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清和天皇の孫・経基王が臣籍降下し、源経基となり、その子・満仲の家に、天暦2年(948年)、男子が生まれる。満仲の本拠地・摂津多田か、京の屋敷かは定かではない。“文殊丸”と名付けられたこの男子は、元服して“頼光”と名乗る。清和天皇から5代後となる頼光は、寛和2年(968年)頃、20歳頃までには、当時の京職(きょうしき※平安京の司法・行政・警察権を司る)のトップ・左京大夫だった藤原兼家の下で、私的な護衛として働いていたという。藤原兼家は、藤原北家で従一位・右大臣・藤原師輔の三男
前回からの続きですJR川西池田駅のロータリーのとこに銅像があります源満仲(みつなか)像解説源満仲912〜997年多田源氏の祖ある本(日本歴史人物事典)には、摂津国多田(川西市)で武士団を形成していたと今昔物語集に書いてあるが、実際と隔たりがあると書いてあります京の生活が主だったと書かれてるくらいなんで、多田は知行(土地)だけだっのかもしれませんアップよく見ると馬のチ〇コまでしっかり作られていたのには驚きましたよ今までの銅像では、ありそうで無かった気がします顔はちょっと公家
森永CM「受験にinゼリー2020」篇の神社は多田神社だと思う(タイトル長)いつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!森永CM「受験にinゼリー2020」篇の神社は多田神社だと思うという、銀魂なみに長いタイトルですが、源平箱推しの備忘録としてお付き合いくださいませ。森永はかねてからinゼリーを販売していました。非常食や風邪の時にお世話になるあの食べ物です。
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人形浄瑠璃や歌舞伎に見られる「身替り物」のルーツにもなったお能「仲光」を見に行った時のことです。第一部が対談「清和源氏発祥の地、川西市多田」でした。因みにJR川西池田駅前に源満仲像があります。サラッとしたあらすじは入場時にいただいたリーフレットで分かっていました。満仲が中山寺に預けていた息子の美女丸が、いっこうに学問に励まないのを見かねて家来の藤原仲光に美女丸を討つように命令するということを。学問に励まない美女丸って聞いて単に勉強嫌いの男の子ぐらいにしか思
大阪に関西随一の霊場とされる能勢妙見山があります。源頼朝の祖先でもある源満仲が屋敷で祀っていた鎮宅霊符神像(妙見菩薩の別名)を妙見山へ遷しその後、満仲の孫である源頼国が能勢に移住して能勢氏を称しこの地の領主となると、当地の妙見菩薩を篤く信仰したのを始まりとします。スカイツリーの見上げる墨田区本所に唯一の別院があります。能勢妙見山東京別院です。能勢氏が本所に下屋敷を拝領し、勧請したのが始まりとします。勝海舟で有名です。御本尊は妙見菩薩こちらは、日蓮宗のお寺だけあり、御真言で
「諏訪神社」のニュースまとめ(5件)ニコニコニュース諏訪神社」のニュースまとめ(5件)."もしかして:諏訪大社諏訪神社とは、諏訪大社から勧請を受けた神社のこと。全国に数多くある。..."大百科で続きをみる.祇園祭に学ぶ創始1150年記念事業懇親会/京都毎日新聞8日は門川大作市長や八坂神社の橋本正明祢宜(ねぎ)ら26人が出席。6月29日に開く山鉾行事に関するシンポジウムなど記念事業案が説明された。祇園祭...御朱印集め手作りの旅で全国の寺社へ毎日新聞寺院や神社
今日は、小学校1年の孫くんが入団している学校の少年野球チーム「長尾台バンディツ」が、6年生の「卒団式」の後に、長尾台小学校の校庭で練習試合をするというので、初めて見学に行きました。勿論小学校1年生ですので、高学年のお兄ちゃん達の応援です。新旧メンバーが勢ぞろいで写真撮影息子たちが小学生の頃は、練習や試合をよく見学に行きましたが、爺さんになってからの見学は初めてです。二代続けて少年野球を見学できるのは幸せなことだと感動しました。グランドで練習試合これから6年間、しっか
⚔️⚔️⚔️⚔️⚔️『南大門』多田大権現‼️『宝物殿』『水戸黄門御手植銀杏』不思議の銀杏『七種の宿木』『随神門』『手水舎』『キャプテンロー(唐椿)』『拝殿』『御本殿』『御本殿』の奥には。。。『源満仲・源頼光の墓』(『御神廟』)源満仲・源頼光の墓。満仲および頼光の墓は「多田神社」の本殿真裏にあり、『御神廟』と呼ばれて禁足地帯となっている。「源満仲」満仲は清和天皇の曾孫で六孫王と称された経基王の嫡男である。武蔵守、摂津守、越前守、美濃守、信濃守、伊予守、
⚔️⚔️⚔️⚔️⚔️Nulbarich『摂津國』。。『川西市』。。「多田神社」【所在地】兵庫県川西市多田院多田所町1-1兵庫県川西市の「多田神社」は源氏ゆかりの神様です。『摂津守』としてこの地に居城を持ち、多田満中とも称した源満仲が御祭神です。『清和源氏発祥の地』であるだけに多数の文化財があり、広さ1万6000坪という神域そのものが国指定の史跡となっています。神社の前身は天禄元年(970)に創建された『多田院』ですが、幾度となく大修復を繰り返し、現存の建物は徳
はい。こんにちは。この前の他氏排斥事件のパート2を始めます。では行きましょう。宇多天皇は寛平の治で、天皇親政に反対する人から身を守る為に滝口の武者(武士)を設置しました。うだたきぐちしりとりです。さらに藤原氏の人間ではない菅原道真を登用しました。藤原氏の人間にとっては道真は邪魔者です。そこで藤原氏の人間は、道真を遣唐使の一員にして政界から追い出そうとしたのです。しかし道真は、唐は安史の乱などが起きた影響で衰退しているから遣唐使は不要として廃止してしまったのです(894
川西市まで鉄馬に跨り、遠駆けいたしました。(スクーターでブイ~ンと行ったという意味)兵庫県川西市多田院多田所町清和源氏発祥の地多田神社(ただじんじゃ)(別名多田院)御祭神源満仲—清和天皇の第六子の貞純親王の子・源経基の嫡男、多田源氏の祖。源頼光—満仲の長子源頼信—満仲の三男、河内源氏の祖。源頼義—頼信の嫡男、河内源氏二代目源義家—頼義の長男、通称・八幡太郎。源頼朝の祖先。因みに、甲斐武田氏(信玄さまとか)は頼義の三男・新羅三郎義光の子孫にあたる
承和の変842年藤原良房が橘逸勢、伴健岑を追放応天門の変866年藤原良房が源信(源氏ではない)を助けて伴善男を追放阿衡の紛議888年藤原基経が橘広相を追放昌泰の変901年藤原時平が菅原道真を追放↑菅原道真は怨霊になり清涼殿に雷を落としたり、時平を呪い殺したと恐れられた。安和の変969年藤原実頼、源満仲が源高明を追放↑源満仲像源満仲は源高明の謀反の疑いを藤原実頼に密告して活躍した。その後、源氏は藤原氏の護衛者
前回からの続きです駐車場から先へ向かいますすると右手に金山彦神社というのがありました社号標?の反対側にあった石碑由緒Σ(゚∀゚)こんなとこにも源満仲(みつなか)の名前が!源満仲は清和源氏を開いた源経基(つねもと)の子多田源氏の祖で、川西にある多田神社(押して貰うとリンクします)も満仲が建立しています(源平争乱参照)2の鳥居手水舎その横に境内社楼門?そこをくぐると本殿狛犬は愛嬌のあるものでした♪(*´艸`)由緒にもあったように、いろんな神様が合祀されていますやは
井の頭線と別れ杉並区和泉。日大鶴ヶ丘高校グラウンドの八重桜がきれいです。そしてソメイヨシノが減った住宅街。それまで以上に神田川の蛇行も増えます。さらに蛇行。ほぼ直角に蛇行。一見樹木のきれいな公園かと思いきや東京都建設局の環七貯水施設。ハコモノを造って余った貯水池の上を緑化整備した感じが露骨。環七を渡ったら建設局はこんな感じ。環七を渡るとそれまでの瀟洒で閑静な住宅街は、タイムスリップしたかのように少しだけ古い時代の住宅街に変わる(住んでる方々が読まれていたらごめんなさい)ちなみにこの
今日は「み・つ・や」の語呂合わせから、「三ツ矢サイダー」の日です。「三ツ矢」の名の由来は、源満仲がご神託で、三ツ矢羽根の矢を放った平安時代にさかのぼります。後年、この矢が落ちたとされる地に炭酸ガスを多く含む鉱泉が見つかり、1897年、「三ツ矢平野水」の製造が、政府に認められました。
多田神社《源義家からみの神社》関東の神社は、「源義家が戦勝祈願に訪れた」という由緒が頻出します。当社もそのパターン。源義家が祖父・満仲の祀を建てたことが始まりだそうです。◇鎮座地:東京都中野区南台3-43-1◇最寄駅:方南町駅~550m(東京メトロ丸の内線)◇御祭神:源満仲公=多田満仲◇御朱印:あり【表参道】◆一之鳥居この3階建ての建物は、宮司さんのお住まい&社務所&参集殿になっています。◆手水舎手拭いが下がっている神社を散見します。親切
次男と駅前の散歩源満仲像なるものを見つける、、、はて?誰だっけ?長男の漫画日本の歴史で調べるとイメージ悪っ(^_^;)
大通りを渡り、西に行くと・・・行きすぎました。行きすぎたところで、道標?を見つけました。中山寺、確かにこの方角にはありますが・・・近松門左衛門が、ミナミから尼崎まで歩いていた?通勤していた?ことを考えると、「ご近所」なのでしょうか。少しだけ道を戻り、到着です。久々知須佐男神社です。お隣は、近松門左衛門のお墓がある、日蓮宗のお寺(廣済寺)です。前回は参拝しましたが、今回は、見合わせました。(時間の都合です)見合わせたお寺の脇(神社の参道?)にありました。まずは、こちらで・・
多田神社は兵庫県の川西市中国山地の山中にある石の鳥居をくぐり猪名川を渡ると小高い丘があって登ると南大門本当に立派な大門をくぐるとこれ見よがしと清和源氏の系図が飾ってあります清和源氏の系図↑ここは清和源氏発祥の地なのだ!と主張しています手水舎も大変りっぱなものです手水舎社務所には源氏の笹竜胆の紋です社務所拝殿は超豪華!拝殿檜皮葺(ひわだぶき)で大変立派この奥に五社の本殿がある御祭神源満
先日は、僕の大好きな兵庫県川西市に行ってきました。休日に「どこか行きたいな」って思った時に、京都や奈良は多少気合いが必要なのですが、川西あたりだとうちの近所から阪神高速池田線に乗ってしまえば30分もすれば到着する上に良い感じの自然!そして史跡!うん、やっぱり大好き!てなわけで、日曜に家でダラダラしながら14時頃に家を出発。阪神高速を北へ走ります。天気も良くて気持ち良い。そんなわけで、まずは前々から気になっていたココへ
前回の続きのお話の前に…『ブラック・スワンと水』の気づきが高次元より降ろされていましたね。やっぱり今回も!九頭龍と豊富な水の六甲…のお話なので健康と水の大切さに繋がっているようです。さて前回の続きですが…目覚めた九頭龍様はどこに向かったのか?戸隠神社参詣を終えて大阪に帰る為にナビを設定し、しばらく走っていると…こんな風に↓書かれた案内板が目に入って来て…【⬅︎多田神社】多田神社…まったく知らない…でも…でも…無性に気になるので『行ってみる?』となり車のハンドルを大阪方
旅の途中、知らない武士の像を発見しました。源満仲という人らしいです。今から千年余り前、第五十六代清和天皇曾孫にあたる。川西の多田盆地に移り住み、天禄元年(970年)に多田院(多田神社)を創建し、清和源氏の礎を築きました。後世、鎌倉幕府を開いた源頼朝や源氏武士たちは、すべてこの満仲の子孫です。我が国における源氏と武士団発祥の地と言われています。・・・知らなかった。山陰の曇り空が一変、ピクニック日和です。
【ここにこだわったから「いい家」になった!】解説付写真集をプレゼント中!詳しくはこちらから→写真集プレゼントランキングに参加しています。1日1回、クリック願えればうれしいです!兵庫県川西市の多田神社は源氏のルーツとして歴史的にも重要なスポットであると言えます。能勢電鉄の多田駅から神社へ続く参道は残念ながら昔ながらの風情を失ってしまいました。この参道に面した住宅が「多田下川原の家」という作品です。参道の風情は失ったもののお正月三が日は参拝者が大勢多
能勢電鉄、ちょっとした秘境感を味わえる。多田神社、多田銀銅山とかも、この奥。今回は、九頭大明神(くずだいみょうじん)を目指す。能勢電鉄の鼓滝駅の近く…ところが、まぁ〜見つからない。秘境感のカケラもない住宅街を走り回って、やっと、日没前に見つけた。ここに伝わる壮大な昔話と、現実の神社のギャップが大きい。その壮大なストーリーを川西市のホームページから…千年余り前、源満仲が大阪・住吉神社に願を掛け「矢を空に向けて射てみよ。そのとどまる所を住まいとすべし」とお告げを受けました。
川西池田駅から、ちょっと西へ満願寺って標識があるのですぐ近くかと思い坂を登っていくが、行けども行けども辿りつかず…あとで知ったのだが、この満願寺のある『川西市満願寺町』は、川西市の飛地だ。周りは宝塚市。17時を回ったので、これ以上先へ行けません。満願寺(まんがんじ)山号は神秀山、宗派は高野山真言宗本尊は千手観音菩薩。寺伝によれば奈良時代、聖武天皇の勅願により勝道上人が創建したという。平安時代中期には源満仲がこの寺院に帰依し、以来源氏一門の祈願所として栄えた。
兵庫県川西市、は、清和源氏発祥の地らしい。知らんかったー。んなわけで、川西能勢口の駅の近くに、源満仲の像がたっているというので、ちらりふらりと。源満仲は、源頼朝とか足利尊氏とかの先祖にあたるといわれている。こーゆーのん見ると、なんかぐわーってテンションあがるなー。そんな詳しくないし、歴女、とかぢゃないけど、歴史は好き(*'-'*)。お寺とか、ゆかりの地とか、遺跡とか、見るんも好きー(〃ω〃)。さくら。
週明け、月曜日。今日は清和源氏発祥の地・川西市からスタートです。↑清和源氏の祖/源満仲像前にて良い天気のもと、朝から、川西池田駅、川西能勢口駅前にて、街頭演説をさせていただきました。川西能勢口駅前では、私の学生時代からの友人も聞きに来てくれました(^^)嬉しかった!!幸福実現党は唯一、消費税の減税を訴えてる政党です。金持ちから税金を取ればいいという小さな発想はしません!川西池田駅前では、地域の講演会の代表Nさんが素敵な司会をしてくれました。彼女の力
シルクホースクラブの第1次募集締切が明日まで、馬の写真と血統表で満パイになった頭の中をリフレッシュする為、妻と愛犬を連れてドライブへ行きました。場所は、お隣りの猪名川町、多田銀銅山『悠久の館』豊臣秀吉の埋蔵金が眠る場所として有名です。その額、現在の貨幣価値に換算すると、約200兆円。まぁ、伝説の話ですが…。一口馬主も、歴史マニアも、ロマンを求める点では共通かと。下は資料館で貰えるパンフレットの表紙猪名川町のユルキャラは『いなぼう』ですが、施設のキャラは『オオサンショウウオ侍』猪名川町は