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京都で読み終えてました。これで十分なのに、上野まで幕末熱の勢いに任せて読み始めたのが、想像もしてなかったよい巡り合わせで終えられました。満を持して「花神」ここに完!下巻は長州藩は、各戦線において勝った。で始まる四境戦争の総括から。その後、上野戦争(彰義隊討伐)でもうひと盛り上がりと思っていたら、それは巻末の方で、その間最後(最期)に向けての西郷隆盛との関係、比較を中心とした解説風が延々と。物語としては面白くないけど、大村益次郎の最後(最期)、更には維新とは何だったのかが語ら
道南おっさん旅、松前郡福島町へ。「福島大神宮」初訪地です。創立年代不詳。本州からの渡海者が伊勢皇大神宮の大麻を奉じて「カムイナイ」(アイヌ語)という小沢に鎮座したと伝えられています。天正2年(1574)福島村常磐井家の遠祖常磐井治部大輔藤原武衡再建。更に慶安2年(1649)9月16日村中にて再建。時に3代祠官笹井(常磐井)今宮藤原道治斎主となり、第9代松前藩主松前高広の命により福山神明社より古神鏡を奉遷し遷座祭を斎行。文化4
今朝も走りました気温4℃晴れAM6:30出発家から2キロちょっとの公園の周回コースを9周しました今日走った距離は8.7キロもうちょっと走りたいけど時間ないんだよなぁ今朝もFMCOCOLOのチャオ765聴きました昨日FMCOCOLOとFM802で放送事故があったそうです私が聴いてる時間でなくて良かったーこれもロシアのせいですかねぇなんでも悪いのはロシアと思ってしまう今日この頃です今朝はチャオ765を聴いたあとradikoのタイムフリー機能でラジオ大
土方が浮かれてる~大政奉還がなされ、もはや新選組が守るべき幕府は無く新政府軍と最後の「武士」の戦をするべく甲府へ向かう隊士たち…が、その途中…あら~我らが土方くんと近藤さんは、故郷に立ち寄って…土方くんはきっと…甲府に行くのはあまり気が進まなかったに違いない…酔いつぶれて…機を逸して…しまいたかったんじゃ…?ここは何とか…近藤さんも乗せないと…ほらほら、近藤さん勝ち戦の前祝いだよ~!
こんにちは。昨日の記事で20年以上前に函館へ行った時のことをツラツラ書いてみたら、なんか懐かしくなってその時に買った本を引っ張り出してみました五稜郭タワーの売店で買ったんですよ~今でも売っているのかな?すっかりくだびれてしまって、角から焼けてきていて、たまには開かなきゃダメだわ~この本の巻末には「函館戦役徳川脱走軍人名簿」が載っているのですが。渋沢成一郎の名が4番目にある!しかも大鳥圭介と相馬主計という新選組ではお馴染みの名に挟まれてる~成一郎って、認識なかったけど、な
こんにちは。しばらく西洋史で忙しかったので、間が空いてしまいましたが先日書いた、大河ドラマ記事の流れで、今日も”青天を衝け”について書かせてください第27回は「篤太夫、駿府で励む」でしたね。駿府での栄一(まだ篤太夫だけど)が設立した商法会所に、いましたね~川村恵十郎Wikiだと、大蔵省に出仕した、とありましたから、ここを皮切りに財務関係の仕事に転身したのかな?かつての剣客、京都での活動内容は、下っ端とはいえ生まれながらの武士だったことを除けば、やっていることはほぼ新選
「青天を衝け」第27話を見ました。渋沢篤太夫は駿府藩で勘定組頭に抜擢されました。徳川の家臣だった者が多く流れ着いて来ていて、禄もろくに払えないでいた。一度は断ったが、駿府藩は新政府から貸し付けられていた太政官札で困っていた。ざっくり新政府が金を貸すから利子とともに返せというもの。渋沢篤太夫はしぶしぶ勘定組頭になり、合本主義を採り入れようとした。コンパニーを作るということ。一人一人から小さなお金を集めて大きなお金にする。一人一人は小さな力だが集まれば大きな力となる。そ
Twitter情報です。「箱館で戦う成一郎と土方歳三、そして負傷者の治療をする高松凌雲、撮影のメイキング」だそうです。【公式】大河ドラマ「青天を衝け」@nhk_seiten箱館で戦う成一郎と土方歳三、そして負傷者の治療をする高松凌雲。撮影のメイキングをお届けします。3人のオフショットは公式Instagramで公開中です。https://t.co/NOYoeyeRyX#青天を衝け…https://t.co/NHwUI6AFIC2021年09月14日12:00負傷者を軽々と肩に担いでく
明治元年(1868年)11月13日、渋沢栄一は横浜港に到着。日本に帰国した。そして、自分たちの不在中に何が起こっていたのか...ドラマでも語られていた通り、浦島太郎的アプローチでもって真実と向き合う姿が...今回のストーリーの中心であった。渋沢平九郎がどの様な顛末を迎えたのか...末期養子たる息子の死を通して、戊辰戦争が語られる事となった。渋沢平九郎の遺影である。兄に富岡製糸場の初代工場長・尾高惇忠と伝説の剣客・尾高長七郎を持つ。義理の父たる渋沢栄一と渋沢喜
飯能戦争ゆかりの寺その[七ヶ寺の今]を知りたくて飯能市内を寺社巡り&参詣していよいよ七ヶ寺目宿本陣・能仁寺へNo-nin-jiNo-nin-ji#★#No-nin-jiNo-nin-ji過去数度当寺への参詣はあるものの考えるにいつも物見遊山であったようだそこで今回この機会をとらえ『能仁寺と飯能戦争』について今一度齧り直してみた★
大河ドラマの「青天を衝け」。その主人公である渋沢栄一さんのゆかりの場所を歩いてきました。7月の頭に東京での青山繁晴さんの「独立講演会」を受講しました。その前後に、東京・埼玉の渋沢栄一さんのゆかりの地を歩きましたので、シリーズで報告します。まずは、「上野散歩」から、、、、渋沢栄一の2歳上の従兄弟である渋沢喜作が一時期頭取を勤めた彰義隊の墓と、渋沢栄一と考え方の全く違った岩崎弥太郎の旧岩崎邸がある上野を歩きます。成田空港から京成本線にのって「上野駅」を降りました。上野にくるのは、子ども
デルタプラスで感染拡大!ワクチン供給バタバタ!五輪!先がとても不安です!都議選結果!人の気持ちが分からないんだから、負けて当然だよね!でも何で負けたかまだ分かってないような?だから困るよ!お願いだから、マスコミも選挙争点をずらさないでね!やっと一回目のワクチン接種をしました。でも接種後、1時間30分たった頃副反応が!突然激しい咳に襲われました。止まらない連続の咳で苦しい!気管支がとても痛くなりました。我慢できずに、娘は外科が専門ですけど、つい電話しました。アドバ
2021大河ドラマ『青天を衝け』や2024年新紙幣発行で話題の人物渋沢栄一明治期日本の経済発展の礎をつくった大人物と思うが従来の歴史上の偉人と比して一般的にメジャー感がなかったような気がするそういう筆者シニアも埼玉県人でありながらその人物像に初めて触れたのが約10年前深谷市の「生家・中の家(なかんち)」訪問&「渋沢栄一記念館」訪問からであったまた都内北区の飛鳥山
上野山の有名人「西郷さん」の背中銅像裏に、ひっそりと立っているのが、、、「彰義隊の墓」です正確には、彰義隊隊士火葬の跡地なんだそうです大政奉還により江戸幕府は終了薩摩・長州の挑発戊辰戦争へ・・・1868年1月鳥羽・伏見の戦いの後、徳川慶喜は海路江戸城へ戻る。2月に新政府に対する恭順の意を表し、上野寛永寺に蟄居。数日後、一橋家ゆかりの者らが中心に集まり、寛永寺に謹慎した徳川慶喜の復権や助命について話しあい「大義を彰(あきら)かにする」という意味の彰義
「青天を衝け」第15話を見ました。いきなり渋沢栄一が改名!渋沢篤太夫に!(平岡円四郎命名)渋沢喜作もついでに改名!渋沢成一郎に!(平岡円四郎命名)篤太夫はまず薩摩に隠密を命じられる。行き先は摂海防御御台場築造御用掛の折田要蔵の下へ。そこで下働きをして仕事を認められる。折田要蔵に気に入られ、西郷吉之助に会い顔を覚えられる。篤太夫の隠密の成果で折田要蔵は山科宮様に会ってると報告した。薩摩の島津久光が禁裏守衛総督の座を狙ってると知り、一橋家も動く。一方、一橋慶喜は禁裏守衛総督
先だって埼玉県のほぼ中央に位置する越生町の「越生梅林」を見に行ったとこのことです。越生梅林を訪れる前に3ケ所ほど立ち寄ってきたので話が前後しますがご了承願いますね・・・<(__)>最初に向かったのがパワースポットでお馴染みの「黒山の三滝」だったのですが纏めるのに時間が掛かりそうなので、次に向かったところの話からです。そうです。2024年に1万円札に登場する方、「渋沢栄一」の義弟(見立養子でもあるのです)の話をちょいと紹介します。実は、この黒山三滝のすぐそばに、その義弟の「自刃の地」
今晩は。土曜日に上野公園に行ってきました。上野恩賜公園の案内図。先ずは西郷隆盛像。実際見てみると顔デカ!(゚д゚)これ、デフォルメされてるんですよね?wwまあ、西郷さんは実はどうでもよくて(←)見たかったのは、その後ろ。彰義隊のお墓彰義隊とは、江戸幕府の征夷大将軍であった徳川慶喜の警護などを目的として渋沢成一郎や天野八郎らによって結成された部隊です。江戸上野(東京都台東区)において慶喜護衛・江戸警備の名目で上野寛永寺に立て篭りましたが、薩摩藩、長州藩らの新政府軍、大村益次郎指揮の官軍