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伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第24回藤原氏藤原氏を名乗る人の家系図は、天孫降臨に従ったとされる天児屋命が最初にあって、そこから飛んで大織冠藤原鎌足がきて、淡海公藤原不比等がきて、そこで分かれる、北家、南家、式家、京家を各自の先祖とするかたちらなります。天児屋命はあとで創作されてものに決まっていますから、鎌足以前はよく分からない家なのです。中臣鎌足が56年の人生のうちで藤原鎌足であったのは1日だけです。死亡する前日に藤原姓と大織冠と内大臣を天智天皇より授けられま
19日のブログで、Knostanzeさんからたくさんのスダチを送っていただいた記事を書きました。『サンキストの美女』ミステリ仲間のkonstnzeさんに、ご自宅で採れたたくさんのスダチを送っていただきました。彼女のお住まいは薄々は伺っておりましたが、まさかスダチが採れると…ameblo.jpあれからさまざまなものにかけて使っています。Konstnzeさん改めてありがとうございます。私は昔四国出身の人に教えてもらった、冷やの日本酒にそのまま絞って飲むのが好きです。日本酒独特の(特に
Shaudowの学校で教えない歴史の話19「『源氏物語』の謎」2022.05.25H・A・笑童NHKは令和6年度の大河ドラマが、『源氏物語』の作者・紫式部の一生を描いた作品『光る君へ』に決まったことを発表した。『源氏物語』といえば誰もが知っている通り、世界最古の長編物語で、その作者・紫式部は平安時代中期の日本のみならず世界を代表する女流文学者であることは言うまでもない。さて『源
伝の会皆さんの先祖は源平藤橘のどれでしょうか?500年遡ると日本人のほとんどは「源平藤橘」の先祖に行き着くといいます。「源平藤橘」つまり、源氏、平氏、藤原氏、橘氏です。皆さんのご先祖様はこのいずれでしょうか?実はそれも近世墓、つまり江戸時代のお墓からわかる場合があります。伝の会ホームページhttp://greenair.jp/index.htmlyoutu.be
名字と家紋にはハマるツボあり!|千世|note年明け早々から、地味ですみません。家紋と名字についての話です。しかし、これにはハマる人にはハマるツボがあるのです。本来、家紋と名字とは繋がる意味を持つのですが、長い年月の歴史を経て、結局のところ、こんがらがって、勝手に名字を名乗ったり、好きな家紋をチョイスしたりと、現在の各家の紋は正当なのかどうかは定かではありません。戦国武将など、始祖は源氏だ…note.com
『21日参り』20日目の昨日は、お参りに行くと、賽銭箱の前に羽根が落ちていました。羽根を見せられる時は、神仏や天使が導いてるよ〜という合図だそうです。お稲荷さまにお参りに行くと、鳥居下でまたまた羽根を見せられました。サインにワクワクします。✨✨たぶん、ハトの羽根だと思います。そういえば、この日の朝、テレビで滋賀の八幡靴を作る職人さんが紹介されていて、『八幡さん』アピールきてるわ〜と思っていました。究極の履き心地に加わったデザインと手軽さ。伝統の「八幡靴」はこうして生まれ
源平藤橘とは、言うまでもなく平安時代以降に権勢を誇った氏族、源氏、平氏、藤原氏、橘氏の総称である。源氏、平氏は皇族が臣籍降下したときに与えられた氏で、有名なところでは桓武天皇の桓武平氏、清和天皇の清和源氏が挙げられる。藤原氏は中臣鎌足に下賜され、その子不比等の時代から権勢を誇った一族だ。よくある話だが、子どものころ、源氏、平氏、藤原氏から出た歴史上の人物の名前は言えても、橘氏となると、どうもいけなかった。橘諸兄橘奈良麻呂橘逸勢と指を折ると、もう次が出てこない。橘家圓蔵は、噺家だし
4月3日♪土曜日♪今日はお休み🎵ひゃっほぅ~♪ヽ(*≧∀≦)ノあまりに早すぎる、今年の桜🌸(ω-、)そのラストを見送りに…・・・まず七条の梅小路京都西駅から梅小路公園♪『今年の花の見納め♪(前編)【七条♪梅小路公園♪】』4月3日♪土曜日♪今日はお休み🎵ヽ(*≧∀≦)ノあまりに早すぎる、今年の桜🌸そのラストを見送りに…・・・おさんぽ日和~♪…てゆうには、どんより曇った空の七…ameblo.jp広い公園を東の大宮入口へと抜けて『今年の花の見納め♪(後編)【七条
ちゃんしげブログにお越し頂きありがとうございます🙇アメリカ🇺🇸大統領選の経過も凄く気になりますが(近々、何か起こるらしい)今日は日本の異臭についてです🙇神奈川の異臭問題。いまだに原因がわからず、住んでいる人達は不安な毎日を過ごされているかと思います🥺私も、いとこ夫婦や、お世話になった人、幼なじみが住んでいますので凄く気掛かりです何気なく観た占い師さんのYouTube。これというハッキリとした原因は不明とした上で、神奈川県はそもそもどんな性質の土地なのか。歴史を遡ると土地で何が起きていた
「源平藤橘(げんぺいとうきつ)、という言葉があります。歴代の政権を担ってきた氏族は、すべてこの一族に集約されている、という意味です」源平藤橘とは、源氏、平氏、藤原氏、橘氏のこと。僕がこの言葉を初めて耳にしたのは、たぶん、高校三年時の大学受験のための夏期講習のとき、だった。イレギュラーな授業だった印象がある。その言葉を父に伝えたら、「違うよ、なに言ってんだ。源平藤橘っていうのは、すべての氏(苗字)の始まりは、このどれかに行きつくっていうことだ」「えー、そうなの?だって先生が
私のおじさんが、姓名判断をしているので姓名について聞いたことがあります。日本における貴種名族の4つ源氏・平氏・藤原氏・橘氏の氏族の中のいずれかに所属するらしいです。四姓の中でも、1番古いのが藤原氏で、天智天皇を援けて蘇我入鹿を倒して大化の改新を実現した中臣鎌足から始まったと言われています。私んちの系統は、父方も母方も嫁ぎ先も全て藤原の系統になります。んーん、藤原いいのかー姓名の由来というアプリで検索する分かります。私の旧姓は、変わっているので叔父が、調べたそうです。名字
加藤藤紋丸に井桁紋有馬立ち沢瀉室町から戦国の時代は名字・家紋が急増天下統一を目指した織田信長が本能寺の変で非業の最後を遂げた後、覇者となったのが豊臣秀吉でした。尾張の農民出身の秀吉は織田信長に仕え木下藤吉郎秀吉と名乗っていました。そして、織田家中でも有力な武将であった丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつ取って、羽柴秀吉と名乗ったのです。武家社会では主君が家来に自己の名字を与え主従の絆を強めることがありましたが、秀吉はうまくこれを利用して家来を増やしていきました。
「自分暮らす土地」と「自分の名前」が結びつく。その「効果」については、名前の歴史を辿っていくと把握できます。なので、これからさらに日本の「名前」についての歴史をたどっていきましょう。増えすぎた「藤原さん」から始まった「家名・居住地」を「名前」として使用する「工夫」は、源さん平さん橘さんも、すぐに真似をして、「名前」として「土地の名」を採用していきました。どんな場所に住んでいるか、それが「名前」としてす
「じっちゃんの名にかけて!」残念ながら、このセリフを有名にした漫画は読んでないのですが、このセリフがしめす「感覚」は、現代でも日本人にとって、「名前」は特別なものであることを思い出させてくれます。「八色の姓」制度崩壊直前、「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」という「増殖した姓」のなかでも、「藤原氏」が一気に勢力を伸ばしました。その結果同じ「藤原」という名前でも住んでいる「場所」によって、名乗り方を変える、という「方式」が取
日本人の「名前」という制度の「起源」それは、1375年前の「八色の姓(やくさのかばね)」というところまで遡ります。でも、その後、すぐにその制度は「崩壊」してしまうのです。それは、「同姓同名」が増えすぎてしまい、機能しなくなったから、です。でも、この時、日本人は、「名前」に「地位」と「名誉」という機能が追加されることを「体験」しました。そして、社会的なアイデンティティーとなる「名前」が
四つ目菱紋陰源氏車紋九曜紋戦では敵味方を区別する旗指物が必須保元の乱(ほうげんのらん)や平治の乱(へいじのらん)までは敵味方の区別も赤旗や白旗でできました。しかし、源平合戦のように両軍が総力をあげて戦う場合は、多くの武士が入り乱れて区別することが困難になってきました。そこで、旗指物に誰が見ても判別できる印が必要となったのです。その場合、家紋が最適な目印となったのです。南北朝時代になると、所領の相続は嫡子が全部を引き継ぎ、弟たちはその臣下となって支えるということが制度化さ
自分がどこの誰であるかそれを他人に「認識」してもらうために必要となるのが「名前」という、「コトダマ」の本来の機能でした。でも、「地位」と「名誉」の機能をつけた途端に、「同じ名前の人」がたくさん「増殖」してしまったのです。「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」という「用語」があります。これは、平安時代の後半に朝廷の要職を務めた「一族」が4種類しかいなかったことを意味しています。それはすべて、「朝臣(あ
右三つ巴紋結び雁金紋丸に蔓柏紋武士の台頭と家紋・名字の普及平安時代後期になると藤原氏の分家や他の貴族は地方の官僚となり赴任していきました。そうして徐々にその地方に土着して、武装化して武士となっていったのです。それらの領地を守るために武術を尊び修行に励むようになり、次第に他の領地との相違を明確にするため、名字や家紋が全国に広がっていきました。先祖伝来の土地の名称を名字として名乗ることは、鎌倉時代には急速に普及しましたが、公式の場では氏姓と名字が併せて用いられるように
石持ち地抜き山桜紋花梅鉢紋八つ鷹の羽車紋家紋の発祥は公家の牛車からこの頃から名字とともに家紋も徐々に表れてきたようです。公家が公務や私用で使う交通手段は、荷車を牛に引かせる牛車が主流でした。牛車がゆったりと移動していく光景は、現在からするとずいぶんのんびりしたものですが、何家のものかを識別するために自然発生的に車紋といわれる文様を描くようになりました。この牛車の車紋が平安時代末期にはその家を代表する車紋となり、やがて家紋へと変容していくのです。(参考文献
帝△舜の臣下は、禹ウ、稷ショク、契セツ皐陶コウヨウ、伯益の五人。禹・稷・契は、夏、周、殷の始祖では、皐陶(陶=繇ヨウ)も始祖なのか皐=白+夲ホン(=本)夲(本)は、はじめ、みなもと(源)。白の、みなもと。→水面の白くかがやく、さわor沼。→源平藤橘の一つ。皐月は、陰暦五月。南。高。曲。岸。虎の皮の敷き物。白くて清らか。白くて清らかな、水がさらさらと流れるのは、陝西省の渭水渭樹江雲ひとりは、渭水のほとりに立ってひとりは、揚子江の下
先日「大和橘」に携わっておられる方とお会いする機会があり、貴重なお話を頂きました。*「橘」とは…「橘」と言えば真っ先に浮かぶのが田道間守神(タヂマモリノカミ)。第12代垂仁天皇の御宇に勅命で、「非時香菓」を求めて田道間守の常世国への派遣が行われました。「絶域!」と称したとんでもない僻地へ10年かけて往来。戻って来たときには既に垂仁天皇が…。悲劇の忠臣として、垂仁天皇陵の脇に寄り添うように小島が築かれています。この「非時香菓(ときじくのかごのこのみ)」が「橘」のことであろうと。また「源平
永楽銭紋丸に割三引両紋中輪に抱沢瀉紋四大氏の源平藤橘とは奈良時代・平安時代を通じて栄華を誇った源氏、平氏、藤原氏、橘氏4氏を源平藤橘と呼びます。源氏と平氏は天皇の子、孫、ひ孫のうち、皇位を継承しなかった皇族が臣下となった場合に与えられた氏となります。源氏は清和天皇から多くの流れがあるとされますが、有名なものには源頼朝につながる清和源氏です。一方、平氏は桓武天皇の流れをくむもので、有名な人物には平清盛があげられます。藤原氏は天武天皇が中臣鎌足の功績をたたえて藤原
Category:源氏ナビゲーションに移動検索に移動ウィキメディア・コモンズには、源氏に関連するカテゴリがあります。源氏に関するカテゴリ。下位カテゴリこのカテゴリには下位カテゴリ17件が含まれており、そのうち以下の17件を表示しています。*►源姓を与えられた皇子(31ページ)►源姓を与えられた皇女(4ページ)►源姓を与えられた二世王(26ページ)う►宇多源氏(5サブカテゴリ、43ページ)❔か►日本の神(人物神源氏)(13ペ
・・『Zipangu』IsJapaneseBigPictureFirst.PleaseDon'tKorea❗️Truth・・真実は動き始めた2020年(R2)、BigChina、SmallChina(SpecialAsia)3国は呪詛、憎しみ、Ttongsulに満ちていた。TheXXXFiles・・・20th.FutureGeneration!真実と闘え・・・ZipanguIndependenceBanzai⁉️
即すなはち陛下へいかに見み習ならうて行ゆけば宜よいのである。それ故ゆゑに日本にっぽんの国くには精神せいしん的てきの大だい家族かぞく制度せいどになって居をるのであります。即すなはち神別しんべつ皇別くわうべつ或あるひは源平げんぺい藤橘とうきつの姓せいは皇族くわうぞくから別わかれたのであります。さう云いふ風ふうに正ただしく子孫しそんに伝つたはって居をるのであって、其本そのもとを尋たづねると実じつは四海しかい同胞どうほうであるのであります。皇道くわうだう大本おほもとが精神せいしん的てき
一昨日ですが、ルミネ横浜にある『やさい屋めい』で、素敵なお2人→香宮かんさん→セレブ夫人とランチをご一緒しましたかんさんは先日の鎌倉散歩の記事を、セレブ夫人はこのランチの記事を書いていらっしゃいます☆私とセレブ夫人はきのこのみぞれおろし豆腐つくねハンバーグかんさんは季節野菜のデミ味噌豆腐つくねハンバーグ楽しいひと時♪ランチ後はお茶をしながらお話が尽きなかったです(^^)セレブ夫人、私が先日ブログでご紹介させていただいた関裕二先生の『万葉集に隠された古代史の真実』を購入された
日本ではいまだに「大和民族一つで構成されている」というのが通説になっている。これは、古代や封建時代では誰もそんなことは思ってもいなかったし、言ってもいなかった。維新後に天下を握った薩長勢力の明治軍部の宣伝なのである。明治政府は欧米に追い付け追い越せと「富国強兵、殖産興業」政策を推し進めた。しかし、列強植民地政策と衝突し、日清、日露戦争と立て続けに戦うことになる。だが日本は江戸時代を通じて数百年間も外国と戦ったことなぞ無かった。そこで明治軍部は平和ボケした国民を一致団結させて外国と戦わ
今日はちょっと変わった昔の小紋を2枚ほど見つけました。予定外でしたが2枚とも一目惚れのようにして購入に至りました。その一枚がまずこちらです。絞りのようになっていますが、よく見る鹿の子絞りとは少し違いますね。細い縦のうねりがあるような感じで針の跡もあります。糸で絞ったということでしょうか。有松鳴海絞りといわれるものなのかな。何十年か前の古いものと思われますが、大変綺麗な保存状態です。手蜘蛛絞り、三浦絞り、嵐絞り、筋絞りなどというものがあるようですが、こちらのような柄は嵐絞りになるので
日本最古の酒造の神、子授け・安産のご利益で有名な「梅宮大社」は、四姓(源平藤橘)の橘氏の氏神で奈良時代に創祀され、神社本庁に属さない「単立神社」です。楼門(随身門)。舞殿。今年の干支「亥」の絵馬。手水舎。狛犬。奉納された「絵馬」。神苑。境内の梅の花も咲き始めています。神社名の「梅」は有名ですが、境内で飼われている十数匹の猫も有名で全国から猫好きが参拝に訪れます。-END-