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前回の裏面で次週の予告。晩年の旧花月では31日は翌年の正月興行の初日になってましたが、この時は休館になってますね。年末番組ですがそれなりに看板は揃えていて、洋介・喜多代、桂小文枝、花蝶・勝美、漫画トリオ。ステレオコントには花紀京、由利謙、藤井信子らが出演。ポケット・ミュージカルスは「さようなら一九六二年」と題し、浜裕二(チャーリー浜)。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は竹本浩三作・演出の「メリーX’マス」。白羽大介を座長に、専科は白木みのる、副座長に花紀京。
最終回はてなもんや幽霊道中を見ていきましょう。結局てなもんや三度笠は翌年3月に終了。理由は香川登志緒の対立である。これさえなければこの映画シリーズも4作5作と続いただろうなー。松林監督はほんとにこのギャグが好きだなぁ〜加賀に来た二人。しかし物価の高さにビックリ。一方加賀美城では藩主(谷啓)が亡くなった。しかしこの事は内密で遺体は寺に預けられた。宿賃を節約するために寺に泊まる二人。住職にハナ肇。寺には遺体がやってきて幽霊が次々と出てくる始末...しかしこの辺りの展開は後のドリフの金田一
随分とフザけた番組名で、『全盛期のフジテレビのフザけたバラエティー番組か?』と思いきや、全然違います!今から半世紀以上も前の'68年4月5日から6月14日迄、日本テレビ系(ytv読売テレビ制作)にて全11回、毎週金曜午後7時から7時30分迄放送された、久光製薬の一社提供によるバラエティー番組でした!漫画トリオ(青芝フック・上岡龍太郎・横山ノック)が司会を務め、漫画トリオによる芸とコントのコーナーやゲスト歌手による歌のコーナー等が用意されておりました。また、毎回に渡って泉アキさん、小川知子さ
12月27日土曜日〜その10(写真)帰り際、司会の青芝フック師匠に頂いた色紙を持っての記念撮影。ぼん師匠と同じく、私が生まれる前から芸人であられる大先輩。何せ、伝説の漫画トリオですよ。車に乗り込み、家路を急ぐ。22時に帰宅。千壽庵吉宗のわらび餅を食べて、アメリカンコーヒーを飲む。雑事少々。23時半、アユーラメディテーションバスαを使っての入浴。水分補給は、ゆうこう甘酒。
私の推しは、上岡龍太郎──中医学を学んだ今だからこそ振り返ると、上岡龍太郎さんの芸は、私の“気血水”を整えてくれる人生最大の“局長処方”でした。***「パンパカパーン!今週のハイライト!」テレビから流れる一音だけで、肝の気がスッと巡りました。幼い私は、画面越しに身体が整う感覚を自然と味わっていたんです。それが“疏肝理気”の効能だとわかるのは、ずっと後のこと──中医学博士となった今、あの冒頭の音が処方であったことに気づきました。***2007年、
うめだ花月昭和37年11月下席のチラシ。トリは玉松一郎・ミスワカナで、この時のワカナは4代目で後に新喜劇に入団する河村節子(河村施つ子)。漫画トリオのフックはまだ初代。二代目のフック(現青芝フック)は小島あきらという芸名でまだ新喜劇にいました。前の方にルーキイ新一・清二の漫才があり、二人は新喜劇にも出てますね。ステレオ・コントは竹本浩三作・演出の「無責任野郎」で、秋田Aスケ・Bスケ、森信、桑原和男、奥津雄三ほか。ポケット・ミュージカルスも竹本浩三構成の「みんなで歌おう!
横山プリンいや~、懐かしい50代でも後半の人なら、かすかにわかる?60代以降の関西人ならわかる?誰あろうこの人こそ、「やすきよ」以前に横山やすしの相方を務めていた「横山プリン」なのです「やすきよ」って1966年コンビ結成なんで、それ以前なんですよね。というか、レツゴー正児師匠より前?■横山やすし・西川きよし③「横山やすし漫才コンビ遍歴」1.堺伸スケ・正スケ2.横山やすし・たかし(横山プリン)3.横山やすし・たかし(レツゴー正児)─横山やすしが”やすきよ”結成
木曜日ネタ無しなのでブログネタパンパカパーンパパパン・パンパカパーン!本日のハイライト!…ってコレわかる人おじさん、おばさんだけやん。ジェネレーションギャップ。そー言えば先日も息子にカンチェンジュンガの顔はアシュラ男爵みたいだと言ったら通じなかった。マジンガーZの敵の名前なんだけど…話しを戻して本日のハイライト!今日はお給料日でもサお給料も右から左今月も余裕なんてないワ。で、ふと思い出した!今日は亡くなった母の誕生日生き
10月11日金曜日〜その3P347には、横山ノック師匠の名前が出る。(写真)コレクションするノック師の『ガンバレ!たこやきちゃん』。S51年発売のシングル盤。約20年後、大阪で開催されたAPEC首脳会議では、知事としてたこやき外交を展開されました。遡って漫画トリオ時代の愛称はタコ。ブレてませんなぁ。
9月15日(日)は『天満天神繁昌亭開場18周年記念特別公演』〈上方モノマネ演芸会〉では懐かしのコンビも復活!致します😊🎶師匠八方は小文枝師匠、米團治師匠と漫画トリオを!!お稽古を見学させて頂きました☺️何度か練習されるだけでその時代に、タイムスリップしたみたいに目の前に、漫画トリオさんがいらっしゃるみたいでした!!(漫画トリオさん、お写真でしか見たことはないのですが...😂🤫)本番が、めちゃくちゃ楽しみです🥰✨✨この日しか見られない特別公演をぜひ!観に来て下
長澤まさみがCMするアサヒスーパードライのTVCMな。むかーし昔の漫画トリオの「パンパカパーン、パンパンパ、パンパカパーン、今週のハイライト。」で始まるトリオ漫才が頭を過ぎるところだがま、わかる人だけな。K3/タムロン72EMACROSPAF90mmF2.8
オープンしてまだ二ヶ月ほどの、なんば花月昭和38年9月中席のチラシ。「グランドボードビル」とチラシの表紙に書かれているように、先にオープンしたうめだ・京都花月とは差別化を図ろうとしていたようですが、制作費にお金がかかり過ぎてしまい、このスタイルもすぐにやめてしまい、他の二館同様の興行形態となります。演芸は落語はなく、漫才とアクロバットや奇術の6組だけ。当時人気の漫画トリオ、浅草四郎・岡八郎の漫才など。ポケット・ミュージカルスの豪華版の吉本ボードビル「風と恋とリズ
一昨年こんな事を書いていた。この頃、上岡龍太郎氏の逝去に伴い話題になる事が多かったので纏めたものだ。漫才協会の数人から、具体的に上岡龍太郎についての質問が多かった時期だったのを思い出す。上岡龍太郎のツッコミは、分かりやすく、簡潔で、綺麗だった。現役の漫才師で例えると、技術面ではロケット団の倉本君は似ている部分が多い。上岡龍太郎のツッコミには、下品さであるとか、露悪的な要素は無い。根本的に「話芸」としての強烈な自負、その上でノックの狂気と毒を捌く技術を確立したのであろう。
パンパカパーン!本日のハイライト!冷たいもん飲み過ぎて、腹壊しましたw一応常温の水も用意してはいますが、このクッソ暑さ(私のいる部屋で30℃、外35℃)では冷たいもんに走るのはしゃあないことですよね?ね?ね?←シツコイまあ低ナトリウム血症になるんも怖いんで、気をつけますわ。「水の飲み過ぎ」に注意多量の汗には塩分補給-日本経済新聞今夏はコロナ禍でマスクの着用機会も多く、熱中症予防の水分補給が欠かせない。ただ、必要以上に水を飲み過ぎると体内の塩分が薄まり、頭痛や吐き気、けいれん
パンパカパ~ン!パンパンパンパンパカパ~ン!今週のハイライト!というほど、何かあるわけでもなく…。ただ…暑いですな!
うめだ花月正月二の替り興行のチラシです。前回の裏面の予告も併せてUPします。当時の吉本はまだ看板となる芸人が少なかったようで、他所の所属芸人を迎えていることがありました。この席もトリは千土地興行所属の暁伸・ミスハワイ、そして東京から三遊亭円歌を迎えています。弟子の歌笑も出てますね。モタレの漫画トリオのフックは二代目になった頃かな。笹山タンバが実娘の花野ルンバと新コンビを結成。今回もステレオ、ポケット、新喜劇は全て竹本浩三の脚本。ステレオ・コントは100回目の公演で
フリーの漫才師。その様に自らを定義した上岡龍太郎氏は、水を得た魚の様に活躍の場を広げていった。テレビの台頭と上岡氏の活躍は重なっていたのであろう。お笑いやコメディドラマ等でこそ伊井パンチとして活動したが、同時にパンチとの決別を急いだ様にも見えた。漫画トリオ活動休止により、漫才師を断ち切った見切り。18歳から26歳、絶頂を味わった漫才師という自分自身を未練なく先を見据えて断ち切った慧眼は、ちょっと人間離れしてさえいる。後年タレント引退の際にも見せた上岡氏だが、栴檀は双葉より芳し、という
漫画トリオは、その華々しい名声の割に八年弱しか活動していない。明確な解散宣言等は無かったらしいが、ノックの参院選当選により事実上の解散。しかし、その短い期間でのちの漫才に残した影響は大きい。特に、漫才に新しいリズムを持ち込んで成功させた点は改めて評価されるべきだと思う。上岡龍太郎のいう演歌のリズムの漫才にロカビリーのリズムを持ち込む。現在では当たり前の様に様々なリズムの漫才があるが、その嚆矢の一端であろう。また、ダブルツッコミは当初の苦肉の策から、漫画トリオの大きな武器となった。
漫画トリオ。横山ノックをリーダーに、横山フック、パンチのトリオ。フックは2人いた。初代フックは漫画トリオをクビになり、その後は勤め人になったらしい。2代目は現在の青芝フックである。トリオ漫才の走りで、一つの時代を築いた。横山ノックは、秋田O介K介、横山ノックアウトという2組の漫才を経ている。いずれも喧嘩別れであり、背水の陣で選んだ相方が18歳の上岡龍太郎、横山パンチ。ただ、ノックに対してパンチは弱すぎた。慌ててツッコミ2名のトリオに舵を切る。バンドマンであったフックを加え
日曜日、まずは呼び込みライブを観るそして、同じ建物内で催されていた関西演芸協会の『納涼寄席』へ入ってビックリ!超満員で立ち見をする事に!こんなマニアックなメンツなのに!いやいや、これぞ本物の関西お笑い通垂涎のラインナップなのです。例えば『パピヨンズ』故・ミヤコ蝶々師匠の弟子で私が中学生の頃、お笑いスター誕生で爆笑をかっさらっていた、旧名『ミヤ蝶美・蝶子』さん。ダウンタウン辺りが若手の頃、関西のお笑いショーレースは、吉本芸人一色だったんです。しかし、そこに割ってはいって賞を取
昭和52(1977)年2月。ノックは無用……ならぬ「セットは不要」な男性用かつら・ポワルが、西ドイツミューラー社と技術提携して新発売した『ノンセットV』の新聞広告。モデルを務めるのは、磯野波平さんと並んで長年、日本国内でハゲ頭のアイコンであり続けた横山ノック。さすがに漫画トリオ時代からのクルクル(ピンカール?)はないが、この広告では通常バージョン(単なるハゲ頭)のノックのほかに、カツラを被っての「七三分けのノック」「寝ぐせ姿のノック」が披露されている。たった1枚で3種のノックを堪能で
毎晩、仕事終わりに酒場で本の1杯のつもりが何時の間にやらハシゴ酒の植木等な生活をしてる私が梅田のレコードバーJOKEの店主の原田氏より一冊の本を借りた!これが面白くて気が付いたら一気に読んでしまった!それが上岡龍太郎かく語りき-私の上方芸能史先日亡くなった名司会者の上岡師匠の本であります!天才と言われた彼が高校生の時から将来、言葉の仕事で食べて行くべく大阪ミナミの繁華街で当時流行したバンド酒場の舞台で司会の仕事をしてるところを一回り年上の漫才
昭和39(1964)年6月9日(火曜)。小野薬品提供の新番組『笑いの学校』(NETテレビ)の番宣広告。小野薬品の綜合ビタミン+強肝+強精剤『リキホルモ』の新聞広告は、そのネーミングからも、強さと精力の象徴であった力道山がモデルを務めていたが、前年(昭和38年)末の急死を受けて、広告に起用されるモデルも二転三転し続け不安定な状態が続いていた。この広告は、提供新番組『笑いの学校』のスタートとあって、司会の漫画トリオ(横山ノック・フック・パンチ)が起用される異色のパターン。後の大
上岡龍太郎氏が亡くなり、驚くほど多くの人から追悼された。引退が早かった事もあり、直接氏を見ていない人も多いと思う。最近漫才協会の若手から、上岡龍太郎氏について教えてほしいと請われる機会が増えた。直接知らないながらも、何か感ずる事があるのだろう。上岡龍太郎氏は漫才師であった。漫画トリオのメインツッコミとして、横山ノック、フックと共に一世を風靡した。当時の芸名は横山パンチ。若くして人気絶頂を迎え、横山ノックの参議院選挙当選をもって活動休止。ピンとしての活動に切り替えている。漫才
甘えるテクニックのたくちです今回は追悼の意を込めて上岡龍太郎さんのお話上岡龍太郎さんは漫才師タレント本名小林龍太郎上岡は父の旧姓1942年3月20日生まれ姉と異母妹がいる京都左京吉田中大路出身身長165センチ1948年第四錦林小学校入学小学4年のとき母が乳がんで亡くなる1954年小学校卒業近衛中学校入学1957年中学卒業私立京都西高校入学第1期生となる入学当初当時関西唯一の民放大阪テレビ時代の朝日放送が学校に取材に
https://youtu.be/8CZxuvyOxeM漫画トリオyoutu.be二代目のフックさんですが、パンパカパ~ン、今週のハイライト
先月19日に、上岡龍太郎氏が亡くなっていたらしい。本当に残念だ。20世紀の終わりと共に引退する、と公言して、本当に引退してしまった時は、そうは言ってもまた出てきてくれるのでは?と思っていたけど、それを貫いて、親しかった人の追悼の場以外では、表舞台には現れなかった。今回、訃報が流れて、去年夏の「LOVELOVE愛してる」の最終回に、元阪神のオマリーと一緒に、六甲颪を歌うビデオが流れていた、という記事を見つけて、そういえばまだハードディスクに残っているはず、と、見返して
映画「てなもんや東海道」藤田まこと伴淳三郎横山ノック横山フック横山パンチ【上岡龍太郎】上岡龍太郎師匠がスクリーンに登場する珍しいシーンが観れる。↓「てなもんや東海道」「てなもんや幽霊道中」芸は一流人気は二流ギャラは三流恵まれない天才・上岡龍太郎です。
昼前にやっと☔雨☔も上がって、だんだん☀陽☀も射して来て、明日は朝から洗濯機を廻して、部屋の掃除をしよぉ〜っと思ってる今夜の俺なのです…っ😄😄😄週末の肉Dayだから…あのずぅ〜っと降り続いてる☔雨☔の中、土曜·午前中当番勤務の為に朝から🌂傘🌂差して出勤したんだけど、☔雨☔も降ってるし、特に何もすることも無いんで、ちょこっとだけ書類仕事やった後は···ボォ〜ンヤリっ·ダラダラっと···事務所で遊んで、昼前になって午後担当が来たんで、さっさと引き継ぎを済ませてから事務所を出て、戻って来る途中で『
6月3日(土)またもや訃報が届きました上岡龍太郎さんがお亡くなりになりました上岡龍太郎さんも十八代中村勘三郎さんと仲が良くて、勘三郎さん主催のカクテルコンペ大阪大会にも来て下さった事もあります!一緒に飲んでいても、とても愉快で楽しい人でした勘三郎さんも大好きな人でしたねぇ~☺️4月19日に亡くなったとのことですから、市川左團次さんとちょうど同じ頃でした本当に残念ですご冥福をお祈り致します