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五条烏丸近くです。山号を佛性山といい浄土宗の寺で、開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚です。ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河原院塩竃(しおがま)の屋敷のあったところで、現在もこの辺りを本塩竃町と言います。鎌倉幕府3代将軍将軍源実朝(さねとも)の後室・坊門信子(ぼうもんのぶこ)が貞応元年(1222)に創建したもので寺名は信子の法名本覚をとりました。その後、梅小路堀川に移転し、応仁の乱の荒廃のあと細川政元により高辻烏丸に再
『耳から水?!破けた?!鼓膜?!』今日は、想定外の事ばかり。(;∀;)昨日、高1長男君が部活の試合中に耳を相手方の選手にたたかれたらしく(故意ではない。)朝から耳から水が出て来るっ…ameblo.jp⇧ののさん日中は、散々だった8月6日。😿の続き。【8/6九門子ちゃんのブログ】⇧暑い中、午前は龍散寺さん午後は平塚八幡宮さんでご奉仕くださって夕刻からの神旅。自宅までお迎えにお越しくださいました。おつかれの所、恐
鶴岡八幡宮のぼんぼり祭の最終日(8月9日)は源実朝の誕生日。末社の白旗神社では実朝祭が行われ、『金槐和歌集』を編纂するなど文芸・芸術に極めて高い才能を発揮した実朝の遺徳を偲びます。☆☆☆☆☆
https://ncode.syosetu.com/n7250mf/44継ぐ者源義経〜鬼の弟〜[源頼朝戦記続編]但馬、竹田城。篠と、頼朝の遺した子らが、静かに暮らしていた山あい。その地にもまた、毛利の大軍が押し寄せる。――病の床にあったはずの男が、鎧をまとって立ち上がった。挿絵1:ハイライト「母上!豊国様の此隅山城が、毛利の大軍に囲まれましてございます。鳥取城から、雪崩のごとく……!間もなく、この竹田城にも……!」廊下を鳴らして、鎧姿の頼家が駆
今年の大河ドラマは人気の戦国時代ものですが、敢えて、不人気の鎌倉時代をネタにします。鎌倉幕府の三代将軍・源実朝(頼朝次男)兄・頼家とは異なり、和歌を好み、聡明な人物だったのは確かなようです。ドラマの北条義時二代執権・北条義時は私的理由で「家来を御家人にしたい」と実朝に願いでましたが、「ならぬ」と返しました。*ドラマ鎌倉殿の13人でもありましたドラマの後鳥羽上皇若き実朝は朝廷・後鳥羽上皇によりどんどん官位を上げられ、あっという間に父の頼朝よりも凌ぐ「右大
歴史を思い返して思うことは?▼本日限定!ブログスタンプ私は鎌倉が大好きですが鎌倉幕府の中では、肉親での潰し合いなど、血生臭い事件がたくさん起こり怖かったです。特に鶴岡八幡宮での闇討ち事件は、テレビでやっていても恐ろしいと思います。https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c10910/鶴岡八幡宮:将軍・実朝暗殺の衝撃、源家断絶し公武対立へ(10)鎌倉・鶴岡八幡宮の大石段の脇にそびえる大銀杏(いちょう)の下で、鎌倉殿・源実朝が暗殺された
2026年7月14日(火)の日経新聞「春秋」「「日本茶を「地理的表示(G1)制度」に登録」」源実朝があるとき病気らしい様子なのを見て、周囲が大いに慌てた。ただそれほど深刻でもなく、二日酔いではないかと思いいたる。前日は夜通しで酒宴だった。これを聞いたある僧が茶を取り寄せて良薬として勧めるとともに、自著を献上した。実朝は喜んだという。▶僧は臨済宗を開いた栄西で、献上したのは日本で初めての茶の専門書「喫茶養生記」。タイトルが示すようにお茶を飲むことを健康法の一環としてとらえ、「仙薬
新版日本秀句3一茶秀句加藤楸邨著春秋社新版第一刷2001年7月を基礎資料としている。文化享和4年2月11日1804年3月22日改元文政文化15年4月22日1818年5月26日改元文化7年十月十日頃、一茶が利根川に添ってぬかるみを歩いていたら、口取る人も居ないままに稲束を背負う馬が三、四頭「とろとろ」やって来た。どうしたものかと迷っていると、先頭の馬が「がぶがぶ」泥の中へ入って自分を避けて行き、続く馬も同じように一茶を避けた後、元の道へもどり「ゆさゆさ」と急ぎ去っ
源実朝(1192~1219)は名目上は鎌倉幕府第3代征夷大将軍であったものの、実権は母政子の兄、北条義時が握っていて、政治のカヤの外に置かれていた。それで、いじけてしまったのか、蹴鞠や和歌に熱中したり、宋に渡るとか、当時としたらとんでもない夢想を計画したり、現実に足の着かないところがあったようだ。あるいは、そのおかげで持って生まれた和歌の才能が芽吹く条件が整ったのかもしれない。その実朝の歌にこんなのがある。はかなくて今宵明けなばゆく年の思い
以前から描きたいと思っていたタイサンボクの花ですタイサンボクの花は1~2日間しかきれいに咲いていません。タイサンボクの木は大きくてふつうは木の上の方に咲いているのでとてもその様子を見ることが出来ないです。がこの花は地面に近い場所に咲いていました。ラッキーです。径25~30センチはありそうな大きな花で真っ白清々しいです。花は2日目のようで赤い雌しべの周りにあった雄しべが散り下のお椀状の花弁で受け止めていました。近くの動物園のキリンです。だいぶ離れたところ
源実朝の七夕歌は、伝統的な王朝文化の七夕とは異なる宇宙スケールの世界。☆☆☆☆☆こひこひて稀にあふ夜の天の川川瀬のたづは鳴かずもあらなん天の川きり立ちわたる彦星のつま迎へ舟はやも漕がなん彦星のゆきあひをまつ久方の天の川原に秋風ぞふく天の川水泡さかまきゆく水のはやくも秋の立ちにけるかな夕されは秋風涼したなばたの天の羽衣たちや更ふらん☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ということで鎌倉ツアー、銭洗弁財天でお金を洗ってお参りした後は、鎌倉駅方面へ戻って寿福寺へ行ってきました。場所はこちら。https://maps.app.goo.gl/BqEhY9yCmsP3RmDQ8寿福寺は、1200年源頼朝の妻である北条政子が頼朝の死後、頼朝の父である義朝の旧邸跡に明庵栄西を招いて創建した臨済宗建長寺派のお寺で、鎌倉五山第三位になっています。栄西が書いた「喫茶養生記」という本が寺の宝物になっているそうです。さらに、創建した北条政子と息子の実朝の墓といわれるお墓
『廃帝綺譚』宇月原晴明中公文庫2010年初版単行本は2007年『安徳天皇漂海記』に続き刊行されました。大きくふたつに分かれ、異朝の廃帝について語る「遠く異朝をとぶらへば」では、元・明初・明末を扱い、「近く本朝をうかがふに」で隠岐に流された後鳥羽院を中心に据え、水蛯子と淡島伝説をはじめ実朝と安徳天皇にまつわるフシギをゆらりと立ち上がらせます。「遠く・・・、近く・・・」は「祇園精舎の鐘の声・・・」にはじまる平曲(『平家物語』)の冒頭部分から採られています。「異朝」で挙げられる
身もこがれつつ小倉山の百人一首(単行本)[周防柳]楽天市場百人一首ができるまでを描いています。元々小倉山荘に飾るためのもので、百人秀歌という少し違うものがあったという話は聞いたことがあったのですが…。和歌=王朝文化=平安貴族と思っていましたが、成立年代は鎌倉なのですよね。そしてなぜ小倉山荘に…。撰者である藤原定家が悪筆であることは有名ですが、その謂れの部分が秀逸。そして同時代の歌詠みである藤原家隆との友情。戦国時代くらいから男色があるのかと思っていました
百人一首やったことある?▼本日限定!ブログスタンプ小倉百人一首を眺めていると、知っている歌に出会うことがあります。でも今回驚いたのは、「歌」ではなく「作者」の方でした。■平清盛の歌ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる一見すると、静かな夜明けの風景を詠んだ美しい和歌です。でも作者は――武士政権の先駆け、平清盛。「戦の人」というイメージとのギャップがまず面白いポイントです。■源実朝の歌世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしもこちらはさら
【鎌倉】鎌倉~箱根~修善寺のバスツアー鎌倉鶴岡八幡宮に参拝公暁(※1)がそこに隠れて実朝(※2)を殺害したという大きな銀杏(いちょう)の木が倒れて無くなっているのが残念です生き残った枝を育てて大きくなっているというのは帰宅後知りました事前の勉強不足を後悔、、、「つるおか」ではなく「つるがおか」ですね「つるがおか」と入力すると「鶴が丘」と変換されますが「つるがおかはちまんぐう」→「鶴岡八幡宮」と変換されますね更にちなみに「(神社)に参拝」:(神
言の葉は、残りて[佐藤雫]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}源実朝とその御台所の物語。武家の棟梁でありながら、京に憧れていた人のイメージがある源実朝。頼家の死の真相は…。すべて北条の仕組んだこと。お腹を痛めて産んだ子供でも、北条の利益にならないのならば、すげかえることを厭わない政子。それでも大姫のことはいつまでも心に残る。妹である阿波局との関係。実朝の乳母人にしたのは北条だから。頼家の乳母人は比企氏で、頼家は比企に取り込まれてしまっ
私:「本能寺の変の黒幕はXX」(XXは秀吉とか近衛前久とか色々)という話が沢山ある、今でも次々と創作され続けていることについて、歴史学者の呉座勇一(ござゆういち)氏は、織田信長ほどの人物が、あんなに簡単に討たれるなんて、世間のひとたちにとって、受け入れがたい、ということではないだろうかというようなことを言っていた。鎌倉幕府第3代将軍源実朝が鶴岡八幡宮で甥に暗殺された件も陰謀論が多いが、これも同様の理由であろう。日露戦争の日本海海戦で、
おはようございます。梅雨のはしりみたいですね。雨のスタートです。今月もよろしくお願いしますさて。。京都では禅寺として有名な建仁寺。祇園の近くなので多くの観光客が訪れます。こちらのお寺は建仁2年栄西禅師により開かれましたこのお寺には風神雷神図屏風などたくさんの寺宝がある。★山城名所寺社物語★ここに栄西と恵比寿さんの絵があります。(府立京都学、歴彩館)著者不明、不詳🤔🤔江戸時代の京都の社寺参拝の様子を伝える資料。右端に竿持った恵比寿さん。この絵は中国から帰国す
先日、真理先生のことを書いた時に「真理先生(≒武者小路実篤)ってバラモンだなあ」と気付いたのでした。真理先生が「真理について言いたいことを言うのが仕事」というのと同じで、武者小路も真理探求に余念がないという生き方をしていた。ただし、若い頃からそればかりに関心を向けていたのではなく、当初は政治の方面に進むことを考えていたのに、徐々に方向転換していったというのが僕には興味深く感じられるのです。これをプラクリティ論にあてはめると、武者小路は最初、自分のことをクシャトリヤだと認識していたのが、実はバ
今日のはがき絵。有名な報道写真、イヌワシと少女。昨日鎌倉の天園ハイキングコースのことを書いた。天園コースから外れたところから「公暁悲劇の道」があるはずだが、入り口が分からなかった。1219年(建保7年)正月27日、鶴岡八幡宮では、源実朝の右大臣拝賀式が行われた。夜になり式を終えた実朝が石段の上にさしかかると、大イチョウの陰に隠れていた鶴岡八幡宮寺別当の公暁(二代将軍頼家の嫡男で三代将軍実朝の甥)が、「親の仇はかく討つぞ」と襲いかかり、実朝を殺害。そして逃げ惑う公卿ら
鎌倉駅から歩いて10分ほどでしょうか「寿福寺」があります。私はことある事に訪問しております。大好きなお寺のひとつです。↑総門も立派です落ち着いた佇まいのお寺で、総門を入ると石畳でまっすぐ本堂へと続いています(途中に中門があります)。ものすごく渋いです。でも数年前にご住職が変わられ、お寺の雰囲気が大きく変わってしまったため最近は疎遠になっちゃっていました。前ご住職は怖い存在でしたが色々教えて頂けて、ご朱印も全てその場の手書きで達筆でした。鎌倉五山をはじめ、弘法大師、三十三観音、十
金沢区主祭神大山祇命(おおやまつみのみこと)1180年、源頼朝が伊豆での挙兵にあたって加護を受けた伊豆三島明神(三島大社)を勧請して創建しました。交通安全、旅行安全、海上安全に高いご利益があるとされます。古代、平潟湾の入り江で潮が渦巻く場所であり、古くから「罪穢れを流し去る神聖な地」とされていました。鎌倉幕府を開いた源頼朝ゆかりの神社であり、多くの武将や徳川家康が崇敬した、ここぞという時の「勝利」「開運」のパワーを授かれる場所です。樹齢数百年の「瀬戸神社の大カヤ」は横浜市指定の名木
午前中の寺巡りを終わると、普段は適当にランチのお店を決めるのですが、今回はTVによく出ているクリームシチューのお店に行きたいと思っておりましたので、事前に調べていただくこととなりました。食べる前の写真なので分からないでしょうが、中は海鮮の高級な具材ばかりです。食べたら当然、若宮大路を歩いて鶴岡八幡宮に向かうわけです。元は由比ガ浜から鶴岡八幡宮を結んだ道でしたが、後の津波などで500mばかりが現存しています。源頼朝が造設してから変わらない空間があり、鎌倉市が推している『日本遺産
玉津岡神社から、『橘諸兄公旧趾』に向かいました。山背街道が、古道として。そこから、山の方に入って行くと、『橘諸兄公旧趾』。由緒も記され。橘諸兄(684~757)。父親は、美努王。母親は、橘三千代。妻は、藤原不比等の娘・多比能。天平9(737)年、猛威をふるった天然痘。その大流行により、政界のトップ『藤原四兄弟』(武智麻呂、房前、麻呂、宇合)がみな亡くなり。諸兄が、トップに。という、運命の歯車がまわり。供養塔も。ここにたどり着くために、竹林の山道を。そして、ようやく、誰
甲斐善光寺に行って来ました。平日のせいか参拝客もほとんど居なくてほぼ貸し切り状態でした♪とても贅沢な参拝となりました。戦国時代、1558年に武田信玄公が川中島の合戦の折り、信濃善光寺の焼失を恐れ建立したとのこと。御本尊善光寺如来像などを移したことが始まりです。「山門」は江戸時代中頃の1754年の大火で「金堂」とともに焼失してしまい1776年に再建されたそうです。JR甲府駅周辺は武田信玄公ゆかりの場所がたくさんあります。「香炉堂」(1束200円です)この煙を浴びるとご利益ありそう
播磨町新島の秘密の場所に夕陽を見に行った。強風が吹き気を許すと波🌊に持っていかれそう😱しかしそんなの関係なく…夕陽が播磨灘に沈む絶景が見れる場所です。強い波が岸壁に押し寄せてくるモノクロにすると波の迫力が増したような気がするCinderellaNightsongs大海の磯もとどろによする浪われて砕けて裂けて散るかも源実朝(鎌倉幕府第三代将軍)『金塊和歌集』源実朝は頼朝の息子で源氏三代将軍だが、鎌倉市の鶴岡八幡宮に参拝している時に甥の公暁に殺され源氏の血筋は途絶え
鎌倉幕府三代将軍源実朝とその妻、信子のお話でした。この時代のことは薄っすら知っているだけで、いったい誰が誰を殺したのか、誰が誰を騙した?裏切った?どういう意図か、みたいなことはよくわかってないし、何かのお話で読んだりしてもすぐ忘れちゃうからね、あー、そういうことだったのねと確認できたお話だった。実朝は武ではなく言の葉で世の中を治めたいと願ってその力を発揮していくうちに北条の利害とズレができてしまったんだろうなそれにしても親子、兄弟、親類っていうのが一番、信用できない相手になっていく
令和8年最初のキック・ザ・ツアー。テーマは、北条政子!鶴岡八幡宮境内、若宮から更に東側には…↓↓↓白旗神社。御祭神は、源頼朝と源実朝。頼朝の木造が納められている…とか。ニ礼二拍一礼を。そのすぐ近くには、実朝桜。↓↓↓公暁に持ち去られた源実朝の首が葬られたという秦野市からの寄贈だとか。源頼朝武家政治の創始者(中公新書)[元木泰雄]楽天市場990円${EVENT_LABEL_01_TEXT}源頼朝すでに朝の大将軍たるなり(ミネルヴァ日本評伝選)[