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私は、午前中体力と時間の許す限り修法に充てますが、御神前を離れた後も神仙から離れないよう工夫します。私にとっては“人生即神仙道”清水宗徳先生も“道は須臾も離るべからず、離るべきは道に非ず”と申されています。どうすれば、常に神仙と共に居ることが出きるのか?🤔胎息をしたり、得仙秘文を唱えたり、今に只在ることを心掛けたり、あと自分が常に神仙界に居ると思い込む為に美しい物ばかり探したり。🥰随分自然や小鳥🐦️、蝶々🦋にはお世話になりました。私の自然好きは、おそらく小さい頃雑木の庭のある家で育
今年は巳年。んで🙃今月は巳月。んで🙃明日は己巳。12年前の巳年巳月巳日巳刻。市杵島姫命の掛け軸をお受けしましてん。どうしても西王母真図をお授け頂きたくて。🥰神道の世界では、“大同本記”を根拠に宗像三女神と須勢理姫神は御同神とされており、その頃知り合った女道士の方😍にも“同じ事でしょ”って言われてお受けしましたが、大同本記を根拠とした両姫神御同神説は私の中では、完全に崩れていますので、“失礼なことをしてしまったのではないか?😔”と思っていますが、それでも姫神は私の宮地神仙道道士としての
「日本の弓術」オイゲン・ヘルゲル述に“無私の態度”に関して、仏教の精神を取り入れてはいるもののこれさえも一概に仏教の成果と見ることはできない。その根元は元来日本の民族精神の中に求めるべきであり、しかもこれは自然ならびに歴史によって既定され、仏教と接触しない以前からすでに力づよい動きを見せていたのである。とあります。私の神仙道の源点もまさにここにあります。私は、武士道、山岡鉄舟先生、小倉鉄樹先生への憧れが源点です。鉄舟先生も鉄樹先生も禅家で武士道もその根底には禅の教えがあると思っていましたが
ここまで玄胎結成について書いてきましたが、清水宗徳先生は、玄胎結成は神仙道修練の究極と書いておられます。そして、宮地水位先生は霊胎凝結の法を行はんとするには、九轉還丹並びに調息之術畢りて後之を行ふべしと書いておられ、玄胎結成を目指すのであれば、やはり階梯を踏む必要があります。宮地神仙道には玄胎結成秘詞が伝わります。宮地神仙道には、神仙道誌にも掲載されていない秘伝が数多く伝わっているようですが、私の知る限りでは、第一段しか伝わっていません。私は、秘詞を拝受して十年近く経ちますが、何処まで進ん
周天法、玄胎結成法に触れる前に胎息法についてもう少し書きます。「赤縣太古傳」平田篤胤著玄眞カ註ニ臍下三寸ヲ氣海ト爲ス。亦下丹田ト爲ス。道ヲ修スル者。嘗テ其ノ氣ヲ於臍下ニ伏シ。其ノ神ヲ於身内ニ守レハ。神氣相ヒ合テ而玄胎ヲ生ス也。玄胎既ニ結ヘハ。乃自ラ身ヲ生カス。即チ内丹不死之道ト爲ス也。神ハ氣ノ子爲リ。氣ハ神ノ母爲リ。神氣相合テ形ト影與ノ如シ。胎母既ニ結ヘハ即神子自ラ息テ。即チ元氣之レ散セザル也。胎息経胎ハ從テ氣中ニ伏テ結フ。氣ハ從テ胎中ニ有テ息フ。氣身ニ入リ來ル之ヲ生ト爲ス。神形ヲ去リ離
全てを神仙に委ねるとはどういうことか?それを知る為にヨガニードラ、マインドフルネスのボディスキャンを学んでいるのですが、ボディスキャンの最後の段階にとても気になる箇所があるのよさ。😶「マインドフルネスストレス低減法」J.カバットジン著頭のてっぺんに鯨の噴水孔のような穴があいていて、そこから呼吸しているというイメージを作って下さい。頭のてっぺんから入ってきた空気は、体全体を通って足の先から出てゆき、今度は足の先から入った空気が頭のてっぺんこら出てゆく、一方からもう一方の端へ、体全体で呼吸して
「漢武内伝」王母の日く、昔上皇の清虚元年、三天太上道君、下りて六合を観じ、河海の長短を瞻丘山の高卑を察し、天柱を立てて地理を安んじ、五岳を植て諸を鎮輔に擬し、昆陵を貴んで以て霊仙に舎とし、蓬丘と尊んで以て真人に舘とし、水神を極陰の源に安んじ、太帝を扶桑の墟に棲ましむ。三天太上道君に関しては、平田篤胤先生の「赤縣太古傳巻之二」三皇紀上第三に天地初メテ立チ溟涬ト始テ芽ミ。鴻濛ト滋リ萌エ。歳甲寅ニ起テ。元氣肇テ啓クトキ。天皇氏有リ。十二頭。於昆侖之東南。無外之山ヨリ出タリ。號テ天靈ト
私は出雲大社の先生に大変よくして頂きましたが、先生に会えたのは、母のお陰。😊初めて先生にお会いした際“あんた神様に繋がっとる。離れるな”と言って頂きました。😳私は時間と体力の許すかぎり御神前で修法を重ねてきましたが、御神前を離れた後も常に神仙から離れないよう胎息をしたり、得仙秘文を唱えたりしてきました。清水宗徳先生は宮地神仙道修真秘訣の中で道は須臾も離るべからず、離るべきは道に非ず調気胎息を念とするに於ては四六時中一呼一吸と雖も是れ修真の要道に係るを思ひ粗略にせずと書いておられま
やっぱり…😶瞑想時体の何処に心を置くべきか?🤔ブッタが明確に答えた記述は見つかっていないらしい…。どうよ、このタイミング。🤣今回から瞑想時の呼吸、心の置き所について書こうと思っていたら、たまたま図書館で読んだ“ヴィバッサナー瞑想”に関する本にそう書いてあってん。🤭道家は鎮心の際、下丹田を重んじますが、禅家も同じく座禅の際下丹田を重んじておられます。私は、二十歳の頃知花敏彦先生に憧れ10年近く瞑想時だけでなく四六時中“我れ神也”と唱え続け、その後山岡鉄舟先生に憧れ座禅三昧の日々を
前々回のブログに、私の大好きな「婦人画報」に五台山にある牧野植物園が掲載されているので買って帰ります。🤗と書きました。ので、買ってん。🤣嘗ての私なら五台山が、神仙方との約束の地に違いない。これは、神仙方からのお返事に違いない。と信じ、一日も早く五台山での生活を引き寄せるため、毎日熱祷したと思います。😊しかし、私はもう既に全てを手放し、全てを女仙方に委ねていますので、自宅での朝拝時も神社参拝時も、神仙方への帰依を誓い“神仙方の御心が行われますように。神仙界が来ますように。”と祈っ
清水宗徳明治43年(1910年)4月28日-昭和63年(1988年)12月3日)は神仙道本部第四代斎主、玄学研究家。香川県生まれ。本名清水清一(しみずせいいち)。齋徳とも称す。道号は南岳、東方道人。青年時代一度見たり聞いたりした事は何事も忘れず、詩歌や漢詩などを諳んじ、勉学も秀でていたので神童と呼ばれたという。元総理大臣の大平正芳とは旧制高松高等商業学校時代の親友の一人であったともいわれる。宗徳はまた青年期には哲学的思索にふけり、死後の世界や中国の仙人にも興味を抱いていた。霊学道場を
引き続き、元祖1さんの話です。🤗今回は、元祖1さんの言葉の中で、宮地神仙道道士として最も刺激、感銘を受けたものをもう一度紹介します。😊潜在意識とは対話するものではありません。全てを委ねるものです。潜在意識を信用してます。全てを委ねます。ということを常に表明しましょう。私は昨年の神拝時、突如、私達の為に日夜祈って下さっている神仙方のお仲間に加えて頂いたような体験をしたことをお伝えしました。気のせいかな?とも思いましたが…😶それから明らかに神拝に望む姿勢、日常の過ごし方が変わりました
私は神拝時、女仙に全託してきましたが、今全てを女仙に委ねています。😊因みに、清水宗徳先生は神仙道は神仙の教にまつらふ道で、服従の道である。幽顕交通も神術霊験も、すべては神祇の御意図の下にある。と言われています。ある日の神拝時😗🎵、女仙から😳“貴方のその願いは、貴方が勝手に思ったことと考えているのですか。貴方の願いは私達の願いです”と言われた気がしてから😶もし、私の願いと女仙の願いが同じであるなら、女仙の願いのほうが素晴らしいに決まってる。と考え、自分の願いを全て委ね、女仙の願い
先日の3月2日は宮地水位先生が道山に帰られた日、3日は西王母のお誕生日“蟠桃会”でした。宮地神仙道では毎月2日に「水位師仙月例祭詞」を唱え、丁卯には西王母をお祀りしますが、3月2日、3日は私にとって最も大切な日、楽しみにしている日と言っても過言ではありません。しかし、当日は有り難さと同時に寂しさ、切なさを感じます。今回は新暦だからまだ良いのですが…。旧暦の3月2日、3日が今から待ち遠しいのですが、その日が近づくとやはり、切なさのほうが強くなってきます。水位先生は、神集岳に関する秘詞と宮殿
今回は前回お約束した通り「神仙道誌」から浦戸龍王宮に関する記述を紹介します。浦戸龍王宮に詣でたる宮地泰岳総裁と清水総務浦戸龍王宮は神仙道本部の所在する五台山より一眸のもとに収める浦戸湾口にあり、広ぼう千里、さながらに太平洋の黒潮寄する危厳数十尺の断崖の上に北面して鎮座さるる神威の古社である。水位先生が海宮神界に出入される場合、此の龍王宮まで龍飛様の御迎へを受け、龍王宮直下の紺青の海中から海波萬里の海仙境に伴はれ、また師仙川丹先生とともに屡々此の社前にて会談された。と記されており、昭和二十
今回は「神仙道誌」から「得仙秘文」の霊唱の方法を紹介します。福徳と寿徳に呼びかけ其の霊徳を完全円満に発動させる霊唱の方法は極めて簡単で、姿勢をなるべく正くし(重病人は臥たまゝでもよろしい)徐ろに息を調へ心を静めて瞑目合掌し(道士は拝神文を結べば更に吉)低声にて「神火清明。神水清明」…と数回唱へたる後、「福寿海無量」「福寿海無量」「福寿海無量」と一心を凝して唱へつゞければ宜しいので、声の大小緩急や時間の長短は其人の自由に調節加減されてよいのであります。寿はジュといふ音とシウー音便でジウとなるーと
今日は、庚申ですね。私にとって庚申、甲子、丁卯、己巳と続く週はGW。出来たら毎月あって欲しい。清水南岳先生は「神仙道誌」に庚申祭は司命祭也司命神の大元神と座す伊弉諾大神が主祭神と座まさねばならぬ大司命・小司命の司命神等を祭りて徹夕眠らず庚申の夜を守るのが本義と書いておられ、宮地水位先生は「庚申集説」に猿田彦神を祭るは当らざれど、猿田彦神と唱へて祭るときは又猿田彦神の幸ひ給ふことありと書いておられます。因みに南岳先生は、産土神は小司命のうちに座す。と書いておられます。私にとって
どうせ明日日曜は、くだらない話をするでしょうから早速感想法の話を始めます。😔ちょっとべっぴんさん😍。くだらない話って失礼な‼️😤…😶それでは始めます。🙃清水宗徳先生は、松本道別先生の門下に名を連ねておられます。南岳先生の師匠は、私にとっても師匠同然。🥰私にとって道別先生の「霊学講座」「延年益壽秘経」は神仙道の教科書ですが、道別先生は西王母から親しく御啓導を受けておられ私にとって憧れの御存在です。🥰先生は「延年益壽秘経」の中で“本道場と崑崙神界とは斯くの如く密接の関係がある”と書いて
前回「十州記」を紹介しましたが、清水宗徳先生がそれをさらに詳しくお話されていますので、今回は、そちらを紹介します。山上の地形はほぼ四角になって居て正北を閬風嶺と日ひ、西方を玄圃と日ひ、東方を崑侖宮と日ひ、南方を舂山と呼ばれる四苑がある。其の一角に黄金を積んで作られた天墉城があり方千里の宏壮なもので、城上には黄金台が五所、玉楼十ニ所があり、西南方の承淵山な西北方の北方の北戸山にも亦黄金燦然たる墉城があり、瑶池を帯び翠水を環らした各城の金台玉楼が相映じて其の壮麗華美なること言語に絶すと伝へられて居
先日、宮地厳夫先生の「本朝神仙記伝」から女仙宮について書かれている箇所を紹介し、その際、廣寒宮について紹介しました。この廣寒宮についてもう一つ「本朝神仙記伝」から紹介します。雲笈七籖の日月星辰部に引きたる黄気陽三道順行経にも、立夏の日洞陽宮に止まり、金冶の精を吐て以て東井の中に灌ぎ、晨暉に沐浴し、八素の気を収めて廣寒宮に皈る、月暉の圍縦廣ニ千九百里、白銀、瑠璃、水精、其内に映ず、城郭人民日と同じとある、廣寒宮も亦此れにて、その美麗なるを想像るべし先日紹介した女仙宮も其状金銀珠玉をちりばめ
今日は、「かぐや姫考」は、お休み。「え~っ、ショック楽しみにしてたのに」「お、お前…。虚しくないか自分で言って」だって「泣くな。何歳だよ」今朝、偶々、宮地神仙道の秘詞を公開しているブログを見かけました。この秘詞は、公刊物に掲載されていますので、ブログ等で公開する人が居るとは思っていましたが…仙桃庵よりフォロアーが多いでやんの…宮地神仙道の秘詞に関しては、色々な考え方があるようで、ある有名な方が以前私に「仙は、三代までで、それ以降は全て盗法だ」と言わ
昨日、宮地水位師仙「靑眞小童君伝集録」から「懐古伝」を紹介しましたが、今回はこれに酷似した内容の「列子湯問篇」を紹介します。渤海ノ東、幾億万里ナルヲ知ラズ、大壑有リ。実ニ惟レ無底ノ谷ニシテ、其ノ下、底無シ。名ヅケテ帰虚ト日フ。八鉱九野ノ水・天漢ノ流、之ニ注ガザル莫ク、而モ増スコト無ク、減ルコトモ無シ。其ノ中ニ五山有リ。一ヲ岱輿ト日ヒ、二ヲ員嶠ト日ヒ、三ヲ方壺ト日ヒ、四ヲ瀛洲ト日ヒ、五ヲ蓬莱ト日フ。其ノ山ノ高下周旋三万里、其ノ頂ノ平ナル処九千里、山ノ中間相去ルコト七万里、以テ鄰去ト爲ス。其
「神仙道誌」清水南岳先生王母が武帝に靈寶五嶽眞形圖を授けたるに、上元夫人は其幸領するところの六甲靈飛左右策精致神之符の授受に関し上元夫人と小童大君との御問答は殆ど御対等の礼有る経緯、また上元夫人の西王母を呼称するに「阿母」の親称を以てせる等の御関係を推して惟ふに、幽事治め給ふ大物主神の妃たる元始天尊高皇産靈大神の御女三穂津姫神に坐さずやと窺はるるなり。清水先生は、この稿で須勢理姫神の西王母に坐すことは平田先生も之を考証せられ、其餘の霊的資料にも照して論なきことと覚ゆと書いてお
今回は、上元夫人とは何れの女仙なのか。平田篤胤先生、清水南岳先生のお考えを紹介します。「赤縣太古傳」平田篤胤著女眞の言に、靑眞ハ是阿環入火ノ弟子也とも有れば、小童君も火に入る術は、此女眞に受たる此女眞は、王母にこそ下れ、既に王母の語にも是三天上元之官。十万玉女之名籙ヲ統領スル者也。と見えたれば、甚高貴なる女眞なれども、誰神と云こと、神典にては未思ひ得ず。「神仙道誌」清水南岳先生大國主大神の和魂神と坐す大物主神の妃配として高皇産靈大神の命以て賜へる三穂津姫神の彼地に於ける御消息や如
神仙道に於いて少名彦那大神を東海大神仙王金闕上相大司命靑眞小童大君少名彦那大神と申し上げことを紹介しましたが、今回は「神仙道誌」から清水南岳先生の御解説を紹介します。大神の御神名、神仙界に於ける御地位に関しこれ以上の解説はないと思われます。東海上の大神仙界なる太上大道君の幽府を預り治めて神真の生籙を司り給ふ頭梁の大神仙に坐すところより東海大神仙王の称号あり金闕上相と称ふるは太上大道君の司直の中にて最高位の上相たる御位置に坐す由をいふ太上大道君を一に金闕帝君と称するのは、玉京山
「三五本圀考上」〔三〕春秋外傳晉語ニ云。司空季子日。昔少典。於有蟜氏ヲ取テ。黄帝炎帝ヲ生ム。黄帝ハ姫水ヲ以テ成リ。炎帝ハ姜水ヲ以テ成ル。故ニ黄帝ヲ姫ト爲シ。炎帝ヲ姜ト爲ス。二帝軍ヲ用ヒ相濟ス也。「黄帝本行記」伏義少典ヲ生ム。少典神能及ヒ黄帝ヲ生ム「賈誼」黄帝者炎帝之兄也昨日「黄帝傳記」平田篤胤著是ノ時神農氏世衰諸侯相侵伐暴虐而征スルヿ能ハ弗「神仙道誌列仙畫傳黄帝」其時神農氏(黄帝の弟)は帝徳既に衰へて之を如何ともする事が出来なかった。とある事を
「黄帝傳記」平田篤胤著是ノ時神農氏世衰諸侯相侵伐暴虐而征スルヿ能ハ弗是ニ於テ軒轅乃習干戈用不享征諸侯咸來テ賓從ス。時ニ蚩尤氏有リ帝命ヲ恭不諸侯中ノ強暴ナル者也。兄弟八十人竝ニ獸心人語銅頭鐵額五穀ヲ食ハズ沙ヲ啗ス石ヲ呑ミ天下ニ震フ軒轅於是乃楡罔與謀ヲ合セ共ニ蚩尤撃大于涿鹿之野ニ戰。蚩尤百里ノ大霧作彌三日軒轅之軍人皆迷惑乃風后ヲシテ斗ノ機ニ法テ指南軍ヲ作ら令以四方別。「神仙道誌列仙畫傳黄帝」諸侯のうちで蚩尤といふがあり、変幻出没自在、奇術を用ゐて風雨を呼び煙霧
8月26日(木)辛丑八白上弦「赤縣太古傳」平田篤胤著玄眞が註相住とは即是れ神氣相離れざる也。邪氣盡きざればせ仙を爲さざる。元氣は即正氣也。嘗て食を減じ欲を節にし、元氣をして内に運らしめよ。元氣壮なれば則ち邪氣自ら消ゆ。神と氣と母の腹中に在る本是れ一體之物なり。生下に及で外境愛欲の爲に牽れて未だ嘗て一ならず。息は暫く本に歸す。人此の道を知て嘗て情念を泯絶して神氣を出入去來せしむること勿れ。能く忘れず久して之を習へば神自ら住す。修眞之道斯に備はり盡せり。凡そ胎息用功の後、関節開通し毛
「赤縣太古傳」平田篤胤著身は神之舎。神は身之主也。舎安静なれば則ち神之に居る。舎躁動すれば則神之を去る。神去り氣散ぜば安ぞ生ることを得べきや。是を以て人の耳目手足皆自運する能はず。必ず神を假て以て之を御す。道を學び生を養ふ之人。常に其の神を拘へて以て神主と爲す。主既に去らざれば宅豈崩壊せむや。我が命我に在て天地に在らず。神氣は人知ること能はず。至道は能く知る也。知る者は但だ能く心を虚し虚を絶ち氣を保ち精を養ひ外境愛欲の爲に牽せらず。恬淡以て神氣を養へば即長生之道畢る。所謂氣の馬行止相随