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長らく休会していましたが、また少しずつ再開していきたいと思います。その前にお断りをしておきたいと思います。これまで工房知古呂としてブログを書いてきましたが、いろいろ思うところあって、名前をネット工房知古庵と改めることにしました。どうか、よろしくお願いします。
鶴の恩返しの漢詩完成版「一天鶴鳴」一天鶴鳴(いってんかくめい)命脈旧恩如水遙(めいみゃくのきゅうおんみずのごとくはるかなり)織縫羽翼坐深宵(しょくほうのうよくしんしょうにざす)動容露顕離情切(どうようろけんしりじょうせつなるを)牽袂飛鳴雪半銷(たもとをひくひめいゆきなかばとかさんとす)漢詩昔話「一天鶴鳴」(空一面に響く鶴の声))そう言えば私「つう」は以前、家の主人に命を助けられた事があるのです。山の中で怪我をして動けないところを「与ひょう」が助け
鶴の恩返しの漢詩創作オペラ「夕鶴」のストーリーに基づいて漢詩を作ります。先ず第一句である起句を検討していきます。過去に命を助けられたことがある鶴は、人の姿になって恩人の与ひょうの妻となりました。それは大雪の日に傷を負って動けないところを与ひょうが見つけ、手当てをして山に返してくれたからです。起句は命を助けられたことを、つうが回想する場面としました。この漢詩は仄起こり七言絶句の公式を使います。文字の区切りは原則、二字、二字、三字で考えます。起句の公式は次のと
ノウゼンカズラの花がきれいに咲きました!それを漢詩に!綺花映碧空岳峰作綺花碧空に映ゆきかへきくうにはゆりょうしょうかようりょくいんのうちつちをこがすえんいへききゅうをあおぐようえいするせんしかぜかげをもてあそぶしつらいしゅううてんこうにかなふ平起七言絶句韻=東(中、穹、工)○○○●●○◎○●○○●●◎○●○○○●●●○●●●○◎【訳】綺麗な花が青空に映えるのうぜんかずらの花模様が緑の中で美しいコントラストを見せています。
詩が完成したら押韻と平仄のチェックを!漢詩が完成すればそれぞれの規則の当てはまっているかを検証しなければなりません。いわゆる推敲ですね。規則の間違いがないかを確認することと、併せて、詩の内容が意図したようになっているかの点検を兼ねることになります。そこで、標題「一天鶴鳴」の押韻と平仄を検討します。起句の二字目「脈」が仄字であるので、この詩は仄起こり七言絶句ということになるのです。その公式は次のとおり。○は平字、●は仄字、△▲は平仄はどちらでもいいもの、◎は押韻個所の平字で表します。
「浦島伝説」漢詩、2連作の完成版です!浦島太郎伝説の漢詩書き下し文【1】おうせきのぎょふかいへんをあゆむどうじいくたびかさいなむをあはれむほうおんきはいひとのしるなしえんらくりゅうぐうせえんをわする【2】ようやくきょうしゅさめりしょうをくむじんこうのしゃおんこきょうへかへるへんてんむきゅうしんこうをやぶるたちまちろうきょうとなりひとりほうこうす
完成した後半の浦島伝説の漢詩・押韻最も重要な規則の押韻の文字は、下平声七陽の韻目の中から選びました。・平仄二四不同は完璧でした。二六対に外れた転句は、「挟み平」の特例により二六対より優先されるのでこれも許されました。・挟み平この詩は挟み平の特例を用いた漢詩となりました。・孤平の禁七言絶句の漢詩では四字目の平字が仄字に挟まれることは許されないので、変更方法を考えました。「戻」は仄字●なので、平字の「帰」を使って、孤平の禁をクリアしたのです。・書き下し文
七言絶句の漢詩で孤平の禁を避ける変化技は?通常の転句(右)と挟み平の転句(左)仄起こり七言絶句の漢詩には特殊な変化技があるのです。それは三行目の転句の下三文字のところです。普通の転句の三字は、右のように平仄仄(○●●)なのですが、左の「破深契」のように仄平仄(●○●)の形に替えることができるのです。それを「挟み平」といい、特別なルールとして認められています。挟み平を使うと、二六対という平仄のルールが崩れてしまいます。すなわち二六対にならず二六不同になってしまいますが、
おとぎばなし「浦島太郎伝説」の押韻や平仄を調べてみよう×○でたらめ漢詩→修正→仄起こり七言絶句浦島伝説の前半部分、すなわち亀を助けて竜宮城へ行くまでを漢詩にしましたが、文字の羅列だけでは漢詩とは言えないことが分かりました。左がでたらめ漢詩ですが、漢字を見た限りでは何となく意味は分かりますよね。しかし、駄目なんです。まず、この詩をみて、一句、二句、四句の末尾の文字に注目します。「有」、「受」、「年」の文字を音読みするのです。す
「浦島太郎伝説」の漢詩は何がでたらめなのでしょうか?(後半)○平仄間違い○韻目間違いこの詩の起句に注目して、二字目「遊」の平仄を調べると平字であることが分かりました。したがって、この詩は平起こり七言絶句の公式を用います。その公式に照らし合わせて平仄を検討したところ、赤丸の処の文字の平仄が違っているのです。すなわち、平字で指定された個所が仄字になり、仄字で指定された個所が平字になっているのです。次に押韻を調べてみましょう。起句、承句、結句の末尾の文字「情」、「契」、「
「浦島太郎伝説」の漢詩、いったい何がでたらめなのか?漢詩?と文字の平仄の確認おとぎ話の漢詩【浦島太郎伝説】・何がでたらめか?浦島太郎の物語の後半です。竜宮の歓待にも飽きた太郎は故郷が恋しくなり、乙姫様にいとま乞いをしました。そのときに渡されたのが玉手箱ですね。ただし、「けっして開けてはいけません」との約束付きだったのです。しかし、故郷に帰った太郎は見知らぬ人ばかりで、数百年が経ったと初めて知るのです。そのショックのため禁断の箱を開けたところ、太郎はたちまちおじいさ
おとぎばなしを漢詩にしたら面白い!「浦島太郎伝説」(その3)漢詩の完成版自分でいろいろと推敲を重ね、気に入った作品にしていきます。検討の経過は省きますが、何日かの間を空けると良い案も浮かぶようです。この詩は仄起こり七言絶句という形式で、押韻は「下平声一先」の中から「辺、憐、縁」の文字を使っています。書き下し文(日本語での読み方)は次のとおりです。原則、旧仮名遣い文を用います。浦島伝説●●〇〇●●◎往昔漁夫歩海辺おうせきのぎょふかいへんをあゆむ〇
おとぎばなしを漢詩にできると面白い!「浦島太郎伝説」(その2)この漢詩(?)で起句の二字目は「昔日」の「日」ですね。ここの個所の文字の平仄によって、七言絶句の漢詩の公式が決まるのです。二字目が仄字ですから、この公式は仄起こり七言絶句ということになり、次の公式により文字を当てはめていくわけです。〇は平字、●は仄字、△▲はどちらでもかまわないということですから、それにより検討してみます。赤印部分の文字の平仄が誤っていることが分かりました。その個所の言葉を探し、平仄を公式に合致させる
下三連の禁はなぜだめなのか漢詩を作る際の禁止事項のうち、下三連の禁というものもあります。五言絶句や七言絶句の場合、句の最後の三文字の平仄が連続しては同じものではいけないのです。すなわち、句の終わりの三文字が○○○あるいは●●●となることは許されないのです。同じ語調が連続するときれいな朗読に聞こえず、どこか違和感があるのでしょうね。孤平の禁やこの下三連の禁のように、漢詩を作る上では多くの制約があります。創作する場合に難問とされているのが、この規則の複雑さなのです。でも、規則や決ま
疫病蔓延新型コロナウイルスの感染症が世界中を恐怖に陥れています。我が国もその防疫に懸命です。疫病蔓延数口寄生災厲疑姦雄悪疫怕風嗤忽翔千里今如此妙薬祈求無尽期(読み)えきびょうまんえんすうこうのきせいさいれいのうたがひかんゆうのあくえきかぜのわらうをおそるたちまちせんりをかけて
春を告げる東大寺二月堂のお水取りは、世界の平和と人々の安穏を祈念して行われます。漆黒の闇に舞い散る炎は幻想的な初旬の風物詩でもあります。今年の修二会は例年と異なる祈願となり、世界に蔓延を続ける新型コロナウィルスの撲滅にあったと思われます。(白文)修二会漆黒寒更夜未央魁春万籟礼空王煌煌火焔無人介宛似天花二月堂(読み)しゅにえしっこくかんこうよるいまだなかばなりはるにさきがけるばんらいくうわうにれいすこうこうたるかえんひとのか
晴空彩色数樹紅梅清浅水一双白鷺薄寒天悠然韻事閑拈句塵外蒼穹気似仙(読み)せいくうさいしきすうじゅのこうばいせいせんのみずいっそうのはくろはくかんのてんゆうぜんたるいんじしずかにくをひねりじんがいのそうきゅうきせんににたり(押韻と平仄)仄起七言絶句韻=先(天、仙)(起句は踏み落とし)……第一句の押韻を省く(前対格)……起句と承句の詩語が対応している●●○○○●●●○●●●○◎
久しぶりの投稿です。月日の流れは早くいつもながらの春が目前です。本来なら厳しい冬を抜けた喜びが重なるのですが、今年だけは異常です。新型コロナウイルスの蔓延で、様相は一変しました。早く収束に向かってほしいと願っています。でも春は確実にやってきます。先般、梅の木に花がいっぱい咲いていたので、それを漢詩に表してみました。五言絶句です。訪梅花(起句)寒梅殊有趣(承句)老木静如禅(転句)馥郁共相和(結句)題詩幾変遷(読み)ば
NHKの大河ドラマが「麒麟が来る」が始まりました。明智光秀公が主人公ですが、この人は謎が多い武家とされています。主人を殺した極悪人とか、いやいやそうではなく頭脳明晰で善政を施した名君であったとか、さまざまな推理がなされているのです。このドラマがどういう切り口で展開するのか楽しみですが、昨秋、琵琶湖西部の西教寺を参詣したときに光秀公の辞世を見つけました。その時にブログで紹介示したが、ここに再掲したいと思います。この漢詩は仄起こり五言絶句であり、韻目「元」の中の「門、源、元
滋賀県湖北地方の盆梅の展示が始まりました。特に長浜市の慶雲館での催しは有名で、樹齢数百年という梅の花が鉢に収まっています。盆梅展が始まると当地では春の兆しが感じられるのです。数年前に訪れた時に作った五言絶句の漢詩を示します。五言絶句の押韻は偶数句、すなわち承句と結句の2か所に施すのです。七言絶句のように起句には韻を踏まないのです。したがって、ここでは「垣」と「盆」が同じ韻目「元」のグループから選んでいます。(読み)ぼんばいをみるしゅんかんかぜしゅんそうたい
玄冬逍遥芳信雖非不敢言報春兆候個中存蒼天疎影生光彩如此郷村尽日温(読み)げんとうしょうようほうしんあらずといへどもあえていはずはるをほうずちょうこうこのなかにそんすそうてんのそえいこうさいをしょうずかくのごとききょうそんじんじつあたたかなり(平仄と押韻)仄起七言絶句韻=元(言、存、温)○●○○●●◎●○●●●○◎○○○●○○●●●○○
昭和60年くらいから漢詩創作を始めましたが、その間、正月に作詞したものも多くあります。この「新年」という仄起こり七言絶句の漢詩は、ごく初期の作品で今から思うとまだまだの感じです。でも学びだした頃の意気込みのような新鮮な思いは感じられます。昭和62年の元旦に作った詩です。新年旭日欣欣放瑞光寒梅興趣亦尋常此迎淑気吉祥夢元旦傾杯無恙望(読み)しんねんきょくじつきんきんとしてずいこうをはなつかんばいきょうしゅまたじんじょうここにむかふしゅくききち
九月十三夜上杉謙信作この漢詩は越後の武将上杉謙信が甲斐の武田信玄と川中島で対峙し、前後五回も戦いを繰り返したことは有名ですね。謙信は越後の七尾城を攻略したのが陰暦九月十三日で、たまたま明月にあたり、煌々と照る月を眺めてこの漢詩を作ったとされています。謙信は戦国時代に文武両道を全うした稀有な武将で、人格高潔な人柄もよく知られているところです。この中で、結句の冒頭に助字が使われているのです。「遮莫」(さもあらばあれ」という詩語です。ええい、ままよ仕方ないではない
「歳朝」元旦に作った仄起こり七言絶句の漢詩です。古往今来情義真欣欣和気在風塵人心自改清閑日也好乾坤歳此新(書き下し文)さいちょうこおうこんらいじょうぎしんなりきんきんたるわきふうじんにありじんしんおのずからあらたまるせいかんのひまたよしけんこんとしここにあらたなり(平仄と押韻)仄起七言絶句韻=真(真、塵、新)●●○○○●◎○○●●
歳晩詩興今年も大晦日を迎えました。確か昨年末は雪に見舞われ白銀の歳末だったと記憶しています。今年も日本列島は東北以北や北陸日本海側ではすでに大雪となっているようですね。例年ながら思うことは多いけれど満足したことはほとんどないといった状況です。皆さんはいかがでしょうか。平成25年、今から4年前の大晦日に作詞した七言絶句を掲載します。(書き下し文)歳晩詩興さいばんしきょう光陰如矢句成遅こういんやのごときなるもくなることおそし
寒宵霏霏寒雨夜方深感遇浮生不可尋物我相忘塵外境歳云暮矣坐澄心(読み下し文)かんしょうひひたるかんうよるまさにふかしかんぐうのふせいたずぬべからずぶつがあいわするじんがいのきょうとしここにくれたりそぞろにこころをすます(平仄式と押韻)平起七言絶句韻=侵(深、尋、心)○○○●●○◎●●○○●●◎●●○○○●●○○●●●○◎(意味)「冬の寒い夜
平起こり七言絶句の平仄式○○●●●○◎●●○○●●◎●●○○○●●○○●●●○◎仄起こり七言絶句の平仄式●●○○●●◎○○●●●○◎○○●●○○●●●○○●●◎漢詩の構成は文字の種類、すなわちその文字が平字なのか、仄字なのかによって、組み立て方が異なるのです。もともと平仄というものは文字の発音により分けられているもので、変化のない平らかな発音文字を平字とし、アクセントに変化のある発音文字を仄字といいます。漢詩は平字と仄字をうまく配列することで、
終弘法(起句)師走学僧東寺門(承句)真言密教養心魂(転句)暮寒雑踏終弘法(結句)野店喚呼笑語温毎月21日は京都の東寺では弘法市の縁日で大勢の人々が集います。12月は特に一年の締めくくりとしての意味もあって、大変な人出となるのです。今年の終い弘法は好天に恵まれ思い出多き縁日となったと思います。先ず京都駅から徒歩で十数分、門をくぐると修行僧が托鉢の読経で迎えてくれます。雑踏の中で修行するお坊さんに会釈しながら中の方に進みます。そこは既に訪れている大勢の
例年、晩秋から初冬にかけて花開く皇帝ダリアです。高さが4~5mくらいに伸びた上部に花をつけます。秋の澄み切った青空にピンクの色は鮮やかです。
明智光秀公の辞世(意味)修行の道には順縁と逆縁の二つがあるが。しかしこれは二つに非ず。実は一つの門である。すなわち順境も逆境も実は一つで究極のところ、人間の心の源に達する大道である。而して我が五十五年の生涯の夢も、覚めてみればすべて一元に帰するものなのだ。西教寺の山門明智日向守光秀は天正10年6月、主君である織田信長を討ちます。いわゆる本能寺の変ですね。信長にとっては青天の霹靂であったでしょう。後年、この時の光秀の心境を様々な人は類推して