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春を告げる東大寺二月堂のお水取りは、世界の平和と人々の安穏を祈念して行われます。漆黒の闇に舞い散る炎は幻想的な初旬の風物詩でもあります。今年の修二会は例年と異なる祈願となり、世界に蔓延を続ける新型コロナウィルスの撲滅にあったと思われます。(白文)修二会漆黒寒更夜未央魁春万籟礼空王煌煌火焔無人介宛似天花二月堂(読み)しゅにえしっこくかんこうよるいまだなかばなりはるにさきがけるばんらいくうわうにれいすこうこうたるかえんひとのか
晴空彩色数樹紅梅清浅水一双白鷺薄寒天悠然韻事閑拈句塵外蒼穹気似仙(読み)せいくうさいしきすうじゅのこうばいせいせんのみずいっそうのはくろはくかんのてんゆうぜんたるいんじしずかにくをひねりじんがいのそうきゅうきせんににたり(押韻と平仄)仄起七言絶句韻=先(天、仙)(起句は踏み落とし)……第一句の押韻を省く(前対格)……起句と承句の詩語が対応している●●○○○●●●○●●●○◎
NHKの大河ドラマが「麒麟が来る」が始まりました。明智光秀公が主人公ですが、この人は謎が多い武家とされています。主人を殺した極悪人とか、いやいやそうではなく頭脳明晰で善政を施した名君であったとか、さまざまな推理がなされているのです。このドラマがどういう切り口で展開するのか楽しみですが、昨秋、琵琶湖西部の西教寺を参詣したときに光秀公の辞世を見つけました。その時にブログで紹介示したが、ここに再掲したいと思います。この漢詩は仄起こり五言絶句であり、韻目「元」の中の「門、源、元
滋賀県湖北地方の盆梅の展示が始まりました。特に長浜市の慶雲館での催しは有名で、樹齢数百年という梅の花が鉢に収まっています。盆梅展が始まると当地では春の兆しが感じられるのです。数年前に訪れた時に作った五言絶句の漢詩を示します。五言絶句の押韻は偶数句、すなわち承句と結句の2か所に施すのです。七言絶句のように起句には韻を踏まないのです。したがって、ここでは「垣」と「盆」が同じ韻目「元」のグループから選んでいます。(読み)ぼんばいをみるしゅんかんかぜしゅんそうたい
玄冬逍遥芳信雖非不敢言報春兆候個中存蒼天疎影生光彩如此郷村尽日温(読み)げんとうしょうようほうしんあらずといへどもあえていはずはるをほうずちょうこうこのなかにそんすそうてんのそえいこうさいをしょうずかくのごとききょうそんじんじつあたたかなり(平仄と押韻)仄起七言絶句韻=元(言、存、温)○●○○●●◎●○●●●○◎○○○●○○●●●○○
昭和60年くらいから漢詩創作を始めましたが、その間、正月に作詞したものも多くあります。この「新年」という仄起こり七言絶句の漢詩は、ごく初期の作品で今から思うとまだまだの感じです。でも学びだした頃の意気込みのような新鮮な思いは感じられます。昭和62年の元旦に作った詩です。新年旭日欣欣放瑞光寒梅興趣亦尋常此迎淑気吉祥夢元旦傾杯無恙望(読み)しんねんきょくじつきんきんとしてずいこうをはなつかんばいきょうしゅまたじんじょうここにむかふしゅくききち
九月十三夜上杉謙信作この漢詩は越後の武将上杉謙信が甲斐の武田信玄と川中島で対峙し、前後五回も戦いを繰り返したことは有名ですね。謙信は越後の七尾城を攻略したのが陰暦九月十三日で、たまたま明月にあたり、煌々と照る月を眺めてこの漢詩を作ったとされています。謙信は戦国時代に文武両道を全うした稀有な武将で、人格高潔な人柄もよく知られているところです。この中で、結句の冒頭に助字が使われているのです。「遮莫」(さもあらばあれ」という詩語です。ええい、ままよ仕方ないではない
「歳朝」元旦に作った仄起こり七言絶句の漢詩です。古往今来情義真欣欣和気在風塵人心自改清閑日也好乾坤歳此新(書き下し文)さいちょうこおうこんらいじょうぎしんなりきんきんたるわきふうじんにありじんしんおのずからあらたまるせいかんのひまたよしけんこんとしここにあらたなり(平仄と押韻)仄起七言絶句韻=真(真、塵、新)●●○○○●◎○○●●
歳晩詩興今年も大晦日を迎えました。確か昨年末は雪に見舞われ白銀の歳末だったと記憶しています。今年も日本列島は東北以北や北陸日本海側ではすでに大雪となっているようですね。例年ながら思うことは多いけれど満足したことはほとんどないといった状況です。皆さんはいかがでしょうか。平成25年、今から4年前の大晦日に作詞した七言絶句を掲載します。(書き下し文)歳晩詩興さいばんしきょう光陰如矢句成遅こういんやのごときなるもくなることおそし
寒宵霏霏寒雨夜方深感遇浮生不可尋物我相忘塵外境歳云暮矣坐澄心(読み下し文)かんしょうひひたるかんうよるまさにふかしかんぐうのふせいたずぬべからずぶつがあいわするじんがいのきょうとしここにくれたりそぞろにこころをすます(平仄式と押韻)平起七言絶句韻=侵(深、尋、心)○○○●●○◎●●○○●●◎●●○○○●●○○●●●○◎(意味)「冬の寒い夜
平起こり七言絶句の平仄式○○●●●○◎●●○○●●◎●●○○○●●○○●●●○◎仄起こり七言絶句の平仄式●●○○●●◎○○●●●○◎○○●●○○●●●○○●●◎漢詩の構成は文字の種類、すなわちその文字が平字なのか、仄字なのかによって、組み立て方が異なるのです。もともと平仄というものは文字の発音により分けられているもので、変化のない平らかな発音文字を平字とし、アクセントに変化のある発音文字を仄字といいます。漢詩は平字と仄字をうまく配列することで、
例年、晩秋から初冬にかけて花開く皇帝ダリアです。高さが4~5mくらいに伸びた上部に花をつけます。秋の澄み切った青空にピンクの色は鮮やかです。
視往昔碑碣岳峰作(書き下し文)おうせきのひけつをみるしんしゅのたいどうまたなにをかなさんじゅんぎゃくこしんききょうのはたおくせきのたいひさいきょうじしゃようせきばくとしてあきをおくるとき(平仄と押韻)平起七言絶句韻=上平声四支(為、旗、時)(起句)○○●●●○◎(承句)●●○○●●◎(転句)●●○○○●●(結句)○○●●●○◎(意味)「昔の苔むした墓所を視る」珠玉
山行驟雨(参詣体験を詩にしました)(書き下し文)山行驟雨さんこうしゅうう古刹僧坊事久伝こさつそうぼうことひさしくつたふ(つたう)熙熙揺漾野花妍ききたるやうやう(ようよう)やかけんなり須臾風起逢秋雨しゅゆにしてかぜおこりしゅううにあふ(あう)防遏帰山思慨然ぼうあつのきざんおもひ(おもい)がいぜんたり
奉祝初参賀奉祝初参賀森厳皇極奈難窺万世仁風翻菊旗聖瑞流芳参賀日令和響箭感懐滋(詠み)ほうしゅくはつさんがしんげんのこうきょくうかがいがたきをいかんせんばんせいのじんぷうきっきひるがえるせいずいのりゅうほうさんがのひれいわきょうせんとしてかんかいしげし(平仄と押韻)平起七言絶句韻=上平声四支(窺、旗、滋)○○○●●○◎●●○○○●◎
彦根城の堀に住む白鳥五言絶句「金亀城」この漢詩の平仄式金亀城(起句)赤備橘旗志(承句)難忘戦陣兵(転句)星移尋往事(結句)応是白眉城こんきじょうせきびきっきのこころざしわすれがたきせんじんのつはものほしうつりおうじをたずぬまさにこれはくびのしろ仄起こり五言絶句平仄式韻=下平声八庚(兵、城)●●●○●○○●●◎○○○●●○●●○◎「金亀城(彦根城の別称)」
この漢詩の平仄式(起句)●○○●●○◎(承句)●●●○○●◎(転句)○●○○○●●(結句)○○●●●○◎平成から令和に改元されて約半年、このたび「即位礼正殿の儀」が厳粛に挙行されました。この日に出来上がった漢詩です。この詩は平起こり七言絶句で作っています。押韻は上平声四支の韻目から(儀、怡、披)の三文字を用いています。次にこの漢詩を再掲しておきます・即位礼正殿儀(起句)雨敲幡幟粛荘儀(承
即位礼正殿の儀(読みと書き下し文)即位礼正殿儀(そくいれいせいでんのぎ)雨敲幡幟粛荘儀(あめははんしをたたくしゅくそうのぎ)世界聖賢心自怡(せかいのせいけんこころおのずからたのしむ)祈誓宣揚高御座(いのってせんようをちかふたかみくら)虹橋一刻瑞雲披(こうきょういっこくずいうんひらく)(詩の意味)早朝から激しい雨が幡旗(のとぼりばた)をたたくあいにくの天気となりました。宮中では荘厳に令和時代の即位式の準備が進んで
令和改元の直前に作った漢詩国史令和に到る平成31年10月22日、普通ならこう続くのですが今年はめでたい改元があり、5月から令和となりました。それから約半年が経過し、即位礼正殿の儀がとり行われました。従前の改元なら天皇陛下崩御の即日から元号が替わるため、悲しみの中での諸行事でした。しかし、令和改元はこれまでと異なるためどこか慶祝ムードの中での行事でした。即位礼正殿の儀もそのめでたさを引き継いでいると思います。この漢詩は改元直前の4月30日に
・七言絶句の各句の呼び方と平仄の配置七言絶句は七文字四行の詩ですね。ご存じのとおり第一行目から順に起句、承句、転句、結句と呼びます。この式は七言絶句のうち、仄起こり式を表しています。起承転結の各句は平字と仄字で組み合わされ七文字ずつ配置されます。記号は白丸が平字を表し黒丸が仄字を表していて、三角の記号は平仄はどちらでも構わないということを示しているのです。では、なぜこの式が仄起こり式かと言えば、起句の二字目に注目していただきたいと思います。平仄式は起句の二字目で決
七言絶句の文節一行の漢字が五文字のものを五言、七文字のものを七言といいます。それが四行あるものを絶句、八行あるものを律詩と呼んでいます。したがって、五言絶句とは五文字四行で二十文字で構成されているのです。同様に七言絶句とは七文字四行の計二十八文字で作られていることが分かります。ここでは七言絶句の各句の構造がどうなっているかを考えてみましょう。写真に示した漢詩を例にとって検討してみたいと思います。この句は拙作「郡上探訪」の作詩過程を示したD
丸に三つ引き両紋近藤勇の家紋は丸に三つ引き両紋と言われています。引き両とは真横にひかれた線のことですが、期限は中国の八卦からきているとも考えられています。引き両の線を竜に例えて、その魔力を信じ戦の旗印から家紋へと変化していったのです。代表的な引き両紋は新田氏の一つ引き両、足利市の二つ引き両などが知られています。引き両紋の種類はあまり多くはなく、引き両の数によって、一つ引き、二つ引き……七つ引きなどと呼ばれているのです。また、他の図柄と組み合わせて用いられる
近藤勇の漢詩・結句平起こり七言絶句の平仄式(起句)△〇▲●●〇◎〈承句)▲●△〇▲●◎(転句)▲●△〇〇●●(結句)△〇▲●●〇◎四行詩の七言絶句も最後の結句となりました。これまでの三句をまとめる意味合いを持つ結句は、勇の心中を表していると言えましょう。剣を支えに義に生きた壬生の狼も捕らわれの身となっては致し方ありません。せめて最後は潔く散っていこうとの心構えであったでしょう。
平起こり七言絶句の平仄式(起句)△〇▲●●〇◎〈承句)▲●△〇▲●◎(転句)▲●△〇〇●●(結句)△〇▲●●〇◎近藤勇の漢詩・承句四行の詩を絶句、八行の詩を律詩といいますが、そのうち一行の字数が五字のものを五言絶句、七字のものを七言絶句と呼んでいます。この詩が七言絶句で第二行目を承句というのです。その平仄を調べてみましょう。漢詩に用いる熟語を詩語といいますが、七言の場合は二字、二字、三字という文節を持つのです。平起こり七言絶句での承句は、赤印
近藤勇の漢詩・起句この世の中の変化を憂いているが、それも止むを得ないであろうとの心境を吐露している起句は、二字、二字、三字の熟語からなっています。漢詩の文節構成はこのように二字、二字、三字という形を取ります。すなわち、他に靡くという言葉は仄・平(●〇)となり、次の今日は平・仄(〇●)となっています。三字熟語の復何言の平仄は、仄・平・平(●〇◎)となり、、七言絶句の平仄式にうまく合っていることが分かりました。したがって、漢詩の作り方の要点としては、はじめに平起こり式
漢詩の詠み・たになびくこんにちまたなにをかいわん・ぎをとりせいをすつるはわがたっとぶところ・こころよくうくれいこうさんじゃくのつるぎ・ただまさにいっしをもってくんおんにむくいんこの漢詩は七言絶句で作られています。絶句とは四行詩をいい起承転結の各句が七文字でできているものを七言絶句なのです。七言絶句の平仄式は二つに分類され、それぞれ文字の平仄がよって異なるのです。二つの平仄式の違いは、第一行目すなわち起句の二文字目によって決められているのです。
韻を踏む場合の注意点漢詩を創作するときは決められた平仄に注意することは分かったところで、今度は押韻について考えてみましょう。押韻もまた決められているのです。以前にも述べましたが、押韻は平声の三十種類にまとめられています。したがって、そのほかの仄声のことは考えずに、その三十種類のグループ飲みに注意すればよいわけです。たとえば七言絶句の場合、起承転結の四行詩の各句は七文字ですが、基本的に最初の二文字、次の二文字、最後の三文字に分けられます。始めの二文字の語が平字(○○