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2月も半ばになりお休みしていたblog、再開となります。何時までも寝ていては再起は出来ないGODIEGO(生き、死に、そして生きる、はロックバンド「ゴダイゴ」の語源です)の精神で4年後を目指し、ガンバレ小川淳也さんそして“気ままなお出かけ”の再開は「駅からハイキング」から明治大学「地理学研究部」の皆さんが企画した【学生駅ハイ】ですで、今回の「駅ハイ」のタイトルは標記の通りなのですが、このタイトルからではどのような所を巡るのか、今一つ分かり難いのですが、スタート時に手渡されるコースマ
年末は体調が悪く行けなかったので早速お墓参りにお墓の敷地内に、お鏡がいつも、お墓の敷地内が、綺麗にお掃除されていて心から感謝しております。お義父さん、お義母さんにお参りも無事に終わりました大手筋商店街、納屋町は、いつも通り人が多いし、活気あるので、なんだか嬉しい☺️伏見桃山大手筋商店街納屋町商店街あちこちで買い物を済ませて、両手はふさがります帰りに近くの城南宮、自宅に近い豊中不動尊に寄り帰宅。城南宮豊中不動尊良き一年のスタートになりました今年は夏まで私の
いつもありがとうございます実家近くの商店街。お墓参りのあとは、必ず、ブラブラリ〜〜〜あまりの暑さで、油長のかき氷主人は、抹茶さんでぇ〜どす。見上げると、夏らしい飾り付けですオッこの日は、ちょうどこんな催し。賑やかな大手筋商店街でした伏見に徳島県がやってくるかぁ‼️お茶屋さんのご主人が、教えてくれはりましたよ主人側の御先祖様は、徳島県出身。嬉しい時間を過ごすことが出来ました♪買い物をたくさんして帰宅。伏見桃山。お墓参りすると、いいこと、たっくさんあるんです
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」には殿さまやその家族が居住したり政務を執る為の所謂「御殿」や、城主・家族の憩いの場や来客対応の…ameblo.jp「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ
皆さ~ん、最近歩いていますか散歩っていいですよさあ、散歩に出掛けましょう散歩は大人の休み時間一歩踏み出せば、冒険が始まる今回は、お彼岸とあってご先祖さまのお墓参りに台東区上野は”源空寺”へではなくて、江戸時代に日本地図を完成させた測量の祖”伊能忠敬”のお墓に昨年、伊能忠敬先生を題材にした映画を動画で観て、その功績に感銘『鑑賞:大河への道』2022年映画「大河への道」を動画鑑賞江戸時代、日本地図を実測で作成した”伊能忠敬”を大
凉源寺から東上野の源空寺に移動しますこちらの門は閉まってましたこちらが山門でしょうか…こちらから失礼させて頂きます🙏長寿観音本堂浄土宗寺院の源空寺は、五台山文殊院源空寺と号します寺号は法然坊源空に由来します天正18年(1590年)覚蓮社円誉道阿霊門和尚が湯島に草庵を結びましたこれに帰依した徳川家康が、慶長9年(1604年)寺領堂宇と源空寺の寺号を与えたのが創建の始まりとされます明暦の大火🔥で焼失その後も大火🔥や震災戦災で、幾度となく焼失しましたが、その度に再興されて来
香取市佐原で伊能忠敬の功績に浸ってきたので興奮冷めやらぬ内にと思い、伊能忠敬と伊能忠敬が師事した高橋至時が眠る源空寺に行ってきました伊能忠敬に暦学や天文学を教えた高橋至時センセーのお墓『東岡高橋君墓』そして伊能忠敬センセーのお墓『東河伊能先生之墓』だ~れMarlboroをお供えしたの※ちなみに・・・千葉県香取市にある伊能家の菩提寺・観福寺の伊能忠敬のお墓には、髪と爪が埋
24.06/09sun.13:25-16:07近鉄丹波橋駅東口から南に御香宮神社北門西側に、東照宮松尾社厳島社稲荷社御香宮神社本殿拝殿から南へ東側に桃山天満宮を過ぎて、表門伏見桃山城大手門遺構西に、大手筋商店街北側に折れると、源空寺山門源空寺15番/法然上人二十五霊場さらに西に、濠川大手橋を渡る北側に、坂本龍馬避難の材木小屋跡次の筋を南に、千歳家住宅(歴史的意匠建築物)辰巳邸(歴史的意匠建築物)次の辻を左折、濠川を渡り府道を右折伏見運河手前を
こんばんわ!1週間は4日位と思う程はやく過ぎますねー。老人に限ってと思いましたら何と若い孫娘も同じと知りました😊世の中の流れのせいでしょうか?フリーの毎日なのに忙しいく過ごしてます(笑)五月歌舞伎の昼の部🟣鴛鴦襖恋睦おしどり《おしのふすまこいのむつごと》幻想的で古風な趣溢れる舞踊です。🟣毛抜市川左團次一年祭追善狂言🟣極付幡随長兵衛なぜか幡随院長兵衛の名前だけは知っていました。江戸時代に実在し、非業の死を遂げた侠客で、彼の人とな
NHKBSでザ・プロファイラー「地球の円周を測りたかった男伊能忠敬」を視聴した。以前、井上ひさし著「四千万歩の男」を読んでこの偉人に興味があった。香取市にある伊能忠敬の記念館にはまだ行けていない。忠敬は17歳で伊能家へ婿入りして当主に。酒造、廻船業を営む伊能家を再興し、かなりの財産を築いて1794年に50歳で隠居した。この後の人生がすごい。江戸へ出て深川に居を構える。幕府が改暦に取り組み、その任務にあたらせた高橋至時に弟子入りした。忠敬50歳、至時31歳。忠敬は寝る間も惜しん
伏見に移動して来ました次の目的地は源空寺とりあえず、円光大師の碑は写しましたで中に入り御詠歌を確認しました額がものすごく綺麗塗り直したのかな?で、ここコロナだから朱印はしていないと書いてありました六阿弥陀もだけど、書かないなら置書き置いておけよ
歴史ツアーの続きです。武将隊の演武を見たあと、岡崎城の前で記念撮影して、龍城神社もお参りしました🙏龍城神社では、本殿に入れていただき天井の龍の鳴き声を聴いてきました。テレビでよく紹介されて気になっていてやっと実現できました。😀💜龍城神社💜💜天井の龍💜💜大手門💜岡崎公園のあと、最終訪問地の源空寺に向かい歩きました🚶🚶🚶❤️磯部ろうそく店❤️ちょっとだけ、立ち寄りました。🧡和蝋燭🧡自然なゆらぎがあり、幻想的でした✨✨✨💜源空寺💜こちらのお寺には、徳川四天王本多平
江戸時代に大名行列というものが有って、それは大名の経済的負担を大きくして反抗する力を殺ぐためだったとの説がある。この時代の武士同士は、格式、面子、意地の張りあいの世界だったから、あまり質素に貧乏たらしくするのは難しかった。派手になりがちだから幕府から質素にやれとの命令が出たことも有る。確かに大きな経済的負担だったので、ひと目につかない宿場と宿場の間はスタスタ歩き宿場に近づいたところで体裁を整え威儀を正し練り歩き「流石はXX様、立派な行列」などと思わせた。実際には伴の者は今で
報恩寺妙音寺源空寺妙清寺
3/12日曜日の散歩、甲山の丘を下ると、能見町になります。狭い路地を歩きます。末水山法然院源空寺治承元年(1176)、浄土宗の宗祖・法然上人が43才の時、ここに滞在し念仏の教えを広めました。前回紹介した記念寺はここの境内から始まりました。お寺の掲示板人生は出会いによって豊かになり分かれによって深くなる境内にある善光寺如来源空寺の隣にあるお社何だろう?謝徳山覚恩寺能見通りにある真
昨夜から歯医者さん探しで、ドタバタ劇を繰り広げ、全てのスケジュールを終えました先ずはお墓掃除、お墓参りから大手筋商店街の浅野屋さんで、衝動買いしてしまった自分へのご褒美インテリア小物・家具の事ならASANOYA(浅野屋・アサノヤ)にお任せ!京都市伏見区・伏見大手筋商店街3番街asanoya-net.jpみね寅さん、京都離宮に寄り道煉七味とだし巻きのお弁当も買えたし夕飯は、主人とサクッといただきました明日は、おせちを受け取って今年は、生協さんです次男坊が帰ってくると
先日、主人とぶらりと奈良へ目的は、正倉院展であります。長男坊も行ったらしくて、その後の会話で盛り上がってました久しぶりの奈良の鹿たち汗ばむくらいでしたので、気持ちいい一日になりましたねー。大和郡山城に寄り、誰もいない城跡に行き、敷地内神社で手を合わせ、そこから、そこから、伏見桃山。私は、一か月ぶりのお墓参りササキパンで、たくさんパンを買い込んで、帰路へ電車の旅も良かったです秋晴れが続く中、皆さんのブログを楽しく拝読しております。こうしてご縁をいただき、気持
まだ台風からは遠いはずですが今日は雨が降ったりやんだりときおり豪雨な一日です昨日はお天気に恵まれた中で都内で祖父の従兄弟にあたる牧野邦夫の37回忌とその姉英子の7回忌が営まれました透き通った空とても良い天気大きくて綺麗なお寺さん邦夫さんは知る人ぞ知る画家でも、知らない人は全く知らない牧野信一と同じような感じかと牧野邦夫ファンはもっと多いはず英子さんはMAYママの住まいの近くの施設に入っていたこともあって晩年はよく会いに行っていました
22.03/15tue.14:58-17:23近鉄桃山御陵前駅から西に京阪伏見桃山駅との間の道を南へ「魚三楼」に鳥羽伏見戦の弾痕を見て交差点を右折突き当たりに会津藩駐屯地跡(伏見御堂)南に、月桂冠大倉記念館を過ぎまっすぐ、弁天橋を渡って右折長建寺山門東光山長光寺創建1699年(元禄12年)開基伏見奉行建部内匠頭政宇本尊八臂弁財天おんそらそばていえいそわか川沿いを北へ対岸は月桂冠酒蔵?映画やドラマで見かけると作品中に「伏見」現れ違和感漂い
お天気が怪しい中、伏見桃山までお墓参り久しぶりに激混みしました大手筋商店街、納屋町商店街と、ちょいと,買い物いつものササキパン(お店の写真だけお借りしました)直ぐに帰宅降ってきましたレトロな袋です在宅ワークが急に入り、急いで伏見桃山を後にしました素敵な夜をお過ごしください〜
少しずつ、冬空になりましたね伏見桃山に寄ったら、大手筋、納屋町商店街でお買い物ササキパンでパン買いますレトロなビニール袋は変わりません。私は、鶯パンとピスタチオクリームパンが大好き12時までに行かないと、売り切れてしまうんで、小走りで向かいました今日は、顔が痛いくらい朝は寒かった素敵な一日になりますように
いつもありがとうございます晴れた土曜日の事です久しぶりに家族が揃って、義父母の新しいお墓に。納骨の日でした。源空寺さんにお世話になって、お墓も無事に移転出来ました。伏見桃山の駅から1分。大手筋商店街の中の路地です。たくさん、たくさん霊園を周り、義父母の生活圏から離れない、伏見桃山を選びました。御住職、石屋さんに本当に良くして頂きました。私達夫婦にとってもお墓やお寺さんについては、初めてのことです。時間を重ねて、手探りで、家族4人で話し合い、当日を迎える事が
秋晴れの中、伏見の実家へ完成したお墓の下見。お義父さんが亡くなり30年。お義母さんは7年。ふとした事がきっかけで、源空寺さんへお墓の移設。御住職にご縁を頂き、感謝しております。大手筋商店街は朝早くから賑わい、買い物を済ませました納屋町のササキパンをお仏壇に。義母が大好きだったんです大阪の自宅に帰って来てはるお骨は、来月、納骨。少しずつ、少しずつ、整理しております。素敵な夜になりますように。良いお天気になりました
今回、散歩の目的だった・・・源空寺へやってきました(理由は後ほど)源空寺は浄土宗の寺院で、五台山文殊院とも号します。天正18年(1590年)覚蓮社円誉道阿霊門和尚が湯島に創建、和尚は、木食草衣の身となり専修念仏に励んで、多くの在俗帰依を集めたそうですすると、これを聞いた初代将軍徳川家康が慶長9年(1604年)和尚を江戸城に召し、神田湯島に寺地を下賜し源空寺と号したそうです。寛永11年(1634)には三代将軍徳川家光にも呼ばれ江戸城に登城、家光より洪鐘の寄進を受け
2019年3月上旬の休日、プライベートで東上野・稲荷町駅方面に出かける用事があったので、周辺を少し散策して来ました。東京メトロ銀座線稲荷町駅のすぐ近くに、案内板「下町まちしるべ旧浅草北清島町」があります。明治5年(1872)浅草清島町が新寺通り(現浅草通り)を境にして南北2つに分けられて誕生。浅草清島町の由来は、明治2年実施の市制改革に伴ってできた町でよく分かりません。この付近は明暦の大火後、幕府の政策により寺院が移り街を形成したことから新寺町と世言われていました。
昨日のブログに続いて、昨日、伏見へ散歩に行った話の続きを。昨日は、御香宮神社に訪れた時の様子を書いたので、今日は御香宮を出てからのことになる。御香宮を出てすぐのところにある「周辺観光案内図」を見て、伏見で一番大きな「大手筋商店街」から、「銀座発祥の地」を通って「源空寺」「金札宮」へ行こうと決めた。〝大手筋〟から見て南側に当たる「寺田屋」や「月桂冠大倉記念館」、「黄桜記念館」方面にはすでに何度か行っているから、北側を目指してみようと思った。御香宮から西へ、大手筋の
過日、伊能忠敬さんのブログ内容に関連して...右側の国指定史跡『伊能忠敬の墓』の左側に忠敬の19歳下の師である高橋至時さん👇と、その子であるやはり幕臣で天文学者の高橋景保さんのお墓があるんだけど、今回はその高橋景保さんの話。【高橋景保】天明五年~文政十二年(1785-1829)幕臣で天文学者。通称・作左衛門。伊能忠敬の天文学の師・高橋至時の子。景保もまた父に天文学を学ぶ。伊能忠敬とは兄弟弟子の関係になる。二十歳で父の跡を継いで幕府天文方となった。その後の景保の活躍はめざまし
最近地図で調べた場所は?▼本日限定!ブログスタンプ千葉県香取市の観福寺...あなたもスタンプをGETしよう観福寺にも伊能忠敬さんのお墓(遺髪塔)があるって事で...どの辺りかな?って😉今日19日は伊能忠敬が幕府の命を請けて17年間に亘る日本全国測量の第1回目の旅に出かけた日。寛政十二年(1800)閏四月十九日。【伊能忠敬】延享二年1月十一日~文化十五年四月十三日(グレゴリオ暦1745-2/11~1818-5/17)上総国山辺郡小関村(現在の千葉県山武郡九十九里町
■4月19日は「地図の日」1800年4月19日、伊能忠敬が蝦夷地(今の北海道)の測量に出発したことに因んだ。それは我が国初の正確な領土地図を作成するばかりでなく、子午線1°の長さを求め、地球の大きさを測る目的があった。つまり伊能忠敬にとっては「最初の一歩の日」であった。*□江戸幕府天文方の所縁(ゆかり)の場所▽「浄土宗五台山文殊院源空寺」(台東区東上野6-18-12)には、次の天文学者の墓が在る。①伊能忠敬の師だった江戸幕府天文方で「寛政暦」への改暦作業を行った高橋至時(