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1月最後の1週間が始まりましたが、今日と明日だけはマッタリと時が流れる感じです。そのあと、明後日の水曜日から2/6までは予定がてんこ盛りです😵💫時は戻って新年明けて4日目🎈🎈🎈🎈勝手に自分の誕生日会だと解釈していますが(笑)、一時帰国している同級生との飲み。久留米の小頭町公園の近くの居酒屋さん🏮とりま刺し盛り🐟牡蠣🦪鶏を焼いたやつ🐔茄子の煮びたし🍆鯵フライ🐟17:30スタートで程よくアルコールも入り軽く2軒目に行って、日付が変わるくらいに解散かな〜なんて目論んでいたら…🥹
大阪千林で10年の買取実績!!おかげさまで10周年!!記念キャンペーン実施中!!地域の皆様に愛されてはや10年、ますますお客様にお喜び頂けるよう高価買取頑張ります!!みなさん、こんにちは。おまかせ屋千林店の買取ごんごんです。キャブズ強いねぇ昨日もバックスに完勝。ガーランド&ミッチェルのガードコンビえっぐ~~~元来、こんな豪華なガードコンビを結成してしまうと他がスカスカになるんですが(リラマコとかウォールビールとか)
お店再開から、全然沖縄を出ていなかった私。。。10月末、お客様に世界的ヴァイオリニスト大曲翔さんのリサイタルに御招待頂き、土曜日からお店を休み九州へ✈️那覇は快晴、福岡空港到着後は九州では初の高速バスにて久留米へ🚎そしてすぐさま、某有名建築設計事務所顧問夫妻や、沖縄からいらしていたVIPな御夫妻様等との会食に合流させて頂きました✨😊✨河豚鍋と、美味しい大吟醸日本酒を頂き素敵な夜✨🍶✨久留米のスナックにもお邪魔させて頂きました😆翌日お昼からのリサイタルに備えて、早めに解散となったので、
"芸術の灯をともし続けよう~舞台にエール"36年ぶりの共演で話題を呼んでいる仁左衛門さんと玉三郎さんによる「桜姫東文章」を観劇してきました4月の上の巻はチケットが残念ながら取れず見逃しましたが下の巻はこれが最後としっかりと目に焼き付けました今は高僧になった清玄はかつて道ならぬ恋に落ちた白菊丸と心中を諮りますが死にきれず生き残ってしまった過去が。桜姫は実は白菊丸の生まれ変わりで彼女を巡って悪人の権助との間で因果の糸が幾重にも絡み合う物語の下の巻では桜姫との不義を疑われて寺
大南北と称される4代目鶴屋南北の「桜姫東文章」四月は前半。今月は後半です。※鶴屋南北は日本史で、江戸時代で、文化芸術の人名で習いましたよね。鶴屋南北の名は五代目まで継がれましたが、最も名を馳せた四代目を大南北と言います。有名なところでは四谷怪談を書いたのがこの四代目。★4月は第三部7日に行きました18:00~★9日・第二部真昼間外は30度の中四
上の巻(江の島稚児ケ淵/新清水/桜谷草庵/稲瀬川/三囲)玉三郎/仁左衛門/鴈治郎/歌六/吉弥/錦之助/千之助/中村福之助/松之助実に36年ぶりの仁左玉(当時は孝玉)の「桜姫東文章」、私はその36年前の「桜姫」を観ています❗️あれは衝撃でした。いくつかのシーンは今でも脳裏に鮮明に残っている。その時の筋書↓(口絵の右は「東山桜荘子」で佐倉宗吾を演じた今の白鸚さん)。この2人でもう一度観たいと強く強く願い続けてきました。それが叶った今回、まず驚いたのは70代とはとても思えな
私はてっきり昔のポスターだと思っていました。こちらが昔の印刷所に出入りしていたので、いくらでも綺麗に直せることは知って居ますが、とても36年も経った様には思えないポスターと舞台でした。昨晩行って来ました〜白菊丸ちゃん可愛いわー、江ノ島で心中する前に清玄様と、あんまりしっかり抱き合うから、その生々しさに、(いいなぁって)みんな息を呑んだわよ。激しいわ、ニザさまそれにしてもまだ四月が始まったばかりだから、主役の二人以外はバタバタしております。二人が絡む所だと余計目立ってしまいますね。い
今回の遠征では徳島経由高知入りを目指しました^^一つめは、、、徳島城(*´◒`*)まずは阿波から参りますよー本丸より^^阿波は龍馬というより蜂須賀です(*´◒`*)本丸手前の石垣さまなかなかの高さで大満足貝塚があったらしく、巨石もゴロゴロ(*´◒`*)海が近いのであります^^この規模は、大阪城も真っ青ですね^^なにより自然の岩(*´◒`*)構造物はなくなってしまいましたが石垣はバッチリ(*´◒`*)徳島駅から近すぎてワクワクしていたらこんな素晴らしい看板発見
本丸跡へ上ります。やっと本丸跡今、上がってきた階段をふりかえる広い本丸跡うん。広いかも。むむむ清玄坊?もともと、この山に祈祷所を建てていた清玄坊に蜂須賀公が城を建てるから立ち退け、と命じたのに動かなくて。弓矢で射て、力ずくで、無理矢利、お山を奪ったのね。ここにも、目を覆いたくなる歴史がある登ってきた道とは異なる階段。東二の丸跡へ続いたようです。JRへは遠回りのルートなので、下りませんでした。残念!この徳島城は、本丸に天守を築かず、二の丸に築いたとか。清玄坊に遠慮
第十八桜姫妖気に魘(おそ)はれて三たび病に臥す。さてそれから、造酒丞は野分の方を護衛して、蝦蟇丸の首を携えて帰ると、家中の喜びは普通ではなく、蝦蟇丸の首を義治の墓前に手向け吉日を選んで宗雄と桜姫との婚姻を決めて、鷲尾の家を継いだ。この時、篠村二郎公光も山吹と婚姻した。そこで弥陀二郎は、宗雄に頼んだのは「自分は若い頃、素行が悪く、亡君のお𠮟りを受け、生きておられる時にお許しを受けなかったことが心残りですので、切望いたしますのは殿、亡君に代わりお許しを下さい」と願うと、宗雄は承諾して、義
第十七鷲尾の家士故君の讐を復す。こうして弥陀二郎、姫を背負って逃れて行く途中で、篠村公光が山吹を取り返して帰って来るのに都合よく出会い、互いに事のだいたいを語り、四人連れ添って公光の家に着いて、弥陀二郎と篠村公光両人、相州竹の下道の一別以来の事を語り合い、弥陀二郎は清玄執着の悪念が深く姫を悩ませた事彼を殺して姫を救った事の終始を語れば、桜姫は甦生して彼に苦しめられた仔細を語って、一同喜んだ。さて弥陀二郎と篠村と心を合わせて、田鳥造酒丞を始めとして、あちこちに隠れ住んで、仇を狙う同志の
第十六桜姫甦生す、清玄枉死(おうし・横死)す。そもそも鳥部野というのは「むなしき跡は数そひて、見し故郷の人ぞ稀なる」と詠んだ通り、無常遷流(永遠不滅のものは無く移り変わり去ってゆくこと)して送らない日もなければ、末の露もとの雫、(死ぬことが)後になったり、先になったり煙が常に絶えず、数々の墓石も多くは苔に埋もれて払う人が有る様に見えない。「幽魂夜月に飛び愚魄(ぐはく)秋風に嘯(うそぶ)く」と詠われたのは、この様な所を言ったのだろう。たまたまあるものは死人の亡きがら、草深くて露が多く極めて不
第十五桜姫薄命を悲しみて、ふたたび病に臥す。ここにまた、桜姫は山吹と共に館から逃げ出て、亀山の辺まで逃げ行ったが、母親の野分の方の身の上が心配で、行方を捜して一緒に行こうと言って、遠くへ離れるのを嫌がったが、山吹は言った「そのように思うは道理ですが、この辺を彷徨っていて、もし信田の追手に捕まれば、二度と逃れられません。一旦都の方へ逃れて、隠れ家を見つけた後で、人を使って捜すことにしたほうが良いです。お母さまは男にも勝って、勇猛な心のあるお方なので、簡単に捕らわれるなどはあり得ないです。さあ
第十四二人比丘尼発心の記。こうして次の日になり蝦蟇丸は、姉妹に向かって言葉をやわらげ「母は性格が悪いので、懲らしめのため、追い出したので、必ず慕うことはないように。お前達は私に背かず、この家にとどまっていれば、深い憐れみを持って養育して、もう少し歳をとったら、賑(にぎ)やかな所へ行かせて、顔を紅や白粉で彩り身には美しい着物を着て朝夕酒宴、楽器に明け暮れて、楽しみの多い身となる。そのうち小萩の性格もなおれば、再び呼び戻して、親子一緒にいさせてやる。もしまたお前等が私の意に背き、ここを走り出で
第十三盲女小萩雪中にきう(亻に曲と記されているが窮と思われる)死す。さて野分の方は蝦蟇丸に誘われて、愛宕の山奥に至る道すがら、良さそうな場所で踏みとどまり、あの宝刀を抜き、唐竹割(真っ二つ斬ること)と切りつけたが、蝦蟇丸は身をかわして飛び下がり「婦人、はやまらないで下さい。少し手を止めて私の言うことを聞いて下さい」と言った。野分の方はカラカラと笑い「並みの女と侮って嘘をついても、どうして騙されるか。お前池の中から熊手を出して、私を水中に引き入れ、またこの様な山中に連れてきたのは、私に
第十一夜第(てい・屋敷)を襲いて勝岡義治を亡す。こうしてある日、播州より伴の家臣狛野丹作(こまのたんさく)と言う者が、轎子(のりもの・肩に担ぐ籠)に乗って、宗雄が住んでいる家を探して来た。「この度は、あなたへのお怒りをゆるされましたので、お迎えのために来ました。すぐに御帰国しなさい」と、父希雄の自筆の免状(ゆるしぶみ)を与えた。宗雄は押し頂いて、これを読むと「悪妾の告げ口によって、お前は濡れ衣の罪を負った事が明らかになり、この度妾を罰してお前を許す。その真実を確かめずに勘当した
第九蝦蟇を咥えて小蛇両士を会わせしむ。弥陀二郎は、去る建久元年まで十八年の間、日本の六十余州の国を回り、神聖な場所も世俗の場所も行かない所はなく、この国にあの郷里にと仮住まいして、人々に仏の道を教えて、このころは東北に居たが、一度故郷に帰って桑田郡の様子を見ようと、頻りに思って帰路へと向かい、相州(神奈川)足柄を越えて、竹の下道を過ぎた時、突然雨が降り出して、側の辻堂に入って雨宿りをした。その後から竹の笈を背負った旅の僧が同様に辻堂に入って来て休み、弥陀二郎の持っていた錫杖と鉦をつく
第七清水の清玄桜姫を眷恋(けんれん)す。さて十六年過ぎた承元元年になって、桜姫は成長して、既に十六歳になっていたが、その容姿は、中国の美人楊氏(楊貴妃)、虞氏(虞美人)、王氏(王昭君)などは見たことが無いので知らないが、二度と同じ天地にあるだろうとは思われない。嬋娟(せんけん・姿の美しいさま)たる両鬢(りょうびん・髪の左右)は秋の蝉の翼に似て、宛転(えんてん・ゆるやかな曲線)たる双蛾(眉)は、遠山の色に見える(白居易の漢詩・嬋娟両鬢秋蝉翼、宛転双蛾遠山色)。(この後の桜姫の容姿の美し
第四玉琴の魂魄(こんぱく)胎子(はらごもりのこ)に還著(げんちゃく)す。さて、あの弥陀二郎は、仏堂建設の為、笈を背負って錫杖をつき、国々を廻る修行者になって、山陰、山陽の国々を巡り、旅の途中で年を越して、すでに建久二年(1191年)の春の半ばになり、帰路を望んで丹後の国に着いた。ここから故郷の丹波には近いが、罰を受けて国を追い出された身であれば、足を入れることは支障がある。しかし、今は心を改めて以前の非道を悔やんで、後々は一つの功績を立ててかつての罪を償い少しでも大恩に報いようと思う心
第三野分の方嫉妬玉琴を害す。義治の家臣に、兵藤太(ひょうどうた)という者がいた。生れながらの悪党で貪欲、財宝を見る目は蝿が血を見るようで、一命を失う事すら宝の為に顧みることのないほどの性格の悪い者であるが、野分の方は、かねて心の中に企んで思うことがあり、彼の性質をよく調べておいた。さてこの頃、義治は朝廷に貢物を捧げるため、京都に上って留守であるのを幸い、野分の方は兵藤太を奥深い座敷に呼び出し声をひそめて話し「私は、お前の肝が太い性格を見抜いて、密かに申し付けることがあるが何であっても、
第二鷲尾義治玉琴に惑溺す。ここにまた、鷲尾義治の妻を野分(のわき)といって、今年二十歳になったが、本当に絶世の美人で、翠黛紅顔(すいたいこうがん・美しい眉と血色の良い肌)の化粧は花より美しく良い香りがして、玉簪(かんざし)に月明かりの姿も輝くばかりであった。容貌が美しいだけでなく、聡明で賢こく、人よりも優れていた。女性が身に付けるべきいろいろな業を習得し、武士の家に育った身として、女の子とはいえ少しは武芸も心掛けるべき事であるとして、歌を学び、楽器で遊ぶ間には、太刀を合わせる業も学ん
第一弥陀二郎網して仏像を得る(2/2)この話はさておいて、義治の家来に真野水二郎(まのみづじろう)という者がいた。彼の父は江州真野(滋賀県辺り)の生まれで兵衛貞次(ひょうえさだつぐ)といい、義治の父経春に仕え忠臣で無二の武士であった。戦場においてしばしば軍功をあらわし、陪臣(家臣のそのまた家臣)ではあったが、義経に手柄をほめられ褒美を与えられる事が多かった。その頃、貞次は子供がいない事を嘆き、夫婦で神仏に祈り、ついに男の子が誕生した。その児は八月十五夜に生まれ、月は水陰(みかげ
神田神保町で購入した昭和二年(1927年)に出版の読本集。小さい活字、古い字体の漢字やかな、江戸時代そのままの文章で注釈なし、江戸時代後期の滑稽本や人情本などは会話形式で記述されているが、読本は文語体なので読み辛い。それにもかかわらず、1000ページ以上もあるのに読んでしまった。面白かった。そこで、現代語訳に挑戦してみようと思い立った。とはいえ、古語は良く知らないし、日本や中国の古典、仏教関係の知識も必用なので、完訳は無理なので意訳抄訳誤訳でやってみる。10編ほどの小説が収録されて
どーも、3代目ですまた研ぎ場にこもってました笑革包丁の研ぎでね鎚目の革包丁この鎚目は前回投稿した鎚目の釘〆と違いすべ手打ち!汗打つ量、数十本・・・。ハハハ・・・。終わったころには右腕パンパン↑これは先週末の仕事。河清刃物のFBページで動画あげてますんでよかったら見て下さいで、一昨日から今日まで研ぎ三昧いつものお客様と新規のお客様の分少しづつですが革包丁の新規のお客様が増えてきたみたいこの新規のお客様は数年前、名古屋
ひんやりと。また寒い朝です。堅いつぼみのままだった、椿がようやく咲きました。一気に。まだ、30センチほどの苗木です。実際の色は、この色味に一番近い。もっと可愛い鉢に植えないと。庭は、洋花がほとんどですが、冬の時期、花がほとんどなくて寂しいので秋に買った椿。清玄桜姫。明桃色ボカシ入り。八重咲き、大輪。2月末の様子。まずは、鉢植えで。育っていくのが楽しみです。先日見たバレエの椿姫、正しくは、カメリアの婦人、dameauxcameliasは妖艶でしたが、こちらは可憐な椿姫。
あら、来月の歌舞伎座で猿之助が法界坊をやるんだ。んで、吉右衛門が石川五右衛門。菊五郎が清玄。シネマ歌舞伎で勘九郎の法界坊を見た帰りです。歌舞伎座。あなたもスタンプをGETしよう
前回からのつづきサクラからの知らせ⑤先祖ゆかりの地について調べつつ、桜姫というキーワードで調べると「清玄桜姫」というお話と清玄桜姫物wikiそれにまつわる子安地蔵尊があることがわかりました。地域も先祖の地でした。🌸内容を簡単に↓🌸清水寺の清玄は桜姫に一目惚れし姫の容色に迷い破戒の末に桜姫の婿に殺され地獄に堕ちる桜姫は罪深き存在と薬師如来の使いに諭され身重のまま出家した桜姫は道中亡くなる。地獄で清玄に見つかり逃げる桜姫は、観音の助けで弥陀が剣となり
はい、コーヒー!っか🙆染五郎さんを囲む、その場の雰囲気と珈琲の薫りが感じられますねなんだか朝から和ませて頂きました(笑)←なんのことやら?な方は園スタを!すっかり世間は秋模様というか、ふ、冬みたいブログを始めたのが2008年12月31日染五郎さんが2009年元旦にブログを開始されるそれに合わせちょっとやってみようかなと始めたわけですがその時とはSNSの在り方も自分の在り場所も違うわけで当時と同じような頻度での更新・・・とはさすがにいかず更新も滞っておりま
秀山祭九月大歌舞伎の夜の部「再桜遇清水」は吉右衛門さんが金丸座が重要無形文化財になるのを記念して松貫四の名で書いた作品今回は吉右衛門さんは監修ですただただ真面目で純粋無垢な寺僧が恋に狂って破滅の道を歩む物語。北条時政の娘桜姫の不義の相手という濡れ衣を着せられてしまう清玄と桜姫と恋仲千葉之助清玄の奴浪平の二役を早替わりで染五郎さん。清玄(せいげん)と清玄(きよはる)読み方が違うのが落とし穴に。。。桜姫が書いた”清玄”宛ての恋文を拾ってしまったのはこちらも桜姫に想いを寄
9月11日(月)は、夜の部。16時30分の開演。最初の出し物が、「ひらかな盛衰記」。もともとは、1739年4月、大坂竹本座で上演された人形浄瑠璃。それが、歌舞伎に移されて、人気狂言となっています。物語は、木曽義仲の腹心、樋口次郎兼光の物語と、宇治川の先陣争いで知られる梶原源太景季の物語とが、絡み合いながら展開します。ただ、現在は、樋口次郎兼光の物語が上演され、特に、逆櫓の段が中心になります。源平の争乱の時代を舞台に、この逆櫓の段は、相手を思い、思われるという、人間の関係が、物語を厚くして