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慈眼院澤蔵司稲荷じげんいんたくぞうすいなり令和7年初午慈眼院澤蔵司稲荷へ『明日は…初午❗️』明日は…初午令和7年の初午前夜…⛩️毎年一番寒い時期の初午朝からお稲荷さん詣でに行きますよ〜我が家の神棚と…その周辺…豊川稲荷東京別院王子稲荷神社こちら2箇所…ameblo.jp豊川稲荷東京別院装束稲荷神社王子稲荷稲荷神社の次はお寺のお稲荷さん慈眼院澤蔵司稲荷へ令和5年の春以来の参拝になりました前回の参拝は桜が綺麗でしたが…ひっそりとしていましたので今回初午の澤蔵司稲荷はど
慈眼院澤蔵司稲荷様の紅葉素敵です。まだ紅葉が楽しめますね。
https://bunkyosokojikara.com/2022/08/31/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E8%95%8E%E9%BA%A6-%E8%90%AC%E7%9B%9B/稲荷蕎麦萬盛|文京ソコヂカラ公式サイト創業400年の老舗のそば屋です。伝通院で修行をしていた、澤蔵司が当時通っていたとされ、江戸時代から毎日、澤蔵司bunkyosokojikara.com行ってみたかった食べてみたかった店に行くことに決めた私本日は後楽園駅にある日本昔ばなしさながら
なかなか初見では、どう呼んでいいのか分からない名前のお稲荷さん。澤蔵司稲荷。たくぞうすいなり、と読みます。目黄不動で修行されたとブログで書いておられたのが東京小石川の慈眼院の住職さんだった。小石川ならぼくの指導室から歩いて行ける。その慈眼院の境内にあるお稲荷さんが澤蔵司稲荷。※慈眼院※本堂の右手を降りていきます。小さいんだけどとっても雰囲気のある空間。珍しいことに由緒がアニメ昔ばなしにも取
人に化けて仏の道を学ぶ狐澤蔵司稲荷100年前の日本人の写真とともに人に化けて仏の道を学ぶ狐澤蔵司稲荷100年前の日本人の写真とともに[エンターテイメント]慈眼院(じげんいん)沢蔵司稲荷(たくぞうすいなり)東京都文京区小石川3-17-12出典LibraryofC...www.nicovideo.jp澤蔵司稲荷こちらのお穴様の参道が、とても清らかできらきらしていて、初めて訪れた時、驚きました。住宅街にこんな素敵な場所があるなんて、と。歴史もお狐様がお坊さんに化けて人間と
5月12日に文京区小石川界隈の浄土宗寺院を巡った続きです小石川善光寺の次は、ちょっと坂を上った所にあり慈眼院澤蔵司稲荷へ〜慈眼院澤蔵司稲荷の寺号標山門寺号標階段横には🦊のレリーフ慈眼院澤蔵司稲荷の縁起案内板手水舎あちこちに江戸火消し🔥🚰の石塔石碑子育地蔵本堂前の狛狐🦊本堂浄土宗寺院の慈眼院は、無量山慈眼院と号します別名澤蔵司稲荷…元和6年(1620年)傳通院の塔頭寺院として創建、澤蔵司稲荷の別当を慈眼院としたのが、傳通院中興開山廓山上人澤蔵司稲荷の伝承…
土曜日の午後に予定を入れようとしましたが、慎む日だったので慎みました😆町会の仕事したり、お昼寝😪しちゃったり…もうダラダラでしたが、最近は結構ハードに動いていたので、休息という事で…土曜日の代わりに、昨日は東大前駅から後楽園駅、本駒込駅界隈を徘徊し浄土宗寺院巡りをしておりました江戸観音霊場や小石川七福神巡りもしているので、ちょっと懐かしい寺院も有ったり…小さな檀家寺や塔頭寺院ばかりでしたし御朱印なんかも有りませんが、どんな歴史が刻まれているんだろう…これから色々調べてアップして行きた
2024年3月9日東京都文京区小石川の慈眼院さんの澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)さんへ参拝傳通院さまの鎮守としてこの地に開創されました。御朱印は書き置きを拝受しました♪こちら日本昔ばなしにもなったお話があります。傳通院の学寮に沢蔵司という修行僧がいた。僅か3年で宗義を極めた。ある日学寮長の夢の中に現れ「余は千代田城の内の稲荷大明神である。かねて勉強をしたいと思っていた長年の希望ここに達した。今より元の神に帰るが、長く当山(傳通院)を守護して、恩に報いる」と告げ
ご縁を頂いている方より、文京区にある傳通院(でんづういん)と慈眼院澤蔵司稲荷(じげんいんたくぞうすいなり)のお写真をお送り頂きました。傳通院慈眼院澤蔵司稲荷※素敵な御写真をお送りくださり有難うございました。心より感謝申し上げます。※お知らせ12/1~4/17までの期間、通常の鑑定料金を3分の2の金額にさせて頂いております。(HPの修正が間に合っておりません。ご容赦くださいませ)理由は、12/1・1/31のブログ記事に記させて頂きました通りです。沢山の方々に読んで頂きたく、参
ごきげんよう。先日、私は文京区の寺社巡りをしました。牛天神北野神社さま、西岸寺さま、日限不動尊さま、傳通院さまの次に、澤蔵司稲荷さまに初めて参拝をしました。私は最初に牛天神北野神社さまに参拝をする事は決めていて、それならばその付近の寺社巡りをしようと思い、Googleマップをチェックしたところ、既に保存をしていた澤蔵司稲荷さまに心惹かれましたので、参拝をする事にしました。この日は他に2、3人の参拝者がいましたが、お穴や奥の祠の方に行かれる方はいませんでしたので、私もお穴だけにお参りをさせて頂き
慈眼院澤蔵司稲荷。たくぞうすいなり。本堂の脇に、天水桶と何やら石碑が!おあなとある。この時は、別に気にも留めなかったのでサラッと流したんだけど。石碑の先に、御神燈がひと組。その奥は深い谷のようだ。階段の下に、朱色の鳥居⛩が見える。階段を降りると、参道は左へ展開。さらに下へ。右は草っ原で行き止まりだ。うひょ~‼️朱色の鳥居がわんさか~⛩⛩⛩鳥居フェチにはもうたまらない~さっそく下へ。一礼して鳥居をくぐる。鳥居は途中で左へ分かれている。崖下に、お稲荷さん⛩①お
今日は二十四節気の小雪(こゆき、じゃねぇヨしょうせつ)なのに、日中はポカポカ暖かく夜は寒む~いサイタマ!(><)なわけで。善光寺坂を登って行くと澤蔵司稲荷慈眼院なんと読む?慈眼院澤蔵司稲荷。じげんいんたくぞうすいなり振り仮名振ってくれなければ読めない(><)浄土宗|慈眼院「澤蔵司稲荷」(東京・小石川)開創400年。東京都文京区小石川にある浄土宗・慈眼院「澤蔵司稲荷」です。厄除け、家族の幸せを願う家内安全、仕事の成功、日々の健康、七五三参り、地鎮式・上棟式、受験生の合格
今回は、徳川家康の母『於大の方』を訪ねて見たいと思います♪傳通院於大の方の墓於大の方は享禄元年(1528年)三河刈屋城主水野忠政の娘として生まれ、天文10年(1541年)当時では武士の権力の取り引きとして通常に行われていた攻略結婚により岡崎城主松平広忠と結婚し、翌年男子を出産しましたその子が竹千代、後の徳川家康でした晩年、髪をおろし『傳通院』と号します慶長7年(1602年)8月29日、家康の天下統一を見届けると、家康の滞在する伏見城にて逝去しました於大の出生地である愛
こちらは、文京区小石川にある慈眼院澤蔵司稲荷(じげんいんたくぞうすいなり)です。傳通院(でんづういん)に伺った時には分かりませんでしたが、すぐ傍だそうです。次に傳通院に伺った際には、必ず伺いたいです。※素敵な御写真をお送りくださり有難うございました。心より感謝申し上げます。沢山の方々に読んで頂きたく、参加させて頂いております。ポチっと、応援頂ければ幸いです。スピリチュアルブログランキングへにほんブログ村いつも応援頂き有難うございます。心より感謝申し上げます。発売日:20
慈眼院澤蔵司稲荷じげんいんたくぞうすいなり文京区の慈眼院澤蔵司稲荷続きです『【慈眼院澤蔵司稲荷】東京都文京区』慈眼院澤蔵司稲荷じげんいんたくぞうすいなり文京区の慈眼院澤蔵司稲荷ですついに来た❗️私のこのblog…お稲荷さんの記事のときはいいね、とアクセスが増加する傾向…ameblo.jp↑昨日の記事↑慈眼院の本堂を参拝しいよいよ澤蔵司稲荷へ⛩️慈眼院はすぐ近くの伝通院の山内塔頭寺院にあたります澤蔵司と名乗る僧が伝通院にて浄土宗を学び、慈眼院はその澤蔵司を狐神として祀る稲
慈眼院澤蔵司稲荷じげんいんたくぞうすいなり文京区の慈眼院澤蔵司稲荷ですついに来た❗️私のこのblog…お稲荷さんの記事のときはいいね、とアクセスが増加する傾向ありますみなさんやっぱお稲荷さん好きなんだなあとお稲荷さん、特に都内の主なお稲荷さんはほとんど参拝させていただきましたが…ココ澤蔵司稲荷は私にとって「まだ見ぬ強豪」的な場所でした(失礼な表現すみません)その澤蔵司稲荷にとうとう来ることができましたまずは桜なんとなく桜が満開のイメージをしながらやってき
1月7日東京で仏活のつづきです。小石川の善光寺のお隣にあるこちらは。。。慈眼院澤蔵司稲荷じげんいんたくぞうすいなりお稲荷さんですがお寺です。こちらは山門を出た少し先にあるご神木の椋の木お稲荷さんなのできつねさん!親子ですね~慈眼寺の本堂伝通院の塔頭寺院なので浄土宗ですがお不動様も祭られていて護摩法要もあるそうです。寺紋がカッコいい種子が梵字のかということは十一面観音様?!手水の周辺には石仏などなどおだやかな観音様エキゾチックなお顔の観音様
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こんにちは☆店主です昨日インスタにも投稿しましたが木曜日の朝、もなゆずママさんからお誘いいただき、久しぶりにお散歩をご一緒しました~合流したときの3ワン☆お嬢さんたちの元気よさに爺さんは圧倒されていました~(´艸`)今回は桜並木ではなく別の桜の名所伝通院を目指しました徳川家由来の由緒あるお寺家康公のご母堂様である於大の方(のちの伝通院様)と孫娘である千姫様が眠るお寺ですここはお散歩する人も少ないのでゆっくりと桜を楽しめますさ!桜男を撮るぞ!!
い神社⛩巡りの合間のB級グルメ㊲稲荷大明神の化身が通った蕎麦屋稲荷そば萬盛400年程昔の天保年間に、僧侶に化けて伝通院に通った蕎麦好きの狐の伝承があり、その狐を祀っ稲荷社が、東京都文京区小石川の伝通院のそばにあります。「澤蔵司稲荷」と言い、伝通院山内慈眼院を別当寺としてその境内に祀られています。澤蔵司は「たくぞうす」と読みます。狐が化けた若い僧の名前だそうです。今年、創開四百年祭が行われたようです。わずか3年で浄土宗の奥義を極めた若い僧が実は稲荷大明神の化身であったという伝承から40
今日も東京は夏日でした今日のウォーキングは、、、文京区【傳通院】徳川家の菩提寺で墓地には徳川家康の生母於大の方をはじめ多くの供養塔がありました千姫のお墓もありますいずれのお墓も巨大で軽く3mオーバーと思われました千姫と聞くとつい大坂城が思い起こされますが江戸の方なんですよね傳通院をあとに、続いては慈眼院『澤蔵司稲荷』まで行って来ました以下wikiより引用天保4年、江戸にある伝通院の覚山上人が京都から帰る途上、澤蔵司という若い僧と
★神社のyoutube動画:➡こちら人気ブログはこちら➡コロナ対策をして、健康の為、自宅から歩いて神社めぐりをしています澤蔵司稲荷・文京区(14)祭神:小石川3-17-12【動画澤蔵司稲荷手水舎きつね霊窟「お穴」へ下る参道沿いには朱塗りの鳥居が並ぶ霊窟お穴のさらに奥へ古道・廃道ランキング人気ブログはこちら➡
歩いて58分の所にある「澤蔵司稲荷」ここは善光寺坂に面してます参道本地堂至る所に狐さんがいます本殿おあなへの参道鳥居がたくさんあります霊窟まだ鳥居が続いてます1番奥にある祠です文京区なのにこんな所があるなんてびっくりしました
みんなの回答を見る1年前の振り返り投稿ですたくさんの光が撮影できました
古流松藤会本部よりお知らせです。4月に引き続き、令和2年5月の幹部研究会(10、11、12日)は、新型コロナウイルス感染拡大にともない中止とさせていただきます。ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。~~~~~~~~残念でなりませんが、今は健康を保つ事が何よりも大事。1日も早く、皆様と共に花をいける喜びの時が戻ってくるよう、私も感染が拡がらないように自分にできる対策はしっかりと取り、花の力を借りて心穏やかに、その時を待ちたいと思います。
こんばんは東京メトロ後楽園駅で下車礫川公園を抜けて善光寺坂へ善光寺澤蔵司稲荷に到着駅から徒歩数分のところですサクラが咲いています本堂澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)は慈眼院という浄土宗のお寺の中にあります「澤蔵司」は狐の名前、江戸時代の初め慈眼院の本院にあたる傳通院に「澤蔵司」と名乗る修行僧が現れ入門を申し入れ、当時の学寮長極山和尚はこれを許します「澤蔵司」はとても優秀でわずか三年余りで浄土宗の奥義を会得しますとある日、
文京区を探索しています。善光寺坂を上っていると、足元に「あさがお、ほおずき市」と記されたタイルがありました。あさがお市は伝通院、ほおずき市は源覚寺にて、7月に開催されています。坂の名前にもなっている善光寺。伝通院の塔頭(たっちゅう)として建てられました。塔頭とは、禅宗寺院において、亡くなった祖師や高僧を慕って建てられる、塔や庵などの小院のことです。善光寺坂の途中にある慈眼院。こちらも伝通院の塔頭で、澤蔵司(たくぞうす)稲荷の別当寺でもあります。境内にある澤
伝通院の近くに慈眼院というお寺がある。その横には澤蔵司(たくぞうす)稲荷という神社があり、今年はそこに初詣に行った。そして昨日またその辺りを歩いていると、道路をひょこひょこと横断する小動物に出くわした。ネコかハクビシンとも思ったがよく見るとタヌキではないか。弱っているのかさっと逃げる様子もなく近くのお墓の方に歩いていったのでちょっと後をつけてみた。よく見るとタヌキに多い疥癬にかかっているのか毛がごっそり抜けている箇所が多い。目もやられているのかすごく細目な気がする。こんな状
たまたま、ダビングしていたNHKの趣味どきっ!の第5回の『狐』商売繁盛のシンボルをボケッ~と見ていたら渋谷区の松濤、赤羽の王子、そして、文京区小石川の慈眼院澤蔵司稲荷が出て来ました澤蔵司稲荷とは、学問を学んだ狐で近所のお蕎麦屋さんに青年澤蔵司(さわたくぞうず)としてよく通っていたそうで澤蔵司さんが来た日は、商売の売り上げがよく木の葉が必ず混じっていたそうです前にご紹介したこんにゃく閻魔の近くでしたので早速、参拝して来ました願い事はなく、ただただ参拝出来た感謝のみ