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京大農学部入学同期の者4人と、同窓会を行った。先月の東京の日比谷での会合とは、別のメンバーだ。場所は京都府植物園(左京区下鴨半木町)で、京都府立大学に接している。少し離れて東には京都工繊大とノートルダム女子大があり、更にその東には京大もあり、同志社大学も遠くない。つまりこのあたりは、京都の文京地区なのだ。私は東京生まれの千葉育ちである。けれど京都にも(19歳の春から)約20年間居住した。現在の庵は滋賀県大津市だが、音羽山の麓ゆえ京都に近い。つまり晩年の鴨長明と同じです(笑)。而して府植
関東圏の某大学の中国人留学生K(哺乳類生態学専攻)より、興味深いメール通信が寄せられた。以下がそれだ。※※※※※※※※※※※※※※最近、養鶏をしている父の友人から、とても興味深い話を聞きました。その友人によると、私の故郷である中国山西省北部の農村では、「イタチはガチョウの糞を恐れる」という言い伝えがあるそうです。具体的には、イタチはガチョウの糞の臭いを嫌って近づなかい」あるいは「糞を踏むと足が腐る」と言われています。そのため、鶏を飼う農家では、イタチから鶏を守るためガチョ
「GSブームのきっかけのひとつにもなったデビューシングル「想い出の渚」(66年11月発売)以来、流行の波を敏感に察知した積極的な活動を続けつつも、解散をすることになったザ・ワイルド・ワンズの、71年10月10日、東京・杉野講堂でのラストコンサートの実況盤(2001年7月発売のBOXセットのボーナスディスク。分売はされていない)。この時点でのメンバーは、加瀬邦彦(G,Vo)、鳥塚繁樹(G,Vo)、植田芳暁(Dr,Vo)、島英二(B,Vo)、渡辺茂樹(Key
2024年10月22日(火)に、京大A闘(農学部闘争委員会)の同窓会を東京で行った。私を含めて6人で、日比谷公園茶廊にてだ。そしてその場でdomestication…つまり家畜化のことが、話題になった。野生動物の家畜化と、人類自己家畜化のことがだ。人類の自己家畜化傾向は、憂うべき重大事である。だが私は其の場でそれにはあまり言及せず、野生アニマルの家畜化について主に論じた。以下の如くにだ。案外知られていないことじゃないかと思うのだが…家畜の飼兎は、野生の野兎とはかなり
*東京は罰せられねばなりません虚飾に満ちた汚濁の街は*この街の何処かに君が住む限り東京いまも光の都2024年10月19日(土)の早朝に、JR山科駅から米原行快速に乗って東京に向かった。むろん前出の"君"に会うためではない。彼女とは、もうこの世で会うことは無いだろう。本ブログの第97話【古の美少女Sと明治大学】に記したように。ま、それはさておき…米原からは大垣行の普通列車に乗り換える。そして大垣で豊橋行の普通に乗り換えた。米原は滋賀県の東端で、大垣は岐阜県の中央で、豊橋
渡辺茂樹さん渡辺茂樹(わたなべしげき)1951年2月10日生まれ、2014年3月15日、満63歳没。神奈川県川崎市生まれのキーボード奏者、音楽プロデューサー。ザ・ワイルドワンズの元メンバー。高校2年生(16歳)であった1967年12月、「ザ・ワイルドワンズ」に加入し、電子オルガンとフルートを担当し、チャッピーの愛称で人気が急上昇した。シングル「バラの恋人」などがヒット。1968年4月10日発売、ザ・ワイルドワンズのシングル「バラの恋人」(東芝音楽工業)作
2月10日がお誕生日の有名人・著名人1898年生(1956年満58歳没)ベルトルト・ブレヒトさん劇作家、詩人、演出家『ガリレイの生涯』1902年生(1987年85歳没)ウォルター・ブラッテンさん物理学者トランジスタの発明でノーベル物理学賞1904年生(1963年58歳没)ジョン・ファローさん映画監督、映画プロデューサー、脚本家娘:ミア・ファロー1929年生(2004年満75歳没)ジェリー・ゴールドスミスさん作曲家『猿の惑星』1930年生(95歳
同級生シリーズを再開したいと思います。今回は同級生シリーズ[54・55年]の3人目伊藤蘭さんです。蘭ちゃんは言わずと知れたキャンディーズのおひとりで、同級生シリーズではすでにスーちゃんもミキちゃんも登場していただいています。キャンディーズとしてデビューされた頃はメインボーカルはスーちゃんでした。私はその頃の歌も大好きです。でも、蘭ちゃんがメインボーカルとなった[年下の男の子]が大ヒットして、それからは、出す曲出す曲ヒットしました。まずはその曲から、伊藤蘭
寺田寅彦(1878ー1935)の"遺作"は何だろうか?。岩波文庫の【随筆集】の最終第5巻の大トリは「俳句の精神」で、その刊行は1935年10月だ。だがブービー格の「三斜晶系」と、更にそれ前にある「小爆発二件」の刊はいずれも同年の11月だ。更にその前にある日本人の自然観が世に出たのは(同年の)10月である。刊行の遅早は、脱稿の順序と一致しないかもしれない。でもとりあえず、この4作中のいずれかが彼の遺作なのだと思う。ちなみに寺田寅彦がCancerで逝ったのは、1935年12
寺田寅彦(1878ー1935)の最も有名なエッセイは、「科学者とあたま」であろう。それは1933年10月に世に出た。その次に有名な「とんびと油揚げ」が世に出たのは、1934年10月だ。この2作は、岩波文庫の随筆集の第4巻に収められている。同「随筆集」の第5巻も、初めの7作は1934年に世に出たものだ。本稿ではまずその中から、「破片」と「天災と国防」を紹介する。「破片」は(1)~(13)章から成る。面白かったのは、(1)(8)(12)(13)の4つの章だ。まずは(
物理学者寺田寅彦(1878ー1935)は、科学史上のひとではない。だが日本文学史上のひとだ。科学エッセイという(最近停滞気味の)ジャンルは、彼によって創始されたのである。そしてその伝統は直弟子の中谷宇吉郎(1900ー62)に伝わり、更に朝永振一郎(1906ー79)や日高敏隆(1930ー2009)に継承された。そして日高門下の私に…と言いたいが、この際は言わない。本稿のタイトルからすれば、言ってるのと同じですけど(笑)。その寅彦の優れたエッセイは、大半が晩年3年
まずは和歌を1首。*我想う・カマラハリスは・ハスの花・而して虎符・ラフレシアなり現USA副大統領カマラ・ハリス(59)の父親はアフリカ系ジャマイカ移民の経済学者で、母親はアジア系インド移民の医学者だ。つまりアジア・アフリカ系であるカマラは、典型的なインテリ家庭の出自である。長じては2つの大学で政治経済学を学び、やがて検察官になる。そしてカリフォルニア州の司法長官を経て、上院議員に転身した。その名のカマラは、サンスクリットでは"蓮花"の意味があるという。日本のマスコミは彼女を
コウノトリの野生復帰の地として最近つとに有名な豊岡市は、兵庫県の北部に在る。私の居住地である大津市(の逢坂関より西)からの近道は、まず山科に出て其処からJRに乗ることだ。そして更に、京都駅で山陰線に乗る替える。だが特急以外は、直行便は無い。金欠の私は、その利用は極力避ける。それでこの日(2024、7・15)に私は、薗部と福知山にて2度乗り換える各駅停車便を利用した。そして豊岡駅に着いたのは、11時21分だ。京都発は7時01分だから、所要は4時間と20分だ。京都でこれより早い便の6時37分に乗れ
同級生シリーズ③[56・57年]に入っていきたいと思います。このシリーズ、いったいどこまで続けられるか考えたのですが、[48年]生まれのジュリーや前川さん、[46年]生まれのマチャアキあたりまでは是非書かせて頂きたいです。好きで浮かんでいる、一番年上の方は、[38年]生まれのこまどり姉妹さんなんですが、う~ん、もう、[38年]生まれの方を書いている自分自身がその時何をしているかも、分からないですね。さて、同級生シリーズ③[56・57年]のおひとりめは、田中好子