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※合理的な動きふだんの動物に力ずくの無駄な動きは一切ありません。いつ何時でもなめらかに身体全体が脱力して見事なまでに連動しています。というか、力ずくの動きで己の身体を壊しても治してくれる医者はいませんから(^_^;)己の自己管理能力がずば抜けているのは当然、という事でもあります。※動物の動画鑑賞でもこちらの血流は良くなります^^可愛らしい猫やら犬やらのペット君たちに限らず動物を見
※強くなるには相応の相手は必須相乗効果ー。自分より少しだけ大きくて少しだけ重くて少しだけ速くて少しだけ腕力があってすべてを合わせるとトンデモなく先を行ってくれている稽古相手が目の前に現れた頃、ゆら自身、最も技量が伸びた感覚がありました。当初はひたすらにボッコボコにされていていわゆる身体能力的には「これが限界か?」かなり落ち込んでしまっていたのですが(要は、技量が同じなら根っこのフィジカル
※全精力解放のフリして実は…^^結論は基本の徹底です。極めてシンプルです。どれだけ基本を深化できるか?前蹴りなら前蹴りだけを1日1000本やってあと休む。とりあえずそれで十分です(防御技?別に相手が何を繰り出そうが右でも左でも前蹴り一つ出せば殺せるけどいいの?殺っちゃうよ?という気配を出せれば相手は攻めて来ませんから大丈夫です^^)。というか、それ以上最初
※危ないのか?楽しいのか?その昔、夜勤警備のバイトをしたことがあります。夜通し立ちっぱなしで冬場は正直かなり辛いのですが、旅行代稼ぎに来ていた他の学生にとってはただのお金儲けという位置付けで時間をやり過ごすことに四苦八苦していた様子でしたが、太氣拳士ゆらとしましては太気拳の主要稽古法である「立禅」と「這い」(←立禅を”静禅”、這い=立禅の意識状態のまま、知らない人がみたら止まっているほどゆっくり歩く稽古=を
※思いと神経が瞬時に繋がるから?己のカラダをいかにするっと思い通りに動かせるか?頭脳で勝負していた古代の哲学者たちが割とマッチョで古典的レスリングなどをたしなんでいたことは割と知られていますが、脳内イメージを操る思考訓練はもとより、思った通りに己の肉体をいかにうまく操作できるか?という事もかなり重視していたという事です。今更ですが、盛んに運動やスポーツの効用が叫ばれていますが、それは上っ面の健康だけでなく
※地獄でも極楽スピリットで「極楽という所があるのではない。心が極楽にならなければならない」(僧侶山本空外)目先の損得に囚われたり、日々変わる運不運に一喜一憂している場合でもなくて、どんな劣悪な環境だろうが、心が極楽気分であるなら、そこが極楽ですから、と。ちなみに、気分をただ上げたければ、氣功的には快楽高揚系の伝授一発ですが、武学的には脱力の極地ですぅっと立って大自然を
伝説的武道家、在野の武道家S先輩の稽古が終了しました。11時からノンストップでお茶をしているときも昼食のときも稽古→解説、稽古→解説、稽古→解説!コーヒーや食事を忘れるほど、とても熱い。先輩はとても進化しており喫茶店での話しでなぜかウルッとしてしまいました。昼食後、稽古開始、先輩と手を合わせる。進化しているのが手を通じて伝わってきます。ここでは多くのこととても深い、深いなどという簡単な言葉では表わすことの出来ない素晴らしいことを学びました。午後1時から開始した稽古も
站樁は中国武術修行者だけでなく、空手修行者にもよく知られた鍛錬法です。しかし、その割には站樁が、何の為に行うのか?どうして中国武術に必要な能力を養えるのか?を正しく理解されていないようです。果たして、ただ立つだけで気の力は本当に養えるのか?神秘の力は手に入るのか?今回は武術マニアなら一度はぶつかるこの疑問に切り込んでいきましょう。「拳児」では、拳法の習い始めに、馬歩站樁を徹底してやらせるシーンが何度か出てきますね。一度目はもちろん拳児の練習始め。拳児は夏休みにじいちゃんの田舎で本格的に
※意を飛ばした方へ体は勝手に•••咄嗟の緊急時、例えば、電車内で座っていてご老人が乗り込んできたら本来は思考が働く前になぜか腰が浮いているのが正解の一つではあります。脳が考える前に体の細胞がその場の最適解を勝手に弾き出しているという達人技ですが、そこに到るまでにはまず順番として細胞が自在に動けるよう己へのしつけが不可欠となります。意が働いたら体が同時に動く、というシステムは大抵の場合、それに己のエゴ
zo_bula_bula@zo_bula_bulaフトしたことから図書館で江戸時代の相撲伝書を閲覧したのだが、そこに解説された古式相撲の構え「手合」が、どこか中国拳法・太気拳の構えに似ている?と個人的に感じたことから始まる長話を。古代の相撲は現代の相撲と大きく異なるとよく言われ…https://t.co/FAfAbCmddj2018年08月13日19:56zo_bula_bula@zo_bula_bula太気拳のテキストから再び引用を。1つ目は創始者の澤井健一師自らが「相
かなり時間が巻き戻ります。4月26日の岸先生葬儀・告別式からの夕方、太気稽古。本日は他の中国拳法経験者であるSYさんやSSさんはお休み。奇しくも岸空手出身者で告別式にも出席したカッキーと稽古になりました。稽古は遅々として進まず、思い出ばなしです。そのなかでカッキーに岸先生の動画を見せてもらいました。私は門下生ではありませんでしたので稽古をつけてもらったことも無いですし昔、見学に行ったことはありますが、その時は指導員の方の指導でしたので演武以外の岸先生の空手は見たことがあり
澤井健一先生の代表的な動作で肘を折り畳むような迎手があります。これは肘や、脇の下のボールを潰さないという要求から外れていますが澤井健一先生は『腕と体の間に紙一枚程度の隙間があれば力を発することができる。』と仰っていたと澤井健一先生のご長男、澤井清先生から聞いた事があります。また、北京中意武館姚承栄先生より『実戦では必ずしも自分のいい状態でぶつかる訳ではない。どんな状態でも力を発せるように訓練しなさい。』とご指導を受けました。これは『枠が無くてもその能力があるようにしなさい』ということを伝
19:30からのレギュラークラス。表題のとおりに参加者ゼロ。あれれ、何かあったかしら???まぁでもしばらく風邪で集中した自分の稽古ができていなかったし、良い機会と独り稽古。明日、その分それなりに人が集まってくれれば、それもまた良し。自主練メニューはサンドバッグを中心に、形(ナイハンチ、セイサン)、シャドウ等。先日、手首の背屈を思い出してから調子が良い。全身が伸筋主体にまとまって、骨格的にも、すっと淀みなく真っ直ぐ立ててる気がするなぁ。姿勢が決まったせいか、しばらく距
来ました。新しいのん。これ、武士の振る舞いですよね。戦争はないのに、江戸時代の武士でさえ、こういう精神の使い方をしていたんですね。昭和の武術家でも、拳聖澤井健一先生は、こういうのができてない弟子に「町人だねえ~」と言っていたとか。(私も、父に「町人か!」とよく殴られました。)でもこれ、常に抽象度上げておくって話じゃない?「あそこに非常口あって・・・。」って平面的なマップを描くのではなく、三次元の映像でその部屋なりが頭にあるってことよね。それだけでも、視
※視点は高く不思議な出会いから、只今絶賛「古神道」に取組中です。なぜか?使えて、気功の威力が格段に増すから。当然武術にも活かせるから。効果のほどはお題目ではなく、実際に気を出してみれば分かります。組手すりゃ体感できます。認知科学由来の現代気功と実践心理学NLP&古武術をベースにしているゆら式武術気功ですが、使えるものは何でも使うという思想は、心理療法家ミルトン・エリクソン由来でもあります。以前から興味はあって
※自然の中で気の球をつくる^^渾身の力を振り絞って腕を振り回しても、見た目ほどパンチ力は出ません。力みがブレーキの働きもしてしまいます。それよりは、全身のパワーが拳に乗るよう、柳のようにしなった柔らかい動きが求められます。例えば、志とか理想とか夢とかを実現しようとイメージ力(=意念)を駆使するときも同じ。「どぉぉぉりゃああ!!!」などと声を張り上げ目に力を込めて「◎◎を実現するぞぉおぉ!目標◇◇億円!!!」
※我が道を進む仙人さんで^^パワーの根っ子を何処に求めるか?筋肉か、骨か、脳か、内臓か、臍下丹田か、流派によってそれぞれパワーを強くするための理屈は違いますので(多分)、それぞれにそれなりの言い分があります。使う場所や使う人の状態や使う時代によってもそれぞれ最適解は異なるはずですから、善し悪しは当然ながら一概に言えません。一長一短。で。いまこの時代の武術気功では、脳に最も重きを置いています。特に、
6月18日日曜日入院生活18日目。点滴も外れ、傷跡に貼ってある特殊シートもとれました。シャワーもオッケー、痛みがなければかなり快適です。空手関係者では鶴岡のT先輩がお見舞いに来てくださいました。今度のリベンジカップ大会に出場するそうで、何歳になっても挑戦する姿勢に頭が下がります。特に先生と呼ばれる身分でのチャレンジですからスゴイ。なかなか真似のできることではありません。病気でなければ是非とも応援に行きたいですが…。その後、太気関係者、酒田のSさんやカッキーもお見舞いに来てくれま
※分解すると風に力は・・・^^;ぶつからない。すべてをスイスイといなします。いなしきります。どれほどの武器を持ってこられてもひょうひょうとかわして、かわし続けて、逆に、受けたイヤなパワーはそのまま相手にお返しします。仮勁(かけい)の極意です。あらゆるものが関係性の網の中に存在している訳ですから、お互いの立場をよく理解できれば、割と簡単にできるはずなのですが、現実に、実践の場に立たされると、妙な感情が動いたりして、不要な
4月22日土曜日小山駅へ到着。それにしてもだいぶ早く着いてしまった。駅もだいぶ新しくなって良くわからないが、待ち合わせの時間までだいぶ早いし外に出てみると。なんだ?妙な人がいる。近づいてみる。「太気拳?」Hさんだ。この環境で稽古できる強心臓が素晴らしい。しかも、この時点で気がついていない。何というコンセントレーション!我々山形支部はまだ甘いのう…。その後、山形では二店舗しかない小洒落たコーヒー屋でヒマを潰す。こーいうのかなり苦手。品物も持たないで帰ろうとして店員に注意を受
加齢そのまま何もせずにいると起こりうる事。◆劣化◆鈍化◆硬化◆威張りたがる〈対策〉年齢に遅れずについてゆき、追い越してしまう事。高みのある深淵な集いに身を起き、生涯、リスペクト心を忘れない事。〈解決法〉○年齢に合った鍛練をする○鋭敏さを求める○しなやかさ、柔かさを求める○自らの自信が生む、おおらかな力を身に付ける現代はスポーツ等、青年層には国をあげて力を入れてますが、その後の年代、壮年、老年の層は、ないがしろな感じを受けます。働け働けで来て、ガタガタにな
心技体を練り上げ、宝を得るわけですが、最も糧になる宝とは、人生という大河にある大岩(困難)を、スルリスルリと駆け抜けてゆくという、心の護身術ではないでしょうか!魚の様に、龍の様に!龍が神となれば、大岩が龍を避けて通る事になるでしょう«パラレルワールドの扉を開いたと思われる方、事例»◆合気道開祖、及び多田師範の黄金化体験◆ヨガの成瀬氏の空中浮遊◆拳聖と呼ばれた太氣拳の故澤井氏◆大事故の後、世界の人となった北野たけし氏◆龍を見て、絵に描いている画家さん(名前を忘
部位鍛練をしない理由突然ですが武道家の皆さま、部位鍛錬はされていますか?私は、一切やっていません。もちろん現役選手時代はやりました。砂袋を叩き、蹴り。何を蹴っても大丈夫と自分のスネに自信もありました。現役時代も終わり、太気拳修行を始めてからは砂袋も撤去しました。澤井先生のお話に『石灯籠の隅を手刀で叩き切った』と言うのがあります。太気をはじめて間もないころ、高木先生に『澤井先生は部位鍛錬はされてなかったのですか?』と訪ねたことがあります。答えはもちろん『やっていない』です。それを
6月30日木曜日、太気拳稽古本日はあいにくの雨。ですがそんな日の立禅もなかなか乙なもの。雨の音に耳を澄ませしばし三昧。立禅のあとは基本的な試力を行い最後に気を入れる。下っ腹に『フッンン』と充填。ここまでは個人で取り組み、稽古開始。皆さんで太気体操。体操後『足りないところをやって下さい』の声でいろんなことを話します。※高木先生の方式。この日はケダモノさんの教育論でした。今日の稽古はいつもの膨張・収縮の他に反発を行う。はじめは実感しやすい手のひらから感覚を広げる。なかなか身体
以前に、「三船も木から落ちる・澤井にも筆の誤り」と題して、柔道の神様や拳聖の失態や敗北について述べたことがある。http://blogs.yahoo.co.jp/musyaavesta/46935229.html格闘技通信休刊に際して、自分が初めて購入した「合気道特集」の「格闘技通信第27号」を読み返した見たのだが、70ページから72ページにかけて「拳聖澤井健一の遺産太気拳の姿第2回」と言うコーナーがあった。その中に「今だからこそ明かされる拳聖ただ一度の敗北」と言う箇所があり、前
ネットを調べてみると、達人視されている人にも、慢心による失敗や、相性の悪い戦いがあったことに気付かされる。まずは、柔道の神様・三船久蔵が、絞め落とされていたと言う事実。http://www.fujitv.co.jp/sports/judo2007/column_b_13.html同じコラムに掲載されている、木村政彦が絞め落とされたエピソードは、木村の精神的な慢心や、技術的な未熟さと言うよりも、酒を三升飲んだ後と言う豪傑ぶりに、問題があると思われる。柔道家的には、責められる筋合いは