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歴史連載物語『暴れん坊を頼れ』各話をクリックすると、そのページが開くよ雪降る鎌倉より第1話荒れる源氏第2話為義腐る第3話夜空の遊女第4話八郎誕生第5話わんぱく八郎第6話八郎の初恋第7話牛車を倒せ第8話蔵の外の声第9話帰ってきた武士第10話打ちのめされる八郎第11話強訴を見る第12話暴れ清盛第13話藤原摂関家の争い第14話親子喧嘩第15話為義の対抗第16話八郎追放第17話八郎元服第18話為朝出発第19話安芸国の夜第
源平箱推し民の聖地ー平野神社(源平両方の氏神)にお参りにいくいつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!昨日に関連し、本日は源平両方の氏神(臣籍降下した氏族の氏神)を祀っているという平野神社にお参りに行きました。神様ルーツの神別ではなく、天皇家ルーツの皇別氏族が対象です。どうも桓武天皇の母高野新笠(百済の武寧王の子孫、諸説あり)
この週末は父の一周忌でした。1年前、出かけた先で突然倒れて、そのまま亡くなってしまった。あれから、もう一年。寂しさは変わらず、感謝の気持ちは増えてくるけど、もう伝えることができなくて…一周忌はお天気も良くて、みんなで集まることができて良かった食事は物語コーポレーションの源氏へ。予約した時に陰膳の用意ができますよ。と、言って頂き、その存在も知らなかったので、父のために食事を用意できることがすごく嬉しかったまずお店の入り口、佇まいが贅沢。お席では小学生の子供達にも優しく接客して頂
今日は宴会会場の下見を兼ねてパトロール!目当てのお店が満席・・・3件回って予約は次回!候補の一つ「謝朋殿」さん!30名なら会場的にはバッチリ!立地がなぁ〜・・・大変美味しく頂きました。〆は文化横丁「源氏」さん!仙台深いねぇ~源氏さん!大変美味しく頂きました。
オープンからずーっと通ってる源氏この度、レーズンバターサンドを通販に美味しすぎてびっくり嫌いなレーズンバターが好きになってしまう逸品ですhttps://www.genji-1994.comGenji(ゲンジ・源氏)|ワインが豊富な和洋中の創作料理ゲンジ(源氏)は、旬の素材を使った和洋中の創作で感動ある手作り本格料理のこだわりレストランです。ワインの種類も豊富で個室もあります。www.genji-1994.com
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。為朝は従う兵を率いて豊後に築いていた砦に戻ってきました。現在の大分県竹田市辺り為朝は、為朝『…やっと百合(ゆり)に会える』砦に近づてくると、前方から、「八郎(為朝のこと)様ぁ〜」「お待ちしておりましたぁ〜」「八郎さんが帰ってきたぁ〜」平吉(へいきち)や定吉(さだきち)は、平吉「おぉ、皆んな〜帰ってきたぞ〜!」定吉「村の子らも大きくなったぞ〜!!」集落に残っていた民らが迎えに
🐲辰2024🐉059🐲2023年10月08日(日)『2023年秋相模の御朱印巡り』鎌倉エリアに来ました源氏の氏神さま三大八幡宮の一社相模國一之宮鶴岡八幡宮を参拝前回は🐄2021年12月に参拝🐄二の鳥居から参拝を開始太鼓橋の脇を通ります参拝客•観光客で賑わっていますう〜ん天気がイマイチですな最後は旗上弁財天社をお参り裏手には🪨政子石〜🪨時間がない中でのお参りはバタバタでした次回は🪨じっくり&ゆっくり🪨お参りします🪨【つづく】
Genji源氏でディナー数年ぶりにGENJIにいってきた。数年前に帝塚山から引っ越してから全然行かなくなっていたので思いだしていってきた。立地は西成区だけど帝塚山に住んでたときに勧めの店と言われたらGENJIは入るだろう。今回のお目当てはGENJI行く度に食べていたサバサンド。相変わらず人気なので土曜日となると予約はほぼ埋まってるが2週間前に予約したら取れた。注文したのは海鮮類の方が多いけど赤ワインをいただいた。ワインの種類はピンキリで高いのは数万円のもあるよ。本日
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆前回、「四条大納言」源定の話だったのでついでに。ご存じ倉本一宏先生の中公新書『公家源氏――王権を支えた名族』を簡単にご紹介。2019年刊行。◆都で活躍した武士ではない源氏帯の文句は、「都で活躍した「武士ではない源氏」」。過去の中公新書の著書『蘇我氏』や『藤原氏』同様、かなり偏執狂的な造りになっている(笑)一冊です(褒めてる)。総論というよりは、嵯峨源氏から始まる個別論を虱潰しに列挙するのがメインで、そのうえに総論を書くス
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。肥後国の菊池吉隆(きくちよしたか)を倒した為朝らは戦で荒れた吉隆の館を建て直しました。※画像はお借りしました為朝さんは肥後国の百姓の依頼で吉隆さんを倒したんだよね建て直した館を見て為朝は満足気でした。為朝の周りには家臣の太助(たすけ)や尾張権守家遠(おわりごんのかみいえとお)や豊後国の百姓、定吉(さだきち)と平吉(へいきち)、肥後国の百姓、松太(まつた)が集まっていました。松太「為朝様、
先週、土曜日から遅くなったけど孫のお宮参りとお食い初めの為大阪に行っておりました。その集まりは日曜日だったので前日、土曜日に読メのお友達と再会する予定だったのですが急遽、お友達の都合がつかずで一人で土曜、月曜とアチコチ行ってきました。その様子は自分用の備忘録として後程ブログアップしようと思っています。さて、往復の新幹線の車内で前編に続く後編へを読了したので。後編もブックオフで購入↓後編、最初の方は前編から続く俳優の方々へのインタビ
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。「攻めよ!!」為朝の軍勢は肥後国の目代、菊池吉隆(きくちよしたか)の館に向けて進軍していきました。吉隆は、吉隆「赤星(あかほし)!門を開けてはならぬ!守るのだ!!」赤星「守っておりまする。しかし、こちらの兵の数が足りませぬ!」肥後の百姓は皆んな、為朝さんの軍勢に加わっているんだよねバァーン!!吉隆「なっ!なんだ、あの音は!?」赤星「敵が丸太で門を打ち破ろうとしています!!」吉隆
大河ドラマ『光る君へ』で登場する源雅信などの公家の源氏たちを知る公家源氏ー王権を支えた名族[倉本一宏]』を読みました。天皇を支えること(天皇の藩屏)を期待され、源氏として臣籍効果した公家源氏、天皇が代ごとに源氏を生み出してしまうのであるものは地方で名門武士になるも、長く朝廷で生き残った公家源氏もいるその歴史を知る1冊公家源氏―王権を支えた名族(中公新書)Amazon公家源氏ー王権を支えた名族(中公新書2573)[倉本一宏]楽天レビュー源氏というと、鎌倉幕府
この日は郡山に泊まりで、何を食べに行こうかと色々と調べまして、飯メインという事でポークソテーが売りの元祖肉処源氏にお邪魔しました扉を開けると平日の夜と言う事もあり、ほぼ貸切状態でしたメニューからして、ソソりますよね食肉の冒険したいっす注文は店名の源氏焼きを頼んでみましたご年配のベテランシェフが焼いたポークソテーはめっちゃ美味そうですサラダのドレッシングは、フレンチとかサウザンとかと思いきや和風で自分好み今回のポークソテーはデミグラスソースにしてみました何ともシンプルな盛り付け
源氏物語第7帖紅葉の賀(もみじのが)よりあらすじ宮中では、懐妊中で祝賀会に出席できない藤壺の女御のために、雅楽のリハーサルが行われた。源氏は頭の中将を相手に舞を演じ、輝くばかりの舞姿は満座の人々を魅了した。桐壺帝も感動の涙を落としたが、源氏の子を宿す藤壺の心は憂いに沈むばかりである。本文藤壺は、「おほけなき心のなからましかば、ましてめでたく見えまし」とおぼすに、夢の心地なむし給ひける。宮は、やがて御宿直なりけり。「今日の試楽は、青海波にことみな尽きぬな。
今日も来てくださりありがとうございます♪『目に見えないものを感じること①』今日は朝から太陽が照りつけてご挨拶の時、おでこがジリジリでした4月、自分へのカードを女神カードと合わせて引いてみます久久能智神(くくのちのかみ)久久能智神は木…ameblo.jpつづきですネットで調べていると…詳しくは書きませんが訪れた場所一帯はいずれにしても昔、合戦があった場所だったということです。源頼朝も関係する場所ですからね〜平氏でありながら源氏として戦った方々もいたようです。まさに平氏同士の争いだった
近い将来、「光る君へ」に登場予定の、源頼光。花山天皇出家の時、その輿車の周囲を固める武者の中に居たハズの、源頼光について。↓↓↓↓↓https://www.youtube.com/live/V0VrkNN6KoY?si=uSin_GFrF8Zdf15Q歴史のお話~第93回「源頼光」~主演文化歴史学者KickMizukoshiとLife-Like、宇塚彩子歴史のお話~第93回「源頼光」~主演文化歴史学者KickMizukoshiとLife-Like、宇塚彩子文化歴史学者Kic
久しぶりに源氏今回は暖かかったので肉つけうどん(大)具だくさんでまいう~~
日本の国旗日の丸と言えば、「白地に赤の日の丸」太陽を見て「赤い」と感じる人はどれほどいるのでしょうか。太陽を赤で表す国は珍しいと読んだことがあります。私はいつからか「白地に赤の日の丸」を見ると違和感を感じるようになりました。覚醒が進んでくると、その理由がわかるようになりました。「白地に赤の日の丸」は、エネルギーが貧弱。パワフルさを感じません。高次元とはかけ離れた印象を受け取ります。ある時、何かを調べていると、こんな話を知ることになりました。
何年か前から、気になっているんですが、初期の武士として有名な源氏と平家。いづれも、天皇の子供で、後続に残れず、外に出された人から始まり、平家の対象たちや、源頼朝の前の代までは、武勇で有名なのが、どうも、腑に落ちないのです。そんな皇族だった人たちが、命を懸けて、戦う武士の頭領って、ホント、信じられません。皇族でも、皇位継承と見做されない男子たちは、武芸を教え込まれていたのでしょうか?うーん。どうして?
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。為朝に目代、尾形惟盛(おがたこれもり)から救われた百合(ゆり)は自らの家に戻りました。百合「お父!!」家には百合の父、三郎(さぶろう)がいました。三郎「百合!!無事であったか!?」百合「八郎(為朝のこと)が助けてくれたの。」百合の後ろには為朝がいました。為朝「三郎、ようやく記憶が戻ったぞ。世話になり礼を申す。」三郎「なんと!百合だけでなく記憶まで無事に戻ってくるとは…さすが源氏の御
久~~しぶり源氏へ寒かったので肉うどん(大)を具たっぷりで美味しい満腹
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。記憶を無くした為朝は百合(ゆり)や、その父・三郎(さぶろう)の畑仕事を手伝っていました。三郎「八郎(為朝のこと)は体が大きく力もずば抜けて強いから、畑仕事がはかどるの」百合「はい、でも記憶は戻るのかしら…」為朝さんは崖から落ちて記憶を無くしているんだよ為朝らの畑仕事を遠くで見ている者がいました。その地の目代の尾形惟盛(おがたこれもり)とその家臣、八代(やしろ)でした。目代って、その地
家系図のコピー本がある。現物は本家である伯父が持つ。なんか、読めるような気もするし読めないような気もする。「都市伝説」が大好物な私にとってはこの本のどこかに、ものすごい秘密が隠されていても良いのではないかと!埋蔵品の暗号が隠されているのでは?などと、密かに期待するものの…そんなこと、ある訳ない🤣!!中は、ほぼほぼ漢字で、名前がズラリ。そして、当然、死因などが書いてある。たぶん、名前の他にも色々書いてある。せっかくだから、キレイに理解できるように現代訳をして欲しいよ
前回まではこちら⬇️目次我に任せろ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。「……うっ、うう」為朝は崖から足を踏み外し、川に落ち流れたましたが、川沿いに打ち上げられたところを豊後と肥後の間の山の中の集落の人々に助けられました。鹿を追いかけていて足を踏み外したんだよね「目を覚まされましたな…大丈夫ですか?」為朝の目に若い女性が写りました。為朝「うっ…ここは…?そなたは?」女性「ここは肥後国、私は百合(ゆり)です。覚えていますか?八郎(はちろう)!」八郎って為
今日は2024年2月27日(火)です。僕は旅番組が好きです。今朝は関西テレビの情報番組「よーいドン」を見ました。その中の「いきなり日帰りツアー」を見ました。今回は麒麟の田村さんが街で知り合った女性2人を誘って香川県の高松市を訪れました。高松城屋島などを廻りました。うどん県です。美味しい料理を食べました。===========僕は昔高松市に住んでいたことが有ります。会社は高松の中心街家は屋島に住んでいました。・・・なのでとても懐
前回まではこちら⬇️目次我を頼れ!私は源為朝(みなもとのためとも)の孫、里子(さとこ)です。為朝と従者の太助(たすけ)は、ようやく九州に到達しました。為朝「太助、九州には着いたが、豊後まではまだかの?」太助「もう少しです。」豊後国って今の大分県辺りだな為朝「腹が減ったな。この辺りで狩りをするか。」太助「はい、あちらに川が流れてますな。私は魚を取ってきましょう。」2人は食料調達のため、狩りを始めました。為朝は弓矢を持ち、獲物を探しました。為朝は川沿いの辺りを歩いていました。
噂通りの素敵な神社様でした!ご近所の子どもたちが楽しそうに遊んでるのも、まったりして良かったです☆御祭神玉依姫命別雷命神武天皇天兒屋根命經津主命武甕槌命社号からもわかるとおり、当社は、賀茂神社と春日神社を合せた神社。賀茂神社は、欽明天皇の御代(五四〇)に創建。春日神社は、文武天皇の御代(六九八)、山上億良の孫・甲斐守山上船主が京都より勧請。古来、武神として崇敬され、康平年間には八幡太郎義家が武運長久を祈願し御
寿永三年(1184)二月七日、源平一ノ谷の戦いに敗れた忠度は、海岸沿いに西へ落ちて行きました。源氏の将の岡部六弥太忠澄は、はるかにこれを見て十余騎でこれを追いました。どこの箇所も無料駐車場はありません忠度につき従っていた源氏ら四人は追手に討たれ、ついに忠度は一人になって明石の両馬川(りょうまがわ)まで、平忠度(平清盛の末弟)が、源氏の武将、岡部六弥太忠澄に追いつかれ、二人の馬が川を挟んで戦ったので「両馬川」という名がついたと伝えられています。山陽電鉄「人丸前駅」横の高架下には「両馬
2月15日の歴史応神天皇ご命日15代天皇応神天皇(誉田別尊)310年(応神天皇41年)2月15日お亡くなりになりました数え年で111歳まで生きられたとか!!応神天皇は源氏の氏神様であり武神として八幡大明神八幡大菩薩と信仰された神様京都源氏ゆかりの八幡様岩清水八幡宮源義家(八幡太郎義家)が7歳の頃石清水の社の前で元服義家は武士で初めて昇殿した人物若宮八幡宮旧鎮座地に残る社六条醒ヶ井六条は源氏の堀川館や屋敷が多くあった地