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日本ではかつて敗戦直後の一時期強硬に漢字廃止論が主張されGHQが乗り気であわや廃止かと思われる情勢になった時があります。結局、新字・漢字制限(当用漢字)という線で様子見ということになりました。当用漢字は「差しあたっての(使用)漢字」という意味で将来、漢字を廃止するという含みでの呼び名でしたその後、漢字廃止の流れがほぼなくなったことで当用漢字は「常用漢字」と呼び名が変わりました。これは「キシャ」の例で知られるように「記者が汽車に乗って貴社に向かった後に喜捨をして帰社した。
昭和20年以前に生まれた人は今の漢字の多くがもともとの形ではないことを知っていると思います。すべての漢字がそうではありませんが多くの漢字が今とは違った形をしていました。今の漢字の多くが本当の漢字ではないとはどんなことでしょうか?漢字の総数は少なく見積もると6万字、多く見積もると8万字を越えます。(異字体と呼ばれるものを含めると10万字を軽く越えます)それでも敗戦前は漢字に対する規制はまったくありませんでした。敗戦による日本国の制度改革で1946年(昭和21年)内閣が漢字
ローマ字教育の導入は、連合国最高司令部(GHQ)によってアメリカから派遣されてきた教育使節団が作成した報告書1の勧告によって始まったらしい。二〇二三年になってようやく解散したらしいが、ローマ字研究を専門にしている学会なども存在していたようで2、ヒマな学者もいるものだなと感じ、またローマ字学習はこんな人たちを失業から救うためにあるのではないかと勘ぐったりもする。占領期に始まった経緯からして、江藤淳が明らかにした徹底的な検閲制度3も存在した当時の政治的な色合いを排除して読むことは難しい。"We
学者としての良心を貫いたとされる柴田の回想には、次のような部分もある。話し手:柴田武/聞き手:野元菊雄柴田(上略)正常な社会生活を営む上にどうしてもこれだけは必要な能力ということで、それに見合うような問題を出したんだから、われわれとしては、満点をとってくれなきゃ必要な能力を持っているとはいえない。そういうことを報告会でいいましたら、いまでも結城さんという人がいるでしょう。野元結城綿一(森東注:「綿一」になっているが、正しくは「錦一」)さん。柴田あの人が一番強く反対しました
戦後、アメリカはGHQの要請に基づいて、日本の教育再建の名目の下に1946年3月に第1次、1950年8月に第2次教育使節団を送った。この第1次の報告書に漢字廃止を勧める内容がある。TheJapaneselanguageinitswrittenformconstitutesaformidableobstacletolearning.Practicallyallinformedpersonsagreethatthememorizingofthe
「調査」には、問題の性質、目的、方法などが詳しく説明されている。角知之氏はそれを以下のようにまとめている。問一:調査者(試験官)が発音して、その音をひらがな・かたかなでかきとらせる問題。「さくら、春に咲くさくらです」のように教示された。語いは『明解国語辞典』や坂本一郎『日本語基礎語彙』のどからあつめられた。問二:アラビア数字と漢数字のかきとり問題。助数詞(「日」や「番地」など)は新聞語の度数表から」頻度のたかいものがとられた。問三:調査者が発音した語に〇をつける問題。たとえば1は「さる、動
「調査」を再検証する前に、触れておかなければならないことがある。上述した「事実」とともに、しばしば対となって言及されることである。(1)でも若干触れられた「GHQの関係者が『日本の識字率を低く見せかけるため』、日本人学者に調査結果の『改竄』することを指示したが、その日本人学者はそれを「拒否」した」という「事実」である。ここでいうGHQの関係者は「ペルゼル(JohnC.Pelzel1914-1999)」で、日本人学者は「柴田武(1918~2007)」である。柴田は、方言学の方面で知られた社
現代の日本語表記には、漢字・ひらがな・カタカナの3種類の文字が混用されている。また、漢字には音読みと訓読みとがあり、その上、音には呉音・漢音・唐音など、訓をめぐっては同字異訓、同訓異字などがあり、世界に類を見ない複雑な表記体系を持っている。その点は、疑いを差し挟む余地がない。そうした複雑な表記体系を有する一方で、「日本は歴史的に、世界でも稀な『高い識字率を誇っていた』」という言説が広く日本人に信じられている。なかでも、日本の「高い識字率」が劇的に「証明された」事例としてよく知られているのが
5日京都地方裁判所(裁判長ますだけゆ)は2016年当時交際中でありたかのじょ(当時19歳)を殺害したうたがひでまつかいせかわ(26)に検察が求刑した懲役18年を宣告した毎日新聞など現地のマスコミが報道しました。"결혼허락했더니임신한내딸왜죽였어"…분통터뜨린日부모(naver.com)「まつかいせかは」ってなんだか違和感しかなかりたから、しらべてみたら「すゑうみせが(末海征河)」らしい。おまけに、裁判長の
タケノコは竹になりますマツタケは松にはならぬ竹にもならぬ…©竹の子が竹になるのは分かります。松茸(たけ)は松に生える茸(きのこ)だから、木になるかと勘違いしました。大昔の人も、マツタケがアカマツの根に生えることをちゃんと知っていたんですね。不如帰、時鳥また杜鵑杜宇とて子規啼く…©「啼く」のほかの漢字は、すべてホトトギスと読みます。ホトトギスの漢字表記がいっぱいある理由は知りませんが、ワタクシは「ホトトギス」派です。正岡子規も早い時期から
日本語が危うかった時-RafuShimpo日本語は古来より変遷を続け今の現代語があるが、日本語自体をやめよう、日本文字をやめようという真剣な次元での危機が近現代で2度あった。維新後の明治新政府下と第二次大戦直後の日本だ。この歴史は碩学高島俊男先生の名著[…]rafu.comところが太平洋戦争後、再びトンデモない議論が繰り広げられました。『敗戦3カ月後に読売は社説で漢字の廃止とローマ字採用を主張し、もって民主主義と文化国家の建設をと訴えた。翌年、志賀直哉が国語問題の発
日本語が危うかった時-RafuShimpo日本語は古来より変遷を続け今の現代語があるが、日本語自体をやめよう、日本文字をやめようという真剣な次元での危機が近現代で2度あった。維新後の明治新政府下と第二次大戦直後の日本だ。この歴史は碩学高島俊男先生の名著[…]rafu.com『日本語は古来より変遷を続け今の現代語があるが、日本語自体をやめよう、日本文字をやめようという真剣な次元での危機が近現代で2度あった。維新後の明治新政府下と第二次大戦直後の日本だ。』日本語をやめて
「東海林」というお名前、なんと読むでしょうか?「とうかいりん」と読んだらきっと笑われるとおもいますが、「しょうじ」と読むお名前の方もいらっしゃいますし、「とうかいりん」と読むお名前もあるそうです。「重複」、私は小学生のときに「じゅうふく」と習いましたが、社会人になってから「ちょうふく」といってる新入社員に、「ちょうふく」と習いましたといわれ、調べたら「ちょうふく」と読むのが一般的で、「じゅうふく」でも間違いではないらしい。会社勤めをしていたころ、千葉県の「酒々井」でマ
「大阪城イルミナージュ」大阪城西の丸庭園で-大阪城×歴史絵巻イルミネーションFashionPress大阪・光の饗宴2019」エリアプログラム、「大阪城イルミナージュ」が大阪城西の丸庭園で、2019年11月22日(金)から2020年3月1日(日)まで開催される。新宿歴史博物館で特別展「測量×地図」近代測量150年記念事業の一環市ヶ谷経済新聞測量×地図測り・描き・守り・伝える」が現在、新宿歴史博物館(新宿区三栄町)で開かれている。主催は近代測量150年記念事業推進会議ほか。
週刊新潮2016年6月9日号「漢字廃止論」を巡る思想戦…“日本人ならひらがなだ”“簡易化してアジア共通語に”link『漢字廃止の思想史』(安田敏郎)西田藍@iCharlotteblue週刊新潮6/9号に書評寄せてます。安田敏朗『漢字廃止の思想史』(平凡社)を紹介。表紙カバー剥がすとこんな感じでカナモジカイの「カナノヒカリ」が読めるぞ。国語改革の歴史は趣味なのに、自分の思想に向き合う作業はちょい辛かった。https://t.co/qBsbNMRxFs2016年06月03日02:2
昨日、漢字の話を書きました。そして、今朝、朝ごはんを食べながら、左手でスマホを操作し、蟻地獄に引き込まれました。日本でも、かつて漢字を廃止しようという動きがありました。漢字発祥の中国でも、アルファベットにしようと言い出し、実際にベトナムや韓国では漢字を使わなくなりました。確かに、学ぶ上では、漢字って素晴らしく労力が必要です。アルファベットは簡単よね。それでも、漢字の実力って、想像以上な気がします。文献というところでは、発音がわからなくても意味がわかる。アジアでも、ブラーフミー