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特高・宮下が戸隠に行った理由尾崎秀樹は、1940年8月に保釈となった伊藤律が戸隠に静養しに行ったことについて、『これは伊藤律が尾崎秀実の動向を探る目的で行ったのだろう』と推論している。しかし、尾崎秀実は、初めて訪れた戸隠が快適だったので、帰郷後、出獄したばかりの伊藤に静養先としてすすめ、仕事を与えた。伊藤が戸隠に行ったときには、尾崎はすでに引き揚げていたので、その動静を探ることなどできるはずもなかった。宮下は、戸隠の伊藤律を突然訪ねていって「異常はないかと、あれこれ訪ねた」宮下としては、保釈し
ちょっと山口県に行ってまいりますー10日くらいコメントを締めさせていただきます。帰路までの記事を書き終えた私はえらい。伊東温泉街の南伊豆側の端っこ、135号を左に入る小さい道があって「汐吹崎はこちら」って書いてあるところです。私は今回4回目・・一度も汐を吹いている姿を見たことがなかった。。ググったら「強風で満潮」が必要だそう。今日は最高のコンディションです。バイクは崖上に駐車場がある。そこから急斜面を海へ降ります強風吹き付ける海に突き出したこんくりの道、、海が深くて怖い。。波も
なぜ伊藤律は共産党から除名されたのか伊藤律が日本共産党に『権力の側から送り込まれたスパイ』と断罪されて除名されたのは、1953年のことだ。当時発表された共産党の論文では、「伊藤律がわが党内に紛れ込み、その地位を利用して行った理論と政策について、どこが間違いでどこが良かったかなどという問題の立て方や態度は正しくない。大切なことは彼が理論と政策面においても、いかにスパイの役目を果たしたか、また果たそうとしたかを明らかにし、われわれの警戒心をいっそう高めることである」と訴えている。この事は伊藤律が
こんばんは。wi-fiの調子があまり良くなく動画を作っても動画を見てもどちらもグルグルしてる時間がいつもに比べて仲がいいような気がいたします。本日はの夜はお昼にざっくりと質問だけAIにしたものを動画にいたしました。後藤新平の第3回南満州鉄道株式会社の総裁時代です。名前通りに考えるとこちらは鉄道会社のはずなんですが実は当時租借地だった旅順大連、南満州鉄道沿線地域、そして撫順、鞍山と言った天然資源産地この地域のインフラ(道路電気水道家屋
かねてより予告していた中国東北紀行と言っても僅か3日の旅に出ます。チケット等の費用は以下の通りホテル2302関空→ハルビン14,940天津→関空10,690チチハル→北京7,047ハルビン→斉々哈爾925北京→天津436合計36386円eSIM597円(10G)関空での買い物辛いか127ハイボール240ティーチャーズ198今回の目的はかつて行った満州を走る蒸気の最後の里、北安を経由する列車で北京は向かいます。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や
きらくやまふれあいの丘(2014)
「戦争と平和」を考える20号(神矢空道ブログ956)2025年9月11日日露戦争とは次に、日露戦争である。(明治37年~38年。1904~05年)日清戦争から10年後のことである。この対ロシア戦争の勝利によって、日本側は、(1)韓国(朝鮮半島)の支配権を獲得した。後に、このことが韓国併合(1910年)への布石となった。(2)さらに、満州(中国東北地方のこと)に対する権益を確保した。(3)これにより日本側は
8月になりましたねロシア極東カムチャッカ半島沖地震に伴う津波警報で散々な事だったと思います・・・中国大連では何もありませんでしたが・・・今日は満州の統治に大きな影響を与えた南満州鉄道の本社跡をお届けします。南満州鉄道(満鉄)とは何でしょうか?満州の長春と遼東半島先端の旅順を結ぶ鉄道。ロシアは東清鉄道のハルビンから大連・旅順を結ぶ支線を敷設していたが、日露戦争後のポーツマス条約でその支線の長春以南の営業権を得た日本が、1906年に南満州鉄道会社(略称が満鉄)を設立して運営した。満鉄は日本
日本は日露戦争(1904~)でロシアに辛勝し、満鉄経営に乗り出した。また、朝鮮を併合(1910)した。そして、辛亥革命後の混乱に乗じて、大陸に深入りした。更には、ソ連への防波堤として、満洲国を建国(1932)した。今日の眼には〝どさくさ紛れの暴挙〟である。だが、〝弱肉強食〟の時代、共産主義ソ連への防衛(石原は対米戦も想定)は、死活問題だった。拙著で以下のように書いた。●●●
ジャムスでも2泊した。切符の記録から3/16にジャムスに着いて、同18日の瀋陽行きで立っている。3/18の日付のある車内補充券。278列車とみえる。同行者が体調を崩しており、特に行くところも無いので街をぶらぶらした。寒くてかなわないので言葉もわからないのに映画館に入った。テント小屋みたいなところで中も寒かった。映画の内容は覚えていない。宿に帰ってもする事がないし、暗いし気が滅入る。テレビを見ても分かるのは天気予報くらいなのでよく見ていた。この時期、満州も上の方黒竜江省は-20〜30℃が
近代日本は朝鮮を「併合」し、満洲国を創り、対ロシア(ソ連)の防波堤とした。だが、初めは勝たせ、奥地へ誘導し(インフラを造らせ)、丸ごと奪う、という蒋介石や毛沢東の「持久戦」の前で、日本は〝赤子〟のようなものだった。深入りした時点で、〝術中〟に嵌っていたのである。戦中も戦後も、中国は日本を「侵略者」と非難した。他国に軍隊を派遣すれば(欧米やロシアも)、誹られるのは当然だ。日本の中国進出を決定づけた、ロシアと「満鉄」経営について、拙著で以下のように書いた。●
【25年3月2日探索・6月24日公開】現在地はこの辺静岡県熱海市網代国道135号線、1枚目の画像は昨日の記事と同じものだ。旧道が分岐するその場所で振り返ると・・・100mほど向こう側に見える白い建物なんだが、ちょっと異様な雰囲気がした。少し近づいた。長谷寺という寺の入口がある。ここから始まる別の探索もあるんだが、それはまた後日。通り過ぎてしまった。この左側がその場所だ。ムクデン満鉄ホテルと書いてある建物があった。既に営業していない
翌日、本来は蒸気牽引の鈍行でハイラルに向かう予定やったけど、俺の風邪のため無理は禁物と、午前中の急行昨日乗った389次の折り返し390次で行くことになった。(鈍行は朝早く、6:00台だった。)満州里の駅では当日販売とのことで、出発1時間ほど前に買いに行った。当時の中国国鉄は今の日本と同じく「乗車券+優等列車券」で成り立っており、今回は最終目的地であるフフホトまでの乗車券とハイラルまでの急行券を購入した。切符売り場で、日本人とおぼしき人(バックパックを背負っていた。)がいたので。声をかける。「A
斉々哈爾駅。こちらは満鉄時代のもの。夕方チチハルに到着。寝台に寝たとはいえ中国の車両はやはり疲れる、また知らぬ気苦労もあってだろう、いよいよ疲れてきたので、この辺りでも1泊しようということになった。取敢えずは、次の目的地までの切符を買わねばならない。紙に「明日的、硬臥」と書いたものを切符売り場で見せ、人民幣を出す。なんともなく買えた。しかしよく見ると硬座であった。これをIに報告し、切符を見せると「これ、今日の切符やないか!。」と言われ。自分でも確かめるとそのとおりであった。「どないすんねん」
これを買ったんですが、再びセールのページを開いて見ていたところ・・・Amazon.co.jp:Kindle本(電子書籍)499円セールKindle本(電子書籍)499円セールストアの優れたセレクションからオンラインショッピング。www.amazon.co.jp3月20日まで。講談社学術文庫の1冊が!満鉄調査部(講談社学術文庫)Amazon(アマゾン)満鉄(まんてつ)とは「南満州鉄道」のことですね。満州国にあった鉄道会
本書より我国現下の外交を見ると、遺憾乍ら唯其の日其の日の国際的事務を処理して居るに過ぎないと云う観があって、いま私の申した、国民の生活即ち経済問題を基調とし我国民の生きんとする所以の大方針を立て、之を遂行すると云うような跡形はあまり認められないのである。国民と共に外交に当たると云う以上は、国際情勢を絶えずよく国民に知らしめなければならぬのであるが、遺憾乍~。由来我国には秘密官僚外交の伝統があるのである。今日迄我々の得た智識は我が国の新聞記事、主として支那側から出た報道によ
こんなものを買ってみた。満鉄が誇る夢の超特急・あじあ号です。憧れるなあ〜昔から日本人が大陸に憧れるのは遺伝的にモンゴル系統だからという説があります。古くは源義経が落ち延びて蒙古に渡った説とか。新選組の原田左之助も死んだんじゃなくて大陸に渡って馬賊になったとかいう伝説もあったな。(嘘っぽいが)鬼島軍曹も満州の馬賊になってたしな。(これははいからさんが通るというマンガの話)ご先祖様から受け継いだDNAが大陸に呼ばれるのだろうか・・・※都市伝説級のヨタ話ですこの本は実際の満鉄時刻表が
ご訪問いただきましてありがとうございます明るく笑って良き想念を広めます笑顔の氣づきカウンセラー卯乃くく凜(くくりん・くくり姫)ですお知らせ【カウンセリング予約状況】随時更新中*地震回避の呪歌*ゆるげどもよもや抜けじの要石鹿島の神のあらん限りは久々に、2025年2月8日ナオキマン2ndチャンネルが更新されました!!神回とあることに、納得です!元WHOの職員であった獣医師による、薬と病氣の暴露話。是非、一度(多分消されないとは思いますが)、急ぎご視聴くださいませ。
持つべきものは友というお話を。昨夜、わが故郷で、こんなイベントが開催されたんです。思わず二度見しました。「近藤房之助が町の商工会のイベントに、それも工場内の食堂で歌うのか!?」にわかに信じられない話です。近藤房之助という名前でピンと来ない方には、「B.B.クイーンズのひげのオジサン」「はじめてのお使いの”しょげないでよBaby”の人」で想像すればいいんじゃないでしょうか。ほんとは、ブルース歌手ですごい人なんですけどね。今回は、そちらブルースの方面
船戸与一の『満州国演義』(ハードカバー)全9巻を読み終えた(写真)。1巻平均550ページだから全9巻で約5000ページ。400字詰め原稿用紙にしたら1万枚を超えるだろう。4兄弟を主人公にして昭和史の暗部を描くこんな大長編を読むのは、司馬遼太郎の『坂の上の雲(文庫で全8巻)』、『翔ぶが如く(文庫で全10巻)』以来だ。おそらく後2者よりも長い。ともかく面白かった。敷島家の個性豊かな4兄弟(太郎、次郎、三郎。四郎)を主人公に、彼らを代わりがわりに登場させ、彼らの関わる出来事から
<今日の製作机より>撫順のジテ改編成(101編成)受注分1編成完成です。ご依頼者様には明日連絡の予定です。撫順のジテ改編成(101編成)側面です。3扉で、扉下にステップが張り出すので、元々幅広車体がさらに幅広に。走行の際は要注意です。撫順のジテ改編成(101編成)同じ日車製、名鉄850系なまずの方が2年後輩です。比較で並べましたが、ジテとよく似た雰囲気。撫順のジテ改編成(101編成)垂れ下がった屋根前頭部といい、よく似ていますが、車体幅は大きな差があります
<今日の製作机より>近鉄名古屋線6401/6453組み立て作業に入っています。屋根部品取り付けまで進行。明日はガラス取り付け作業から。撫順のジテ改編成こちらも組み立て作業に入っています。屋根部品取り付けまで進行。明日は近鉄と同時並行作業で、ガラス取り付け作業から。明日も上記車種の作業継続となります。では。
<今日の製作机より>撫順のジテ改編成色差し、レタリングから半光沢吹き付けまで進行。前面ナンバーもメタルインレタと色差しで立体的に再現。明日は屋根、部品塗装へ。近鉄名古屋線2両は屋根、部品塗装進行。明日も上記車種の作業継続となります。では。
<今日の製作机より>撫順のジテ改編成シルヘッダーマスキングから濃緑色吹き付けまで進行。休み明けは帯はみ出し修正、レタリング等から半光沢吹き付け作業の予定です。近鉄名古屋線6401/5453レタリングから半光沢吹き付けまで進行。休み明けは屋根・部品塗装へ。休み明けも上記車種の作業継続、週末頃の完成を目指します。では、お休みなさい。
<今日の製作机より>撫順のジテ改編成受注分1編成本日より塗装開始です。シルヘッダー黄色吹き付け作業まで進行。明日はシルヘッダーマスキングから濃緑色吹き付け作業の予定です。撫順のジテ改編成のキノコ型ベンチレーター、ヒサシ付きヘッドライトは流用出来る物が無かったので、既存パーツやガンプラの細密加工パーツを組み合わせて自作です。近鉄名古屋線6401/5453受注分各1両本日より塗装開始です。マルーン吹き付け作業まで進行。明日はレタリングから半光沢吹き付け作業の予定です
<今日の製作机より>撫順のジテ改編成受注分1編成塗装前仕上げ作業が完了。明日から塗装作業に入ります。近鉄名古屋線6401/5453受注分各1両本日より製作開始です。半田付け終了。明日も上記各種の作業の予定です。では。
<今日の製作机より>撫順のジテ改編成受注分1編成本日より製作開始です。半田付け終了。明日は削り作業へ。明日は上記作業継続、半田付け少々を予定しています。では。
こんにちは!旅行記の続きです。2日目は、朝イチで南満州鉄道の本社を見に行きました。感激ですついにここまで来たー!という気持ちになりました。そのあとは、中山広場に向かいました。歩いてすぐです。中山広場は、おもに20世紀前半の欧風建築群のある広場で、現存する10棟のうち7棟が日本人建築家による設計とのこと。上海の外灘みたいな建物が並んでいて、とても素敵ですなんだか横浜みたい、と思っていたら、横浜銀行が!そのあとは日本人街と呼ばれる通りを歩きましたが、ここはあま
大連の街角を色々回ってみましょう!配車アプリDiDi(滴滴)で色々な所に行きます大連駅前を通過!上野駅をモデルに設計され日本によって作られた駅は今でも現役です!大連の中心部にある友好広場。友好広場は元々「西広場」と呼ばれていたが、1950年代に中国とソビエト連邦の友好を記念して、友好広場と名称変更された広場。中心にある大きな丸いモニュメントは、1996年に造られたもので、幸運をもたらす願いが込められているとのこと。夜にはライトアップされ、大連の夜景の名所の一つともなっている。中国
「なまず」の愛称で親しまれた名鉄850系、当時の名鉄は運用が複雑ゆえ、やたらと神出鬼没な車両でした。とにかく「850系を見つけたら追いかける」を鉄則に、何度か名古屋まで行きましたが、会えない時も度々・・・名鉄850系が消え10数年後、中国撫順の地でよく似た顔の電車を見ました。元を辿れば、満鉄が導入した電気式気動車の成れの果てで、炭鉱の通勤電車として残っていました。顔つきが似てるのは、名鉄850系と撫順炭鉱の電車はともに日本車輌製で、いわゆる戦前の「流線形」ブームの影響を受けた車輌でした。