさんずいなので…空堀と水を張った堀の違いなんだろうな…と思って確かめたら、まさにその通りだったよ…でもでも…検索の途中で…「堀と掘りの違い」っていうのもヒットしましたですよ…ホリの漢字が二種類だったのは初めて気づいた…手へんの方はホルという動作そのもので…土へんの方はホルという動作によってできたもの…なんだそうですよ…今までなんも意識してなかった…
代官屋敷にスライムがあらわれた!「スライム屋、お主も悪よのぉ」「ふぉっふぉっふぉ」ってやりたくなっちゃうよね代官屋敷黒田邸は、静岡県菊川市にある代官屋敷で、1973年に母屋と長屋門が、1993年に蔵と宅地と濠などが国指定重要文化財に指定された貴重な建物なのだお濠がある!お城かと思っちゃったよ当然、お城よりは小さなお濠だけど、住宅としては十分すぎるほど大きなお濠だよ。黒田家は、1558年にこの地に移り住んだといわれている
「ダンジョンみたいやなー」という私を、ほへーとした顔で見つめる安田。「ダンジョン。え?」ふるふると静かに首をふる安田。始めて聞いた言葉だったそうです。あぁ。ダンジョンなんて言葉、知らない女性でいたかった人生だった。ダンジョンじゃないとしたら、サバゲーか土濠にしか見えない・・・