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バンドメイドとクレージーキャッツの共通点いつも音楽性の話ばかりだがバラエティ性も結構あってあんまりこちらに入りすぎてもまずいが間違いなくバンドメイドの魅力のひとつクレージーキャッツと比較するのも少し乱暴だが面白い。【最も評価の高いコメディアン】谷啓と日本の芸能史を振り返り/クレージーキャッツ結成秘話/ホイチョイの名付け親?/ジャニーズ全盛期でも超えられない人気いつもご視聴いただきありがとうございます。チャンネル登録・高評価・コメント宜しくお願い致します♪励みになります🙇✅
芸能事務所.com日本最大級の芸能事務所ポータルサイト芸能界の全体像がわかりません。歴史的には、渡辺プロダクションが源流と言われています。芸能界、興行界、裏社会とのつながり、在日の影響力もあるようです。実態はよくわからないのですが、ポータルサイトもあるようです。成城大学など、比較的芸能界とつながりのある大学に進学して、芸能界をめざすのも、ひとつの方法かもしれません。芸能事務所.com日本最大級の芸能事務所ポータルサイト。芸能プロダクショ
昭和45年の話なんだろうけど。コレも裏がありそうなヤバい話が待っていたんだろうな。小柳ルミ子さんが宝塚歌劇団を2カ月で退団したのも、ココ最近の問題が潜んでいたんだろうなって感じがしてきた。突出した才能への嫌がらせを平然とやり続けた体質があったんだろうな。コレも遠因に思えてしまった。宝塚音楽学校を首席で卒業して、初舞台を踏んでから即座に退団。って自分の適性を把握しての選択なんだろうなって思っているお方がたくさんいるんだろうけど、ココ最近の問題が温床
1970年3月10日に東京都、日比谷にあった渡辺プロダクション経営の音楽喫茶「ヤングメイツ」で開催された「三人娘ショー」を実況録音した1970年にアポロン音楽から発売されたミュージックテープ「まり・ミエ・ゆかりの大作戦」の紹介です。このテープは1998年にCD化されていますが、その時には「三人娘ショー」の時の写真は使われていません。「三人娘ショー」の時のモノクロ写真は当時の渡辺プロダクションの会報誌「ヤング」に掲載されていますがカラー写真は、このミュージックテープのパッケージのみで貴重
8月のイヴェントですが、戦後すぐこのビジネスに参入したマナセプロダクションの創立75周年記念祝宴が行われました。戦後、この新ビジネスはいかにして始まったのか?その歴史を改めてたどってみたいと思います。安倍寧のBRAVO!ショービジネス(第64回)創立75周年を迎えた日本最古の?プロダクション、マナセプロ去る8月7日、ザ・プリンススパークタワー東京でマナセプロダクション創立75周年記念パーティーが催された。着席で、前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザートのフルコースディナー。総
卓球伊藤美誠選手トップコートなんですね?スポーツ選手としては珍しいですね?トップコート渡辺プロダクション創業者の娘さんが木村佳乃さんデビューの為に創った会社!菅田将暉さん松坂桃李さん中村倫也さん佐々木希さんなど個性派俳優が所属してます!伊藤美誠選手もかなり個性的だから合ってるのか??
7/3のこと店の伝票などを注文するついでにこの本を買った。惹き込まれた!ジュリーがいた。その時代のサブカルチャー史にもなっている。当時の渡辺プロダクションって大卒の新入社員が志を持って入ってきてたんだ!とか社運を賭けたアイドルの作り方!とか。ジュリーはその時なにを思っていたのか。などなど何度でも読み返す本の一冊となった。ヨーロッパ出張の父に頼んで買ってきてもらったレコード!ジュリーはフランス語にとても苦労し負けん気を発揮して挑んだ!とのちに語っている。素晴ら
昨日書いた「水谷豊自伝」で、思いだしたのが、7月20日にNHKで放映された「SONGS」デビュー50周年のキャンディーズの回で主役が伊藤蘭、ソロでコンサートツアーをまわるからでしょうが、水谷豊も登場!「水谷豊自伝」では、「蘭ちゃんさん」の項で記述されているが、キャンディーズに会いたいために、嫌な週刊誌の表紙の撮影をOKしたとか、、、それにしても、デビューから50周年になるのか、、、ファン代表としてなのでしょうか、、、水谷豊登場は微妙な感じ(笑)司会の大泉
ジャニー喜多川阿久悠はじめにジャニーズは1980年代以降、日本のメジャーな男性アイドルをほぼ独占的に供給しつづけてきたが、アイドルを見出し、デビューさせる過程を独占していたジャニー喜多川による性加害を伴うものだったことがはっきりしてきた。それに対して、1970年代以降、日本の女性アイドルは日本テレビのスター誕生!(紅白に出場した出身女性アイドルは1971年第1回決戦大会チャンピオンの森昌子、1972年第4回チャンピオンの桜田淳子、同年第5回合格の山口百恵、197
お酒に合うお気に入りのおつまみ教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう①柿の種②枝豆③鳥の唐揚げ④ポテトチップス塩味⑤ポテトチップスのり塩⑥ピスタチオ⑦ピーナッツ⑧中尾ミエ⑨伊東ゆかり⑩園まり⑪ハナ肇とクレイジーキャッツ⑫ザ・タイガース⑬スマイリー小原とスカイライナーズおいおい、おかしなってるでIだれがあの頃のナベプロのタレント羅列せえゆうてんねん
アウト・キャスト-空に書いたラブレター(テイチク,1968)アウト・キャスト-空に書いたラブレターKite(作詞・松本あずさ/作曲・LeePockriss/編曲・大野良二)(テイチク,SingleA-Side,June5,1968)-2:33:アウト・キャストOutCast/空に書いたラブレターSoraniKaitaLoveletter(1968年)アウト・キャストOutCast/⑥空に書いたラブレター(Kites)(1968年6月5日
今の時期は毎日どこかの時間に降る雨。ときどき雷雨も。こんな時わたしの幼き日の遠い記憶がよみがえる。雨あめ降れふれ母さんが蛇の目でお迎えうれしいな・・・なんて歌ってくれた伯母ちゃんも此の世にいないけど、ほぼ同じ時期に聴かされた「みんなのうた」に中尾ミエさんが吹き込んでいた「雨の遊園地」がありました。「①ザ・ピーナッツナベプロ帝国の妖精」のアイデア86件【2023】|ザ・ピーナッツ,家宝,栄華2023/06/28-「ザ・ヒットパレード」「シャボン玉ホリデー」テレ
やっぱりねぇ、昔の渡辺プロダクションにハイレベルな歌唱力を感じたりしたからね。アイドルから演歌歌手までね。どれもLevelが高かったからね。確かにね。あそこまで揃えられるって滅多にないんだからね。本格的な歌謡曲を歌える歌手に、世界規模のショーマンシップを発揮しまくる歌手もいたからね。そのLevelまで追いつくのって大変かもね。
潮目が変わった1978年!キャンディーズの解散が渡辺プロに大きな影響を及ぼした?渡辺プロダクションと言っても、若い人は、「お笑い芸人の大手事務所でしょ」、なんて思っているかもしれませんね。昔の渡辺プロは「ナベプロ帝国」なんて呼ばれるくらい強大な芸能プロダクションでした。あ、世間では渡辺プロダクションのことを、よく“ナベプロ”って言いますが、中の人はそう言われるのがあまり好きじゃないみたいで、自分たちでは使いません。なので私も“渡辺…reminder.top昭和路線とも言う程に個性派歌手
MemoriesGoneby-HakudoOtsuka(Singer-Songwriter,Composer)過ぎ去りし想い出は-大塚博堂(シンガーソングライター、作曲家)大塚博堂(おおつかはくどう、本名の読み:おおつかひろたか、1944年3月22日-1981年5月18日)さんは、ニューミュージックのシンガーソングライター。大分県別府市出身。東洋音楽大学(現:東京音楽大学)声楽科中退。活動時の所属事務所は渡辺プロダクション。ウイキペディアより
やっぱりさぁ、渡辺プロダクションはある程度のごり押しをしていても、質の高さは確実にアジアでは断トツのNo.1の位置に値するだけの商品価値を提供しまくっていた。ザ・ピーナッツや伊東ゆかりさんや中尾ミエさんのショーをYouTubeでチェックしていて、ここまでのハイレベルな歌唱力を発揮しているのかと問いたくなる。あのレベルはかなり高い。世界最高峰と認識した方がいいと思ったぁ
放送が楽しみです。
2月8日の当ブログ「今日2月8日、『第1回日劇ウエスタン・カーニバル』から65年」で書いたように、「ウエスタン・カーニバル」を日劇という大劇場で開催、成功に導くのに大きな貢献をしたのが渡辺美佐さんです。渡辺晋さんの奥様、渡辺美佐さんは当時既に渡辺プロの代表として「ロカビリー・マダム」と呼ばれて、ブームの立役者でした。その美佐さんをモデルとした映画が『女は抵抗する』(1960弓削太郎監督)です。美佐さんをモデルとした美枝を演じるのは若尾文子さん、ジャズ・バンドのメンバーで美枝に苦言やアドバイス
ひとつ前の当ブログの続きです。元々、有楽町の「ヴィデオ・ホール」で1954年から開催していた「ウエスタン・カーニバル」ですが、エルヴィス・プレスリーさんの登場などもあり、「ロカビリー」ブームが過熱。もっと大きな会場で開催しようと堀威夫さんは渡辺晋さんに相談を持ち掛けます。学生時代に中村八大さん、松本英彦さん、南廣さんらと「渡辺晋とシックス・ジョーズ」を結成するなどジャズ畑の渡辺さんは「ジャズ人気にとって代わるロカビリー」に手を貸すことは道義上、仲間に悪いと思ったのか、奥さんの美佐さんにこの件
今日、2月8日というのは「ロカビリーの日」なのだそうです。「○○の日」というと、語呂合わせ(11月22日が「いい夫婦の日」とかね)なのかと思いますが違います。由来は『第1回日劇ウエスタン・カーニバル』が開催された日だからであります。1958年2月8日に初日で幕を開けたことを記念して「ロカビリーの日」となったのです。なぜ2月に開催されたかというと、当初この企画は無謀と思われていて「日劇」側もお客が集まらないニッパチ(2月&8月)ならと承諾。それで2月に開催となったのです。それが初日にいきなり9
ポップス黄金時代!1967年に発行された全500ページ。本というのか雑誌というのか、もはや分からない一冊。我が家の書庫より引っ張り出して熟読中。チャビー・チェッカーも颯爽と登場!西郷輝彦だって負けちゃいない。なにせ1964年の歌謡界のホープなのだ!広告も昔のままでいっぱい載っていて楽しい!もちろんビートルズだって、ヤァヤァヤァって感じだ!極めつけは渡辺プロの創業者、渡辺晋さんの顔写真付きの新年を祝う広告だって載っている。いったいいつ読み終わるのか分からない。なにせ19
FarewellTrans-SiberianRailway-HiromiOtaさらばシベリア鉄道-太田裕美-【夜のヒットスタジオ】FarewellTrans-SiberianRailwayさらばシベリア鉄道-太田裕美太田裕美(おおたひろみ、1955年1月20日-)さんは、日本の歌手・シンガーソングライター。東京都荒川区生まれ、埼玉県春日部市育ち。血液型はA型。夫は音楽プロデューサーの福岡智彦。夫との間に息子が2人いる。春日部市から委嘱を受け、市の広報大使「
私の渡辺プロ時代の森マネージャーから「ルミ子日刊ゲンダイデジタル見て下さい」とショートメールがありました😊コメント📝して下さった方もいらっしゃいました😊➰➰➰➰➰➰コメントで教えて下さって有難うございました☺️https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/312135皆さん宜しかったらお読み下さいませ🤗続編もあるそうですので是非🤗👍
今に至るも商品はこれだけ(ToT)やっぱり肖像権とか絡むんかしら(ToT)M1号/蓄光ソフビ小美人やっぱり渡邉プロが許諾しないんだろうか(ToT)めっちゃフィギュア向けのキャラクターで、知名度も抜群なんだから、売れると思うんだがなあ(^_^;)ところで「ゴジラvsモスラ」見に行った時、元カノが、「左の娘の方が、脚太い」と呟いて女性ならではの視点に感心したモノでした(^_^;)
「アイドルになる!」と渡辺プロダクション東京音楽学院に通っていた高校1年の時憧れの「明星ヘアカタログ」に載った事がある!そんな話を昨夜、昭和歌謡バーでしていたらなんとなんとなんと「それ、持ってる!」って方がいて写真送って下さいました🤣本当にもう懐かしすぎて恥ずかしすぎて泣けました🤣🤣🤣でも本当に嬉しくて嬉しくてあの時の思いがふとよみがえってきてあの頃の自分とリンクした寄り添えた✨あれから約40年。。夢は叶うのです💙
エンタメの中でねぇ、渡辺プロダクションの威力はかなり凄いのだからねぇ追い付けるプロダクションは果たしてあるのか?圧倒的な人気と質の高いエンタメを提供する商品提供能力。ソコら辺は絶対に勝てないと思う。時代を変える力が渡辺プロダクションの威力として確実にあったからね。
ココは確実に言い切るよね。ジャニーズでも、昔の渡辺プロダクションの領域に入れるかと言われたら?確実に無理だと思う。エンタメの質は渡辺プロダクションのの方が確実に上だからね。ココは入れない領域なんだろうなって感じだよね。
やっぱりねぇ、昔の渡辺プロダクションのような音楽に対しての深いこだわりを大切にしているお方がスタッフにいなくちゃダメだってこと。コレこそが一番なんだよね。マジでな。本当に必要なモノってソレかもね。ジャニーズ事務所には、残念だけど、ソレがないからね。
POPな日々さんが5月18日にアップされた「虹をわたって」1972年公開された映画、前田陽一監督、天地真理初主演、渡辺プロ関連でジュリーとショーケンが出演していて、当時、名画座で観たことがあります。松竹映画らしい一品で、ビデオ化された記憶もあるのですが、購入にはいたらず、、安価でDVD化されてもいいと思うのですが、、、、YouTubeでお目当てのジュリーとショーケンの場面だけをみればいいのかもしれませんが、前田陽一監督作品だけあって、昭和を感じさせる一品になっていたと記憶にござい
リピート公開1971年11月シングルJビートエッセイ98765沢田研二「君をのせて」をめぐって沢田研二「君をのせて」(1971年11月)作詞・岩谷時子作曲・宮川泰編曲・青木望2022年3月2日追加↓をクリックして下さい。沢田研二氏の「君をのせて」をめぐって2022年3月1日藤谷蓮次郎・製作ここで触れている文章は、↓をクリックして下さい。https://ameblo.jp/renjiro-2020/entry-12695118116.h