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大山祇に変えられた元神の真名✨これは、本当の文献大発見だったのです各地で神名変え、隠滅された真名を掘り返し調査して来た中で「大三島」と瀬戸内海にこれだけ大きくマーキングされた地名に八咫烏という異名へ変えられた女神の真名三島湟咋耳神ミシマミゾクイミミノ神その「みみ👂️」の神名が無いはずはないんだが、、、と数年探し続けていたところでした『儺の國の星』真鍋大覚台風水害にも見舞われ1000年前に大宰府で発見された物部天文暦が復刻補完された著。著者の
リンク元を貼ってくれたらOKなんですが無断で、自分の考えのようにドヤ顔したい方々が多く残念です牛頭天皇上下両社と言うのは、大阪の溝咋神社が江戸時代の頃呼ばれていた名称だと言いますこれは、ぼくが那珂川町から出されている『儺の國の星』という物部の天文事典とも言うべき真部大覚著から見つけました『儺の國の星』は太宰府で見つかった1000年以上も昔の古文書を物部の末裔真部(マナベ←モノノベからの変名)大覚の曽祖父らが復刻させ今に見られる書籍としてくれたものです。
旧地名三島郡溝咋村とは、三島湟咋耳神のほぼフルネーム現在の五十鈴町とは、孫姫神の五十鈴姫の神名
こんばんは。ならどっとFM温故知新パーソナリティーの岡田千晶です奈良に繋げた伝統・歴史・文化についてお伝えしています。毎週末神社仏閣を訪れています大阪・茨木市にある溝咋神社へ御祭神は玉櫛媛命(媛蹈鞴五十鈴媛の母)媛蹈鞴五十鈴媛(神武天皇皇后)神武天皇の義理のお母さんとお嫁さん奈良つながりで伺いました。手水舎に龍お正月らしいですね。龍は水のある所にいますのでお風呂にもいます。両サイドに家が建ち並び(吹田の
『出張の合間の神社巡り関西編2023『牟禮神社』~生き残る秘訣は信長対策~』『出張の合間の神社巡り関西編2023『茨木神社奥宮天石門別神社』~イワトはどこから別けられたか~』『出張の合間の神社巡り関西編2023『弓削神社』~阿波…ameblo.jp↑のつづき。さて、牟禮神社をあとして、さらに茨木の土手の道を歩く。20分ほど歩くと、この日最後の神社にたどり着いた。『溝咋神社』である。ずっと参拝してみたかった。沖縄からはるばるここに来れて幸せである。『神門』。左側に池、
ご訪問くださり、ありがとうございます。とっても嬉しいです。わが家のカレンダー8月の五十鈴姫さまにお参りしたくて、8月6日(日)溝咋神社みぞくいじんじゃ(大阪府茨木市五十鈴町9-21)へお参りに行きました。「日本書紀には次のような話が記されています。神武天皇が妃を迎えるにあたって『事代主神が三島溝咋耳神の女の玉櫛媛と結婚されて生まれた女を、媛蹈鞴五十鈴といい、たいへんな美人です』と進言するものがあり、これを聞いた天皇は非常に喜び、さっそく媛蹈鞴五十鈴を召して正妃としたと。」(茨木
最近作るのにハマッている、かご巾着が可愛くて可愛くて。作っては、Y子や妹にもプレゼントして喜ばれています。ワタシが一つのことに集中しだすと、何かが隠されてることが多いんです。例えば、昨年12月はレッグウォーマーばかり編んでいたのですが、その後、足島大神のいる生島神社・生國魂神社に呼ばれました。『レッグウォーマーからのメッセージ①』ここ数日、レッグウォーマーばかり編んでいました。『レッグウォーマー、お嫁入り』一昨日、レッグウォーマーが編みあがりました。Y子に、レッグウォーマーを編んだ〜
水都大阪は昨夜の天神祭りの船渡御で禊祓い花火の音を聞きながら4年ぶりの船渡御と奉納花火のYouTubeライブを自宅で見てましたやっぱり本宮の朝からずっと体感覚が凄くて息がしずらいくらいに天満の神さんのエネルギーは動いていました今まで天神祭でこんな体感覚はなかったのですがよく考えたらシン・スピリチュアルヒーリングを始めたのも伊勢の巫女さんや漢と神乃変態神社参拝を始めたのも祭りやご神事に深く携わらせてもらったのも精力的に神社を巡っているの
今朝は雨が降っていたけれど阪急に乗り込み、茨木市まで行ってきましたずっと宿題となっていた気になる場所です溝咋(みぞくい)神社溝咋神社-Wikipediaja.m.wikipedia.org溝咋神社が、この場所にできたのは安威川の氾濫を鎮めるためでありかつては上の宮もあり下の宮と共に両岸を護っていました現在の溝咋神社は下宮になります今はない上ノ宮、実は遺跡となりますが、今は跡地に石碑が立つのみ…溝咋神社上宮跡|茨木の情報サイトIbarakiCitywww.est
今から16~17年前のこと。取引先訪問を終えた帰路でのバスの中。ウトウトしていた私の耳に飛び込んできた車内アナウンス。「次は五十鈴町」一瞬で商談中より冴えた頭で我に返り、私は窓の外を見渡しました。しかし見えたのは、どこにでもあるような住宅街。「五十鈴町」という地名から、私は伊勢の五十鈴川や天河神社の五十鈴を連想したのです。帰宅してからすぐにネットで検索。大阪府茨木市五十鈴町。その町名の由来は、どうやらその地に鎮座する溝咋神社(みぞくいじんじゃ
久々の夕散歩は、溝咋神社にお参りに行ってきました。『なるとと神社仏閣巡り【溝咋神社】』ほんまは、安威川沿いに帰ってきたら、茨木神社と総持寺さんにお参りに行きたかったんですが、まだ耳の調子がもどらないので、いけてないままです。『安威川沿いに帰る…ameblo.jp「あっちやな?」シャンプーしたてで、毛はほわほわ。一の鳥居から、続く静かな参道。「春が来るのは、あっちかな?」えへへー。朱塗の二の鳥居なんだか、なるとの影まで狛犬様仕様テテテ。立派な瓦葺の平入切妻造の神門をくぐり、
2022謹賀新年本年もどうぞよろしくお願いいたします自宅近くの安威川からの初日の出実は茨木市に住んで9年ですが、初めてです〜。目覚まし時計もしてなかったのに、息子が早起きして起こしてくれました。御来光を眺めることが出来て感謝です。氏神さまである溝咋神社(ミゾクイ)さんに参拝し、店主実家で親戚みんなが集えてゆっくり過ごした元旦でした※今年も私の手作りは、羅漢果で黒豆煮&甘酒の紅白なます、作っただけです^^義両親の手作りバイキングお節に感謝初詣は、ほかの参拝者さんも多くいらっし
夕方の散歩は、近所の神社【溝咋神社】になるとと、行ってきました。参道の両側に立派な松が。わーい、誰もいてへんで〜。神社の鳥居が見えてきました。みんなの健康をお願いしにいこう。いつもありがとう、ございます。みんなが、健康でありますよう宜しくお願いいたします。もう、帰るよ。なるちゃん、またお参りにこよね。ブログランキングに参加しています。バナーを押して応援していただけると嬉しいです。にほんブログ村
ほんまは、安威川沿いに帰ってきたら、茨木神社と総持寺さんにお参りに行きたかったんですが、まだ耳の調子がもどらないので、いけてないままです。『安威川沿いに帰る前になるととやりたいこと②【八坂神社に行く】』5月29日の水曜日、座薬を入れて、気合いを入れてお散歩に。安威川沿いに帰る前に行きたかった【八坂神社】へ。京都の八坂さんの分社です。1943年10月14日に、…ameblo.jp私は安威川沿いが地元ですが、今住んでいる辺りは、小学生のときにプールに来てたくらいしか、馴染みがなく、今日は初めて
三嶋湟咋♪Wikipediaによりますと…別名賀茂建角身命、鴨建角身命、八咫烏、八咫烏鴨武角身命、三島溝咋、三島溝橛耳神、陶津耳命、陶津耳、天日方奇日方武茅淳祇賀茂建角身命♪下鴨神社の御祭神賀茂氏の始祖とされる神様と同一神とも言われているのが三嶋湟咋♪茨木市は旧摂津国三島郡♪701年の大宝律令で三島上郡と三島下郡に分けられたというのですから…古代は相当賑やかだったと推測します♪三嶋湟咋の名前をいただいている溝咋神社♪御祭神は三
今回の旅は2019年9月27日に観た夢今朝の夢(溝咋神社?)にインスピレーションを得たものだが、旅の過程においても不思議なことや徴があったので書き連ねよう。まず最初の話。大阪府茨木市の溝咋(みぞくい)神社をお参り後、バス停で帰りのバスを待っていたら厳ついサングラスを掛けた小柄なおじいちゃんが杖を衝きながらやって来た。このおじいちゃんはご自身の戦争体験を話した後に当地一帯の地名を三島郡、真砂、玉櫛、水尾などなど淀みなく上げてくれた。玉櫛の地名は三島溝咋(みしまみぞくい)の娘・玉櫛姫に由来するの
伊豆で地震があったそうだ。夏は諏訪で地震があったけど、その日は私も長野県南部のある場所にいていろいろあった。一緒にいた人がその日の午後、ちょっと大人とは思えないほどとりみだして、なだめて、外から帰ったら地震だった。他にもそこにいるときに、諏訪が豪雨で冠水したニュースをみたり。この夏は諏訪が気になっていた。その人は毎朝、ヤエコトシロヌシノカミを呼ぶ人だったけど、その神様は、伊豆国一宮三嶋大社の御祭神だったのだった。私もそのご本人もそれがみしまの神だとそのときはわかっていなくて、あるブロ
今晩20時05分頃、伊豆大島近海を震源とするマグニチュード4.9、最大震度4の地震が起きた。伊豆大島、伊豆半島は三島大明神が治め給う地である(※伊豆国一宮は三嶋大社である)三島大明神は都味歯八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)。ホツマツタヱによるとツミハ(都味歯八重事代主神)は三代目大物主コモリの次男で弟(11男)ミシマミゾクイ(三島溝咋)の娘タマクシ姫を妻とし、二人の間にはクシミカタマが生まれたという。このクシミカタマは世継ぎが出来なかった四代目大物主フキネの養子となり、後に五代
本日は有給休暇を取り、ある所へ。最初は○○府(←バレバレ)の以前夢で観た神社へブログを通じて交流のある御方と御一緒にお参り。そしてその流れで門柱を見れば一目瞭然の神社にも御一緒にお参り。豊富なご経験からとてもお話の面白い御方であり、話ネタが尽きない。あ、もちろん僕にもこれまで様々な経験があるのでお互いに話ネタのラッシュである(笑)門柱を見れば分かる神社をお参り後は名物の○○そうめんを食べた。やっぱりそうめんは○○そうめんに限るな。のど越しが最高である。関東ではそうめんを外食で頂く機会は
今日の記事のタイトルは三嶋湟咋(みしまみぞくい)と読む。昨日(2019年9月27日)の夢に一度も訪れたことのない『溝咋(みぞくい)神社』という神社が出てきた。溝咋神社は大阪府茨木市に実在する神社である。夢の中の自分は溝咋神社のことをなぜか知っていた。今日の夢(溝咋神社?)溝咋神社の主祭神は玉櫛媛命(たまくしひめのみこと)、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。玉櫛媛命は媛蹈鞴五十鈴媛命の母で、媛蹈鞴五十鈴媛命は初代天皇であられる神武天皇の皇后である。玉櫛媛命は古事記では勢
今朝観た夢の話である。細かい内容は覚えていないのだが、僕は夢の中でバスツアーに参加していた。そしてある場所で豪華な昼食を食べた後にバスでどこかへ向かった。その途中で大社クラスの大きな神社の近くを通った時に突然激しい咳が出て困った。そのため、バスはその神社には寄らないのだが一旦ここで降ろしてもらおうかと迷った。そして神社の大きな門柱を観たら『溝咋(みぞくい)神社』という社号であった。(※溝咋神社は大阪府茨木市に実在する神社だがお参りしたことはない。)・・・夢から覚めた後、今朝の夢見が8月下
三島と鴨と来れば、溝咋です。式内社の溝咋神社がこの日の最後の目的地となりました。予定ではもう少し回るつもりだったのですが、理由あってここでお終いです。趣きのある神社です。お邪魔します。手水舎この木すごいですよね。何の木か教えてもらったんですが忘れてしまいました。拝殿狛犬本殿主祭神は、玉櫛媛とその娘の媛蹈鞴五十鈴媛相殿が、五十鈴媛の祖父である溝咋耳、五十鈴媛命の兄の天日方奇日方、速素盞鳴、天児屋根です。素盞嗚と天児屋根は昨日も書きま
19代目三島宮司が亡くなりいろいろ整理中の五十鈴町の溝咋神社長い参道は糺の森に似る入口には、三輪山の狭井と同じミシマヒメノカミ=市杞島姫の厳島神社があり、なせか祠の中には雷公が、、、⚡神馬もいるこれからは新屋坐天照御魂神社の三島宮司が今後兼ねるそうです
月読命を調べていたら月読命はオコゼが好きな女神とありましたが大山祇神はオコゼを奉納する風習があるという大山祇神社は伊予風土記によると「難波の高津宮の仁徳天皇の御代に顕現された「大山積神は百済からやってきて摂津の御島に坐す・・・神話のような気もしますが創建・祭祀に関わっている越智氏は物部氏の末裔と思われます創建は594年に上浦町瀬戸に建てられた横殿宮(横殿神社)で719年に遷座祭神は大山積神亦の名を和多
大阪府茨木市にあります。そばには、五十鈴川がながれています。主祭神玉櫛媛命-五十鈴媛命の母媛蹈鞴五十鈴媛命-神武天皇皇后相殿神溝咋耳命-五十鈴媛命の祖父天日方奇日方命-五十鈴媛命の兄速素盞鳴尊-五十鈴媛命の祖天児屋根命-藤原氏祖二の鳥居から右手に大木門を入ってすぐ左に紅葉まだ綺麗でした。雨でしたがキリリとした寒さが相まって浄化された空間が。雨の日の神社はいい。人も少なくてゆっくりお詣りできるから。ぐるっと境内をまわっていた