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大阪大会、目玉はゴールデンとシルバーペアのWWWA世界タッグ決定戦、そしてついにミミのデビュー戦。ほかに、というかビューティvsブラックがメインに陣取るラインナップ。世界タッグ決定戦に出場予定のシルバーサタンは顔写真も載ることはなく、メインのカードから外れている外国人が載っていたり。2代目ブラックペアとして売り出しのかかっていた昨年の新人王、漆原幸恵が先輩熊野とサタンを差し置いて?載っている。会社はやはり新人王も獲得、池下の正パートナーとなった漆原がこの頃は一押しだったのだろう。同じく
デビュー半年の漆原とデビュー3ヶ月の冨高の攻防。一年未満でなんか風格はもう中堅といった感じ。むかしは会社にとって、売り出したいと思ったらどんどん上で使う時代でしたからあまり前なんでしょうが、受け身を身体に叩き込む、基本の技を覚えるのに必死な後年の全女の新人と比べたらやっぱりすごいですよね。クイーン対決、新人王決定戦からの一枚。
1978年3月の後楽園ホールで当時タッグ王者だったゴールデンペアを相手にトミーと漆原のふたりがアメリカ、メキシコ遠征の壮行試合を行った。まだヒールの出で立ちで本名の漆原と、年明けからトミーを名乗ったふたりのペア。ゴールデンペア(1-1)漆原&トミー☓ナンシー(体固め)漆原◯◯富士美(回転エビ)漆原☓△(両者リングアウト)△レフリーに注目してください、リングアナに転向する前の相澤さんです。そしてセレモニー。ちなみにこれ、試合前のたぶんビューティの歌のコーナーの前に行われたみたいですね
たぶん、1977年12月の千葉での新人王決定戦ですね。冨高vs漆原。後発デビューの大本命冨高が引き分け判定で敗れる波乱。漆原も対抗馬だったのでそこまで驚きはなかったのかもしれませんが、年齢的にも身体もできあがっていて大技もあって押さえ込みもできる冨高、クイーンエンジェルスで売り出すことを会社も考えていただろうし、新年早々漆原よりも先にリングネームももらって。そして漆原は二代目ブラックペアに。その後ペアを組むふたりですが、このときはお互いにまさか4ヶ月後にはふたりで海外にいくとは思ってもな
先日?といってもだいぶ前?に続いての名タッグチームのラストマッチは?第二弾いってみましょう!ヤングペア昭和54年10月14日広島セミNWAタッグ選手権ビッキー&グレーブル(1-1)ヤングペア◯ビッキー(片エビ)横田☓☓グレーブル(エビ固め)横田◯△王者(両者リングアウト)YP△もしかしたら2日後の岡山大会の可能性もあるが、カードがすべて新聞に載らずで解ってる範囲でこのカード。ただ、この翌日福山大会では塙はルーシー、富士美とトリオで出場。レディゴンの本人のインタビューだと地方
ロスとメキシコを半年近く遠征、そして武道館でゴールデンともみくちゃになりながらリングアウトで勝利した52年組のトップランナーふたり。最初にペア名がついたとき、違う名前?だったのしってますか??ぼくは初めてしりました(笑)それは、クイーンエンジェルスペア。は?ふざけてるの??違います。最近手に入れた当時の公式ファンクラブの会報にはっきりと書いてあります。武道館に凱旋してゴールデンペアに挑戦するクイーンエンジェルスペア!その後はまたメキシコにもどって、、、みたいな書き方でした。しかも
漆原幸恵、ビクトリア富士美を攻める。キャリアでは一年ちょっとの差でしたけど、歳もおなじ、不敵な漆原はまったくヒケをとってないですよね。なんでこのころの選手ってデビューしてすぐにキャリアの差を感じさせないような、びびることなく上の選手と戦えたんですかね。ぼくの勝手なイメージでは55年組の正規オーディション組と大森ゆかりまではそんな上の選手と戦えるようなイメージだったのですが、田園コロシアムデビュー組から上の選手との差がある戦いにかわっていったような気がします。事実、北村、大森はデビューした
またまたネットで購入した写真です。基本ビューティファンでもマキファンでもないのでゴールデンやダイナマイトしか買わないですが、なにせマキvsヒールの漆原の写真が貴重で買ってしまいました。漆原とマキのセミの試合は、、、77年の11月9日山形◯マキ(人間風車)漆原☓11月12日弘前◯(脳天逆落とし)☓11月16日境町◯(脳天逆落とし)☓11月24日沼津◯(脳天逆落とし)☓12月18日烏山◯(脳天逆落とし)☓78年1月12日熊本人吉◯(吊り天井)☓1月18日佐世保◯(脳天
ナンシーの現役時代のパートナーといえば、同期でゴールデンペアのビクトリア富士美が一番納得のパートナーですが御本人にきくと同じくらいルーシーとはやりやすく安心して戦えていたそうです。チーム名があるわけでも、おそろいの水着やシューズがあるわけでもないので、インパクトという点ではゴールデンペアやクイーンエンジェルスに及ばないかもしれないですが、僕のなかでもかなり好きなペアでした。ゴールデンもクイーンもなにかとブラックペアに弱い印象が強いですが、このふたりが組むと三代目ブラックからベルトを奪取、四代
1978年の1月、富士急大会。これ、ノートを何年か前に清書したノートなんですけど、シルバーサタンが鋤崎真澄のままだったのか、いつ改名したのか、定かではなく、シルバーサタンと書いてますが、子供の頃のノートには鋤崎としか書いてないのでもしかしたら覆面はつけてますが、まだ鋤崎名義でリングにたっていたのかもしれません。覆面をつけた赤城もしっかりもセコンドであばれています。いいですね〜、なんか昭和な感じが。それにしてもビューティとナンシーが組んで相手も二代目ブラックに鋤崎と六人タッグにでちゃったら
あー、日付かわってしまった(笑)1978年の今日は?というブログにしたかったけれど、昨日になっちゃいましたね。後楽園での試合。マキの対戦相手はシェリルディですけど、なにか気が付きませんか??そうなんです、夏の武道館とほぼ同じカードが並んでます。マキはシャベラロメロに挑戦ですが、セミもメインも同じかおぶれ。半年まえにすでに武道館の前哨戦行われてました。しかもメインは池下がジャッキーをピンフォール。たしかこの試合で正式に武道館のシングルがきまったんじゃなかったでしたっけ??セミはまだ改
以前、あしたにのぞむさんのコメントでブラック軍団ができた当初、池下と四人くらいの顔写真がのっていた雜誌の記事という話題になり、たぶんこれじゃないのかな?という切り抜きが家にあり、探してみました。たぶんこれじゃないですか?人の記憶はやっぱり何十年もたつとすこしずつ変ってしまって当たり前。でもコメントの特徴でたぶんこれじゃないかなとピンときたんですけど。あたりでしょうか?それともはずれでしょうか?
阿蘇引退後、クイーンエンジェルスで海外に旅だつまでのあいだ、ブラック軍団として、1978年からは二代目ブラックペアとして活躍した「池下&漆原」組の全記録です。初コンビは1977年10月1日国分大会メインビューティ(2-1)池下&漆原10月3日鹿児島大会メインビューティ(2-1)池下&漆原10月7日熊本大会メインビューティ(2-1)池下&漆原10月9日佐賀県有田大会メインビューティ(2-0)池下&漆原10月22日茅ヶ崎大会メインマキ&ナンシー(1-1)池下&漆原11月10日気
前にもあげたっけ?と不安になりましたが、あまり硬いことは気にせず、あげてみます!歴代の新人王決定戦のなかでもベストバウトと言われている1977年の漆原と冨高の一戦。川崎で戦う予定が漆原が40℃の熱で翌日の千葉大会に延期になり、30分フルタイム。判定で漆原の勝ちでした。いまとなっては中々見ることのできない貴重な写真かと思います。しかし、最後の漆原、前髪が、、、、、熱があるのにフルタイム戦ったあとだからそんなこと気にしてられなかったのか、、、ぼくはこの試合みたことないので、みたかったで
なにげに見た目のバランスよくないですか?二代目ブラック。初代も三代目もすごくぴったりのブラックペア。ということは池下がだれとでもペアを自然に組める才能があったんですかね。だって、阿蘇&漆原とか阿蘇&熊野って違和感ありますよね。
52年組のデビューした頃の一枚。右から漆原、横田、高橋、???、玉岡。後ろに見える大きい選手はデビューできなかった水野か、小宮山か。となると、左から二人目、塙??だれ??謎の選手、出現です!!
前にイサムさんからいただいた77年の武道館のセミの写真。二代目ブラックペアと呼んでもいいのに、と思った池下と富士美のペア。ブラック軍団に入ったとはいえ、ビクトリア富士美は赤い水着(笑)ブラック軍団ぽくありません。この日は赤城&ナンシーを撃破!!二代目ブラックペアと呼ばれている池下&漆原はタッグ王者に挑戦したことはありませんが、この池下&富士美のペアはジャッキー&ナンシーに挑戦して引き分けで奪えずと実績も作ってますからね。実働期間も4ヶ月、二代目ブラックは3ヶ月、、、まぁ、タイミングと
78年新春のブラック軍団。二代目ブラックペア、サタン、マミ、塙、高橋真由美。シルバーペアを組んでいたけれど、サタンはブラック軍団。赤城は微妙なイチにいましたね。あれだけビューティをぼろかすにいって、池下のことはほめちぎっていたからブラック軍団の副将です!くらいのほうがよかったけれど。で、写真をみると。みんなうっくら微笑んでいて。マミなんてスナックのきれいなお姉さんにしかみえません。漆原はスナックの荒ぶれたお姉さんって感じですが。池下も微笑んでいていい写真ですね。高橋真由美はほと
ヒールの時代の漆原、ルーシー加山です。二代目ブラックに抜擢されたころですが。半年でブラックに抜擢、鋤崎や熊野を抑えてパートナーになったのですから、会社の期待もおおきかったのでしょうね。しかし、鋤崎と熊野の気持ちを考えるとちょっと辛いルーシーのプッシュでしたね〜
ルーシーは二代目ブラックペアでがんばりはじめた頃に小宮山からスイッチで海外に行くことになり、スケバン風からリングの貴婦人へイメージチェンジをすることになるのだけれど。本人はどっちがやりたかったのでしょうかね。ブラックにいたら仲良しのマミとその後組んでいくことも可能だったわけで池下がシングルプレーヤーに、ゴールデンとトミー&小宮山のペアの対抗馬として新ブラックペアとしてマミ&ルーシーなんていうのもありですよね。結局はベビーフェイスになることでレコードまでだしましたし、引退後はヌードにもなりま
ビューティとくればブラックでしょ(*^^*)初代~三代目まで一気にあげてみました。二代目は意外とレアだと思います(*^^*)