ブログ記事641件
皆さん、こんにちは今年も8月15日がやってきますね。毎年「終戦記念日」が来ると、何とも言えない”やるせない”気持ちになるんです。これも昭和の親父だから・・でしょうか私の家は、祖父も父も戦争には行っていない家庭です。父は、「あと1年戦争が長引いていたら行く予定だった」と聞いていますが、終戦によって戦地へ行くことはありませんでした。ただ、伯父は南方戦線へ行っています。終戦後も南方のある島(聞いたのですが、昔過ぎて忘れてしまいました)に約1年間残り、飢えに苦しみな
今日も晴れ時々曇りといった天気だったが、午前中に雲行きが怪しくなって、少し雨が降った。最高気温は31度。2002年8月18日に放送されたTV朝日「サンデープロジェクト」での田原総一郎と高市早苗のやりとりが部分的に切り取られて動画に載っている。部分なので全体の流れはよくわからないが、それを割り引いても、高市早苗は関東軍の暴走が引き起こした満州事変から始まる侵略戦争を自存自衛の戦争だったという見解をもっていることがわかる。もう一つ「セキュリティのための戦争だった」ともいう。「自存自衛」と
川本三郎「荷風の昭和≪前篇≫ーー関東大震災から日米開戦まで」(新潮選書、2025年)を図書館から借りてきて読んだ。先日のミニクラス会で高校時代の友人から強く薦められたもの。永井荷風「断腸亭日乗」を詳細に読み込んで執筆した川本三郎「荷風の東京ーー『断腸亭日乗』私注」(都市出版)は、以前に興味深く読んだのだが、荷風の買春行動にはどうしてもなじめなかった。その点では、広津和郎の荷風観に共感する。荷風は小説のネタにするために買った女からその素性を聞き出すなどするのだが、本人も自嘲し
序――四半世紀を隔てて再燃した一場面2026年の夏、X上で一本の切り抜き動画が拡散した。2002年8月、テレビ朝日系「サンデープロジェクト」での田原総一朗氏と高市早苗氏のやり取りである。田原氏が「日本の戦争は自存自衛の戦争だと思うか」と問い、高市氏が「私はそう思います」と答え、さらに「セキュリティのための戦争だと考えてます」と述べる。田原氏は「満州事変なんて関東軍が仕掛けてやった」「あれは明らかに侵略戦争」「無知だよ」「幼稚極まりない」と激しく畳みかける。この場面が四半世紀近くを経て再
読書ねじまき鳥クロニクル村上春樹やっと図書館で、誰も借りていない状況に遭遇。1994年〜1995年に出版されたこの本を読む事ができた。どうやら村上春樹にとって1984年という年は、彼の「1Q84」(2009年出版)でも分かるようにジョージ・オーウエルの「1984」からかなりの影響を受けていると感じる。確かにその年はMacintoshの発売や、ロサンゼルスオリンピック、1197年の香港返還が決定、日本では安定した経済を経験していた一方で、グリコ事件のような前代未聞の出来事が発生、「不
【日々好日】今の日本は変だなぁ~「今の日本は変だなぁ~」と思いつつ、その原因を知りたくて今、歴史書を読んでいる…こっそりと🤭「先の大戦」って…「太平洋戦争」?その中で、「第2次世界大戦」が歴史のターニングポイントになる。だから、私は「先の大戦」と言う。だけど、この表現も変。「太平洋戦争」という表現は聞きなれてる…けど…?「日中戦争」?歴史の本📕を改めて読むと…違うなぁ~。第2次世界大戦は、主に中国と戦ってる。1931年の「満州事変」が戦争のスタートになり、1937年に「日中戦
本シリーズを再開します。前の記事『戦争はこうして始まった(2)満州事変をどう見るか』の初出が4月3日ですから、お休み期間は2ヵ月にもなります。畑の作物の植えつけ適期と重なるなどで、楽しみに待っていてくださった方にはお待たせして申し訳ありませんでした。3回目を迎える今回は、前回の記事内容と密接に関係してきます。こちらをアップする前にそちらを再掲したのもこの事情によります。念のため本記事末尾にもリンクしておきます。さて、きのうは江戸時代に建てられた幕府公認の学問所である湯島聖堂を見てきた話を書きま
昭和六年九月に起こった満州事変は、当時満州にいた関東軍の参謀板垣征四郎大佐、石原莞爾中佐、片倉衷(ただし)少佐などが、当時の本庄繁司令官(中将、後に大将、終戦後自決)を軟禁同様にしておいて、軍律違反を承知の上で、勝手に起こした事変といわれている。そうして中央及び朝鮮軍に援兵を求めた。中央も朝鮮派遣軍も、軍律違反は咎むべきであるが、いまそれを言っていると、日本軍は兵力過少のために全滅して、世界の物笑いになり、兵士は犠牲になる。そこで朝鮮軍司令官林銑十郎中将(後に大将)は、ともかく援兵を送り、事
謎の響き「じゃんめん」2018年5月の四国ツーリングでママちゃんが高知で見つけたラーメン♪『祝!ママちゃんFJR初タンデム。四国周遊ツーリング。』四国愛媛・高知・香川と周遊ツーリングに行って来ました今回はママちゃん初FRJタンデムツーリング!運命やいかに!?GWも仕事だったので旅行気分を満喫すべく2泊…ameblo.jpコロナ禍宇治に出来た「宇治まんしゅう」『まんしゅう宇治店。餃子のまんしゅうと違うでぇ~』高知でママちゃんが発見し食べて美味かった「ジャン麺」もとは焼肉屋のサイ
古い写真から安彦良和『虹色のトロツキー』は雑誌『コミックトム(1990年11月号-1996年11月号)潮出版社』実に6年に渡って連載された。舞台は満州事変後の満州関東州。五族協和の元、大連にある建国大学(士官養成学校)に集った日本、モンゴル、朝鮮、中国、白ロシア出身の若者のなかに、異例にも(満州事変を画策した工作員とも疑われた)日本陸軍中尉・深見圭介と蒙古人の母との間に生まれたハーフ、ウンボルトの入学が許可される。幼いころ、ウンボルトは何者かに家族を虐殺され自身も重傷を負う。密
By奥田英朗大正天皇の崩御から昭和って元号が始まる…日本🇯🇵日本人にとっての新時代の幕開けを当時の軍人はじめ、あくまで"一般市民"とされる未成年、成人、壮年、男、女…それぞれの立場から描写する📖同じアジアの隣国の人間や、海を渡って来る欧米人たちも登場して当時の世界情勢も読み取れる📖日本近代史の教科書これにしたら??普天を我が手に第一部大正15年の年の瀬、12月25日の午前1時過ぎ、陸軍省軍務局の少佐・竹田耕三のもとに、待ちに待った男子が誕生した。志郎と名付
Wikipedia参考上海ビジネスフォーラム異業種交流会参考抗日運動時代の中国に飛び込んだスノーAmazonAmazonwww.amazon.co.jpアメリカのジャーナリスト。中国大陸の近代事情、特に親しかった中国共産党に関する作品『中国の赤い星』により著名である。1905年生まれミズーリ大学コロンビア校でジャーナリズムを専攻学ぶが学費負担に苦痛を感じ1年で退学23歳1928年から周遊記を書くための世界一周の旅に出かけた。同年夏に上海に上陸
『満州事変から日中戦争へ』(シリーズ日本近現代史⑤)久しぶりに読書メモです。さいきん、めっきり読書のスピードが遅くなり、読書がはかどりません。この本もずいぶん時間がかかりました。岩波新書『満州事変から日中戦争へ』(2007年6月20日第1刷発行、2024年12月5日第26刷発行)を読みました。著者は、加藤陽子さん。1960年生まれ。出版当時、東京大学大学院教授とあります。ご専門は、日本近代史。先にこのブログに読書メモを書いたシリーズの③の『日清・日露戦争』を読んでか
井上尚弥、判定勝ちでしたね〜🥊なかなかいい試合だったようで・・くそ、、地上波で見せやがれ。笑GWもまだまだこれから、皆さん浮かれまくりで羨ましいかぎり。はぁ、、なんの気兼ねもなく、ゆっくり休み取れる日がいつか来るのだろうか💦さ、DVDでも見よ📀2014年の作品、『小さいおうち』ディアゴスティーニ山田洋次コレクションにて鑑賞。まずはガイドブックをペラペラと読んでみる📖【あの小さな家に閉じ込められた秘密。60年を経て、いま静かに明かされる。】【小さな家に秘められた戦争の時代の
*4月19日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君と近現代史のしらたま教授との歴史トーク、今回のテーマは昭和戦時中の外交官・杉原千畝です。本日は、杉原千畝と満州事変のおはなし。🥟あんみつ「しらたま先生、昭和七年(1932)二月、満州に侵攻した関東軍は杉原千畝の勤務するハルビンを占領。一気に中国東北部占領を実行します。満州はまさに帝国時代の植民地政策を象徴する地となりました」しらたま「満蒙は日本の生命線、などと
*4月12日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君と近現代史のしらたま教授との歴史トーク、今回のテーマは昭和戦時中の外交官・杉原千畝です。本日は、ハルビンの杉原千畝のおはなし。🍟あんみつ「しらたま先生、大正八年(1919)七月、19歳の杉原千畝は外務省が募集した留学生の選抜試験に合格。英語はすでに習得しており、第二外国語としてスペイン語を希望していましたが、ロシア語を勉強することが条件だったんですね」しらたま
佐々木譲「時を追う者」(光文社文庫)昭和24年(1949)、自社の労働争議のいざこざに巻き込まれ逮捕拘留されていた藤堂直樹だったが、歴史学者の守屋に救いだされ、物理学者の和久田に引き合わされる藤堂は戦中、陸軍中野学校の出で、その経験を買われ「ある特殊な任務」を任される全国各地に伝承として伝わる洞穴には、過去へ遡れるモノがあるというのだッ狐につままれた様ではあったが、偶然知り合った工員の与志と、満州からの引き上げ者の千秋を伴い、後塵と帰した東京を・いや、を平和の世に戻す為の使命が託さ
満州事変の真実:リットン報告書の真意55-3/35.国際連盟脱退と「リットン報告書」の真意:孤立への道は避けられなかったのか日本が国際的に孤立する決定打となった国際連盟からの脱退。そのきっかけとなった「リットン調査団」の報告書についても、現代のステレオタイプな解釈(「日本が100%悪者扱いされた」)は再考が必要です。...yamatokotaro.blogspot.com
満州事変の真実:踏みにじられた日本の正当な権益55-2/33.混沌とする中国大陸:踏みにじられた日本の正当な権益当時の中国大陸は、決して統一された近代国家ではありませんでした。清朝滅亡後の軍閥割拠により、各地で略奪や内乱が多発し、法も秩序もない無法地帯に近い状態でした。その中で、日本が日露戦争で、戦死者約10万人、戦費20億円(当時...yamatokotaro.blogspot.com
教科書が教えない満州事変の真実:踏みにじられた日本の正当な権益55-2/33.混沌とする中国大陸:踏みにじられた日本の正当な権益当時の中国大陸は、決して統一された近代国家ではありませんでした。清朝滅亡後の軍閥割拠により、各地で略奪や内乱が多発し、法も秩序もない無法地帯に近い状態でした。その中で、日本が日露戦争で、戦死者約10万人、戦費20億円(当時...yamatokotaro.blogspot.com
被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ目次ソビエトと共産党軍首謀者・石原寛爾戦争には2種類ある戦争をしなくて済む国イランへの軍事攻撃戦争の無い世界をどう創る?目次を開くソビエトと共産党軍あくまでも、平和記念日と世界史の記事ではなく、歴史の雑談として書き始めたのですけれど、内容が濃くなってしまいました。なので「3月1日は満州国建国記念日/金から始まった満州人の国家」の追記とすることにしました。テロ組織だった共産党軍は当初、ソビエト
随分眠ったと思い、枕元のスマホで日時を確認する。2月26日6:50か?あ、そうか?今日は2月26日か?そういえば90年前、1936年の早朝から、「二・二六事件」(※1)が起こったんだなぁ。あの事件は、「満州事変」(1931年)、「五・一五事件」(1932年)(※2)の後に激化した陸軍内部の対立から起こり、事件後には「思想犯保護観察法」が創られたんだよなぁ。
「満州事変(1931年)から始まる一連の日本の戦争行為は、予め企てられていた『世界征服を目指す侵略戦争』だった…」日本の指導層はこのような「共同謀議」をしていたと東京裁判では取り上げられました。「世界征服」って…近世以前ならともかく、あまりに与太話過ぎるでしょう、これは。しかし、この与太話をもとに恥ずかしげも無く国際裁判と称するもの(極東国際軍事裁判:東京裁判)をやったのです。それはともかく、19世紀後半から20世紀前半においては、「白人にあらねば人に非ず」が欧米列
高市総理が発した「存立危機事態」発言の撤回へ向け、中共による嫌がらせが続いていますが、いずれも空振り、いや、「渡航自粛」については「一条龍」(中国人観光客を囲い込み、彼らが落とすカネをすべて丸取りする中国資本によるネットワーク)を仕切る中国資本だけが打撃を受けることになり、笑わせてくれました。それはともかく、今回の一連の日本批判の中で、彼らが日本の「軍国主義復活」やら「侵略」という言葉を使ってきたことにつき、ここは改めて正しい歴史観を確認しておかねばなりません。かつて
雪のちらつく厳寒の日曜日の昼下がり、れいとの衝撃的な中出しSEXの余韻が物凄く、体育会系JDを口説き、繁華街外れのラブホテルに連れ込むことを画策。アプリで指定した待ち合わせ場所、ホテル街入り口のファミリーマート前に行くと、超ミニの黒のフレアスカート、黒のブーツ、胸元の開いた白のニットに黒のモコモコアウターというりな(21)が私を待っていた。四人姉妹の上から二人目、スポーツ科学部でスポーツマネジメントを専攻している体育会系だ。発言の端々から、体育
1930年代…「満州は世界で一番不公平な土地だった」と言われていました。例(たと)えば、税金制度(ぜいきんせいど)はデタラメで貧乏人には重く、金持ちには軽いと言う完全に逆進性(ぎゃくしんせい)で金持ち支配者優遇でした。さらに、徴税(ちょうぜい)する役人は税金を自分の懐(ふところ)に入れたり、暴力的な取り立てをしたりで汚職(おしょく)と賄賂(わいろ)が蔓延(まんえん)していました。それだけではなく、なんと満州には百種類以上の通貨が横行(おうこう)していたのです。そして、各紙幣
太平洋戦争のはじめ方その2不安が渦巻く昭和前夜太平洋戦争の原因を語るうえで、「満州事変」は避けて通れない。日本の関東軍が満州地方に満州国という傀儡国家を築いた事件により、日本は国際連盟を脱退することになるからだ。そうして国際的孤立を深めた日本はドイツ・イタリアとの関係を強め、日米戦争への道を突き進んでいった。関東軍は、日露戦争後に置かれた満州鉄道路線の守備隊を始まりとする。関東とは遼東半島南端の関東州を意味している。大正末期には、旅順に司令部を置く天皇直隷機関として満州方面の租借
今日は美祢市伊佐町の廣籏八幡宮を訪れます。今回紹介するのは以下の3つです。①日露戰役凱旋紀念碑②大正三年乃至九年戦役昭和六年乃至九年事變凱旋記念碑③[国威宣揚]国旗掲揚台*************************************廣籏八幡宮の境内には東西2ヵ所から上がることが出来ます。東側の参道は車で上がれます。西側の参道は石段です。鳥居の左横に紀念碑があります。『日露戰役凱旋紀念碑』です。裏面には当時の伊佐村から
大佛次郎論壇賞、司馬遼太郎賞、樫山純三賞のトリプル受賞作。資源の自給自足のために軍部主導が主導し、アジア主義や対外強硬派といったイデオロギーが支えたと考えられてきた「大東亜共栄圏」を、外務省官僚たちがその時々の情勢に紆余曲折を経ながらも選択してきた政策の集大成であった、という新たな歴史像を示したのが評価されたらしい。本書では「大東亜共栄圏」という東アジアをめぐる日本中心の地域秩序観の基点を、日露戦争の戦勝で得た満州権益に置く。後に内蒙古の一部も加えた「満蒙権益」の維持・拡張と、第1次大戦後