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平氏長者というものは、正式には存在しません。ネットを検索すると、平清盛が平氏長者であったとか、その後は執権北条氏が平氏長者を継いだとか、自信満々に書いておられる方のいますが、何を出典とされているのでしょうか。ネット情報というのは孫引きの孫引きで、不確定な情報がいつのまにか「多数決」で優勢になってしまうということがあります。「源氏長者」には必ず「淳和奨学両院別当」が付いています。淳和院、奨学院というのは、皇族の子弟が通う学校であり、その(名誉)理事長が「別当」です。つまり、「皇族が通う学校の
96月5日(日)は英検、ハングル能力検定試験が開催されました。関係者の皆様、お疲れ様でした!本日は実家でのんびりと大河ドラマを視聴出来ました。先週5月29日本放送「第21回仏の眼差し」本日6月5日本放送「第22回義時の生きる道」についての大河ドラマ考です。(1)主な内容はこちらまずは第21回。主人公である北条義時の妻・八重が水死。彼女が水死したとの伝承は残っており、詳細は判然とはしないもののそれを生かしたストーリーの作りになっています。本ドラマでは、八重は義時の妻・金剛泰時
今週の「青天を衝け」では、将軍となった徳川慶喜が、諸外国あての国書に「源慶喜」と署名しているシーンが出てきました。なぜいきなりミナモトのヨシノブなのか?と不思議に思った人あてに、日本史の基本ルールから説明します。これは歴史を語るときは知っていて損はありません。江戸時代までの日本人は、ファミリーネーム、つまり現代人が「氏名」というときの「氏」を、必ず二つ持っていたんです。ひとつが、先祖が天皇から貰った正式な氏である「姓(せい)」。源、平、藤原、とかいったやつです(ミナモトのヨリトモ、のよう
「征夷大将軍は源氏でないと就任できない」「源頼朝は『源氏の正統』だから『源氏長者』だったに違いない」このような俗説が世の中に蔓延していますが、そんなことはありません。特に後者の『』に入る部分はいずれもそのような事実はありません。前者に関しては、「征夷大将軍には源氏がふさわしい」という理想はあったようですが、有名な坂上田村麻呂や鎌倉時代の将軍が摂関家や親王・王(現代で言う皇族)であった事からも源氏でなければ就任できないわけではありません。尊氏以降の将軍はそのすべてが源氏であること
伊勢丹/新宿店「メンズ館」15年ぶり大刷新、3月16日全館オープン流通ニュース2003年9月に誕生したメンズ館は、15年ぶりに大規模リモデルする。顧客の変化、百貨店を取り巻く環境の変化にあわせ、「ファッションと拘り」という自分達の...山岡鉄舟の書月形に返還旭川から100年ぶり読売新聞書は業務移管された旭川監獄(現旭川刑務所)の修武館に保管されていた。月形町は2006年、書のレプリカを作製するとともに、原本の返還を求めてきた。18年...武家政権「源氏長者」に正統性
村上源氏には、村上天皇の皇子である致平、為平及び具平の各親王の血統がありますが(さらに村上天皇の皇子昭平親王も初め源姓を賜って臣籍降下したが後に皇籍に復帰した)、その中で最も栄えたのは具平親王の子孫です。具平親王の子資定王は、父の死後姉隆姫女王の夫藤原頼通の猶子となり、源姓を賜って臣籍に下り源師房と改名します。さらに頼通の父道長からも目を掛けられてその娘尊子を妻に迎え、摂関家の「身内」扱いを受けて右大臣に昇ります。彼の子孫は代々大臣を務めるとともに源氏長者となります。鎌倉時代になって