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松本潤とツーショット撮影も!?意外な素顔に驚く『どうする家康』展-J-CASTニュースJ-CASTニュース120点の作品で『どうする家康』を体感!【女子的アートナビ】vol.294この展覧会では、NHK...どうする家康松本潤さんら参加浜松まつり特集番組放送!-NHKNHK【NHK】大河ドラマ「どうする家康」松本潤さん・板垣李光人さん・岡部大さん・甲本雅裕さん参加「浜松まつり家康公騎馬武者行列」の特集番組の放送が決定...有村架純、永野芽郁、二階堂ふ
源義経の行方は未だわからずにいる。文治二(一一八六)年五月六日には京中で源義経捜索が始まったが、それでも見つからずにいる。文治二(一一八六)年五月一〇日、捜査の手は前摂政近衛基通、そして後白河法皇のもとにも及んだ。近衛基通が、あるいは後白河法皇が、源義経や源行家を匿っているという風聞が広まったのだ。後白河法皇にしても近衛基通にしても全く身に覚えのない話であるが、これだけの地位にある人でも捜査の手から免れることができないというアピールとしては役に立った。そのアピールが功を奏したのか、五月
注意●ネタバレあり◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第19回『果たせぬ凱旋』ナレーション〈長澤まさみ〉「源行家彼を味方につけた者は必ず負けるという死神のような男鎌倉方に捕まり首をはねられるのはこれより少し後のこと」「死神のような男」ナレーションが言うんだから間違いなし笑えます三谷ワールドお墨付きの悪玉ようやく退場しました誰からも嫌われる武将ちゃんと実在した上悪運が強いというか憎まれっ子世に憚るというか歴史の表舞台に何度も登場しているのは本当に不思議ですよね
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第19話「果たせぬ凱旋」2022.5.15.放送NHK総合,BSプレミアムこんばんは~昨夜は書いていたらまた遅くなってしまいろくにチェックしないでUPしてしまい一部訂正がありました。スミマセン💦今日も時間はないのですか正確にUPしていければと思います。では昨日の続きです!以下ネタバレ史実バレ後白河法皇に仮病を使われて京へ留まる約束をしてしまった義経。静の膝枕でやさぐれていました。「お父上を偲ぶんのは何処でもできるんと違いますか?別
まずは中国語検定HSK試験の受験者・関係者の皆様、大変お疲れ様でした。来月になると、いよいよ春季試験のラッシュです。私も心を引き締めて頑張らねばなりません。漸く先週・今週の大河ドラマを視聴しました。第18回「壇ノ浦で舞った男」(5月8日本放送)第19回「果たせぬ凱旋」(5月15日本放送)(1)両方の回を連続して視聴すると源九郎義経の活躍から一気に暗転へと事が進むことが良く分かります。義経は色々なことを踏み誤ったのです。まず第18回では平家が滅亡。鎌倉方大勝利!ですが、
鎌倉入りを許されず京で悲嘆にくれる源義経。北条義時は大江広元に知恵を借りて源頼朝と義経との関係修復を模索しますが、後白河法皇がそれを許しませんでした。なんとかして頼朝と義経を会わせないようにしていましたね。亡き源義朝に平氏滅亡を報告したいと頼む義経に対し、脈を止める芝居までして義経を京にとどめました。義経に対して頼朝討伐の院宣を出していた後白河法皇ですが、義時と北条時政が京に到着すると頼朝に対して義経討伐の院宣を出します。また、義時と時政の前に義経が現れて話し
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第19話「果たせぬ凱旋」2022.5.15.放送NHK総合,BSプレミアムこんばんは~今週も書いていきます!「鎌倉殿」以下ネタバレ史実バレ兄弟仲が修復できなくなり義経が失脚してしまう回でした。歴史解釈でえっ!えっ~というところが1箇所ありましたが。(土佐坊昌俊のところ)この大河で描かれていた義経路線真っ直で、兄上大好き~の戦は義経のまんま、後白河法皇と叔父・行家に振り回されて、(ある意味そこは定番どおり)不本意のまま兄と
「低視聴率女王」だった川口春奈の人気が急上昇した納得の背景|FRIDAYデジタルFRIDAYデジタル-講談社そんなマドンナ・良子を演じているのが、昨今、人気急上昇中の女優・川口春奈(27)だ。20年にNHK大河ドラマ『麒麟がくる』で、沢尻エリカの代役として...大河ドラマ『鎌倉殿の13人』完全版Blu-ray&DVDBOXがリリース-TOWERRECORDSONLINEタワーレコードオンラインNHK大河ドラマ第61作。平安時代後期から鎌倉時代を舞台に、主人公・北
今晩は、所沢市田中則行です。暫くしてNHK総合テレビ大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のストーリーあらすじと解説の配信を途絶えていました。本日放映されました第19話「果たせぬ凱旋の巻」のあらすじと解説をリポートします。[第19話あらすじ]鎌倉入を許されず京で悲漢にくれる義経(菅田将暉さん)。義時(小栗旬さん)は大江広元(栗原英雄さん)に知恵を借り、源頼朝(大泉洋さん)と義経との関係修復を模索するが、後白河法皇(西田敏行さん)はそれを許さない。愚痴を洩らす頼朝に対し苦言を呈す八重(新垣結衣さん)。
永井紗耶子さん注目の新作「女人入眼」“鎌倉幕府最大の失策”大姫入内を描く-美術展ナビ美術展ナビ京の六条殿に仕える女房・周子は、宮中掌握の一手として、源頼朝と北条政子の娘・大姫を入内させるという命を受けて鎌倉へ入る。気鬱の病を抱え、繊細な心を持つ...熱海の起雲閣で「橋田寿賀子一周忌特別展」自筆脚本原稿など56点熱海経済新聞熱海市立図書館で「鎌倉殿の13人」巡回展大河ドラマと連動で歴史紹介...熱海市立図書館で「鎌倉殿の13人」巡回展大河ドラマと連動で歴史紹
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第13話「幼なじみの絆」2022.4.3.放送NHK総合,BSプレミアムこんばんは~さっそく昨日の続きです。今日は男たちの歴史的?な場面をみていきたいと思います。時政が伊豆へ去った後の鎌倉に、源行家が現れます。なんと、所領をくれ!と言う頼朝旗下で戦っているわけでもないのに。なんで?です。(まぁ、当時の所領の仕組み、私よくわかっていないのですけどね)本人曰く、行家は平家方と11度戦い8度勝ってきたそうで。(義時らの調べだと、8度
第13話「幼なじみの絆」頼朝の浮気は御家人たちをも巻き込む大騒動となった。源平の激突を目前に、鎌倉に亀裂が入ろうとしていた。先週の終わりに大江広元が「一つ気になる事が…」とういう言葉を残して終わったので、そこから始まるのかと思ったのですが、先延ばしのようです。北条家の会議から始まりました。「何もかも嫌になり、伊豆へ帰る」と言って時政は帰ってしまった。義時は「鎌倉殿」の、そばで活動しているけれど、比企能員、大江広元、安達盛長というメンバーになり、平家打倒と言って旗
こんばんは~先日の大河ドラマのあるシーンで。どーしてもわからんことがありまして。ちょっと悶々としております義円の最期のシーンです。なかなか残酷な場面なので画像は避けますが。あのとき、義円は、「兄上~!」と叫んでいなかった?そう聞こえたので、草むらに隠れて敵に捕まった義円の様子をうかがっていた武将は、頼朝の命で追いかけてきた範頼だと思って。先日のブログにもそう書いたのですが。他のブロガーさんが範頼でなく行家と書いていてそう言われればそうかも、と思う。なんといっても
本日3月20日のTOEIC公開試験、受験者・関係者の皆様お疲れ様でした。(1)今週の大河「鎌倉殿の13人」は「第11回許されざる嘘」でした。<歴史の流れとして>源頼朝は「鎌倉殿」として平家から没収した所領を武士たちに分与(ドラマでは、北条義時が分配に奔走)。彼らは「御家人」と呼ばれ、「御恩と奉公」と言われる主従関係を鎌倉殿との間に結んで「鎌倉政権」として本格化します。そこに平家の大黒柱・清盛入道が病死で平家政権は弱体化・・・という歴史の転換点を扱っています。<あらすじ>(
平清盛が亡くなる少し前から平氏は美濃を制圧し、そこから東へ、鎌倉勢への圧力を加えようとしていました。墨俣はそのための拠点でした。富士川の合戦に敗れた平維盛が墨俣で軍勢を立て直そうとしたのもそのためです。長良川沿いの墨俣は左右に揖斐川と木曽川を配し、物流の拠点でした。と同時に、東西両勢力の境界線という位置付けでもあります。平氏方は兵や兵粮をその墨俣へ集めていたのです。源行家がその平氏の拠点へ、夜陰に乗じて急襲しようとしました。ところが、平重
こんにちは!第3話視ました1180年治承4年この年に起こったのは、歴史的な異常気象。日照りが幾月も続き、人々は飢饉の不安におびえている。と解説があってから始まりました。伊豆では狩を行て、獲物を獲ってきて成果を小四郎義時(小栗旬)が三浦義村(山本耕史)に聞くと、義時「獲物は?」義村は指で答えると義時は「今日はシシ汁ですね」というと「誰がシカと言った?」と義村が答えています。よくよく考えて見ると、シシ=シカこれは、前回からこの1180年までの間の1177年(安
注意●ネタバレあり◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第3回『挙兵は慎重に』自分なりのあらすじ平清盛は治承3年の政変で後白河法皇を幽閉翌年幼い孫(数え3歳・満1歳4ヶ月)安徳天皇を即位させましたこの年(1180)、日照りが続き人々は飢饉の不安に怯えていました北条館では源義朝が政子との娘・大姫と戯れます時政とりくにも子が生まれるそうです宗時は三浦義村、和田義盛、畠山重忠、工藤茂光らと狩猟から帰り頼朝の挙兵について語り合っています何度も書きますが⚠️畠山重忠はこ
『吾妻鏡』の記録は、序文のあと、以仁王の令旨から始まります。1180年(治承4年)4月9日、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)は、源頼政のすすめで、全国の源氏に平家打倒の令旨を発しました。頼政は、夜になって息子の仲綱とともに以仁王のところに行って、「頼朝などを味方にして、平清盛から政権を取り戻しましょう」と申し上げたのだとか。平家打倒の令旨が発出されると・・・ちょうど京都にいたという源為義の子行家が、「まず伊豆の頼朝に伝え、その後、他の源氏にも伝えるように」と命じられています。☆
1179年、平清盛が後白河法皇を幽閉して翌年に幼い孫である安徳天皇を即位させました。1180年は日照りが続いて飢饉が発生したとされています。北条館では源頼朝と北条政子の間に娘の大姫が誕生、北条時政にも子どもが生まれるようでした。そんなとき、頼朝の叔父である源行家が北条館を訪ねてきます。行家は清盛へ反旗を翻した後白河法皇の御子である以仁王の令旨を携えていました。行家は山伏の姿で以仁王の令旨を各地の源氏に伝えていたのでした。そして、行家は全国の源氏が一斉に挙兵
注意●ネタバレあり◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第3回に登場する人物の予習伊豆国・北条屋敷の源頼朝のもとにうさんくさい山伏姿の武士が訪ねてきます以仁王の令旨を携えた頼朝の叔父源行家(ゆきいえ)でした源行家〈杉本哲太〉源行家(1141?〜86)源為義の10男頼朝の叔父にあたります初めの名乗りは源義盛(よしもり)熊野新宮(しんぐう)に住んでいたので新宮十郎とも呼ばれます平治の乱(1159)では兄義朝(頼朝の父)に味方し従軍敗れたのち熊野に逃れ20年間雌伏八
1180年9月8日源頼朝のブログウザっ!マジウザすぎ!今更、平氏追討とか、めんどくせぇー俺、伊豆に長年引きこもってるニートなんやけど、、、行家のオッさんが、なんか以仁王とかいう人の手紙持ってきたんやけど、俺、やる気ないし、、、ニートは働いたら負けやん!ハロワすら行ったことないのに、いきなり戦とか、ありえへんし。今更、社会復帰とか、もーマジ無理。リスカしよ、、、注①1180年9月8日源頼朝が伊豆で挙兵②行家のオッさん➡︎頼朝の叔父、源行家③以仁王➡︎平氏追討を企て
7/14~/16中紀~南紀城巡り3日目3日目「道の駅橋杭岩」で起きると何だか外が人声がするので出て見るとカメラの三脚を立てた人達だらけ・・道の駅の駐車場はほぼ満杯、時間はAM5時前です。そうこの橋杭岩は夕日と日の出の写真スポットでもある場所だったんですねぇ~。日の出前からは確かに幻想的な景色でした(°∀°)b写真を撮りたくなるのも納得です。この日の日の出時刻はAM4時58分でした。目も覚めたので車内で朝食を取り3日目スタート。この日は串本周辺で行きたいお城はあるもの新宮市の
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日も愛すべき残念な武将を紹介していきます。今回は、前回の続きで、源行家さんについてです。前回、平家に奇襲を見破られ戦いに敗れてしまった行家さん。それでも諦めなかったんです。そこが凄いんですよね!!今度は、行家さん、源義仲(頼朝の従妹、行家さんの甥にあたる人物です。)の配下に入り、平家に戦います。そして、遂に平家を京都より追い出します。良か
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日は前回の続きで、源行家さんについて、愛すべき残念な行動について紹介します。源頼朝に令旨を届け、決起を促した行家さん。変装が下手で計画がバレたダメダメな行家さんですが、行家さん平氏打倒は諦めません!!自分で兵を挙げて平氏と戦います。世にいう「墨俣川の戦い」です。行家さんの兵は6000。平氏の軍勢30000と言われています。普通に考えたら勝
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。最近、様々な歴史や武将について見直されていることが多いように思います。大変良い事だと個人的には思っています。そこで、私も武将の見直しをしてみたいと思いました。それで、こんなこと書いてみます。題して「愛すべきざんねんな武将列伝!!」これは、原一六四が独自に偏見で見ている武将の残念だけど、愛おしい武将を紹介しようと思います。普
大功をあげた【城井谷の呪い】宇都宮信房は恩賞を求めてきた。近江にあった【城井谷の呪い】信房の所領が【今様狂い】後白河法皇によってお気に入りの検非違使に与えられていたので、その返還を求めてきたのである。また朝廷と鎌倉の間で土地をめぐって縺れる話だが、この【今様狂い】後白河法皇のお気に入りは九州でも土地をめぐるトラブルがあり、自領からの地頭の廃止を求めていた。さすがに地頭の廃止となると【落馬】源頼朝にはのめない話である。どんなに訴えられようが勝手に地頭を廃止する訳にはいかない、これが返答になる。
こんにちは最近雨☂️ばかりでなかなか思う様に城巡りができない(´;Д;`)前回の赤木城の後和歌山の新宮城へ行きました。台風の前日なので雨☂️和歌山県のお城は初になります。和歌山と言っも端っこなんでほんとに行きにくい場所。でもちゃんと城はあります。【新宮城】築城1618年浅野忠吉廃城1873年城郭平山城天守郭3層5階新宮城は丹鶴山に建てられた平山城である。源為義の娘丹鶴姫から名付けた山である。ちなみに源行家は丹鶴姫の弟にあたる。新宮は行家の子孫と言わ
【落馬】源頼朝が次に行ったのは、中途半端な立場の武士達に態度をはっきりとさせるようにするものだった。それは自らの出陣である。1185年10月29日に鎌倉を出立。11月1日に駿河の黄瀬川に陣を構えた。それにしても【御曹司】源義経と戦う決意を見せる為に、【御曹司】義経と初対面した黄瀬川に陣をひくとは、歴史は皮肉なものである。ただ、【落馬】頼朝は黄瀬川より西進の姿勢を見せていない事から、御家人達に本気さを見せる為の出陣だったと思われる。勿論、【御曹司】義経の挙兵がうまくいった時の為の備えという理由