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「良心は中身だ。正しいことも中味だ。」講演で胡桃沢伸氏は、何回も「言葉はなれ合って使うものではない」と、同じ事象についてもどんな言葉で表現するか、について述べた。「満蒙開拓団」:時の政府が「開拓団」と称したが、実際は「開拓」ではなく、中国東北部に住む人々が耕していた土地を奪い、住んでいた住居から人々を追い出して住んでいた。現地の人々は、耕地と家を奪われ、とても作物を作れないような土地に仮住まいの家を建て暮らし続けた。「集団自決」:自決ではない。集団死だ。自決とは、広辞苑に
信越放送制作のドキュメンタリーを動画で見ていたが、それでも200名以上の参加者と主催者と一緒に見ると新たな思いに駆られ、心がチリチリ焼け続ける。上映後に胡桃沢氏の講演と質疑応答が続いた。「満蒙開拓団」を送り出した村長の祖父が自死したことについて孫として戦争を学ぶことで到達した心境。氏のその過程は、心の揺れをつまびらかに語りながら人間として守らなければいけないことを、たとえ祖父でも間違いは間違いと言い切れるまでになった苦しく辛い時間でもあった。以下は、胡桃沢伸氏が語ったことを、私な
移住するなら暑い国?寒い国?#移住、国の甘い言葉に騙されるな。明治時代の北海道への移民(屯田兵など)明治時代のハワイへの移民戦前の中国東北部満州への移民(満蒙開拓団)戦後の南米ブラジルへの移民(アントニオ猪木さん)戦後の朝鮮民主主義人民共和国への帰還事業政府の甘い言葉に騙されて、辛い生活を強いられている。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
満蒙開拓平和祈念館の「山河」ピースサポーターニュースに『中国残留邦人等地域生活支援事業講演会』の案内が掲載されている。1月28日(日)11:30~16:20(11時開場)三鷹駅前コミュニティセンター地下一階大会議室(三鷹駅前南口から徒歩5分)プログラム・上映『決壊-祖父が見た満州の夢』(2018年SBC信越放送制作)・講演『河野村開拓団とソフト私』講師胡桃沢伸さん劇作家・精神科医定員60名入場無料、申し込み
史実を刻む~語り継ぐ”戦争と性暴力”(EnglishVersion)https://www.youtube.com/watch?v=2RnrqbtSizM戦争直後、中国・旧満州で起きた「性接待」という名の性暴力。岐阜県・旧黒川村から入植した開拓団で起きた悲劇です。生き延びるためにソ連軍を頼り、見返りとして未婚の女性たちに性の相手を強要しました。封...youtu.be新聞のコラム欄で、お笑いタレントの松本某に、若いお笑い芸人が「女性を献上」したという表現があった。週刊誌記事を
現在の中国東北部に、かつて13年間だけ存在した「満州国」。この地に夢を抱いて渡った、日本からの約27万人にも及ぶ「農業移民」がいた事をご存じですか?終戦後も日本に戻れず、多くの人が現地で亡くなっていった「満蒙開拓」の歴史を探る為、記念館を訪ねました。今回は、非常に重いテーマです。******************************酷暑の影響で旧盆から1ヶ月遅れとなった帰省ですが、やはり今年もまっすぐには帰らず、寄り道する計画を立てました。今
昨日、長野まで行った帰り、「満蒙開拓平和祈念館」という施設に立ち寄りました。うちの母が満州からの引揚者で、子供の頃からよく話を聞いていたことや、山崎豊子さんの「大地の子」という小説に、いたく感銘を受けていたこともあり、このような祈念館があることを知り、機会があれば行ってみたいと思っていました。平日の夕方近く、館内にはだれもおられませんでしたが、中学生が修学旅行などで訪れていることを知り、少し安心しました。1930年代の世界的な恐慌や、生糸の輸出不振などが原因で、特に長野県で
『世界の果てのこどもたち』中脇初枝講談社2015年6月17日「あの戦争は、誰のためのものだったのだろうか。」貧しい農家に生まれ、開拓団として満州にわたった少女、日本統治下の韓国で生まれ、皇民化教育を受けた少女、横浜で貿易の仕事をする父のもと、何不自由なく暮らしていた少女、3人の体験を通して描き出されるアジア・太平洋戦争。⋆「盗むのはいけないこと。そんなことはわかっていた。それなら、盗まないで、飢えて死んでしまうのはいいことなのだろうか。」「わからなくなった。これまでずっと正し
リブログさせていただいた今回の月草さんのブログ、まず「sentoku-ji」さんのリブログが貼ってあって、そこでは南京事件にかかわったかたのその後のエピソードや満蒙開拓団の悲惨が語られています。中国残留孤児の話も。それからヒロシマの原爆(詩)があって、南京事件があります。どれも「戦争」の一部分を切り取ったものですが、一つひとつが例えようもなく重いです。そしてブログの最後で月草さんはこう結んでおられます。(私は)日本で生まれ日本で育ち生きてきた以上、日本が歩んで
☆大日向(おおひなた)開拓地上皇・上皇后さまは、今日まで軽井沢にご静養中!浅間山の中腹海抜千米、高原野菜が立派に育った「大日向開拓地」*軽井沢ご静養所現在、天皇陛下一家のご静養先は、「那須の御用邸」林に囲まれ、侵入道路は一本、数百メートル手前で進入禁止、警備は厳しい・・軽井沢には御用邸は無い、上皇・上皇后様の「ご静養所」は、民間の会
こんにちワニ~☆先日、長野県阿智村にある満蒙開拓平和記念館に行ってきました国策によって満州へ移住した人々は全国的に多かったようですが特に長野県は突出してたとかそして終戦を迎え、ソ連の侵攻や現地人の襲撃に怯えながらも引き揚げてきた方々の経験談やその後の歴史を知る事が出来ます上手く説明出来ませんが皆様も是非さて、明日は時間外で内勤ネチネチされ過ぎない程度に…それでは
満蒙開拓に団飯山町を含む下水内郡から972人~帰国者は404人、未帰還者は568人関係市町村長を代表して江沢岸生飯山市長があいさつ~8月25日「満州開拓社殉難慰霊法要」で~514人が終戦を知らされず集団自決した「満蒙開拓団高社鄕開拓殉難者慰霊法要には、中野市、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、飯山市、栄村の全市町村長(代理含む)及び北信振興局長等がの行政関係者も来賓として出席されました。満蒙開拓には、団飯山町を含む下水内郡から972人が参加し、帰国者できた人は404人、未帰還者は568人にも
令和5年度満洲開拓殉難者慰霊法要~次世代を担う地元高校生からの言葉令和5年度満洲開拓殉難者慰霊法要次世代を担う地元高校生からの言葉8月25日〜中野市東山公園地元中野西高校の黒瀬さんから、集団自決などと言う理不尽なことが再び起きないよう、その事実か風化させないようにしたいです。と、力強い言葉がありました。#満蒙開拓団殉難者慰霊法要#高社郷満蒙開拓団#中野市東公園#中野市#箱店屋横丁大家の店番日記
恒久平和を願い🕊️高社郷の悲劇を後世に伝えるために〜8月25日午前10時から中野市東山公園で~「高社鄕満蒙開拓殉難者慰霊法要が開催されました。8月25日は、78年前に国策により満洲に移民した中野市など下高井郡下の満蒙開拓団」の514名が終戦を知らずに集団自決された日です。慰霊法要の開会にあたり、実行委員長の篠原孝さんは、「私は、この悲劇を風化させてはならないという強い思いと、何よりも故郷から遠く離れた満州の地で自決という形で果てた無辜の開拓団員に哀悼の誠を捧げるため、2014年より実行委員
今日~午前10時から中野市東山公園で~「高社鄕満蒙開拓殉難者慰霊法要」が行われました~今日8月25日は、78年前に満蒙開拓団・高社郷の入植者が、満州において集団自決した日です。「満州農業移民100万戸移住計画」という国策により、満州に移民した「高社鄕開拓団」は、中野市、山ノ内町、飯山市(木島村・瑞穂村)、木島平村、野沢温泉村、栄村などの180戸、721人。このうち、514人が、関東軍から終戦を知らされず、8月25日に満州において集団自決しました。この集団自決に追い込まれた開拓団員を慰霊
ひとつ前の当ブログの続きです。1945年8月15日に、どこで「敗戦」を迎え、どのように思っていたかを53人の新劇女優が綴る『女優の証言一九四五年八月十五日』(悲劇喜劇編集部/ハヤカワ文庫NF)の中で、南風洋子さんの書いた文章の話です。敗戦となり、国の命令で満鉄系の会社を設立した南風さんの父親は200人の避難民を連れて引揚げますが、ソ連兵の囚人部隊に襲われ女性が凌辱することが多発し、部隊の上官に「止めさせてくれ」と交渉しますが、その条件として「上官の相手をする女性を差し出せ」と言われてしまい
8月25日午前10時から中野市東山公園で~「高社鄕満蒙開拓殉難者慰霊法要」が行われます~8月25日は、78年前に満蒙開拓団・高社郷の入植者が、満州において集団自決した日です。「満州農業移民100万戸移住計画」という国策により、満州に移民した「高社鄕開拓団」は、中野市、山ノ内町、飯山市(木島村・瑞穂村)、木島平村、野沢温泉村、栄村などの180戸、721人。このうち、514人が、関東軍から終戦を知らされず、8月25日に満州において集団自決しました。この集団自決に追い込まれた開拓団員を慰霊す
終戦記念日の15日に思い立ってやっと怠っていたこの時のこと投稿しなくてはならないと奮起しましたちょっと重い話です父と弟と息子と茨城県の内原に行った時です日本の歴史の中で知らない人の方が多いかと思いますかつて15歳〜17.8歳の青少年が国の方針で満州開拓団少年義勇軍に志願したことをその資料館です少年義勇軍学校で子供達にお国のために銃ではなく、クワを持って開拓し満州に行かせると言う制度で全国から学徒動員のように地域地域で募られ壮絶な過去ですお国のために行か
満蒙開拓団にエリザベスサンダーホーム(大磯)その前から少し見始めて..📺これはTVerには重いから若い人は見たがるかどうかだな。切ない。“親が元華族?”と聞かれた私も色真っ白ユーレイみたいに..だが祖父母は共にヨーロッパ感があったから(岩手➡︎横浜と奥羽越列藩同盟地域のほう)戦争前に日本に来てるから少し違うけれどハーフの疎外感はね。とは言え私は応援団長とか学芸会ヒロインでワチコレとして得が多かったけれどね..可愛い綺麗可愛い綺麗と言われ。。“小学校から成
戦争で大きな被害を受けた地域というと、どこを思い浮かべますか?やはり、広島、長崎、沖縄ですかね?自分の調べたところ、長崎の犠牲者は7万4千人。広島は、数ヶ月以内に亡くなった方を含めると、16万6千人東京大空襲の死者が11万5千人以上沖縄戦は20万人以上との事です。対して、満州で亡くなった邦人は24万5千人との事。引き上げる際に亡くなった方等を含めると、30万人を超える様です。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/満蒙開拓移民満蒙開拓移民-Wiki
・・--------AUTHOR:虚実歴史研究家TITLE:満蒙開拓団犠牲者の最後の慰霊祭DATE:08/07/201603:27:00PRIMARYCATEGORY:昭和初期STATUS:PublishALLOWCOMMENTS:1ALLOWPINGS:1CONVERTBREAKS:1CF50_USERNAME:navy.ap.teacup.com/monogatarekishi/-----BODY:『山本慈昭望郷の鐘~満蒙開拓団の落日』
たまたまYouTubeで知った。YouTubeはよく見るのだが、人間の闇、ダークなものが多い。歴史は悲惨であったり残酷であったりする。そして、人間の本質は今も昔も変わらない。幽霊より生きている人間がいちばん残酷でコワイと感じる。『私たちがどれほど、辛く悲しい思いをしたか、私らの犠牲で帰ってこれたということは覚えていて欲しい』「乙女の碑文」より「あなたのお蔭で今まで、生きているよ…」涙が止まらない・・・今から約90
「社会の仕組み」と「国民の生活」との関係を、見つめる視点を私たちは持つべき。次の本からの抜粋です。『侵略・布告なき戦争』発行社会評論社1985年p240〜242これより最後まで、引用です。五・一五事件に農民決死隊を参加させた愛郷塾の指導者・橘孝三郎は、その著書『日本愛国革新本義』のなかで、次のように言っている。「皆様もほぼ人口食糧問題が捲起(まきお)こされるわけが何処にあるか見当が御付きのことと存じます。事実日本の百姓は米を作っていながら、自分の米が食えない程困っている。これは日
以前このブログで書いたが、ハワイの旅で、バスガイドさんから日本人としてパールハーバーのことを尋ねられたことがある。旅で訪れる国と母国日本との歴史を知らずにいた自分の、人間としての在り方を考えさせられた。30年以上も前のことなのに、あの時のバスガイドさんの顔や声、口調。シーンと静まったバスの中、あのときの情景がありありと今でも蘇る。従軍慰安婦の実態を知るため韓国に3泊4日の旅をした。とてもしらふでいられず、マッコリをしたたか飲んで酔っ払い酷い二日酔いになった。731部隊については、敗戦が濃厚
終戦後、すべての日本人がすんなりと引き揚げてきたわけではないのはご存知のとおり。兵隊はもちろん、官吏、看護婦などさまざまな職種についていた日本人が引き続き中国大陸や南方で働いていた。しかし八路軍(パーロー)で戦った日本人がいたとは。結論から言うと、このブログで紹介してきた数百冊の本の中でもTOP3に入る面白さだった。☆5つ!著者は昭和4年生まれで15才で開拓団員になり単身渡満、終戦後の混乱の中、収容所を脱走、逃亡生活に。この八路軍に入る前の日々がべらぼうに面白い。海千山千の中国人相手に
赤崎大先生満蒙開拓壮絶帰国そして命ありがとうございました。響きました。
支那の思想には「王道」と「覇道」というものがございます。王道とは道徳による統治のことで、覇道とは武力による統治のことであります。心の面を解決するのです。欧米諸国を納得させるだけの理屈と、支那人たちが統治を受け入れるための思想が必要なのではないのか。「心」が伴えば、覇道は王道へと変わります。建築によって都市を繁栄させる。それによって満洲という国家の理念をー「五族協和」と「王道楽土」を実現する。それこそが自分にとっての戦争だった。小川哲著「地
祖国日本のために見事に戦って生き延びながら、ソビエト軍の蛮行によってシベリアの凍土に埋もれた、わが国の先人達に哀悼の意を捧げます最終DVDの章見出しを列挙します。1.敗残兵の選択2.ソ連兵におびえながら3.開拓村の日本人4.かりそめのやすらぎ5.降伏6.収容所への道7.捕虜の生活8.サボタージュの罪9.通じない弁明10.語り合える相手11.許せない人間12.妻の下へ※お詫び:昨日の文と重複する部分が多々御座います※冒頭1の章で、梶達はソ連軍が伐採
三寒四温のように、心も揺れ続けている。こころが寒かったり暗い時には、気持ちが落ち着くものに接すればよいのに、気になり続けているのは、戦争の被害、加害、ホロコースト。1月27日は、「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー(2005年、国連)」で、YouTubeサーフィンすると、アウシュビッツ絶滅収容所や1920年代から1945年まで、敗戦後のGHQ占領時代から現在までの歴史的事項に対するものが次から次へとあり、億劫感で体が動かないのに、「こんなことが!?」と気持ちが収まらず、次から次へと
今も昔も五反田とは縁もゆかりもない。学生時代に東京で5年間暮らした時にも行ったことがない。ではあるけれど、新聞の書評で激賞されていて、ネットか何かでも好評であることを目にして無性に読みたくなった。本はかさばるし重いので新書か文庫しか買わなくなっていたのに久々に新刊の単行本を手にすることになった。まことに大仰なタイトルではあるけれど、「五反田」の町工場の家に生まれた作者の家族史を軸に、日本を中心とする近現代史へと広がる物語を飾り気のない普段着の文章で鮮やかに描き出す。タイトルにある「世界」と