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うっちーこと宇都宮芳綱です天下鯖の本城主で極選くじが引けるので、久々に娘に引かせてみましたしかし、引かせ始めた頃は幼稚園位だったのに、今は高校3年生のJKですから、時の経つのは早いですねさて、極選くじを引かせた結果はグッジョブ♪('-^*)/娘よ、良くやったなにせ影城主で自分が引いた時はこれでしたからグフッ!><さて、続けて天神くじを本影で引かせてみましたまずは影城主です続い
正室巻四2回目八月十八日、信長は北近江に出馬、横山に陣取った。八月二十八日、信長は佐和山城に進み、丹羽長秀の屋敷に泊まった。九月一日、信長は志村城を攻めた。九月三日、信長は常楽寺へ移動。九月十一日、信長は山岡景猶の城に陣を据えた。九月十二日、信長は比叡山を攻撃した。九月二十日、信長は美濃の岐阜に帰陣した。「無事のお戻り、お祝い申し上げます」と、濃姫が信長を出迎えた。「比叡山を攻めた」「はい、聞いています」「比叡山の僧は延暦寺が都の鎮守であるのに、行動でも仏道修
正室巻四1回目元亀二年(1571)正月一日、武将らが岐阜城に出仕して信長に挨拶をした。二月二十四日、浅井方佐和山城主の磯野員昌が降参。信長は佐和山城に丹羽長秀を入れた。五月六日、浅井長政が姉川に布陣し、浅井七郎が箕浦の堀秀村と樋口直房を攻めた。木下藤吉郎が浅井七郎の軍勢五千を打ち破った。浅井長政が撤退。五月十二日、信長が河内の長島を攻めた。五月十六日、信長は撤退した。信長が濃姫に、「長島攻めに失敗し、多くの兵を失った」と言った。その中には、美濃三人衆の氏家卜全
正室巻三4回目この遠征中、信長は弟の織田信興を戦いで失った。信興は尾張の小木江村に城を構えて居城していた。信長は、「石山本願寺は俺が志賀で滞陣しているのを見て、長島の門徒に一揆を起こさせ、小木村の城を攻めさせた」と濃姫に言った。(長島の一揆勢に信興殿は殺されたのか)と、濃姫は思った。信長にとって全国に道場を持つ一向一揆勢は本当に厄介な敵だった。(六角、三好、浅井、朝倉、一向一揆勢、比叡山。殿様の周りは敵だらけだ)と、濃姫は信長の苦労を思いやった。信長は、「体が
徳川家康(6)燃える土の巻(山岡荘八歴史文庫)Amazon(アマゾン)山岡荘八著「徳川家康〔6〕燃える土の巻」を読みました。前巻は大賀弥四郎が武田勝頼に通じて企てた謀叛まであと少しというところで終了しましたが、築山御前はそれとは別に家康の側室・お万の方の暗殺を企てます。お万の方に子供が生まれたお祝いを送る口実で侍女を差し向けますが、この侍女が刺客でした。同席していたもう一人の側室・お愛が、侍女が懐剣をお万に向けたときに見事に取り押さえ、計画は失敗に終わります。こ
正室巻三2回目北近江の浅井長政を攻める準備をして来た信長が、「お濃、浅井の堀秀村と樋口直房が味方をすると約束した」と濃姫に教えた。「では、ご出陣されるのですね」信長はうなずいた。六月十九日、信長は出馬した。六月二十一日、信長は小谷城を攻めた。翌日、信長は兵を引いた。六月二十四日、信長は横山城を四方から包囲して竜が鼻に陣取った。越前の朝倉健景が兵八千を率いて小谷の東の大依山に陣取った。二十八日未明、信長は姉川で朝倉・浅井の軍勢と戦い、これを破った。七月六日、信長
正室巻三1回目元亀元年(1570)二月二十五日、信長は京へ出発した。三月五日に上洛。四月二十日、信長は越前に出陣した。北近江の浅井長政の裏切りに会い、信長は四月三十日に敦賀から京に撤収した。五月二十一日、信長は美濃の岐阜城に帰陣した。「無事のお戻り、おめでとうございます」と、濃姫が信長を迎えた。「長政が背いたので、越前攻めは取り止めになった」「全員が無事に引き上げられました。また機会はございましょう」濃姫は織田の軍勢がほぼ無傷であることを喜んだ。「油断があったわ
正室巻二2回目一月六日に上洛した信長は五月十一日に美濃の岐阜に帰って来た。「お疲れでございましょう」と、濃姫が信長を迎えた。「二条に将軍の御所を築いていたので、帰るのが遅くなった」「良いことをなさいました」「京の土産だ」信長はカステラ・有平糖・ボーロを濃姫に勧めた。「これらは何でしょうか」「南蛮菓子だ。食べてみろ」濃姫は南蛮菓子を口にした。そしてその甘さに驚いた。「甘いものですね」「キリシタンの宣教師がくれた」「めずらしい物をいただきました」「南蛮には菓
正室巻二1回目永禄十二年(1569)一月六日、美濃は大雪が降った。そんな中、京からの急使が美濃の岐阜城に到着した。使者は、「一月四日、三好三人衆が将軍足利義昭の六条の御所に攻撃をかけて来た」と信長に報告した。信長は動揺した。城内に緊張が走った。(殿様はどうなされるのかしら)と、濃姫は思った。信長はすぐに上洛すると指示した。信長は濃姫の部屋に入って来て、「上洛する」と言って出て行った。濃姫は、「お気をつけて」と言って信長を見送った。大雪の中、信長は二日
正室巻一4回目京から帰った信長は濃姫を相手に茶の湯を楽しんだ。信長は新たに手に入れた茶道具を濃姫に見せた。「この茶入れは『九十九髪』、松永久秀がくれた」と、信長が濃姫に説明した。「松永殿とは将軍義輝様を弑した方ですか」「そうだ」濃姫は目を丸くした。「あいつは使える」信長は松永久秀が仕事の出来る男だから、過去の過ちを許し麾下に加えたと言った。茶を飲みながら濃姫は、(大丈夫なのかしら)と思ったので、「周りの人たちは殿様の仕置きを悪く言いませんか」と信長に訊いた
正室巻一3回目「お濃、天下(畿内)を平定したぞ」と、信長が言った。「おめでとうございます」「京から三好勢を追い払い、義昭様を将軍に就けたぞ」「並ぶ者のない名誉です」「お濃、そう思ってくれるか」「はい、末代までの面目です」信長は満足そうにうなずき、「畿内の関所を撤廃した」と濃姫に言った。「人々は喜んだでしょう」濃姫は天下の民が信長に感謝するのが目に見えるようだった。「それから将軍から副将軍もしくは管領職に就くように依頼されたが辞退した」「なぜでございます」
正室巻一2回目永禄十一年(1568)九月七日、信長は尾張・美濃・北伊勢・三河の軍勢を率いて上洛を開始した。前日に信長は濃姫に会い、「明日、上洛する」と伝えた。「近江の六角殿が上洛の妨げになるでしょう。大丈夫ですか」「征伐するしかあるまい」信長は六角との合戦を覚悟していた。「六角は京の三好と誼を結び、足利義栄を支持している。義昭様の敵である」(殿様には六角殿を討つ名分がある)と、濃姫は思った。今回、信長が集めた軍勢は六万を超えていた。「本当の戦いは、京の三好勢と
正室巻一1回目越前の朝倉義景を頼っていた足利義昭が美濃を支配した織田信長に細川藤孝と和田惟正を派遣し、「上洛して将軍職に就きたいので、力になって欲しい」と頼んで来た。「お濃、越前に滞在している足利義昭様から上洛の支援を依頼された。援けたいと思う」と、信長は濃姫に話した。「京には三好殿が立てた将軍がいらっしゃるのではありませんか」「いる。足利義栄だ」「謀叛になりませんか」「ならぬと思う。三好には前将軍義輝様を殺害したという事実がある」(あっ)と、濃姫は息を飲んだ。
正室巻首46回目美濃を平定した信長は井ノ口を岐阜と改めた。十月、城下の加納を楽市とした。濃姫は、「井ノ口を岐阜とされたと伺いました」と信長に質問した。「あぁ、沢彦に相談したところ、縁起の良い名をつけてくれた」「どういう意味が込められているのですか」「むかし周の文王が岐山から起こり、中華を統一したという故事に倣った」(殿様は天下を統一するおつもりか。そう言えば、天下布武の印も作られたとか)と、濃姫は思った。「加納を楽市にした」と、信長は濃姫に教えた。(楽市に…
岐阜大仏から2分で到着斎藤家菩提寺の常在寺に参拝です。供養塔斎藤道三家臣の供養塔稲荷社祖師堂??本堂常在寺岐阜県岐阜市にある日蓮宗京都妙覚寺の旧末寺である。正式名は、鷲林山常在寺。斎藤道三以後の斎藤氏3代の菩提寺として知られ、重要文化財に指定されている斎藤道三肖像画と斎藤義龍肖像画が所蔵されている。本尊は三宝尊。1450年(宝徳2年)、美濃国守護代斎藤宗円の子で、土岐家守護代として事実上美濃国を支配していた斎藤妙椿が妙覚寺から世尊院日範を招き建立した。
正室巻首45回目永禄九年(1566)八月、信長は美濃を揺さぶり続けていた。信長は、「美濃の国衆たちが動揺している」と濃姫に語った。「では、美濃を討つのですか」「ひとつ工夫がある」「何でしょうか」「楽しみにしていよ」九月、信長は墨俣に新たな砦を築かせた。「お濃、墨俣に砦を構えたぞ」と、信長は濃姫に教えた。(西美濃から兵を入れられるのか)と濃姫は思い、「井ノ口を攻められるのですか」と信長に訊いた。「慌てるな。次の手を打つ」永禄十年(1567)八月一日、美
正室巻首44回目永禄八年(1565)九月、信長は堂洞を攻め、攻略した。「おめでとうございます」と、濃姫は信長を出迎えた。「昨年も堂洞に出陣していたので、みな地理に明るかったのが功を奏した」美濃は堂洞を失い、織田の侵攻を止めるのが難しくなった。永禄九年四月、信長は美濃の各務野に軍勢を出した。斎藤龍興が井ノ口から兵を出撃させ、新加納の村に兵を配置した。信長はその日に帰陣した。信長は、「お濃、帰った」と言った。信長が早く帰ったので濃姫は、「何かございましたか」と
正室巻首43回目永禄八年(1565)五月、京で恐るべき事件が起きた。三好義継・松永久秀が将軍足利義輝の二条御所を攻め、義輝を自害させたのである。信長は、「お濃、将軍が殺された」と教えた。濃姫の顔があがった。(将軍が殺された)濃姫は強い衝撃を受けた。これまで将軍が京から逃げ出したことは何度もあった。しかし将軍が殺されることは希である。殺害されたのは足利幕府の第六代将軍足利義教くらいであろう。「京はどうなるのでしょう」「三好が支配することになるだろう」三好は管
「美濃路清洲宿本陣」近く、東海道新幹線・東海道本線の線路を越える手前に、「信長公銅像&濃姫像」があります。「桶狭間の戦い」に出陣する信長と見送る濃姫の像。夫婦円満・恋愛成就、立身出世、必勝祈願のパワースポットとして、人気があります。司馬さんの「国盗り物語」から。……「古来、城を恃んで戦ったものに、ろくな末路がなく、殆どが敗れている。籠城と言うのは、士気が薄れ、怯気がおこり、志を変ずる者もでてくる。されば合戦は、国内の城を頼るべからず、国境の外に出てやれと、亡父も
正室巻首41回目永禄七年(1564)七月、北美濃の国衆・佐藤紀伊守が丹羽長秀に使者を送って来た。佐藤紀伊守は北美濃の加治田城の城主である。佐藤紀伊守は使者の岸良沢を通じて、「織田信長殿を頼りにしたい」と申込んだ。丹羽長秀は信長に報告した。信長は喜び、佐藤紀伊守に黄金五十枚を贈った。機嫌のよい信長を見た濃姫は、「何か良いことがございましたか」と訊いた。「北美濃の佐藤が織田に味方すると言って来た」「まことですか」「本当だ。佐藤には兵糧を蓄えて置くように命じた」
正室巻首40回目吉乃は気持ちを奮い立たせ、「この子らの母になっていただきたいのです」と濃姫に言った。(子供らの母になる)濃姫には吉乃の言葉の意味がわからなかった。濃姫は三人の子供らをあらためて見て、「お名前は」と吉乃に訊いた。「奇妙・徳・茶筅です」(妙な名前だこと)と、濃姫は思った。そして濃姫は、(まさか殿様のお子たちか)と気づいた。濃姫の体が熱くなった。「殿様のお子たちですか」濃姫は吉乃に質した。吉乃はうなずいた。「なぜ私にお子を託すのですか」
正室巻首39回目「お濃、丹羽長秀から良い報せが来た」と、信長が濃姫に言った。犬山方の和田定利と中島豊後守が丹羽長秀を通じて、信長に味方すると申し入れてきたのだった。(犬山城の家老たちがもう殿様にくだっているのか)と、濃姫は信長の腕前に感心した。「お濃、会ってほしい者がいる」「どなたでしょう」「私の縁につながる者だ」(殿様の縁者なら、会わないわけにはいかない)と濃姫は思い、「はい、お会いします」と言った。翌日、濃姫は信長の縁者に会った。四人の母子であった。
正室巻首38回目永禄六年(1563)七月。「松平元康が今川氏真と手切れした」と、信長が濃姫に話した。「松平殿は殿様を頼りにすると決めたのですね」「ようやく腹が据わったようだ」松平元康が信長に挨拶してから一年以上が経っていた。元康の妻子が駿府で今川家の人質になっていたからである。元康は妻子を取り返すのに苦労したのだった。「犬山城を攻めるつもりだ」と、信長が話題を変えた。濃姫は、「はい」とうなずいた。「それで小牧山に城を築く」「清洲は尾張の真ん中にあり、住み
徳川家康(5)うず潮の巻:山岡荘八歴史文庫Amazon(アマゾン)山岡荘八著「徳川家康〔5〕うず潮の巻」を読みました。信長が上洛しますが、それを阻もうというのが越前の朝倉義景です。近江の浅井長政は、信長の妹・お市を妻としているにもかかわらず、朝倉に同調します。朝倉は足利義昭や武田信玄とも結んで、朝倉領内に攻め込もうとする信長を返り討ちにしようと画策します。。また、信長の妻・濃姫も一緒に京都に来ていましたが、足利義昭は濃姫を人質にしようと目論んでいました。足利義昭
正室巻首37回目永禄四年六月、信長は於久地城を攻めた。於久地城は織田信清の家老・中島豊後守の居城であった。織田信清が美濃の斎藤義龍と盟約を結び、信長に抵抗していたからである。この戦で信長は味方に十人ほどの負傷者を出した。「長門を討ち死にさせた」と、信長は濃姫に話した。岩村長門は信長の小姓で有能な若者だった。濃姫は、(残念なことだ)と思った。信長は有能な者を取り立て、どんどん仕事を任せて行く。信長は能力主義で家来たちを評価していた。それゆえ時には、有能な者が戦
正室巻首36回目永禄四年(1561)五月十三日、信長は木曽川・飛騨川を越えて西美濃に侵攻した。翌十四日、信長は美濃勢と森辺で戦い、百七十人余りを討ち取った。信長は墨俣に砦を築いて留まった。五月二十三日、信長は美濃勢と十四条村で戦った。二十四日朝、信長は墨俣に帰陣した。のち、信長は清洲に帰った。「お濃、帰った」と、信長は言った。表情が冴えなかった。(思うようにいかなかったのか)と、濃姫は思った。「墨俣の砦を引き払って来た」「墨俣を諦めるのですか」「あぁ」信
みなさま、こんばんはこのたび、濃姫を生涯を描いた小説『濃姫~華麗なる蝶~』のペーパーバック版をついに出版いたしましたこれもエブリスタで掲載していたときに熱心に読んで応援してくださった皆様や私自身の素晴らしい多くの友達の励ましと応援のおかげでなんとか完成に至ることができました。皆様には、心より感謝申し上げます。正直、電子書籍よりもペーパーバック出版の方が何倍も手続きが大変だったです出版社の方々のご苦労がよくわかりましたしかも、ペーパーバックにすると、一巻では収まりきれず、三巻に分けるこ
正室巻首35回目織田家と松平家のあいだで国境を定める話し合いがあった。お礼のため、松平元康が清洲城の織田信長を訪ねて来た。「岡崎の松平殿が清洲に参られたと聞きました」と、濃姫が信長に話しかけた。「国境が決まったことの礼を述べるためだ」「そのためにわざわざ三河の岡崎からいらっしゃたのですか」「元康は織田家の庇護を受けたいのだ」「どういうことですか」「元康は今川家から離れようと考えている」「これまで松平殿はずっと今川家に頼って生きて来たのではありませんか」「元康は今
正室巻首34回目永禄四年(1561)、信長は、「三河に出陣する」と濃姫に言った。「三河にですか」濃姫は信長の三河攻めが理解できなかった。(三河を攻めるより尾張の統一が先であろう)と、濃姫は思った。「三河の水野元信が支援を求めて来ている」「なぜ水野殿が…」「岡崎の松平が西三河に兵を入れて麦畠を薙ぎ払っているということだ」四月、信長は三河に兵を入れ、梅ヵ坪の城を攻めた。岡崎勢を梅ヵ坪の城に追い込み、麦畠を薙ぎ払った。梅ヵ坪城を攻めた信長は高橋郡を攻め、端から放火
正室巻首33回目信長は馬の先に今川義元の首を掲げさせて清洲城に戻って来た。清洲の群衆は歓呼で信長を迎えた。みな希代の『軍神』を一目見ようと表に出でいた。城に入った信長は、「勝ったぞ」と濃姫に告げた。「おめでとうございます」これ以上言葉が濃姫から出てこなかった。胸がいっぱいだった。「運がよかった」“今川の軍勢がみな大高城に向かっていたので、義元の本隊が手薄だった”と信長が語った。今川義元は大高城に兵糧を入れ、軍勢を集結し、尾張攻めの拠点にしようと考えていた。そ