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《アクティブ学園史》検討会で、武者小路実篤の新しき村を毛呂山に訪ねた。《清水安三vs.武者小路実篤》を同時代人と考えると、その明暗を分けたのが、《桜美林大学vs.新しき村》学園を創ったか否か。武者小路実篤も清水安三も、基礎ににトルストイがある。しかし、このコントラストは何なんだろう?毛呂山の新しき村、神田神保町の新村堂を訪ねること、10数度、初めて笑い声を聞いた。
話をさらに具体的にすると、新宿にとって、桜美林大学の新宿新キャンパスは、どういうメリットがあるのか?新宿は文化発信基地としての地盤沈下が悩み事としてある。かつての新宿は中村屋サロン、高野フルーツパーラー、紀伊國屋書店が文化発信基地だった。渋谷と池袋の躍進により、相対的に文化発信力が落ちた。中村屋サロンの例であると、サロンの中心人物が画家中村つねだった。失恋した病身の中村つねは大島に渡った…。中村つねアトリエ記念館に、大島からも来客があったのは、その足跡ゆえである。ここで、桜美林大学
新宿の地元メディアの老舗、「新宿新聞」(7月15日号)をご恵贈いただいた。桜美林学園の新キャンパスは2019年4月オープン。旧国立科学博物館新宿分館が桜美林大学の新宿キャンパスとなるわけである。さて、桜美林の卵で、ご説明すると、いきなり百人町キャンパスが出現しても、新宿区民からすると、話が飲み込めない。新宿区民は、これから桜美林の卵を抱く親鳥なのだ。しかし、抱き孵化させて可愛い雛が巣立つよろこびは、共有できない…問題は、ここにある。イメージでご説明すると、ここが新宿。渋谷区長、新宿区
桜美林大学から頂戴した資料です。この中に卵が入っています。《OBIRINER》の卵です。この卵は殻がついていて固い。殻が卵を守っているわけですが、「閉じられている」ということでもあります。この殻が自然に割れ、孵化するには、抱卵の時が必要です。では、だれがこの卵を抱くのでしょうか?桜美林大学は創立50周年を過ぎ、桜美林学園は2021年に創立100周年を迎えます。樹木にたとえるならば、もう大樹になっています。卒業生(OBIRINER)の数は10万人。こんなに大きく成長した桜美林学
京都大学の研究成果『プルースト=ラスキン「胡麻と百合」』は三重構造をしている。ここに桜美林学園史上、最大の謎を加えると、四重構造となり、その、さらなる高次元の話になると、五重構造となる。桜美林大学の学生の知力は、耐えられるか?これは受験偏差値、受験難易度の問題ではない。知力の問題である。中高生でも知力があれば、桜美林大生にできずとも、中高生にも環境が整えさえすれば、この高次元の考察は可能である。そのことを証明しているのが、桜美林学園、初代理事長・賀川豊彦なのである。旧制徳島中学時代、
桜美林学園史上、最大の謎、なぜ初代理事長・賀川豊彦は、男女共学に反対して辞任したか?ぼくの仮説は、賀川が17歳の時に徳島毎日新聞に翻訳紹介したラスキン『胡麻と百合』の『百合』(女子教育論)に辞任の答えあり!昨日、町田に桜美林学園を訪ねた。駐車場に、その答えを発見!
三島由紀夫が、女性に依然、こんなに人気があるとは、…。三島は東京帝国大学法学部の出身なので、当然、モンテスキューの『法の精神』は読んでいるでしょう。問題は、モンテスキューの社交界デビューのもくろみで、意図的に、戦略的にモンテスキューは世界の人となった。『ペルシャ人の手紙』が、それ。なぜ、三島はああなの?戦略的な社交界デビューの前例、モンテスキューの『ペルシャ人の手紙』を読めば、納得かと、…。マルセル・プルーストも同じ戦略を使っていますよね。
中江藤樹の藤樹書院と、武者小路実篤の《新しき村》を比較すると、似ていて非なるものである。藤樹の「己の欲せざる所、人に施すなかれ」ふうに書けば、「己の欲する所、人に望むなかれ」実篤は、…
武者小路実篤の《新しき村》は来年、創立100周年を迎えるというのに、…。中江藤樹の藤樹書院と、新しき村は似ていて非なるものである。藤樹の人生を追った清水安三は、現代の藤樹書院桜美林大学を設立した。《藤樹書院vs.新しき村》《桜美林大学vs.新村堂大学》ならば、話は建設的になるだろう。しかし、実篤の新しき村には、衰退の極にありなが、発展の対極としての桜美林大学を考えることは不可能である。桜美林大学の場合は、新しき村を視野に収めるならば、衰退の方向が見えるゆえに、180度
武者小路実篤の《新しき村》を大久野七騎プロジェクトの4人で訪ねた。そして昨日、大久野七騎に桜美林学園創立者清水安三の《中江藤樹隠れキリシタン論》資料を託し、検討方をお願いした。清水安三と武者小路実篤は同時代人である。新しき村と桜美林学園?関係がなさそうである。はたしてそうか?清水安三は、母校の同志社から名誉学位を授与されると、大いに喜んだ。同時に授与されたのは、松下幸之助、井深八重である。松下幸之助、…とは、かの松下幸之助である。しかし、清水安三が喜んだのは、松下幸之助と並んで
本日、大久野七騎に《中江藤樹=隠れキリシタン》説の検討をお願いできました。お願いしました、ではなく、お願いできました。歴史教育が暗記型であることの宿命は、お願いして解決できるような次元の問題ではなく、お願いできるか否かの、微妙なタイミングがすべて…。壮観です、大久野七騎が、ともかく清水安三の《中江藤樹=隠れキリシタン》説を読んでいる姿は!熟読は、これからですが、…感動!
桜美林学園創立者・清水安三の《中江藤樹隠れキリシタン》説は、《暗記型教育から思考型教育へ》の転換を可能とする。暗記型教育の典型は、歴史教育に現れる。ところが、安三の《中江藤樹隠れキリシタン》説は、暗記型の並列対立に対して縦軸をとり、暗記の平面世界を立体的なものとする。隠れキリシタン⬆《林羅山vs.中江藤樹》⬆《朱子学vs.陽明学》⬆陽明学平面的な対立図式を暗記して
桜美林学園の創立者・清水安三の《中江藤樹=隠れキリシタン》説は博士論文として成立可能、…と書いたら、「そんなはずないだろう!」の波紋となって返ってきた。桜美林学園の価値、面白さは、さらにはアイデンティティーは、ここにあり!とぼくは思う。清水安三の故郷、隣り村の偉人・中江藤樹を安三は生涯敬慕してやまなかった。メンソレータムのウォーリーさんも敬慕してやまなかった。さらには、鑑真和尚も敬慕してやまなかった。「矛盾だろう!」しかし、清水安三が敬慕してやまなかった中江藤樹、ウォーリ
不思議なことがある。桜美林学園創立者の清水安三を中心に立てて、博士論文⬆修士論文⬆卒業論文の具体的なプログラムが呈示されていたならば、まず第一に、すでに実現していてもおかしくない。そういう噂は聞かない。なぜか?注目される要件を満たしていないからだ。この呈示は、中学生からスタートすれば、高校卒業の時点で博士論文が書ける、ということを意味する。第二に、桜美林学園で閉じられてしまったら内輪話にし
この《アクティブ学園史》はアクティブ・ラーニングの地域社会版である。日本の教育が《暗記型から思考型へ》転換されなければならないのは、だれしもが認めるところである。では、いかにして転換するか?《中江藤樹キリシタン》論博士論文⬆《中江藤樹vs.フランクリン》修士論文⬆『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』卒業論文⬆
今日は都内にいたので、武者小路実篤の新村堂《木曜会》に出席したかった。まだ、時期尚早ですね。《アクティブ学園史》のスパイラル上昇気流は、第一級の資料を吸引して次元をあげているにもかかわらず、…卒論、修論、博士論文程度は、どんどん書けるのに、…。まぁ、いいかあ。待つしかないですね!
昨日、第4回《アクティブ学園史》検討会を開いた。3時間15分。いつも3時間を超える。ラスキン『胡麻と百合』の『百合』を読んでの感想。《中村つね生誕130周年》イベントについて。武者小路実篤『お目出たき人』は、あんなに短い小説なのに、読了できない。ぼくも読了するのが大変だった。新しき村は行きたくはないが、仕方ないから行ってみようかぁ。など。3日の《中村つね生誕130周年》は炎天下での開催だったため、有り難かったのが、この新宿区の団扇だった。左側が中村つね。右側は佐伯祐三。上は林芙美
百人町旧国立科学博物館新宿分館に桜美林大学の新キャンパス。今日は中村つねアトリエ記念館で、中村つね生誕130周年記念パーティー。吉住新宿区長、高野豊島区長もお見えになり、新宿中村屋社長のご挨拶も。集った人、680人とか。まぁ、賑やかなパーティーでした。炎天下だったので、大変でした。なぜ中村つね?重要文化財の《エロシェンコ像》ですが、モデルのエロシェンコと清水安三が魯迅を有名にした経緯があります。
《高校と大学の接続》問題を考えているときに、小学校の学校評議委員を委嘱され、《小学校と中学校の接続》問題にも取り組むことになった。πr2乗⬆半径×半径×3.14中学校の側からは、ここに飛躍があり、「ふりかえり」ができていないのでは?ということになる。では、なぜ「ふりかえり」が弱いのか?これは、微積分⬆πr2乗⬆半径×半径×3.14高校まで接続してないから、蓋
日本の教育改革のキー・ワードが《アクティブ・ラーニング》とするなら、地域社会にあってもアクティブ・ラーニングの模範を示さなければならない。この《アクティブ学園史》は、その具体例として壮大な展開を始めている。なぜ《漱石アンドロイド》なのか?それは人工知能とロボットが人類の未来を考える場合、もはや無視できない進化を続けているから、その最先端にいないわけにはいかないからである。では、なぜ《漱石アンドロイド》開発の二松学舎に出会ったか?そしてまた、なぜ那智佐典・二松学舎学長と出会ったか?わが
武者小路実篤の《新しき村》は限界にきている、日本一有名な限界集落。活路は東京のど真ん中神田神保町の《新村堂》を《新村堂大学》人文科学研究所と仮定することによって開かれる。地方には大学を誘致して、あるいは設立して苦境に陥ったところも多い。その架空の《新村堂大学》は苦境にはなく、贅沢の極み。借金もなければ、遺産があるばかり。苦境と言うなら、その有効活用の方法が思い浮かばないこと。その《新村堂大学》に前田速夫さんと、ぼくが加わった。前田さんは『新しき村の100年』を上梓する。新書版だから、小
武者小路実篤、桜美林学園初代理事長・賀川豊彦、桜美林学園創立者・清水安三は、同時代人。清水安三の尊敬した中江藤樹は、陽明学者だから二松学舎でも研究しておられよう。その中江藤樹は隠れキリシタンとは、清水安三の学説らしい。いまだ読む機会がないので、大体のことしかわからない。賀川豊彦はジョン・ラスキン。プルーストと同じ。ラスキンならば、二松学舎とも関連づく。プルーストを介して三島由紀夫ともつながる。ラスキンはトルストイへも影響力もっていた。武者小路実篤と清水安三の基礎にはトルストイがあった。
二松学舎が空襲で校舎を焼失、その再興の際に尽力、その功労者・那智佐伝学長の資料が集まりはじめています。東日本大震災で倒壊したままの那智佐伝のお墓の前の山林を売却、そのお金を二松学舎に入れていた…んですね。こうなると、森鴎外の『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』ばりの『那智佐伝』を執筆しなくては!となります。ここでまた、なぜ鴎外?三島由紀夫の『文章読本』ゆえです。《泉鏡花vs.森鴎外》ここでまた、なぜ泉鏡花?『新しき村の100年』を出版する前田速夫・元「新潮」編集長の愛読書が泉鏡花『
三島由紀夫と武者小路実篤との比較を続けると、…実篤の学習院での後輩が三島です。時代が前後しますが、学習院では夏目漱石も講演をしていて、「現代日本の開化」が、それ。黒船が来て、強制的に開国させられた。これが有名な漱石の《外発的開化の日本》。すると、内発的開化とは?漱石の『三四郎』の広田先生ですね!ぼくのドイツ語会話の先生は、三島由紀夫と同じ、ロベルト・シンチンガー。カール・ヤスパースの弟子。まぁ、それはともかくとして、内発的開化⬆《『午後の曳航』vs
三島由紀夫の重大性が、日増しに大きくなっています。学習院からすると、三島由紀夫と武者小路実篤は、《優等生vs.劣等生》優等生にも劣等生にも、それぞれ弱点があり、その人生を賭けた挑戦が展開。《『午後の曳航』vs.『お目出たき人』》のコントラスト、いろいろ考えさせられます。では、こういう問題を、どういう場で考えるか?大学では考えていませんね。三島の『午後の曳航』は、その影響力は表面化しないがゆえに逆に強力なものとなり、現代を予言しているのか、はたまた誘発しているのか?今
劣等生には強さがあり、優等生には弱さがある。そして、劣等生たちの白樺派と、優等生の三島由紀夫には、それぞれ限界がある。「その限界を超えよう!」それが三島由紀夫だった。三島には、優等生も劣等生もない。しかし白樺派の総帥・武者小路実篤は、生涯、劣等生であることを誇りにしていた、ということはないのか?日本文化独自の《甘え》の問題として考えると、三島由紀夫の自決は、…不可避?
「新潮」元編集長・前田速夫さんには申し上げたが、学習院を起点とするとき、武者小路実篤、志賀直哉は三島由紀夫の先輩になる。そこにあるのは、実篤、志賀が劣等生であったのに対し、三島が優等生であったこと。前田速夫さんは「面白い視点だ」と言ってくださった。話は当然、『新しき村の100年ー愚者たちの園ー』の愚者とは何か?という問題になる。新しき村が賢者たちの楽園だとしたら、歴史に取り残されるのは傲慢ゆえに当たり前。しかし学習院の先輩であり、劣等生であり、愚者たちの白樺派は、優等生の三島由紀夫とコ
「新しき村」6月号が届いた。いい意味で何か異変が起きているのは間違いない。ぼくの《新しき村土星論》からすると、とても嬉しい6月号。江口次郎さんのオランダ便り、「屋根裏部屋より」文末に(この小文がどこへ向かっているのかわからない。書いていて、そのまま火星へ移住した近況報告でも通じる気がしてきた。そんな空想小説をいつか書いてみるのも楽しいが、どうだろう。2017年4月20日)とある。ぼくの《新しき村土星論》からすると、遂に出るべきものが登場!となりますが、江口さんが、ぼくの土星論を読
「およそ学園史なるものは読まれない!」を前提として、この《アクティブ学園史》は出発していますが、ぼくの書いた大阪女学院の「雌伏の10年―背景のない名画ー」は、いまだ読者が多いと、…思います。工夫すれば、学園史は読まれる。そのことは、ぼくからすれば、証明済み。しかし、学園史は読まれればいいというものではない。読まれない学園史、読まれる学園史の間に、学園としてのアイデンティティーの問題がある。にもかかわらず、読まれななくては、話にならない。花火は儚い、人の夢。それでも夜空に大輪の花を咲か
新宿では、中村つねが描いた《エロシェンコ像》は有名。盲目のロシアの詩人エロシェンコ。桜美林学園からすると、どうなるか?エロシェンコ⬆⬆⬆『石ころの生涯』桜美林学園創立者・清水安三は、「求められるままに、…魯迅の小説を訳して聞かせたものだ」すると、エロシェンコは「魯迅のような小説家は日本にはいなかったですよ」エロシェンコは日本語はできたが、中国語はできなかった。「エロシェンコの口を極めての推